理由を与えなかった聖女は、名を呼ぶことを選んだ

鷹 綾

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第十一話 戻ってほしいと、言えなかった理由

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第十一話 戻ってほしいと、言えなかった理由

 

 エルディア王国の王宮では、朝から重苦しい空気が漂っていた。

 回廊を行き交う使用人たちの足取りは早く、声は自然と低くなる。
 まるで、城そのものが何かを恐れているかのようだった。

 ルーファス・ヴァルディオスは、執務室の窓辺に立ち、王都を見下ろしていた。

 朝の市場は開いている。
 人々も動いている。

 だが――
 以前のような活気はない。

「……減ったな」

 呟いた声は、誰にも聞かれなかった。

 商人の数。
 荷車の往来。
 露店の声。

 どれもが、少しずつ、確実に減っている。

「殿下」

 背後から、側近の声がした。

「前聖女の行方が、判明しました」

 ルーファスは、振り返らなかった。

「……どこだ」

「シュヴァルツガルト公国です。
 公爵アーヴィン・フォン・シュヴァルツガルトの庇護下に」

 その名を聞いた瞬間、胸の奥に冷たいものが走る。

「……そうか」

 短く答えた声には、怒りも安堵もなかった。
 ただ、事実を受け止めた音だった。

「正式な使者を立てますか?」

 側近の問いに、ルーファスはしばらく沈黙した。

 使者を立てる。
 それはつまり、頭を下げるということだ。

 ――いや。
 頭を下げる“ふり”をする、ということ。

「……待て」

 ルーファスは、ゆっくりと口を開いた。

「まずは、状況を整理する」

「殿下?」

「彼女が去ってから、
 国がどうなったのかを、正確に把握する必要がある」

 側近は、わずかに目を見開いた。

「それは……すでに、把握しているかと……」

「違う」

 ルーファスは、低く言った。

「“被害”ではない。
 “失われたもの”だ」

 

 その日、王宮内で、非公式の調査が始まった。

 前聖女在任中と、現在の比較。
 数値に表れない“日常”の変化。

 ・修繕要請の件数
 ・軽傷者の数
 ・流通の遅延
 ・農村からの不満
 ・兵士の士気

 それらを並べて初めて、
 誰もが同じことに気づき始めた。

「……前は、
 “何も対策していないのに、問題が起きなかった”」

 誰かが、ぽつりと呟く。

「今は、
 “対策しても、問題が起き続けている”」

 沈黙。

 その差が、あまりにも残酷だった。

 

 一方、祈祷室では。

 ミレイア・ルミナスが、椅子に座り込んでいた。
 祈祷の後だというのに、顔色は冴えない。

「……使者を送る、という話が出ています」

 付き添いの侍女が、慎重に告げる。

「前の聖女様に……ですか?」

 声が、かすれる。

「はい。
 殿下が、直接動かれる可能性も……」

 ミレイアは、指先を強く握りしめた。

 戻ってきてほしい。
 そう言えば、全てが解決するかもしれない。

 ――でも。

「……それは、
 私が“失敗だった”と認めることになります」

 侍女は、言葉を失った。

「私は、選ばれた聖女です。
 神は、私を――」

 言いかけて、止まる。

 光は降りた。
 だが、救いは降りなかった。

「……もし、彼女が戻ったら」

 ミレイアの声は、小さく震える。

「私は、何になるのですか?」

 答えは、誰にも出せなかった。

 

 夕刻。

 ルーファスは、再び窓辺に立っていた。

 机の上には、比較資料が積まれている。
 どれも、同じ結論を指し示していた。

「……彼女は、
 “戻ってほしい存在”ではある」

 だが。

「“戻るべき存在”では、ない」

 その違いが、痛いほどわかってしまった。

 戻ってほしい。
 だが、戻る理由を、自分は奪った。

 婚約破棄。
 公開の断罪。
 役立たずという烙印。

「……今さら、
 何を言えばいい?」

 謝罪か。
 命令か。
 取引か。

 どれも、違う。

 彼女が欲しかったのは、
 評価でも、地位でも、
 “必要とされる言葉”でもなかった。

 ――ただ、
 “何も起こらない日々”だった。

 

 夜。

 シュヴァルツガルト公国。

 セラフィーナは、アーヴィンと共に、静かな食卓についていた。

「……向こうで、調査が始まったそうです」

「そうか」

 アーヴィンは、それ以上興味を示さない。

「使者は、来るでしょうか」

「来るだろう」

「……その時、私は」

 言いかけて、止まる。

 アーヴィンは、静かに言った。

「君は、何も答えなくていい」

 その言葉に、胸が温かくなる。

「選択は、
 すでに終わっている」

 セラフィーナは、紅茶の湯気を見つめながら、
 小さく微笑んだ。

「……私は、ここにいます」

 

 エルディア王国では、
 “戻ってほしい”という思いが、
 確実に形を持ち始めていた。

 だが、それを口にできる者は、
 まだ、誰一人としていなかった。

 なぜなら。

 それを言うことは、
 自分たちが間違っていたと、
 認めることだったからだ。

 そして、その認識こそが、
 王国を次の段階へと進める、
 静かな引き金になろうとしていた。
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