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30・たとえ名前で呼ばれたとしても
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カサヴェテス竜王国に嫁いでから、私の名前を呼ぶのは精霊王様と竜王ニコラオス陛下だけでした。
ずっと妃殿下と呼んでくれていた近衛騎士隊長のソティリオス様に名前を呼び捨てにされて、私は戸惑わずにはいられませんでした。
ですが彼の逞しい腕の中にいるうちに記憶が蘇って来ました。離宮を出て王都へ降りる前に言われていたのです。お忍びだから、人前では妃殿下と呼ばないと。
「ごめんなさい、ソティリオス様。懐かしい匂いに引き寄せられてしまいました」
「懐かしい匂いですか?」
「潮の……海の匂いです。このお店は海産物の串焼きを売っているのですよ」
「リナルディ王国は海に接しているのでしたね」
「はい。土地にもよりますが」
私を両腕に閉じ込めたまま、ソティリオス様が店の商品に目をやります。
「イカ焼きだよ。兄さんもどうだい?」
「甘みを活かしたタレがとても美味しいんですの。あの……支払いを待っていただいているので、そのお礼のためにも買ってあげてくださいませんか?」
「いただきましょう」
ソティリオス様は苦笑して、イカ焼きを何本か買ってくれました。
銀の髪に銀の瞳、いかにも竜人族の彼が買って食べているのを見て、ほかの人々も集まって来ます。先ほど彼が落とした果実水の容器、くり抜かれた果物の皮は踏み潰されて見えなくなりました。
人波に紛れて、私達は店を離れました。しばらく進んだところで、ソティリオス様が口を開きました。
「……あの」
「はい?」
「お名前を呼び捨てにして申し訳ありませんでした」
「いいえ。こちらへ来る前に聞いていましたもの。ディアナという名前は珍しくありませんから、周りに聞かれても大丈夫ですわ」
「そうですか。……あー、その」
彼は言葉を探しているようでした。
「先ほどの串焼き美味しかったです。あれは海の生き物なんですか?」
「そうですわ。海のものでは貝も美味しいんですよ。蓋が閉じたままの貝を焼くと開いてくるので、油とタレをかけて食べるんです。……お父様が屋台で買ってご馳走してくださった思い出の味なんです」
「あの店には貝はなかったのですか?」
私は頷きました。
「では、ほかの店にないか探してみましょう。ああ、その前に果実水も買い直さなくてはいけませんね。あなたを見つけた瞬間、ほかのことがすべて頭から抜けて落としてしまいました」
「本当にごめんなさい。もうソティリオス様から離れないように気をつけますわ」
「お願いします。……」
ソティリオス様の白銀の瞳が私を映します。
白銀の髪を持つ竜人族はちらほら見かけますが、瞳が白銀に染まるほど魔力が強いのは近衛騎士隊長の彼くらいしかいませんでした。
じっと私を見つめているのは心配してくれているからでしょう。
「……ディアナ、様」
「お忍びの間は呼び捨てでよろしいですよ」
「は、はい。じゃあ……ディアナ」
「はい」
「もうはぐれないように手をつないでも良いですか?」
「それはいい考えですね」
ソティリオス様は私を子どものように思っていらっしゃるんだな、と少し残念に感じましたが、一度迷子になった以上どう思われても仕方がありません。
果実水か貝を売っている店を探し始めたらしく、私から顔を逸らした彼は大きな手だけ差し出してきます。
私はその手をつかみました。つかんだ途端、強く握り返されて、なぜかさっき私を呼んだ彼の声が耳に蘇りました。低く甘いその声は、なんだかいつまでも消えないような気がしました。
ずっと妃殿下と呼んでくれていた近衛騎士隊長のソティリオス様に名前を呼び捨てにされて、私は戸惑わずにはいられませんでした。
ですが彼の逞しい腕の中にいるうちに記憶が蘇って来ました。離宮を出て王都へ降りる前に言われていたのです。お忍びだから、人前では妃殿下と呼ばないと。
「ごめんなさい、ソティリオス様。懐かしい匂いに引き寄せられてしまいました」
「懐かしい匂いですか?」
「潮の……海の匂いです。このお店は海産物の串焼きを売っているのですよ」
「リナルディ王国は海に接しているのでしたね」
「はい。土地にもよりますが」
私を両腕に閉じ込めたまま、ソティリオス様が店の商品に目をやります。
「イカ焼きだよ。兄さんもどうだい?」
「甘みを活かしたタレがとても美味しいんですの。あの……支払いを待っていただいているので、そのお礼のためにも買ってあげてくださいませんか?」
「いただきましょう」
ソティリオス様は苦笑して、イカ焼きを何本か買ってくれました。
銀の髪に銀の瞳、いかにも竜人族の彼が買って食べているのを見て、ほかの人々も集まって来ます。先ほど彼が落とした果実水の容器、くり抜かれた果物の皮は踏み潰されて見えなくなりました。
人波に紛れて、私達は店を離れました。しばらく進んだところで、ソティリオス様が口を開きました。
「……あの」
「はい?」
「お名前を呼び捨てにして申し訳ありませんでした」
「いいえ。こちらへ来る前に聞いていましたもの。ディアナという名前は珍しくありませんから、周りに聞かれても大丈夫ですわ」
「そうですか。……あー、その」
彼は言葉を探しているようでした。
「先ほどの串焼き美味しかったです。あれは海の生き物なんですか?」
「そうですわ。海のものでは貝も美味しいんですよ。蓋が閉じたままの貝を焼くと開いてくるので、油とタレをかけて食べるんです。……お父様が屋台で買ってご馳走してくださった思い出の味なんです」
「あの店には貝はなかったのですか?」
私は頷きました。
「では、ほかの店にないか探してみましょう。ああ、その前に果実水も買い直さなくてはいけませんね。あなたを見つけた瞬間、ほかのことがすべて頭から抜けて落としてしまいました」
「本当にごめんなさい。もうソティリオス様から離れないように気をつけますわ」
「お願いします。……」
ソティリオス様の白銀の瞳が私を映します。
白銀の髪を持つ竜人族はちらほら見かけますが、瞳が白銀に染まるほど魔力が強いのは近衛騎士隊長の彼くらいしかいませんでした。
じっと私を見つめているのは心配してくれているからでしょう。
「……ディアナ、様」
「お忍びの間は呼び捨てでよろしいですよ」
「は、はい。じゃあ……ディアナ」
「はい」
「もうはぐれないように手をつないでも良いですか?」
「それはいい考えですね」
ソティリオス様は私を子どものように思っていらっしゃるんだな、と少し残念に感じましたが、一度迷子になった以上どう思われても仕方がありません。
果実水か貝を売っている店を探し始めたらしく、私から顔を逸らした彼は大きな手だけ差し出してきます。
私はその手をつかみました。つかんだ途端、強く握り返されて、なぜかさっき私を呼んだ彼の声が耳に蘇りました。低く甘いその声は、なんだかいつまでも消えないような気がしました。
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