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第五話 迎えられるということ
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第五話 迎えられるということ
国境を越えた先の空は、驚くほど澄んでいた。
同じ大陸のはずなのに、空気が違う。
重さがない。
胸の奥に、静かに溜まっていた緊張が、少しずつほどけていくのがわかった。
セラフィーナ・アッシュクロフトは、街道の先に見える城塞都市を眺めながら、無意識に足を止めていた。
シュヴァルツガルト公国。
堅牢な城壁と整った街並み。
華美ではないが、落ち着いた気配が漂っている。
「……きれいな街ですね」
独り言のように呟いた瞬間、背後から落ち着いた声がした。
「そう言われるのは、久しぶりだ」
振り返ると、黒を基調とした外套を纏う青年が立っていた。
年は、私とそう変わらないだろう。
鋭さを感じさせる目元と、無駄のない立ち姿。
「ようこそ、シュヴァルツガルト公国へ。
私はアーヴィン・フォン・シュヴァルツガルト」
淡々と名乗るその声には、威圧も、警戒もなかった。
ただ、事実を述べているだけ。
「……セラフィーナ・アッシュクロフトです」
名を告げた瞬間、彼の視線がわずかに揺れた。
驚きではない。
確認に近いもの。
「やはり、君か」
「……?」
首をかしげる私に、アーヴィンはそれ以上説明しなかった。
「長旅だっただろう。
まずは休むといい。話は、その後で構わない」
それだけ言って、彼は踵を返す。
付いて来い、と命じるでもなく、
だが置いていくつもりもない歩調。
――不思議な人だ。
私は、自然とその背中を追っていた。
城内は、想像以上に静かだった。
使用人たちは忙しそうに動いているが、慌ただしさがない。
「こちらだ」
案内された部屋は、必要以上に広くも、豪華でもない。
けれど、清潔で、居心地が良さそうだった。
「この部屋を使ってくれ」
「……聖女用の部屋、ですか?」
そう尋ねると、アーヴィンは即座に首を振った。
「客室だ」
きっぱりと。
「君は、ここでは聖女ではない。
ただの、客人だ」
その言葉に、胸の奥が小さく揺れた。
――ああ。
それを、どれほど待っていたのだろう。
「……ありがとうございます」
私がそう答えると、彼は短く頷いた。
「食事は後ほど運ばせる。
無理に話す必要はない。今日は休め」
それだけ言い残し、彼は部屋を出ていった。
扉が閉まる音が、やけに優しく聞こえた。
椅子に腰を下ろし、私は大きく息を吐いた。
「……疲れていたんですね」
今になって、全身の力が抜けていく。
ここでは、祈る必要がない。
“何も起こらないように”願う必要もない。
それだけで、こんなにも静かになれるのかと、自分でも驚いた。
しばらくして、食事が運ばれてくる。
豪勢ではないが、温かく、丁寧に作られているのがわかる。
一口食べて、気づいた。
「……美味しい」
思わず漏れた言葉に、苦笑する。
聖女だった頃、食事は“体調維持のためのもの”だった。
味を感じる余裕など、なかった。
その夜、私は久しぶりに、夢を見ずに眠った。
翌朝。
窓から差し込む光で目を覚ます。
身体が、軽い。
「……よく、眠れました」
扉をノックする音がして、アーヴィンが入ってくる。
「顔色がいい。
やはり、ここでは無理をしなくていいらしい」
まるで、最初からそうなると知っていたかのような言い方。
「……私を、どうして迎え入れたのですか?」
意を決して尋ねると、彼は少しだけ考える素振りを見せた。
「理由はいくつかある」
そして、静かに告げる。
「だが一番大きいのは――
君がいなくなったその瞬間から、
エルディア王国で“異変”が始まったからだ」
胸が、わずかに跳ねた。
「それは……偶然では?」
「偶然なら、いい」
アーヴィンは私をまっすぐ見つめる。
「だが、私は偶然に国を預けるほど、楽観的ではない」
その視線に、責める色はない。
試す色もない。
ただ、理解しようとする目だった。
「君は、何をしていた?」
私は、少し考えてから答える。
「……何も」
正直な答え。
「毎日、祈っていました。
何も起きませんように、と」
アーヴィンは、小さく息を吐いた。
「……なるほど」
そして、こう続けた。
「君は、奇跡を起こす聖女ではない。
だが――」
一拍置いて。
「奇跡が“不要な世界”を、維持していた聖女だ」
その言葉は、静かに、しかし確かに、胸に落ちた。
私は、初めてここで、
“迎えられた”のだと理解した。
利用価値ではなく。
役目でもなく。
――存在そのものを。
エルディア王国では、もう戻らない日々が、
確実に崩れ始めている。
だが、私の新しい日常は、
この公国で、静かに始まろうとしていた。
国境を越えた先の空は、驚くほど澄んでいた。
同じ大陸のはずなのに、空気が違う。
重さがない。
胸の奥に、静かに溜まっていた緊張が、少しずつほどけていくのがわかった。
セラフィーナ・アッシュクロフトは、街道の先に見える城塞都市を眺めながら、無意識に足を止めていた。
シュヴァルツガルト公国。
堅牢な城壁と整った街並み。
華美ではないが、落ち着いた気配が漂っている。
「……きれいな街ですね」
独り言のように呟いた瞬間、背後から落ち着いた声がした。
「そう言われるのは、久しぶりだ」
振り返ると、黒を基調とした外套を纏う青年が立っていた。
年は、私とそう変わらないだろう。
鋭さを感じさせる目元と、無駄のない立ち姿。
「ようこそ、シュヴァルツガルト公国へ。
私はアーヴィン・フォン・シュヴァルツガルト」
淡々と名乗るその声には、威圧も、警戒もなかった。
ただ、事実を述べているだけ。
「……セラフィーナ・アッシュクロフトです」
名を告げた瞬間、彼の視線がわずかに揺れた。
驚きではない。
確認に近いもの。
「やはり、君か」
「……?」
首をかしげる私に、アーヴィンはそれ以上説明しなかった。
「長旅だっただろう。
まずは休むといい。話は、その後で構わない」
それだけ言って、彼は踵を返す。
付いて来い、と命じるでもなく、
だが置いていくつもりもない歩調。
――不思議な人だ。
私は、自然とその背中を追っていた。
城内は、想像以上に静かだった。
使用人たちは忙しそうに動いているが、慌ただしさがない。
「こちらだ」
案内された部屋は、必要以上に広くも、豪華でもない。
けれど、清潔で、居心地が良さそうだった。
「この部屋を使ってくれ」
「……聖女用の部屋、ですか?」
そう尋ねると、アーヴィンは即座に首を振った。
「客室だ」
きっぱりと。
「君は、ここでは聖女ではない。
ただの、客人だ」
その言葉に、胸の奥が小さく揺れた。
――ああ。
それを、どれほど待っていたのだろう。
「……ありがとうございます」
私がそう答えると、彼は短く頷いた。
「食事は後ほど運ばせる。
無理に話す必要はない。今日は休め」
それだけ言い残し、彼は部屋を出ていった。
扉が閉まる音が、やけに優しく聞こえた。
椅子に腰を下ろし、私は大きく息を吐いた。
「……疲れていたんですね」
今になって、全身の力が抜けていく。
ここでは、祈る必要がない。
“何も起こらないように”願う必要もない。
それだけで、こんなにも静かになれるのかと、自分でも驚いた。
しばらくして、食事が運ばれてくる。
豪勢ではないが、温かく、丁寧に作られているのがわかる。
一口食べて、気づいた。
「……美味しい」
思わず漏れた言葉に、苦笑する。
聖女だった頃、食事は“体調維持のためのもの”だった。
味を感じる余裕など、なかった。
その夜、私は久しぶりに、夢を見ずに眠った。
翌朝。
窓から差し込む光で目を覚ます。
身体が、軽い。
「……よく、眠れました」
扉をノックする音がして、アーヴィンが入ってくる。
「顔色がいい。
やはり、ここでは無理をしなくていいらしい」
まるで、最初からそうなると知っていたかのような言い方。
「……私を、どうして迎え入れたのですか?」
意を決して尋ねると、彼は少しだけ考える素振りを見せた。
「理由はいくつかある」
そして、静かに告げる。
「だが一番大きいのは――
君がいなくなったその瞬間から、
エルディア王国で“異変”が始まったからだ」
胸が、わずかに跳ねた。
「それは……偶然では?」
「偶然なら、いい」
アーヴィンは私をまっすぐ見つめる。
「だが、私は偶然に国を預けるほど、楽観的ではない」
その視線に、責める色はない。
試す色もない。
ただ、理解しようとする目だった。
「君は、何をしていた?」
私は、少し考えてから答える。
「……何も」
正直な答え。
「毎日、祈っていました。
何も起きませんように、と」
アーヴィンは、小さく息を吐いた。
「……なるほど」
そして、こう続けた。
「君は、奇跡を起こす聖女ではない。
だが――」
一拍置いて。
「奇跡が“不要な世界”を、維持していた聖女だ」
その言葉は、静かに、しかし確かに、胸に落ちた。
私は、初めてここで、
“迎えられた”のだと理解した。
利用価値ではなく。
役目でもなく。
――存在そのものを。
エルディア王国では、もう戻らない日々が、
確実に崩れ始めている。
だが、私の新しい日常は、
この公国で、静かに始まろうとしていた。
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