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第一章

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 けれど、猫神社からの帰る道、嬉しそうな表情を浮かべて「これで大丈夫だね」と言っていた雪斗の姿が忘れられない。両親に来て欲しいのだという気持ちが痛いほど伝わってくる。けれどだからといってどうしたらいいのか香澄には見当もつかなかった。

 翌日、重い気持ちを抱えたまま店を開ける。何人かの客が帰り、シンクに下げた食器を洗いながらため息をついていると、それに気づいた雲井が心配そうに声をかけた。

「香澄ちゃん、なんかあったんか?」
「え、ええっと……。と、いうか雲井さん。今日も来てくださってて私は有り難いですけどお店大丈夫なんですか? 奥さん怒ってません?」

 カレー屋を夫婦で営む雲井だったけれど、弥生が健在の頃もよくレインボウに昼間から顔を出していた。だが今のようにほぼ毎日のように来るということはなかったのに。
 雲井はカウンター席で珈琲を飲みながら笑う。

「俺の仕事は仕込みまでやからな。それよりあとはかみさんの仕事やねん。って、そないなこと香澄ちゃんもようわかっとるやろ。何を誤魔化そうとしてんねん」

 話を逸らそうとしたことを見抜かれてしまう。仕方なく香澄は猫神社のことを伏せ雪斗のことを離した。最後まで聞き終えた雲井は眉をハの字にして困った表情を浮かべた。

「あー、それは俺にも覚えがあるわ。昔、娘によう泣かれてんなぁ」
「娘さんって今兵庫で暮らしてるっていう?」

 以前聞いたことがある気がする。ご主人とお子さんと一緒に今は神戸に暮らしていると。雲井は娘のことを思い出したのか、表情がふっと和らいでお父さんの顔になる。

「せや。うちも昔からここで店やってたやろ。土日なんてかき入れ時やからな。店を閉めようなんて一ミリたりとも思ってへんかった。そしたら「うちはどうしておとんもおかんも行事に来てくれへんねや!」って怒られてなぁ」
「それでどうしたんですか?」
「……休まへんかった。あの頃はそんなん俺が行かんでもって思ったてし、仕事休んでまで行かんでええやろって思ってた。あ、でも勘違いせんといてや。かみさんには休んでもろて行ってもらうようにはしたんや。でもなぁ今になって思うわ。たった一日休んだぐらいでなんも変わらん。でもその一日でどれだけ娘は喜んでくれたやろうってな」
「雲井さん……」
「失ってもうた時間の方がおっきかったわ」

 寂しそうに笑う雲井に、香澄は胸が苦しくなる。行けないと言った雪斗の両親もきっと同じ気持ちなのだろう。そんな中でもなんとか先週は休みを取っていた。それなのに――。

 香澄は雲井が帰ったあと、昼休みには少し早かったが店をクローズにして雪斗の両親がやっているフレッシュベーカリー大迫へと向かった。大きな窓から中を覗いてみると、平日の午前中だというのに店内はたくさんの人で賑わっている。

 弥生が生きていた頃に何度か買いに来たことがあったけれど、そのときもたくさんの客がいた。大通りに面しているというだけでなく、お洒落な外観とSNS映えしそうな可愛いパン、そしてもちろん味も人気の要因だと思わされる。

 店内に入った香澄はメロンパンを一つトレイに取る。そして少し店内の人の波が落ち着くのを待っていた。ようやく客が一段落して香澄はレジへと向かう。何か言わなくては。そう思うのに口が開かない。

「あら? あなたたしか虹林さんところの……」
「あ、はい」
「おばあちゃんのことは残念だったわね……。何か力になれることがあったらいつでも言ってね」

 雪斗の母は優しく微笑む。香澄は「ありがとうございます」と礼を言うと紙袋を受け取って店を出た。

「……美味しい」

 外に出てかじりついたメロンパンは甘くて優しい味がした。
 その日の夕方、何もいいアイデアが思い浮かばないまま香澄は猫神社へと向かった。

「どうだ、上手くいっているか?」
「全く。雨なんてこれっぽっちも降りそうにないよ」

 辺りに人がいないのをいいことに香澄は当たり前のように猫宮司と話す。持ってきたおにぎりを置いてやると、嬉しそうに頬張った。

「うん、やはり握り飯はおかかが美味いな」
「はいはい。それでどうしよう。このままだと日曜はいいお天気で、雪斗君の願いが叶わないよ」
「くくっ。まだまだひよっこだな」

 猫宮司は口の周りについたご飯粒を舐めとるとニヤリと笑った。

「どういう意味?」
「お前は雪斗とかいうあの小僧の本当の願いはなんだと思う?」
「本当の願いって、だから雨が降ってほしいってことでしょ」
「それは願いか?」

 猫宮司の言っていることの意味がわからない。眉をひそめる香澄に猫宮司は話を続ける。

「何のために雨が降って欲しいか考えてみろ。手段と目的を間違えるな」
「手段と、目的?」

 首をかしげる香澄に猫宮司はいつものように「ぬぁ~~」と鳴いた。それ以上、何も言うことはないとでも言うかのように。
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