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プロローグ
しおりを挟む「紗耶香、お前に護衛を付ける」
祖父に、そう言われたのは紗耶香が女子大在学中の時だった。
「………初めまして、小松 裕司です」
裕司という男は、キリッとした意思の強そうな青年。柔らかな印象はまるでなく、影があるそんな男が、深々と紗耶香に頭を下げた。人に頭を下げる様な雰囲気ではない印象の男に紗耶香はゾクッと背筋が凍る。
何故なら紗耶香は男に免疫がないまま育っていたからだ。家族以外、あまり異性と話をしてきては来なかった紗耶香にとって、初めて身近に居る事の出来る異性だった。
「初めまして………紗耶香です……宜しくお願いし……」
「紗耶香!」
「っ!」
「…………?」
突然、祖父から叱咤された紗耶香。
裕司は何を紗耶香に怒鳴るのか、と驚いた様子で目を見開く。
「こやつに敬語等要らん!こやつはお前の駒だ!」
「は、はい…………お祖父様……ゆ、裕司……宜しく」
「……………はい、紗耶香様……」
初対面の歳が近そうな男に呼び捨てするのも初めてだった。
これが、紗耶香と裕司の初めての出会いだった。
☆☆☆☆☆
「ねぇ、裕司………何で私の護衛になったの?」
「…………」
「ねぇ、裕司ってば!」
始めの頃は、紗耶香の護衛として付いていた裕司だが、会話をしようと紗耶香が話し掛けても、裕司は答える事は無かった。
「…………何よ……」
紗耶香はそれが気になりはしても、探り当てる方法を知らない。
「私、ひとりっ子だから、お兄さんが居たら裕司みたいに、妹を守ってくれるのかな?て思ってるんだけど」
「…………お兄さん……妹………か………」
「……………」
裕司の口端が上がる。無口で影がある裕司が笑った様に見えた。
「笑うと素敵な表情になるのね、裕司って」
「……………っ!……今のは見なかった事にして下さい!」
「何故?」
「…………幼馴染を思い出したんで……」
「幼馴染?…………私、幼馴染も居ないのよ?羨ましい………」
紗耶香には裕司が羨ましく見えてしまう。お嬢様として育てられて、友人も決められて来た紗耶香。裕司の幼馴染の存在さえ羨ましい。
「紗耶香様にも、親友と呼べる人が出来ますよ」
「………なら、裕司が親友になってよ!」
「……………俺は……無理ですよ」
「何でよ……」
「!…………お喋りが長過ぎました……申し訳ありません」
裕司の背筋が伸びる。何故かそれが気になり、裕司の視線の先を見た紗耶香。
―――護衛の1人が裕司を睨んだ?
護衛という名の監視だった。
この少しの会話だけで、紗耶香は祖父の機嫌を損ねる事になろうとは、紗耶香も分からなかった。
裕司と出会う迄は。
☆☆☆☆☆
ある日、外出しようと、裕司を探していた紗耶香。
バシッ!バシッ!
「っ!………ぐっ!」
「誰がお前を拾ってやったと思っている!紗耶香と口を聞くな、とあれ程言ったであろう!お前は紗耶香から悪い虫を排除するだけに存在せい!前科者が!」
「……………ぐっ!」
他の護衛に羽交い締めされた裕司。その裕司の背は祖父が持つ杖が当たっている。
「!……………お祖父様!止めて下さい!」
「紗耶香!」
紗耶香は裕司を助けに入ろうと間に割り込む。咄嗟に身体が動いたのだ。
「私が話し掛けてたんです!無視出来ないと思ってくれたから、話をしてただけですから!」
「…………紗耶香に免じ許してやるが、紗耶香………部屋に来なさい」
「い、今から……ですか?………ヴァイオリンのレッスンに行かねば………」
「紗耶香!」
「っ!」
祖父の言葉は絶対。従わなければ、と紗耶香は祖父に付いて行った。これから行われる行為を知りながら、傷付いた裕司を放置しなけばならないまま、裕司の血が着いた杖が、紗耶香の背に当たる。裕司への叱咤を代わりに紗耶香が受けた地獄の日でもあった。
それからは、裕司を守る為に、紗耶香は裕司に話を掛けられず、裕司もまた話も出来ないでいた。掛けれる言葉は命令だけ。
―――強くなりたい……
移動中の車の中で声を押し殺して泣くのも多かった。
「…………」
「…………え?」
裕司が運転し、大学への送迎中に差し出されたハンカチ。裕司だけではない護衛も裕司を睨むが、会話が無いだけそれだけは目を瞑ってくれたとも言える。
「…………借りるわね」
『ありがとう』も言ってはいけない。上の者は下の者に礼を言うな、と教えられたから。
―――ありがとう、裕司……
早く逃げ出したくて仕方ない、と思いながら、結局祖父の言葉通りに動く事になる紗耶香。
「え?白河酒造へ就職するのですか?」
書斎に呼ばれ、紗耶香はまた祖父の決めたレールに従う事になる。
「お前は、儂の下で後継者として育ててやるのだ、有り難いと思え……そして、然るべき時期に婿養子を取るのだ……大企業の御曹司のな」
「…………は、はい……」
「………」
裕司に護衛されている前で言われた紗耶香。
―――泣くな………堪えるのよ……泣くとまた……
車中や護衛中、泣き顔を裕司に晒して来た紗耶香にとって、慰める様にそっと差し出されるハンカチは救世主だったのだ。それがいつしか、恋心に変わり、恋をするなと誰が思うであろう、積み重ねられた行為。
涙を堪え、書斎を出るとハンカチと共に、久々に裕司の声を聞いた紗耶香。
「……………紗耶香様、我慢しなくていいですよ、俺の前なら」
「……………」
紗耶香は頷いた。
それからは紗耶香の中で裕司は護衛では無くなったのだった。
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