お見合い相手が改心しない!

豆狸

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第二章 狸の住処は戌屋敷!

19・宅配屋さんの青年のこと②

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 兎々村家にいつも来るのとは違う宅配屋さんに、信吾さんが声をかける。
 顔は少年漫画に出てくる糸目の最強キャラの笑みだけど、声はなんとなく優しかった。
 わたしが彼の声が好きなだけかもしれないが、部下のことは大事にしてそう。

「元気ですか?」
「はい。おかげさまでスケジュールに無理がなくなってみんな喜んでます。でも本当に大丈夫なんですか? 仕事が減ったのに給料増えてますよ?」
「大丈夫です。現場を考えずに無茶な仕事を取ってきて、働きに見合わない給与を貪っていた人間を排除しただけですから。若造の僕を侮って、自分から退職を言い出してきてくれたので楽でしたよ」
「ああ、まあ、本人は実績を上げてたつもりだったんでしょうね」
「現場を締め上げて、人が入ってはすぐ辞める悪循環を築くのは実績とは言いません。……璃々さん、こちらは新井熊三さん。以前買収した宅配会社に勤めてくださっている方で、とても力になっていただいているんです」
「前のときは妻子がいるんで辞められなかっただけですよ。今はとっても居心地がいいんでね」
「アライクマ、ゾウさん?」

 つい最近聞いたばかりの動物の名前に似ていたので、変なところで切ってしまった。
 新井さんは困ったような顔で笑い声を上げる。

「ひゃひゃひゃ、こちらにお住まいじゃあ当然猫屋敷さんのお宅のことはご存じですよね。いやあ親戚でもなんでもないんですけど、アライグマがご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」
「い、いえ……」
「っと……こちらは兎々村さんのお宅ですよね?」
「失礼しました、新井さん。兎々村璃々さんは僕の婚約者なんですよ」
「はあー、それはそれはおめでたいですなあ」

 信吾さんと別れるつもりは毛頭ないのだけれど、こうして人に紹介されていくと、外堀を埋められているような気分になる。
 別れるつもりはないのよ、うん。
 でもなんか追い詰められたような……気がつくと、彼の頭上に浮かぶ黒い狐さんに仲間を見る目で見つめられていた。うん、まあ、逃げられないのもわかってる。
 わたしも狐さんも逃がさない人が、新井さんに尋ねる。

「ところで、この地域の担当は狸穴まみあなくんでしたよね。今日は有給ですか?」
「あー……有給は有給なんですけど怒らないでやってくださいよ、社長」
「有給を取ったからって怒ったりしませんよ。人が足りないようなら言ってくれればスケジュールを調整しますし。もしインフルエンザなら被害が拡大しないよう手を打ちます」
「ええ、まあ、その……狐塚社長になってから入社したヤツだからご存じだとは思いますが、アイツ猫アレルギーなんです。なのに猫好きで。猫屋敷さんとこのキャットフードなんかは月一だったんで、わざわざ予定の翌日に休み取って、その日の仕事の最後に行って猫触ってたんです」
「薬を飲めば収まるアレルギーなのに最悪の状態を考えて動いてくれていて助かります」
「はあ……でもこの前、たぶんアライグマの仕業だと思うんですが、狸穴のヤツ怪我した仔猫を見つけて動物病院に連れて行ったんですよ。もちろん仕事が終わってからだったんですけど、接触時間が長かったせいか長引いてるんです。もう十日くらいになるかな。有給も使い果たしそうですよ」

 新井さんが信吾さん相手に口籠ったのは、お兄さんが自分の猫アレルギーを知りながら猫を触って仕事を休んでいると思われたくなかったからだろう。
 だけど仔猫、ましてや傷ついた仔猫を無視するような人は、それはそれで信吾さんの怒りを買いそう。

「病院には行っているんですか?」
「なんか咳や鼻水だけじゃなくて発熱や下痢の症状もあるみたいで、アレルギーの薬と併用しても大丈夫な風邪薬をもらったそうです」
「心配ですね。普通の風邪やインフルエンザでも症状を見て対処療法をおこなう。患者から言わなければ原因まで確認することは少ないでしょう。……SFTSに感染していたとしたら……」
「エス……なんですか、それは」
「野生のアライグマが媒介する病気です。致死率は最大で三十パーセントほどでしょうか」

 大きく目を見開いた後、新井さんは申し訳なさそうに体を縮めた。
 新井さんもお兄さん……狸穴さんも信吾さんと身長は変わらないのだが、体を動かす仕事のせいかふたりのほうが逞しくて大きく見える。

「ひえっ! 本当にアライグマがご迷惑を……」
「新井さんのせいではありませんよ。狸穴くんのことは僕が確認します。璃々さん、受け取りに判子を捺してあげてください。新井さん、引き止めて申し訳ありませんでした」
「とんでもないです、社長。狸穴のことよろしくお願いします」
「もう大丈夫だと思いますが、新井さんもご自宅ではうがい手洗いを心がけてくださいね。小さいお子さんがいらっしゃるんですから」
「もちろんです」

 新井さんがぱぁん、と自分の制服の胸ポケットを叩いた。

「……もうちょっといいですか?」
「なんでしょう。こちらがラストなんで大丈夫ですよ。事務所に戻ったら、うがい手洗いの件はみんなに話しておきます。風邪やインフルエンザは毎年だから、ついつい慣れっこになってますもんねえ。致死率三十パーセントの病気があるなんて聞いたら、気をつけるようになりますよ」
「狸穴くんが復帰したときに肩身が狭くならないようにしてあげてくださいね。彼のせいではないのですから」
「わかってます。アライグマのせいなんですよねえ。っと、失礼しました。ご用件は」
「良かったらこの前の待ち受け、璃々さんにも見せてあげてもらえますか?」

 信吾さんの言葉を聞いて、彼は満面の笑みを浮かべた。
 さっき叩いた胸ポケットからスマホを取り出して、待ち受け画面を見せてくれる。

「息子と嫁です。小さいけど親孝行な子でねえ。毎晩俺の腰踏んでくれるんですよ。おかげでひどかった腰痛がすっかり治って。あ、もちろん狐塚新社長の社内改革のおかげもあるんですけど」
「……え?」

 思わずわたしは新井さんの顔を見て、それからもう一度待ち受け画面に目を落とした。

 ……そっくり!

 もちろん子どもさんは(三歳くらいかな?)幼くてあどけない顔をしているのだけれど、ふたりが親子だと知らなくても、ふたりを見たら親子だと確信するくらいよく似ていた。
 奥さんも美人だった。

「……んじゃあこれで失礼いたします」
「はい、気をつけて。新井さんも有給を取って家族旅行にでも行ってくださいね」
「ありがとうございます」

 幸せそうな後姿を見送る。
 全然黒い影、黒い霧にさえ覆われていないのは、息子さんの腰踏みのおかげかな。
 信吾さんがわたしに待ち受けを見せるよう言ったのは、関係ないのに似てる名前のアライグマの悪事に落ち込んだ新井さんを、息子さんの写真で高揚させるために違いない。
 優しいところもある、のよね?
 まあわたしにはいつも優しいけど……居所を探ろうと宅配会社買収したりするけど。
 隣に立つ信吾さんを見上げると、彼はわたしに微笑んだ。

「狸穴くんの住所ならわかりますよ。どうせ以前会ったときに黒い影を見て心配していたんでしょう? SFTSだったとしたら有効な治療薬はまだありません。……単に荷物を配達しに来ていただけの人間を救いたいんでしょう?」
「顔見知りの人はやっぱり気になりますよ」
「……女神化は進行中みたいですね。いえ、あなたは最初からそうだったんでしょう。それこそ祖母に神を与えられる前から、ずっと。最近妙な事件に巻き込まれることが多かったですが、日本の平均から考えるとこの市の犯罪率はとても低いんです。特にあなたが住んでいる地域は」

 本当だろうか。
 あんな近くに夫成さんが住んでいたのに?
 そういえば彼女はもう捕まったのかな。
 捕まってるといいけど、捕まえた人にもあの棘が突き刺されるんだろうな。
 わたしと違って見えないかもしれないけど、それでもあの棘は──

「狸穴さんのところへ連れて行ってもらっていいですか? わたしが女神になるのもならないのも、きっと信吾さん次第ですよ。……それと」
「なんです?」
「予感ですけど、新井さんのところと同じで、信吾さんの子どもも信吾さんそっくりになる気がします」

 信吾さんがあまりにイヤそうな顔になったので、わたしは吹き出してしまった。
 ちょっと面倒ではあるものの、信吾さんそっくりの子どもなら可愛いと思う。
 わたしは二階のお母さんに向けて、化粧品の配達が来たことを告げた。
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