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第九話 取り戻せないと、気づき始める
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第九話 取り戻せないと、気づき始める
エルディア王国の王宮では、その日、珍しく声を荒げる者がいた。
「殿下……これは、さすがに“偶然”では済まされません」
宰相補佐が差し出した書類の束を、ルーファス・ヴァルディオスは乱暴に受け取った。
「同じことを何度も聞いた」
「ですが――」
「大事にはなっていないだろう!」
声を張り上げた瞬間、会議室の空気が凍りつく。
確かに、大災害は起きていない。
死人が出るほどの疫病も、反乱も、戦争も。
だが、書類に並ぶ文字は容赦なかった。
・農村部での収穫見込み、前年比七割
・流通遅延による物価上昇
・修繕費用の急増
・兵士の稼働率低下(軽傷・疲労)
「……積み重なりすぎています」
宰相補佐の声は、低く、重い。
「このままでは、年を越す前に財政が持ちません」
ルーファスは、書類を机に叩きつけた。
「だからと言って、今さらどうしろという!」
誰も答えなかった。
答えが、あまりにも明白だったからだ。
同じ頃、王宮の奥。
ミレイア・ルミナスは、静かに祈祷室に膝をついていた。
今日で、何度目の祈りだろう。
「……どうか、どうか……」
声はかすれ、指先は震えている。
祈れば、光は降りる。
それは、変わらない。
だが、祈るたびに胸に広がるのは、
安堵ではなく、焦燥だった。
「……なぜ、止まらないの……」
光は、目に見える奇跡を示す。
だが、国を蝕む“静かな歪み”には、
まるで手応えがない。
ふと、頭をよぎる。
前任の聖女――
セラフィーナ・アッシュクロフト。
あの人は、派手な祈祷をしなかった。
だが、祈らない日も、国は安定していた。
「……違う」
ミレイアは、強く首を振る。
「私は、正しい。
私は、選ばれた」
そう言い聞かせなければ、
自分が“代用品”であることを、
認めてしまいそうだった。
夕刻、王都の裏通りで。
「……前の聖女様なら」
誰かが、ぽつりと口にした。
「おい、やめろ」
「でもさ……
あの頃は、こんなに修理ばっかりじゃなかった」
否定の声は上がる。
だが、完全には消えない。
“思い出補正”では片づけられないほど、
現実が悪化している。
王宮の私室で、ルーファスは一人、窓の外を見つめていた。
「……セラフィーナ」
無意識に漏れた名に、自分で眉をひそめる。
あの場で、彼女は何も言わなかった。
泣きもしなかった。
縋りもしなかった。
――おかしい。
役立たずと切り捨てられた女なら、
少しは取り乱すべきだった。
「……まるで、最初から知っていたような顔だった」
胸の奥に、嫌な感触が残る。
その夜、ルーファスは、ついに口にした。
「……前聖女の記録を、もう一度洗い直せ」
側近が、驚いたように顔を上げる。
「殿下……?」
「確認するだけだ。
意味はない」
そう言いながら、
自分でもその言葉を信じていなかった。
一方、シュヴァルツガルト公国。
セラフィーナは、城の回廊で、
アーヴィンと並んで歩いていた。
「最近、向こうの報告が増えています」
「……そうですか」
声は、静かだった。
「悪化しています。
急激ではないが、確実に」
彼女は、足を止めた。
「それは……私のせい、でしょうか」
アーヴィンは、即座に否定した。
「違う」
短く、断定。
「君は、何もしていない。
ただ、手を引いただけだ」
それだけで、
崩れるものなら、
最初から健全ではなかった。
「……戻るべきでしょうか」
ほんの一瞬、迷いが浮かぶ。
だが、アーヴィンは首を振った。
「戻れば、君が“原因”にされる」
静かな声。
「そして、同じことが繰り返される」
セラフィーナは、目を伏せた。
「私は……
何も起こらない日々が、好きです」
「なら、ここにいればいい」
その言葉に、迷いは消えた。
その夜、エルディア王国では。
ルーファスが、机に突っ伏していた。
前聖女の記録。
事故ゼロの年。
不作なし。
疫病報告なし。
「……馬鹿な……」
喉が、ひくりと鳴る。
その瞬間、
彼は初めて、はっきりと理解した。
――取り戻せないものを、
自分は、手放したのだと。
だが、その理解は、
まだ“後悔”には至らない。
後悔に変わるには、
もう少しだけ、
地獄が足りなかった。
エルディア王国の王宮では、その日、珍しく声を荒げる者がいた。
「殿下……これは、さすがに“偶然”では済まされません」
宰相補佐が差し出した書類の束を、ルーファス・ヴァルディオスは乱暴に受け取った。
「同じことを何度も聞いた」
「ですが――」
「大事にはなっていないだろう!」
声を張り上げた瞬間、会議室の空気が凍りつく。
確かに、大災害は起きていない。
死人が出るほどの疫病も、反乱も、戦争も。
だが、書類に並ぶ文字は容赦なかった。
・農村部での収穫見込み、前年比七割
・流通遅延による物価上昇
・修繕費用の急増
・兵士の稼働率低下(軽傷・疲労)
「……積み重なりすぎています」
宰相補佐の声は、低く、重い。
「このままでは、年を越す前に財政が持ちません」
ルーファスは、書類を机に叩きつけた。
「だからと言って、今さらどうしろという!」
誰も答えなかった。
答えが、あまりにも明白だったからだ。
同じ頃、王宮の奥。
ミレイア・ルミナスは、静かに祈祷室に膝をついていた。
今日で、何度目の祈りだろう。
「……どうか、どうか……」
声はかすれ、指先は震えている。
祈れば、光は降りる。
それは、変わらない。
だが、祈るたびに胸に広がるのは、
安堵ではなく、焦燥だった。
「……なぜ、止まらないの……」
光は、目に見える奇跡を示す。
だが、国を蝕む“静かな歪み”には、
まるで手応えがない。
ふと、頭をよぎる。
前任の聖女――
セラフィーナ・アッシュクロフト。
あの人は、派手な祈祷をしなかった。
だが、祈らない日も、国は安定していた。
「……違う」
ミレイアは、強く首を振る。
「私は、正しい。
私は、選ばれた」
そう言い聞かせなければ、
自分が“代用品”であることを、
認めてしまいそうだった。
夕刻、王都の裏通りで。
「……前の聖女様なら」
誰かが、ぽつりと口にした。
「おい、やめろ」
「でもさ……
あの頃は、こんなに修理ばっかりじゃなかった」
否定の声は上がる。
だが、完全には消えない。
“思い出補正”では片づけられないほど、
現実が悪化している。
王宮の私室で、ルーファスは一人、窓の外を見つめていた。
「……セラフィーナ」
無意識に漏れた名に、自分で眉をひそめる。
あの場で、彼女は何も言わなかった。
泣きもしなかった。
縋りもしなかった。
――おかしい。
役立たずと切り捨てられた女なら、
少しは取り乱すべきだった。
「……まるで、最初から知っていたような顔だった」
胸の奥に、嫌な感触が残る。
その夜、ルーファスは、ついに口にした。
「……前聖女の記録を、もう一度洗い直せ」
側近が、驚いたように顔を上げる。
「殿下……?」
「確認するだけだ。
意味はない」
そう言いながら、
自分でもその言葉を信じていなかった。
一方、シュヴァルツガルト公国。
セラフィーナは、城の回廊で、
アーヴィンと並んで歩いていた。
「最近、向こうの報告が増えています」
「……そうですか」
声は、静かだった。
「悪化しています。
急激ではないが、確実に」
彼女は、足を止めた。
「それは……私のせい、でしょうか」
アーヴィンは、即座に否定した。
「違う」
短く、断定。
「君は、何もしていない。
ただ、手を引いただけだ」
それだけで、
崩れるものなら、
最初から健全ではなかった。
「……戻るべきでしょうか」
ほんの一瞬、迷いが浮かぶ。
だが、アーヴィンは首を振った。
「戻れば、君が“原因”にされる」
静かな声。
「そして、同じことが繰り返される」
セラフィーナは、目を伏せた。
「私は……
何も起こらない日々が、好きです」
「なら、ここにいればいい」
その言葉に、迷いは消えた。
その夜、エルディア王国では。
ルーファスが、机に突っ伏していた。
前聖女の記録。
事故ゼロの年。
不作なし。
疫病報告なし。
「……馬鹿な……」
喉が、ひくりと鳴る。
その瞬間、
彼は初めて、はっきりと理解した。
――取り戻せないものを、
自分は、手放したのだと。
だが、その理解は、
まだ“後悔”には至らない。
後悔に変わるには、
もう少しだけ、
地獄が足りなかった。
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