刀だけが覚える~桜と友~

さくら

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三章 髭切・鬼切

髭切・鬼切・七

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「んん……」

 また、吉昌が寝返りをうった。

 驚いた桜は咄嗟に吉昌が掛けていた衾を剥ぎ取り、自身の身体を覆い隠す。

「ご、ごめんなさいっ!」

「ん……んおうっ?」

 衾を盗られた吉昌は驚きながら起き上がり、状況を判断しようと部屋を見渡し、桜と視線が合うなり動きを止めた。

 互いにぴくりとさえ動かないまま、数秒が経過する。

 暫くして先に口を開いたのは、何事かを言わなければならないと焦った桜のほうだった。

「……お、おはようございます」

 目覚めたら肉体を得ていたのです。何故このようなことになっているのでしょうか。これも吉昌様の計算の内だったのでしょうか――話すべきことも問うべきことも次々と思い浮かび、結局、桜が口にできたのは他愛のない挨拶だけだった。

 対して、吉昌のほうも、

「……おはよう」

 気の抜けた挨拶を返してくる。

 目を白黒させて困惑している様子を見るに、桜が太刀でなくヒトの肉体という形で実体を持ったことは、彼にも予想できていなかった事態なのだろう。

「……とりあえず、桜。なにか着たらどうだい? というか着なさい」

 吉昌は顔を横に逸らし、真っ当な指摘をしてくる。だが、桜だって好んでこんな格好でいるわけではない。

「でも吉昌様、できないんです」

「できない?」

 疑問符を浮かべた後で、吉昌はすぐに「ああ、成程」と納得の声をあげた。

「実態を得たから、実在するものしか纏えないのか?」

「そのようで。ですから、あの……あ!」

 男ものでも構わないので着るものを貸してほしい。そう吉昌に頼もうとしたところで、友樹が目を覚ましてしまった。

 目覚めの良い友樹は、吉昌のように唸り声をあげることも身じろぎすることもない。起き出しそうな気配を感じさせないまま、唐突に瞼を開き、同時に上半身を起こした。

 起床するなり畳の上に正座をして、隣の吉昌へと頭を下げる。そうして挨拶を口にするのが、毎朝、決まって彼がとる行動だった。

 だが今日の友樹は、身体を捻って吉昌へと向き直り、正座しようと足を曲げたところで後方へと飛び退いた。器用にも座ったまま。

 続いて悲鳴があがる。

 おそらく邸中に響き渡っただろう声量に、桜と吉昌は咄嗟に耳を塞いだ。

 鼓膜が揺さぶられ、びりびりと耳の奥が痛む。桜にとっては初めての体験だ。だが、そんな痛みはすぐに感じなくなった。

 慌てて桜に背を向けた友樹を見て、吉昌が苦笑を浮かべている。

「可愛げのない悲鳴だな。男のそれはみっともないぞ」

「よ、吉昌様。なな、何故、刀となった桜がヒトの姿……しかもそのような恰好を……」

 落ち着きなくそわそわと身体を揺らしながら、桜を見まいとしているせいで吉昌を振り返ることもできずに友樹が捲し立てる。

 対して吉昌は、落ち着いて友樹を諭す。

「動揺するなと言っても無理だろうが、少し落ち着け。それをいまから考えるところだ。ところで桜。お前がヒトの姿を得たのなら、髭切はどうなって……」

 友樹のほうを向いていた吉昌が再び桜を振り返り、僅かに目を見開いた。それから「成程」と小さく呟く。本日、二度目の納得の声だ。

 なにが成程なのですか? と、桜は訊ねたつもりだった。しかし何故か、声が音にならない。

 驚く桜を見つめたまま、吉昌は二つの疑問に対する答えを口にした。

「どうやら、刀の姿にも戻れるようだな」

 その言葉を聞いて、桜は漸くいまの己の姿に気付いた。

 手がない。足がない。

 どうやら友樹の悲鳴に驚いた際に、刀の姿に戻ってしまったようだ。

 だから声が出なかったのかと納得した桜の視線の先で、恐る恐る友樹がこちらを振り返る。ヒトの姿でない桜を見た彼は安堵の表情を浮かべ、けれどすぐに少しだけ残念そうな顔も見せた。

 肩を竦めた吉昌が慰めるように友樹の肩に手を置き、立ち上がる。

「さて、と。刀とヒトと、桜が自分の意思で姿を変えられるものか試してもらいたいが。その前に、桜が着られるものを用意するか」

「そ、そうですね。とはいえ、女性ものの着物など、この邸にはありませんよ」

 吉昌に続いて立ち上がった友樹が、困ったように腕を組む。

「見かけたことはありませんが、吉昌様や吉平様の母君の着物ならありますかね?」

「さあ。父上に聞いてみてくれ。なければ仕方ない。いずれ調達するとして、今日のところは俺か兄上の着物でも着ていてもらおう」

「そうですね。でもせめて、帯だけでも見つかれば良いのですが……」

 いそいそと友樹が退室していく。

 早速、晴明に相談するつもりだろう。帰りに吉昌の着替えを持ってくるのだろうし、ついでに吉平を起こしてくるのかもしれない。

 安倍家にただ一人しかいない家人は今日も働き者だと、桜は刀の姿のまま感心する。

 暫くして戻ってきた友樹の腕には、男性用の着替えが二着分、抱えられていた。

「やはり母上の着物は残っていなかったか」

「ええ。そのようで」

 頷きながら、友樹は吉昌に彼の分の着替えを手渡した。

「ですので、桜には吉昌様がもう着なくなった狩衣を用意して参りました。全体的に大きいと思いますが、今日だけの辛抱ということで」

「そうだな。今日中に何着か、適当に仕入れてやってくれ。俺も陰陽寮で、光栄様に奥方の古い着物を頂けないか訊いてみよう。だが、桜はよく走るからな。俺のお下がりじゃ、袴の裾に躓いて転んでしまわないか?」

「わたしも同じ心配をしましたので、指貫を選びました。紐を足首で括れば、少しは歩きやすくなるかと」

「そうだな。だが、桜のお転婆は折り紙つきだ。女人が脚を出すのはいかがかと思うが、膝下で括らせたほうが安全じゃないか?」

 友樹は答えないまま、吉昌を軽く睨み付けている。顔と、髪から覗ける耳が赤い。

 吉昌は可笑しそうに笑いながら、友樹の脇を通って部屋を出て行こうとしていた。

「友。臥所の片付けと、朝餉の準備を頼む」

「……はい。吉昌様はどこへ?」

「ん? 桜の前で着替えるほど、不躾ではないつもりだよ」

 肩を竦め、吉昌は一度、桜――鞘に納められた髭切を振り返った。

「桜。自在に姿が変えられるのだとしても、友が部屋を去るまではその姿でいてやってくれ。戻ってきたら着替えを手伝おう。その後は自由に過ごしていいから」

 そう言い残して吉昌が去っていく。

 慌てた様子の友樹が、

「吉昌様が着替えを手伝われるのですか!?」

 と叫んでいたが、吉昌は笑うだけで返事をしなかった。

 正直、桜とて一人で着替えられるものならそうしたい。相手が主君である吉昌だろうと、肌を見られるのは恥ずかしい。

 しかし実際問題、着物の着付け方など桜は知らないのだ。

 
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