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第一章

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 そんな淡い期待が打ち砕かれるまでにそう時間はかからなかった。
 保留音が途切れ、再び電話が繋がった。

『大変お待たせ致しました』

 けれどスマホの向こうから聞こえて来たのは先程と同じ事務員らしき人の声だった。

「あ、あの」
『申し訳ございません。お伺いしました内容ですと、こちらで対応できることはございません。顧問弁護士の方にご相談されるのがよろしいかと思います』
「そんな……」
『それから、これはあくまでそういう意見もある、ということで聞いて頂ければいいのですが、今まで経営も何もされてこなかった方が一人で喫茶店を経営し営業していくことは非常に難しいかと思います』

 そのあとに続く言葉は、聞かなくてもわかった。

『ですので、おばあさまとの思い出の場所というのもわかりますが、無理に固執せず明け渡すのもいいのでは、と。あくまでこれは一個人としての意見ですので』
「そう、ですか」

 一個人、と言ってもただの事務員が一人で考えそれを伝えるなんてことはないだろう。と、いうことは名言はされなかったけれどきっとこれはある程度のところから来た回答なのだろう。どうせ一人で経営なんてできないだろう。それならさっさと明け渡してしまった方がいいのではないか、そう言いたいのだろう。

「ありがとう、ございました」

 かろうじてそう言うと、香澄は電話を切った。助けて欲しくてかけたのに逆にとどめを刺された気分だ。

「さい、あく」

 熱く熱を持ったスマホを握りしめる。電話をかける前よりも絶望が大きくなる。どうにもならないのだろうか。

「顧問弁護士……か」

 契約を結んでいたかはわからない。けれどたしか常連客の中に弁護士をしている人がいたはずだ。そしてその人は弥生にも香澄にも親身になってくれていた。あの人なら、杉下ならもしかしたら。

 香澄は慌ててスマートフォンの連絡帳を開くと、杉下にかけた。何かあったときのために、と聞いていた連絡先がこんなところで役に立つなんて思わなかった。でも、もし新たな遺言書を書いていたとしたら杉下を頼ったはずだ。スマホを握りしめたまま、鳴り響くコール音を祈るような気持ちで聞き続けた。

『――もしもし? 香澄ちゃんかい?』
「こんにちは。あの、えっと」

 電話をかけて香澄は気づく。杉下に弥生のことを伝えていなかったことに。弥生の葬儀は近親者、というよりは香澄とそして商店街の人達だけで行われた。親戚がいなかったことと、香澄がショック状態にあり、誰かに連絡してもらうなんてことにまで頭が回っていなかったのだ。今さらながらに自分がしてしまった不義理に申し訳なく思う。

『香澄ちゃん? 何か、あったん?』

 杉下は香澄の声色で何かを感じ取ったのか、心配そうに香澄に声をかけた。その声が、なぜか弥生を思い出させた。

「あ……」

 その瞬間、止まっていたはずの涙が香澄の瞳からあふれ出す。それでもかろうじて絞り出した声で杉下に告げた。

「おばあちゃんが……死にました」
『……そうか』

 悼むように言ったその言葉に香澄は違和感を覚えた。もちろん声色から全てがわかるなんて思わない。電話の向こうで驚いている可能性だってある。けれど。

「もしかして、何か、知ってましたか?」

 香澄には来るべき時が来たか、とそう杉下が言外に言っているような気がした。

『……ああ』

 言葉少なに杉下は返事をした。そして弥生とのことを話し始めた。

『二週間ぐらい前やったかな、弥生さんから電話があってん。詳しいことは教えてくれへんかったけれど『病院で検査をしたらもう長くないと言われた』とそう言うてんな』
「そん、なの、私、知らない……」
『心配かけたくなかってんやろね』

 いくら心配かけたくなかったとしても、それを死んでから聞かされる香澄の身にもなってほしい。それに。

「聞いてなかったから、今遺言状の件で困ってるのに」
『遺言状?』
「はい。黒田さんという方がおばあちゃんの遺言状を持ってきたんです。それにレインボウと二階の住居部分を全て譲ると書かれてて」

 恨み言を言うつもりはなかった。けれど、それでも一言話をしていてくれればという気持ちは拭えない。そんな香澄に杉下は呟いた。

『だから、か。まさかあのときのあれを渡したままになってたなんてな』
「え?」

 合点がいったとばかりの杉下の言葉に香澄はどういうことかと聞き返した。もしかしたら杉下は何かを知っているのかも知れない。

「あの、だからって。杉下さんは何を知ってるんですか?」
「……詳しいことは今は言われへん。でも黒田っていう男が持ってきたんはきっと本当に弥生ちゃんが書いた遺言状や」
「そんな……」
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