俺のソフレは最強らしい。

深川根墨

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22.邂逅(後半ゼロ視点)

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 ゆっくりと浮上する意識と共に、京は自分の身体の異変に気付いていた。胸、腰、太腿、足首に感じる拘束感。少しばかり懐かしい感覚に眉根を顰めた。

 ぼやけた視界の先に京愛用の枕があった。手を動かそうとして、それが叶わないことを思い出した。
 京はタオルケットに包まれ、簀巻き状態だった。蓑虫リターン。人生二度目の簀巻きだ。身体の数カ所をタオルケットの上からしっかりと括られている。

「なんで、またこれやねん」
「すまない」

 部屋の奥から重苦しい返事が聞こえた。仕事用のチェアーに腰掛け、ゼロがこちらに目を注いでいた。カチンと頭にきた京は激しく身を捩り怒声を浴びせた。

「ふざけんなッ! 何でこんなことすんねん! おかしいやろう、俺は何もしてへんぞ! お前は何で、何で……。お前は──俺を、殺す気なんか?」

 声が震える。情けない。
 あの坂での出来事は一部始終しっかりと記憶していた。あの時の恐怖も、殺意に満ちた表情で銃を構えるゼロの横顔も。

 京の問いに答えることもなく、ゼロは椅子ごとベッドへと擦り寄る。尋問するためか、背もたれを前にし、頬杖をついた。
 ただ、それだけなのに洗いざらい吐きたくなるような威圧感を感じた。やはり、ゼロはその筋の男なのだ。

「説明する」
「これ、解いてくれへん?」
「無理だ、逃げて欲しくない」
「逃げへんって。これ、結構きつい体勢やねん。首痛いし」
「すまない……だが、可愛い」
「……蓑虫が可愛いわけないやろッ」

 簀巻き人間を可愛い部類に入れる奴なんてこの世にいない。
 はらわたが煮え繰り返っていたはずなのに、その一言で少しばかり冷静になれた。
 自分の知るゼロらしい一面が垣間見えただけで、我ながら安直だと京は笑った。
 大人しくなった京を見て、ゼロは小さく頭を下げた。
 
「さっきは、怖がらせてすまない。俺のミスだ」
「……もしかして、ゼロって刑事さんだったりする?」
「そう見えるか?」

 なけなしの望みを託してみたが、やはり正義の味方ではないらしい。何となくは分かっていた。刑事は手錠で拘束が常だ。正直簀巻きが上手すぎる。京は頭を振り、露骨に溜息をついた。

「じゃあ、ヤクザってこと?」
「違う。ヤクザは所沢たちだ」
「へぇ……って、えっ⁉︎  ほんまに⁉︎ あー……うん、納得。会社員感ないもんね」

 ゼロは上着の内ポケットから一枚の名刺を京の鼻先に突き出した。
 そこにはゼロとアルファベットで書かれており、最下に小さく携帯の電話番号があるだけの簡素な名刺だった。名前の上に小さく書かれた【なんでも屋】という文字に目が留まる。

「俺はフリーランスの何でも屋だ。その名の通り、何でもする仕事だ」
 
 どんなことでも──ということは悪どい事でもなんでもござれってことらしい。

「あんまり訊きたくないんやけど……その銃って、本物なん、よな?」
「当然、近隣の迷惑にならないようにサイレンサー付きだから安心しろ」
「いや、所持してる段階で迷惑やねんけど、気ぃ使うところ間違ってない?」

 あぁ、もう最悪やと一人悪態をついていると、ゼロが真剣な表情をしていた。
 奥歯に何かが挟まっているような、歯痒いような、そんな雰囲気に呑まれるように京の声が尻窄まりになっていく。

「京、俺が今引き受けている仕事にお前が関わっている。それが、面倒なことになって、それが──」
「な、何やねん! もう、はよ結論言うてや! 逆に怖い!」
「数日前、照国京への報復願いが出た。……つまり、お前の殺害依頼だ」

 気を失いたい……今回ばかりはそう願わざるを得なかった。



 あの夜を今でも鮮明に覚えている。

 ゼロはこの界隈の有力者繋がりで得た依頼を遂行するため、とあるマンションの屋上に立っていた。今夜の仕事はとある男への報復依頼だ。

 キャップ帽を被り、撥水性のある上着を纏い、用意周到に靴紐を締めた。全身黒ずくめで闇夜に溶け込んでいるこの服装がゼロの仕事着だ。
 ゼロは肩から下げていたボストンバッグの中身を確認する。指の太さほどの紐に金槌に三寸釘、革のケースに入ったアーミーナイフ、さらに証拠隠滅のためのゴム手袋とゴミ袋、ブルーシートなどが整然と詰め込まれている。
 報復内容は暴行あるいは殺人だ。
 殺害依頼は政局の勢力争いやヤクザの抗争の激化中などに入るケースがほとんどで、かなり珍しい。海外に住んでいる時は日常茶飯事だったが、日本に帰国してからは初めてだった。

 ただし、今回は標的が反省の色を見せ、依頼主に泣いて縋り、土下座をし、愛を囁いてたら傷害のみで済ませる条件付きだ。

 鬱陶しいほどの愛憎。禍々しいほどの執着。
 かなり面倒な案件だが、仕方がない。正直、殺すだけの方が簡単そうだ。多少脅せばこちらの要望を飲むだろう、この時はゼロはそう想定していた。

 ゼロは気が乗らないながらも屋上の安全柵を跨いだ。夜風が頬をくすぐる。目下に広がる家々や街頭の照明が散りばめられた宝石のように美しかった。

 標的が詐欺師だろうが悪どい商売をしていようが、女を騙そうがどうだっていい。
 ゼロにとって人の苦しみや命などどうでも良かった。興味もない。ただの金を稼ぐための仕事だ。
 
 標的は今立っている真下の階に住んでいる。侵入は容易い。
 数日前に一度侵入し、エアコンの室外機の基盤に細工をしておいた。思惑通り数日窓を開けたまま就寝しているのを確認している。マンションの高層に住む人間ほど防犯が甘い。

 ゼロは壁の凹みに手を掛けて颯爽と飛び降りた。間諜の仕事を得意としていたゼロの動きは無駄がなかった。

 
 対象は既に就寝しており、暗闇の中、扇風機の稼働音が響く。
 部屋の中は暗かったが、淡い照明灯の明かりがぽつんと一つあった。ご丁寧な道標だ。
 足音を消し、標的に近づく。壁際につけたベッドに、小さな背中が見えた。

──子供?

 誰かが抱き枕にしがみ付き、小刻みに震えている。顔を確認するとやはり今回の標的、照国京本人だった。
 橙の照明に照らされた顔には苦悶の皺が刻まれている。熱帯夜で寝苦しいとはいえ、額にある玉の汗は異様だ。吐き出すような吐息に、時折耐えるように身体を震わせる。強く握られた手は血の気がなくなり、生気を感じられない。
 写真で見た男とは別人のようだった。

 写真を見た時には細い、女みたいな男だと思った。ホストでもやっていそうな軽薄な男だと。柔らかな笑みの裏は黒く薄汚れているのかと。
 ゼロはらしくもなく困惑した。男に猿ぐつわを咥えさせ、陥落させる手筈が狂う。

 随分と長く裏の世界に身を置いているからこそ分かることがある。
 この男は生きるだけで精一杯で、脆い。

 枕元の加湿器も、丁寧に片付けられたこの部屋も。窓際にある人参のヘタからまっすぐに伸びた淡い緑色の若葉も、首振り機能が限界を迎えているオンボロ扇風機も、壁に飾られた溌剌とした高齢女性の笑顔の写真に供えられた慎ましい菓子も、何もかもが愛おしい。
 慎ましく生きている人間の様が、そこにあった。ただただ尊かった。
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