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第一章

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 杉下と話をしたあの日から二階の居住区域、そして店舗部分に関しても必死で探した。それこそ弥生の夫、香澄の祖父である睦実の遺影の中まで。それでも遺言書は見つからなかった。杉下から弥生が作っていたかもしれないという話を聞いてなければ諦めたくなくとも諦めていただろう。

 絶望に打ちひしがれながらも、その日も香澄は必死に店を開けていた。もうこの店しか、香澄には残っていないから。

 そんな香澄を心配してか、代わる代わる商店街の人達がレインボウを訪れてくれる。雲井たちの助言で、レインボウは週に一度の定休日とお昼休みを作ることにした。営業時間も短くすればどうか、と言われたけれど元々朝の十時から夕方の五時までというそこまで長い時間の営業ではなかったのでそれはそのままにすることにした。

 弥生と二人でやっていたときならまだしも、今は香澄一人しかいないのだ。以前と同じペースで店をし続けるのは現実的に無理だ。できないところは変えていくしかないのだ。

 幸い、貯金はあったので売り上げが下がったとしてもなんとかなる。そう思っていたけれど、商店街の人達が以前よりも顔を出しに来てくれるようになったおかげで、有り難いことに売り上げはそう変わることはなかった。

 雲井は店が開いていようがなかろうが毎日のように珈琲を飲みに来るし、商店街の中の古本屋でバイトをしている青崎はバイトが終わると「元気ですか?」と顔を出しに来る。
 この日も「これお昼ご飯に!」と言って、コンビニのものと思わしきおにぎりを渡された。そんなに心配しなくてもご飯はきちんと食べているのに、そう思いながらもみんなの優しさが嬉しかった。

「あ、澤さん。こんにちは」

 青崎と入れ替わるようにしてレインボウに来たのは金物屋を営む澤という老婆の澤だった。テーブル席に座る澤に香澄は梅昆布茶を入れる。澤が来るといつもこれだった。

「ん、美味い。それで? その後、遺言書は見つかったんか?」

 雲井のおかげで今では遺言書とこの店の権利を奪われそうなことが商店街の人達みんなに知れ渡っていた。澤も心配そうに梅昆布茶をすすりながら香澄に尋ねてくる。

「それが、まだ見つからなくて」
「そうかい。ほれなら猫神社や」
「猫、神社?」

 唐突に出てきたその言葉に香澄は首をかしげる。猫神社とはいったいなんなのだろう。不思議そうな香澄を余所に澤は話を続ける。

「てんじんさんのさらに奥に、猫神社っていうのがあるんや。そこには猫宮司いうんがおって、どんな願いごとでも叶えてくれるんやねんて。たとえば、死んだ人に会うこともできるらしいで」
「死んだ人に……って、そんなことあるわけないですよ」

 突拍子もない話に香澄は苦笑いを浮かべた。オカルト染みたことは苦手だ。目に見えないものは信じていない。だいたい神様が本当にいるとしたらどうして両親を、そして弥生を助けてくれなかったのかとクレームを言いたくなる。けれどそれは平時の話だ。今は正直藁にもすがりたい。助けてくれるのなら神様だって悪魔だって構わない。

 澤さんが帰ると同時に香澄はレインボウのドアに『クローズ』の札をかけた。香澄達の店のあるほほえみ商店街からてんじんさん――上宮天満宮までは歩いて十分ほどの場所にあった。大通りを真っ直ぐに歩き西国街道まで出たら東へ向かう。

 そのまま歩き続けると左手に大きな鳥居が見えてくる。天神祭の時期にはこの辺り一帯に屋台が出てたくさんの人で賑わうのだけれど、祭りの日でもなんでもないそれも平日の昼間とくれば人の流れは閑散としていた。

 正面に見えている横断歩道を渡れば目の前には小さな祠、その後ろには石段があった。最後にてんじんさんへと初詣に来たのはいつのことだっただろう。小さな頃は弥生と手を繋いで来たけれど、ここ数年は弥生が階段を上るのがしんどいだろうと初詣に行くことはなかった。一人ででも行って来たらいいと言われてはいたけれど、どうせ正月が明ければえべっさんがあるので野見神社まで行くのだ。それならそのときに一緒に詣でればいいと思っていた。

「……静か」

 石段を一段また一段と上るたびに先程までの喧噪が嘘のように静まりかえっていく。静謐というのはこういう場所のことをいうのかもしれない。そんなことを思ってしまうぐらいには空気が澄み、そして厳かな雰囲気が漂っていた。

 久しぶりに登った石段は思った以上にしんどくて、運動不足なのか息が上がる。なんとか登り切ったと思った頃には、薄らと額に汗を掻いていた。

 辺りを見回して見たけれど香澄以外に参拝客はいないようだ。それどころか宮司さんの姿すら見えない。とりあえず本殿に詣ってから澤の言っていた猫神社を探そう。そう思い、香澄は正面に見える本殿へと向かった。財布から小銭を取り出し賽銭箱に入れる。

「おばあちゃんの遺言書が見つかりますように。どうかお願いします」

 必死に祈り、さて猫神社を探そうかと本殿に背を向けた香澄は違和感を覚えた。

 今、何か動かなかった?

 違和感の元を探そうと辺りを見回す。するといつからいたのか賽銭箱の下には真っ白な毛並みの猫がいた。香澄が背負っている小型のリュックよりもさらに一回り小さめサイズのその猫は金色の瞳で香澄を見た。

「な、なに?」

 突然猫と目が合ったことに驚く香澄をよそに猫は「なぁ~~」と鳴いたかと思うと歩き出す。

 本殿の横の脇道、というよりはたまたま隙間が空いているだけのようなところの間を通り抜けていく。その姿を見送っていると、猫は香澄を振り返りもう一度「なぁ~~」と鳴いた。まるで着いてこいとでもいうかのように。

「え、待って。そっちって入っていいの? ね、ねえ!」

 慌てる香澄をよそに猫はどんどんと進んでいく。辺りを見回しても誰もいない。入っていいのかどうか聞くこともできない。

「ああっ、もう! 怒られたらあとで謝ろう!」

 香澄は慌てて猫のあとを追いかけた。猫は香澄が着いてきているのを確認するとそのまま本殿の裏手へと向かって歩いて行く。

 上宮天満宮へは何度も来たことがあるけれど、裏手がこんなふうになっているのは初めて知った。竹林の壁を右手に見ながら進むと『守護天神』と書かれた小さな社があった。そしてそこには三匹の猫の彫刻が飾られていた。
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