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第2章 迷当の反乱
第6話 拠り所
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思いが抑えきれなくなった姜維は、一人でこっそりと魏軍の陣営を抜け出し、蜀の本陣の正面まで馬を走らせた。
魏軍からの使者である。門前でそう叫び、剣や鎧などの武具を預けて、蜀軍の本営まで足を運ぶことが叶ったのだ。
本当は使者でも何でもないと知られれば、自分はどうなるだろうかと考えたが、全ては天に任せる事にした。
蜀軍の主立った武将や文官が並び、その中央に居るのは、諸葛亮。姜維は微塵も恐れることは無く、自分は使者では無いと大声で明かし、出身や名前の全てを打ち明けた。
場に居る全員が狐に化かされたような顔を浮かべた後、姜維は兵士によって取り押さえられる。しかし諸葛亮は愉快そうに笑い、姜維をその場に座らせて、話を聞こうと言った。
「かつて八百年続いた殷の王朝は滅び、周が起こりました。周の王朝もまたやがて滅び、秦が天下を統一しました。しかしまた、秦も滅び、漢が天下を治めました。その命脈は四百年の間続きましたが、民は困窮し、天下は乱れに乱れた。そんな天下を救わんと国を興したのが、魏です。目下天下の大半を治め、人民は穏やかな暮らしに安堵しております。なれど何故、天下の英雄ともあろう諸葛亮殿は、その時勢を見ずに天下を乱す軍を上げるのです」
「悪口を言いに来たのか?姜維とやら」
「こちらは命を懸けております」
「よろしい、ならばお答えしよう。国が起き、乱れたら滅ぶ。それを何度も繰り返せば、天下は決して治まらぬ。戦乱は、永久に無くならぬのだ」
「それが、人の世の定めでしょう」
「至極真っ当、そのとおりだ。人が生きる限り、戦乱は消えぬ」
姜維は首を傾げた。言ってることがまるでちぐはぐである。
もし、からかっているのだとしたら、このまま無理やりにでも諸葛亮の喉を噛み切ってやろうと思った。
「されど、戦乱は消えぬまでも、人の心には柱が無ければならぬ。絶対に揺るがない根幹を。いくら世が乱れようと、その根幹だけは誰にも触れられない、そんな人々の心の中枢たる柱を。それが叶えば、全国を取り巻く悲惨な乱世が起こる事もない」
「その柱となり得るのが、漢室の血脈という事でしょうか」
「そうだ。あと百年も続けば、人々は決して漢室の血を絶やそうとは考えなくなる。全土を巻き込むような、何百万という民が死ぬ戦も、起きることは無い。それは何故か。拠り所があるからだ。だからこそ決して、この血を絶やしてはならんのだ」
これほどまでに、自分の心に秘していた結論と同じ答えが、まさか他人から聞けるとは思っていなかった。
気づけば、姜維は涙を流していた。
この人にならば、自分の命を捧げても惜しくはない。その場で額を地に打ち付け、懇願していた。
「私を、蜀漢の軍に、加えていただきたいのです。ずっと、ずっと、魏による漢室の簒奪を許しがたく思っておりました。漢室の復興の為、この身を捧げる事も厭いませぬ!」
「頭を上げよ、伯約。今日から、私の側で仕えるといい」
周囲は驚きの声を上げて諸葛亮を諫めるものの、その意志が変わることは無く、それどころか諸葛亮は直々に姜維の手を取って語り掛けた。
「単身でここまで乗り込んできた心意気は、称賛に値する。私は今、当千の将を得た気分だ」
「恐縮の限りで、返す言葉が見つかりません」
これからは、蜀漢の為に生きる、諸葛亮の為に生きると覚悟を決めた。母にも、そう短く綴った手紙だけを送った。
男とはかくあるべきなのだ。後悔は無かった。
「丞相には、いくら感謝をしても、その思いは尽きませぬ。一生をかけても返す事が出来ぬほどの御恩を、私は頂きました」
「全ては、北伐の為だ。心得よ、伯約」
「必ずや漢室の復興を成し遂げて見せます」
その言葉を聞くと、諸葛亮は安心した様に、一つ息を吐いた。
そして、その瞳が再び開かれることは無かった。
ただ、楊儀の悲痛な叫びのみが五丈原に響いた。
魏軍からの使者である。門前でそう叫び、剣や鎧などの武具を預けて、蜀軍の本営まで足を運ぶことが叶ったのだ。
本当は使者でも何でもないと知られれば、自分はどうなるだろうかと考えたが、全ては天に任せる事にした。
蜀軍の主立った武将や文官が並び、その中央に居るのは、諸葛亮。姜維は微塵も恐れることは無く、自分は使者では無いと大声で明かし、出身や名前の全てを打ち明けた。
場に居る全員が狐に化かされたような顔を浮かべた後、姜維は兵士によって取り押さえられる。しかし諸葛亮は愉快そうに笑い、姜維をその場に座らせて、話を聞こうと言った。
「かつて八百年続いた殷の王朝は滅び、周が起こりました。周の王朝もまたやがて滅び、秦が天下を統一しました。しかしまた、秦も滅び、漢が天下を治めました。その命脈は四百年の間続きましたが、民は困窮し、天下は乱れに乱れた。そんな天下を救わんと国を興したのが、魏です。目下天下の大半を治め、人民は穏やかな暮らしに安堵しております。なれど何故、天下の英雄ともあろう諸葛亮殿は、その時勢を見ずに天下を乱す軍を上げるのです」
「悪口を言いに来たのか?姜維とやら」
「こちらは命を懸けております」
「よろしい、ならばお答えしよう。国が起き、乱れたら滅ぶ。それを何度も繰り返せば、天下は決して治まらぬ。戦乱は、永久に無くならぬのだ」
「それが、人の世の定めでしょう」
「至極真っ当、そのとおりだ。人が生きる限り、戦乱は消えぬ」
姜維は首を傾げた。言ってることがまるでちぐはぐである。
もし、からかっているのだとしたら、このまま無理やりにでも諸葛亮の喉を噛み切ってやろうと思った。
「されど、戦乱は消えぬまでも、人の心には柱が無ければならぬ。絶対に揺るがない根幹を。いくら世が乱れようと、その根幹だけは誰にも触れられない、そんな人々の心の中枢たる柱を。それが叶えば、全国を取り巻く悲惨な乱世が起こる事もない」
「その柱となり得るのが、漢室の血脈という事でしょうか」
「そうだ。あと百年も続けば、人々は決して漢室の血を絶やそうとは考えなくなる。全土を巻き込むような、何百万という民が死ぬ戦も、起きることは無い。それは何故か。拠り所があるからだ。だからこそ決して、この血を絶やしてはならんのだ」
これほどまでに、自分の心に秘していた結論と同じ答えが、まさか他人から聞けるとは思っていなかった。
気づけば、姜維は涙を流していた。
この人にならば、自分の命を捧げても惜しくはない。その場で額を地に打ち付け、懇願していた。
「私を、蜀漢の軍に、加えていただきたいのです。ずっと、ずっと、魏による漢室の簒奪を許しがたく思っておりました。漢室の復興の為、この身を捧げる事も厭いませぬ!」
「頭を上げよ、伯約。今日から、私の側で仕えるといい」
周囲は驚きの声を上げて諸葛亮を諫めるものの、その意志が変わることは無く、それどころか諸葛亮は直々に姜維の手を取って語り掛けた。
「単身でここまで乗り込んできた心意気は、称賛に値する。私は今、当千の将を得た気分だ」
「恐縮の限りで、返す言葉が見つかりません」
これからは、蜀漢の為に生きる、諸葛亮の為に生きると覚悟を決めた。母にも、そう短く綴った手紙だけを送った。
男とはかくあるべきなのだ。後悔は無かった。
「丞相には、いくら感謝をしても、その思いは尽きませぬ。一生をかけても返す事が出来ぬほどの御恩を、私は頂きました」
「全ては、北伐の為だ。心得よ、伯約」
「必ずや漢室の復興を成し遂げて見せます」
その言葉を聞くと、諸葛亮は安心した様に、一つ息を吐いた。
そして、その瞳が再び開かれることは無かった。
ただ、楊儀の悲痛な叫びのみが五丈原に響いた。
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