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第一章

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 それではもうどうにもならないのだろうか。黒田の言うとおり、香澄は二ヶ月後にこの家から、レインボウから追い出されてしまうのだろうか。そんなの……。

『でもな、弥生ちゃんは新しい遺言状を書く言うててん』
「新しい、遺言状?」
『せや。遺言状はな、日付が新しいものの方が優先されるんや。弥生ちゃんはそれを知ってたんかな。僕に遺言書を預けたいって言うてたんや。自分が死んだときにレインボウがきちんと香澄ちゃんの手に渡るようにしたいって、だから遺言書を書き直したいってそう言うてはったわ』
「ホントですか⁉ じゃあ、杉下さんの手元にあるってことですか?」

 杉下の言葉に香澄は食いついた。その遺言書があればレインボウを取られなくて済む。そう思った香澄の期待を打ち砕くように、杉下は重々しい口調で言った。

『……それがな、作り直す予定やってん』

 過去形で言う杉下の言葉が引っかかる。嫌な予感がする。勘なんて外れることの方が多いのに、どうして嫌な予感というのはこんなにも当たるのか。
 香澄のスマホを握りしめる手が小さく震えた。

「それは、つまり」
『タイミングが合わんくてな。僕の手元にはないんや』

 一瞬、希望を抱いただけに挙げて落とすような杉下の言葉は香澄を奈落の底に突き落とすには十分だった。やっぱり駄目なんだ、と香澄は項垂れた。結局、この店もそして家も守ることができない。
 力なく腕を下ろす香澄の耳に『ただな――』と話を続ける杉下の声が聞こえた。

『香澄ちゃん聞こえてるかい? ただ原本は作っといて僕の都合が合い次第、僕の元で預かるとそういう話になってたんや』

 それは僅かに残る希望の光のように感じた。

「それじゃあ、もしかしたらどこかにおばあちゃんの作った新しい遺言書があるかもしれないってことですか?」
『ああ。ただどこにあるんかは……』
「私、探します!」

 ほんの少しでも希望が見えたことが嬉しかった。なんとかなるかもしれない。ここを守れるかも知れない。

『僕もすぐにでもそちらに向かいたいんやけど。今、クルーズ船に乗っててな。日本に戻るんが百日後やねん。僕が行ったところで遺言書がなければ何もできることはないんやけど、それでも申し訳ない。そもそも日本におれば、弥生ちゃんの遺言書を僕が保管できとったやろうに』

 どうやら杉下は妻と余暇でクルーズ船ツアーに行っているようだった。百日後では間に合わない。それに杉下が悪いわけではない。タイミングが悪かったのだ。けれど、それで諦めたくはない。

「私、絶対に見つけます。おばあちゃんの遺言書」

 それさえあればなんとかなるのだから。それに香澄には弥生は絶対にどこかに遺言書を隠してあるという確信があった。あのとき、救急車の中で一瞬意識を取り戻したときに、弥生は香澄に何かを伝えようとしていた。きっとあれが遺言書の隠し場所なのだと香澄にはそう思えたのだ。

 とにかく家の中を探そう。まだ申し訳なさそうに謝る杉下に大丈夫だと伝え電話を切った香澄はそう決めた。そんなに広い家ではない。そう時間もかかることなく見つかるだろう。そうしたらあの黒田という男に突きつけてやるのだ。この店は今も昔も香澄と弥生の物なのだと。

 けれど、その見通しが甘かったと気づいたのはさらに一週間が経ってからだった。
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