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「早くここを開けてくれぇ! レイナ、いるんだろ!?」

 屋敷の前でランザスが叫んでいるのを二階の窓から見ながら、私は悩んだ。

 ……どうしようか。
 間の悪いことに、両親は近隣の領主との会合のため外出している。

 つまり対応する場合、話すのは私ということになる。

 個人的な話で言えば、ランザスと話すのなんて嫌すぎる。

「お嬢様、お客様がお見えですが……」

 扉の外から使用人の困ったような声が聞こえてくる。

 使用人に任せて追い払ってもらうという手もある。
 しかしあのランザスがそれで大人しく引き下がるだろうか?

 最悪、マリーのように逆恨みしてうちの屋敷に火をつけられるなんてことも……

「はあ……仕方ありませんね」

 気は乗らないけど対応しよう。

 さっさと用件を聞いてお引き取り願うのが一番マシに思える。

「腕に覚えのある使用人に待機するよう声をかけてくれる? なにかあったらすぐにあの人を叩き出せるように」
「わかりました。お任せください」

 使用人がにやりと笑う。
 うん、これで最悪の事態にはならないはず。
 腕自慢の使用人二人を伴って玄関から出る。

「私に何か用でしょうか? ランザス様」

 私を見ると、ランザスはぱあっと笑みを浮かべた。

「ああ、レイナ。会いたかったよ。なかなか出てくれないからどうしようかと思ってたんだ」

 ……え、誰?

 なにやらランザスが不自然な笑みを浮かべながら私にそんなことを言ってくる。

 ランザスが友好的なのなんて初対面の時くらいしか記憶にないのに。

「久しぶりに顔を見られてよかった。会いたかったんだぞ?」

 うええええ。

 鳥肌が立つ。
 なに? 不気味すぎるんですけど!?

 媚びた声を出してくるランザスなんてホラーすぎる。

「それで用件は?」
「その前に、ほら、立ち話もなんだから、なにか飲みながら話さないか?」

 言外に屋敷の中に入れろと言ってくるランザス。

 確かにこの状況は普通だったら私が非常識だと言われる場面だ。
 ランザスを屋敷の中に入れるというのは抵抗がある。
 なにをされるかわからないし。

「お断りします」
「つれないことを言うなよ。俺たちは婚約者だろう?」
「違いますよ?」
「……は?」
「ロージア家は取り潰されたので、婚約も白紙に戻りました。私とあなたは無関係の他人同士です」
「そんな……そんなことが」

 ランザスが驚きに固まっている。
 もしかして知らなかったんだろうか?
 するとランザスはその場に這いつくばった。

「た、頼む。どうか……せめて食べるものだけでも恵んでくれ! 今はなくなったとはいえ、一時は婚約を結んだ間柄だろう? 頼む。もう何日もまともなものを食べていないんだ」
「ええ……」

 よくよく見ればランザスの服装はボロボロで、まるで大勢にリンチでもされたように傷痕も見える。顔色も悪いし、頬もうっすらとこけているように感じる。

 タイミングよく、ぐうう、とランザスのお腹から音が鳴った。

 どうやら空腹というのは本当のようだ。

「頼む……頼むよ。少しでいいんだ。俺を助けてくれ。レイナ、頼む。俺は反省したんだ。お前に酷いことをしたと思ってる。あんな真似は二度としない。だからどうか……」

 正直、嫌だ。
 なんで私がランザスに食べ物を恵まなければいけないんだろう?

 けれどロージア家に滞在していた頃、あれだけ見下していたはずの私にこうして平伏している以上、ランザスは本当に困り果てているんだろう。

「お願いします、どうか食べ物を恵んでください」
「…………はあ。わかりました」
「本当か!」

 顔を上げて言うランザス。
 仕方ない。いくらこの人でも、私が見捨てたせいで飢え死になんてされたら後味が悪すぎる。

「今回だけです。次にまた当家に食事をたかりに来た場合、使用人に命じて追い払いますからそのつもりで」
「わ、わかった」

 ランザスはそう言って頷いた。

 その際、少しだけ口元がいびつな笑みを描いていたような気がしたけれど……見間違いだろうか。

 私は使用人に昼食の残りと応急処置用の道具を持ってくるように指示する。

「食事だけでなく、怪我の手当てまでするのですか? この者に? お嬢様、さすがにそれは人が良すぎるのでは?」

 使用人が困惑したように言う。

「構いません。今回が最後なのですから、そのくらいの温情は与えましょう」
「しかし……」
「以前領民を虐げていたオーゲルス卿も、過酷な農作業を経験して反省しました。ランザス様も心を入れ替えたのでしょう。反省した人間を蹴落とすことは私にはできません」
「……お嬢様がそうおっしゃるなら」

 使用人はやや納得がいっていないような雰囲気だけれど、指示に従ってくれた。

 しばらくして、使用人はシチューの残りとパン、それに救急箱を持って戻ってきた。

 ちなみに、当然場所は屋敷の外だ。
 食事なんかを恵むとはいえ、屋敷の中に入れるほど私はランザスのことを信用できない。
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