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何もしないことは美への冒涜

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 こんなことを人に対して言うのはどうかと思うが、正直良い買い物だった。
 奴隷商人が「アレを買うんですか?いやまあ、確かに処分するしかないんで引き取ってもらえるのはありがたいんですが…」と唖然とするのも気にせず「あの人を買います!」と言い迫った菫に対し、奴隷商人は不審そうな目で「まあ、ウチとしては損がないので良いですが……かかった食事代の五百エンペルを払っていただいても?」と聞いてきたので、菫は二つ返事で了承した。まさかのワンコイン。
 そんな金額で人の命をやり取りしてよいのかという倫理感には苛まれたが、このままいけば目の前の男性は命を失くすところだったのだ。助かったと思って許してほしい。今の菫には手持ちのお金が命綱なのだ。男性には申し訳ないが支払う額は少なければ少ないほど良い。今後は男性も養わなければならないし。
 それに、すっかり忘れていたが目の前の男は魔法を使えるらしい。奴隷商人の口振りを聞く限り再び冒険者登録をすることは難しいので菫の代わりにお金を稼ぐことは出来ないだろうが、冒険者としてそれなりに生計を立てていたのだからいざというとき――薫が命の危機に扮したとき――に菫を助けるくらいはしてくれるだろう。というか、奴隷契約で強制的にしてくれるらしい。


 奴隷商人の話を聞くに、菫が目の前の男――名はダールというらしい――を買った時点で、菫を主人とした半ば一方的な契約が交わされている。

 ひとつ、奴隷は主人を害することはできない。
 ひとつ、奴隷は主人の命令に背くことはできない。
 ひとつ、奴隷は主人に偽りを述べることはできない。
 ひとつ、奴隷はいついかなるときも主人の命の保護を優先しなければならない。

 契約内容を守らなければ、首輪が光り主人へと伝わる。そうして、主人の采配で奴隷に埋め込まれているという魔術が発動し、ぎゅうと心臓を握り潰すような痛みを奴隷に与えるらしい。怖すぎる。
 奴隷側からしてみれば不利すぎるし契約とは名ばかりで拒否も許されないので大変申し訳ないが、今の菫からしてみれば好都合であった。本人の意図とは関係なく利用させてもらうのは心が痛むものの、虐める予定はないしある程度契約を破られても心臓を握り潰すつもりはないので、どうにか良い関係を築ければ好ましい。

「ええと、ダールさん、で良いんですよね」

 顔を隠すようにぼさぼさと伸ばされた藍色の前髪を見上げながらそう問うと、はっとした男が慌てて地面に膝をついた。「えっ!?」と菫が驚きの声を漏らす間に、男はその額をも地面へと擦り付ける。まさしく土下座である。至って平凡な生活を送ってきた菫は、当たり前ながら土下座をされた経験もした経験もない。

「この度は処分寸前のお――私を救って頂き感謝いたします。不肖ながらこのダール、ご主人様の肉盾として精一杯務めさせていただきます」
「お、おお、重い……」

 命をかけられる重さに、今更ながら菫はぶるりと震えた。契約内容からそうせざるを得ないのはわかっているのだが、これまで差し迫った命の危機(駅のホームでのことは曖昧なのでノーカンとする)を感じたことのない菫としては出来ればダールにも命を落としてほしくない。さくっと菫の代わりに死なれたら買った意味もないではないか。

「ダールさん、顔を上げてくれませんか?」

 身体の大きな男が菫に対し縮こまりながら土下座をしているという構図がどうにも耐えられない。菫がしゃがみながら声を掛けると、ダールはゆっくりと顔を上げ、そしてすぐさま顔を逸らした。その拍子に、ばさ、と藍色の髪が揺れる。顔の造形は殆ど見えなかったが、一瞬見えた口元は色素が薄いながらに厚く触れたら柔らかそうで、何より形が整っていた。
 そういえば、奴隷商人からは処分対象になる程見目が悪いと聞いていたが、結局顔すら確認せずに買ってしまった。今更ながら、これから長い時間を過ごすことになる相手なのだから顔が見たいと思う。
 万が一にでもダールを傷付けないよう、命令にならないようにとお願いする形を取った。首輪が光る様子はない。

「あ、あの、申し訳ありません。私は醜い顔をしておりますので、その」
「でも、これから一緒に生活するのに顔を知らないのでは不便です」
「ですが、その。――ああ、そうです、ご主人様。私などに敬語も敬称も不要でございますので…」

 明らかに話題を変えたダールにジト目を送った菫であったが、「確かにずっと敬語とさん付けじゃお互い気を使うか」と思った菫はダールの提案を飲むこととした。「じゃあダールって呼ぶね、よろしく」と言った菫に、ダールは安心したように頷く。顔は背けたまま。

「じゃあ、ダールも私のことは菫って呼んでくれる?敬語もなしで」
「……はい?今、なんて」
「あれ、聞こえなかった?す、み、れ。私の名前」
「……す、……スミレさま、」
「菫」
「スミレ様」
「菫」
「スミレ様、その、俺は、いや違う私は、」
「菫ね。へえ、ダールって一人称俺なんだあ。かっこよくて良いね」
「へ、あ、あの……」

 一向に呼び捨てにしようとしないダールと絶対に呼び捨てにしてほしい菫の攻防。菫は結局ダールに改めさせることは出来なかったが、命令したいわけではなかったしこれからいくらでも距離を詰める時間もあることなので一人称を知れただけでひとまず満足とした。
 未だ戸惑った様子のダールの両頬を両手で包み、えいっと顔を菫の方へと向かせる。突然のことに反応が出来なかったのかそれとも流石に主人の手を振り払うのは不味いと思ったのか、少なくとも抵抗らしい抵抗はなかった。菫は右手をダールの左頬から離し、長い前髪を後ろへ撫でつけた。

「――えっ!?」
「っ……!」

 太いが形の整った眉、くっきりと二重に縁どられ少し冷たそうな印象を与える金色の鋭い瞳、まっすぐに通った高い鼻、先程ちらりと見えた唇。どこをどう取っても素晴らしいパーツであるというのに、その存在位置さえも絶妙なバランスである。有り体に言えば、菫の好みドストライクであった。
 ここで改めて、菫はもしかしたらこの歩き疲れた足も草原の匂いも今の状況すべてがやっぱり夢なのではないかという思いを抱いた。それ程に、目の前の男――ダールが菫の理想そのものであったからだ。こんなに菫の好みを体現したような人が存在して良いわけがない。
 強いて言うなら、奴隷という立場上、身体全体が洗われておらず清潔ではないことと、放置されて伸びてしまっている髪と無精ひげくらいか。いや、それもそれでワイルドで良いと思えなくもない。しかし綺麗に整えられた姿が見たい。

「…これはすぐさまお風呂に入れなきゃ。それと、カミソリとハサミ……、洋服……、食事……。何もしないことは美への冒涜……」
「す、スミレ様…?」
「行こうダール!とりあえず泊まれるところを探さなきゃ!」

 先程の押し問答どころか身に置かれている状況、お金の心配などどうでも良いくらい、菫は使命感に燃えた。この美の化身ともいえる理想の男を、最高のコンディションにしなければならない。ひとまず菫はダールに頼み込み、前髪を持っていたヘアピンで留め顔を出したままでいてもらう権利を勝ち取った。この顔を見せずに歩く等、勿体なさすぎるので。
 そうして意気揚々と歩き出した菫は、緊張した面持ちのダールに「一番近い街はこちらの方面です…」と止められた。位置感覚も備わっているとは、優秀な男である。菫は方向音痴だった。








 ◇








 四苦八苦しながら(基本的には暴走して先を進もうとする菫をダールが止めながら)、菫とダールは今日からでも泊まれるという一軒の宿屋に辿り着いた。道中菫は「筋肉隆々の奴隷イケメンを連れ歩く普通顔の女」という自身の構図が周りにどう見られているのかと戦々恐々としていたし、実際に周りからの視線は痛かった。
 が、それがどうやら痛い女に向けるものではなく、ダールに対しての悪感情でありそうだと気付いた。この世界においても、奴隷というのは宜しくない存在なのかもしれない。それか、凛々しい顔立ちの男に花の装飾のついたヘアピンをつけさせるという菫の趣味の悪さが目に留まったのだろうか。他にヘアピンがなかったのだから仕方ないではないか、と菫は心の中でひとり言い訳をした。

 宿賃は一部屋分の宿泊費と朝食代で四千エンペルだった。奴隷自体の単価も安いが、宿代も菫の円感覚よりも随分と安い。それでもダール八人分と思うと、理想の男との出逢いに浮かれていた菫の胸が痛んだ。
 また、菫は「男と女だし、ダールも主人から性的な目で見られていると思ったら(実際にはがっつりそういう目で見ているが)怖いだろう」と思い当初一人ずつ部屋を取ろうとしていたのだが、宿屋からは「奴隷には部屋は貸し出せない」と結構な勢いで断られてしまった。朝食は部屋に運んでくれるのだというが、奴隷用の食事はないから菫一人分しか提供できないという。いや別に同じ食事を二人分用意してくれればいいんですけど、と言ったが無駄だった。その代わりに、菫は五百エンペル追加して夕食を一人分持ってきてもらうようお願いした。急なお願いにも関わらず夕食は(菫の分なら)一人分追加できるのに、翌朝の(ダールの)一人分が難しいとは。この世界、奴隷に世知辛すぎではなかろうか。



「……あ、思ったよりしっかりしてる」

 借りた部屋はベッド一つ、長机一つ、二人座れるか座れないかというソファー一つ、荷物を置くためであろう棚が一つで他には飾りも何もないシンプルな部屋だったが、値段の安さからもっと汚い部屋も覚悟していたので思っていたよりも綺麗な部屋で菫は心底安心した。
 菫は棚に自身の鞄を置くと、部屋の奥へと足を進める。そこには扉が二つあり、一つはトイレ、もう一つは浴室に繋がっている。浴室は恐らくダールには少し狭かろうが、一応脱衣所と洗い場、浴槽がある。純日本人である菫にとって浴槽があるのは僥倖であった。

「とりあえずお風呂かな……」

 そうぼそりと呟くと、宿屋についてから今までずっと黙っていたダールが「お湯をご準備いたしますか」と声を掛けてきた。ダールに準備させるのは申し訳ないが、菫は「ご入浴用に」と渡された石――熱魔石というらしい――の使い方も分からないし、蛇口も何もない浴槽にどう湯を張れば良いのか分からなかったのでありがたくお願いすることにした。
 湯を張るための作業を始めたダールを浴室に残し、菫は先程宿屋から貰ったこの街の地図を見る。明らかに日本語で書かれていないのだが、意味が理解できるというのがなんとも気持ち悪い。が、便利である。ただ、菫は元々方向音痴であるために遠出は難しい。一人で意気揚々と歩き出し、迷子になる未来が容易に予想できた。
 大変好都合なことに、宿屋の右隣は洋服店、左隣は洋菓子店のようなものであるらしい。幸い菫は左程お腹も空いていないし、運んでもらう夕食はダールメインで食べてもらい、食後のデザートでも買うこととしよう。何事を考えるにも糖分は必要である。

「スミレ様」

 今後の算段を立てていると、ダールの低くて良い声が聞こえる。声すらもドストライクとはこれいかに。急に話し掛けられると変な声が出そうになるからやめてほし――いとは言えないのが、困りどころである。

「お湯のご準備が整いました」
「ありがとうダール!そしたら、はいコレ!」
「は?ええと、…?」

 ダールに宿屋から渡された大判のバスタオル、フェイスタオル、石鹸を手渡す。タオルはあまり綺麗な色ではないが、かといって不潔だったり匂いがしたりするわけでもないのでちゃんと洗われて清潔ではあるのだろう。
 両手で受け取ったダールは、不思議そうな表情を浮かべた。

「とりあえずダールが先にお風呂に入ってくれる?それで、申し訳ないんだけどその今着けてる腰のやつは後で捨てるから、お風呂上がったら一旦その大きい方のタオルを巻いてほしい」
「あ、いや、その、私が入浴するのですか…?」
「え?そうだよ。なんで?お風呂嫌い?」
「い、いえ!そんなまさか!ですが……」
「それなら入っといて。私他にしなくちゃいけないことあるし。…あっそうだ、カミソリも貰ったから、もしできたら髭剃っておいてもらえる?怪我しそうだったら無理しなくていいから!」

 そう言って、菫はダールに持たせたタオル類の上にカミソリをそっと置いた。
 店が何時まで開いているかよくわからないので、遅い時間になる前に最低限ダールの洋服などを確保しなくてはいけない。値段にもよるが、あわよくば自分の分も含めて着替え分も欲しい。とりあえず二着分ずつ買って、あとは他に安い洋服店があるか明日以降で探す方向でいこう――と考えていると、傍らには何故か未だに立ち尽くすダールがいた。

「ダール、もしかして今お風呂の気分じゃない?」
「そっ、そんな!お――私の気分などは…!も、申し訳ありません。身体を清めて参ります!」

 はっとしたダールは、バタバタと浴室へと向かっていく。バタン!と勢い良く閉められた扉を見ながら、菫は「身体を清めてくるって、なんか初夜の新妻みたいだな…。……いや、ちょっと違うか」と呑気なことを考えていた。
 それから数分後、我に返った菫は鞄を持って洋服と洋菓子の確保のため宿屋の部屋を後にした。









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