『婚約破棄された令嬢ですが、王国は私抜きでは立てなかったようですね』

鷹 綾

文字の大きさ
2 / 40

愛しているのは彼女だ

しおりを挟む
愛しているのは彼女だ

 王宮の大広間は、いつになく人が集まっていた。
 貴族たちは華やかな衣装に身を包み、ざわめきながら王太子ロネスの登場を待っている。

 エルゼリア・クローヴェルは、その端に静かに立っていた。

 この場が、何のために用意されたのか。
 正式な説明は受けていない。だが、胸の奥に微かな違和感が残っている。

 ――最近、妙に慌ただしい。

 ロネスの周囲は、以前にも増して落ち着きがなかった。
 政務の相談は減り、代わりに彼の傍らに立つ女性の存在感が増している。

 嫌な予感、というほどの感情は湧かなかった。
 ただ、どこか遠くで歯車が噛み合わなくなっている感覚だけがあった。

「王太子殿下、入場!」

 声が響き、場の視線が一斉に集まる。

 ロネスは堂々とした足取りで現れ、その隣には一人の女性を伴っていた。
 淡い色のドレスに身を包んだ、柔らかな笑みを浮かべる少女。

 ――やはり。

 エルゼリアは、心の中で小さく息を吐いた。

 ロネスが一歩前に出る。

「皆に、聞いてもらいたいことがある」

 その声はよく通り、自信に満ちていた。
 彼は少しだけ間を置き、はっきりと告げる。

「本日をもって、私は――
 エルゼリア・クローヴェルとの婚約を、破棄する」

 一瞬、大広間が静まり返った。

 次の瞬間、ざわめきが爆発する。

「なっ……!?」
「まさか、この場で……」
「理由は……?」

 視線が、一斉にエルゼリアへと向けられる。

 だが彼女は、微動だにしなかった。

 ロネスは続ける。

「理由は簡単だ。
 私は……愛のない婚約を続けるつもりはない」

 そう言って、隣の女性の手を取った。

「私が愛しているのは、彼女だ」

 少女は頬を染め、控えめに頭を下げる。

「……ロネス様のお気持ちに、応えたいと思います」

 その姿に、貴族たちの間から同情と称賛が入り混じった空気が流れる。

「なんて純愛……」
「やはり、心の通わない婚約は不幸ですものね」

 誰かが、そう囁いた。

 エルゼリアは、ようやく一歩前に出た。

「王太子殿下」

 静かな声だった。
 だが、その場にいる全員の耳に、はっきりと届く。

「それは、正式なご決断という理解で、よろしいでしょうか」

 ロネスは、わずかに眉をひそめる。

「……ああ。君も、納得してくれるだろう?」

 どこか、上から目線の言葉。

 エルゼリアは、少しだけ考える素振りを見せたあと、ゆっくりと頷いた。

「承知いたしました」

 その即答に、ざわめきが強まる。

「え?」
「泣きもしないの?」
「引き止めないの……?」

 ロネスも、拍子抜けしたように目を瞬かせた。

「……それだけか?」

「はい」

 エルゼリアは淡々と答える。

「婚約とは、両家と国家の合意によるもの。
 殿下が破棄をお望みであれば、私が申し上げることはございません」

 あまりに冷静な態度に、ロネスの胸に苛立ちが込み上げる。

「君は、本当に……冷たいな」

「そう見えるのであれば、申し訳ありません」

 エルゼリアは一礼した。

「では、本日をもって――
 私の役目も、ここまでということですね」

 その言葉の意味を、ロネスは深く考えなかった。

 だが、それは確かに宣言だった。

 王太子妃候補として。
 そして、王宮の裏で政務を支えてきた存在としての――終わりの。

 エルゼリアは踵を返し、大広間を後にする。

 背後で、誰かが囁く声が聞こえた。

「負け惜しみね」
「可哀想だけど、仕方ないわ」

 そのどれもが、彼女の心には届かなかった。

 回廊に出た瞬間、外の風が頬を撫でる。

 ――終わったのね。

 悲しみは、ない。
 ただ、長く背負ってきた重荷が、静かに肩から降りた感覚があった。

 この時、誰も気づいていない。

 王太子ロネスが、
 そして王国そのものが――
 どれほど大きなものを、手放したのかを。

 それを知る日は、そう遠くなかった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

婚約破棄を本当にありがとう

あんど もあ
ファンタジー
ラブラブな婚約者のパトリシアとラルフ。そんなパトリシアに、隣国の王立高等学院に留学しないかとのお誘いが。「私、もうこの国の王立学園を卒業してますよ?」「高等学園にはブライト博士がいるわよ」「行きます!」 当然、ラルフも付いて行くのだが、そこでパトリシアは王太子の婚約者と思われて……。

「では、ごきげんよう」と去った悪役令嬢は破滅すら置き去りにして

東雲れいな
恋愛
「悪役令嬢」と噂される伯爵令嬢・ローズ。王太子殿下の婚約者候補だというのに、ヒロインから王子を奪おうなんて野心はまるでありません。むしろ彼女は、“わたくしはわたくしらしく”と胸を張り、周囲の冷たい視線にも毅然と立ち向かいます。 破滅を甘受する覚悟すらあった彼女が、誇り高く戦い抜くとき、運命は大きく動きだす。

次代の希望 愛されなかった王太子妃の愛

Rj
恋愛
王子様と出会い結婚したグレイス侯爵令嬢はおとぎ話のように「幸せにくらしましたとさ」という結末を迎えられなかった。愛し合っていると思っていたアーサー王太子から結婚式の二日前に愛していないといわれ、表向きは仲睦まじい王太子夫妻だったがアーサーにはグレイス以外に愛する人がいた。次代の希望とよばれた王太子妃の物語。 全十二話。(全十一話で投稿したものに一話加えました。2/6変更)

妹の初恋は私の婚約者

あんど もあ
ファンタジー
卒業パーティーで、第一王子から婚約破棄を宣言されたカミーユ。王子が選んだのは、カミーユの妹ジョフロアだった。だが、ジョフロアには王子との婚約が許されない秘密があった。

【完結】この運命を受け入れましょうか

なか
恋愛
「君のようは妃は必要ない。ここで廃妃を宣言する」  自らの夫であるルーク陛下の言葉。  それに対して、ヴィオラ・カトレアは余裕に満ちた微笑みで答える。   「承知しました。受け入れましょう」  ヴィオラにはもう、ルークへの愛など残ってすらいない。  彼女が王妃として支えてきた献身の中で、平民生まれのリアという女性に入れ込んだルーク。  みっともなく、情けない彼に対して恋情など抱く事すら不快だ。  だが聖女の素養を持つリアを、ルークは寵愛する。  そして貴族達も、莫大な益を生み出す聖女を妃に仕立てるため……ヴィオラへと無実の罪を被せた。  あっけなく信じるルークに呆れつつも、ヴィオラに不安はなかった。  これからの顛末も、打開策も全て知っているからだ。  前世の記憶を持ち、ここが物語の世界だと知るヴィオラは……悲運な運命を受け入れて彼らに意趣返す。  ふりかかる不幸を全て覆して、幸せな人生を歩むため。     ◇◇◇◇◇  設定は甘め。  不安のない、さっくり読める物語を目指してます。  良ければ読んでくだされば、嬉しいです。

婚約者の幼馴染って、つまりは赤の他人でしょう?そんなにその人が大切なら、自分のお金で養えよ。貴方との婚約、破棄してあげるから、他

猿喰 森繁
恋愛
完結した短編まとめました。 大体1万文字以内なので、空いた時間に気楽に読んでもらえると嬉しいです。

「君を愛することはない」と言われたので、私も愛しません。次いきます。 〜婚約破棄はご褒美です!

放浪人
恋愛
【「愛さない」と言ったのはあなたです。私はもっとハイスペックな次(夫)と幸せになりますので、どうぞお構いなく!】 侯爵令嬢リディアは、建国記念舞踏会の最中に、婚約者である王太子レオンハルトから婚約破棄を宣言される。 「君を愛することはない!」という王太子の言葉は、国中に響く『公的拒絶誓約』となってしまった。 しかし、リディアは泣かなかった。 「承知しました。私も愛しません。次いきます」 彼女は即座に撤退し、その場で慰謝料請求と名誉回復の手続きを開始する。その潔さと有能さに目をつけたのは、国の行政を牛耳る『氷の宰相』アシュ・ヴァレンシュタインだった。 「私の政治的盾になれ。条件は『恋愛感情の禁止』と『嘘がつけない契約』だ」 利害の一致した二人は、愛のない契約結婚を結ぶ。 はずだったのだが――『嘘がつけない契約』のせいで、冷徹なはずの宰相の本音が暴走! 「君を失うのは非合理だ(=大好きだ)」「君は私の光だ(=愛してる)」 隠せない溺愛と、最強の夫婦による論理的で容赦のない『ざまぁ』。 一方、リディアを捨てた王太子は「愛さない誓約」の呪いに苦しみ、自滅していく。 これは、悪役令嬢と呼ばれた女が、嘘のない真実の愛を手に入れ、国中を巻き込んで幸せになるまでの物語。

拝啓、許婚様。私は貴方のことが大嫌いでした

結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
【ある日僕の元に許婚から恋文ではなく、婚約破棄の手紙が届けられた】 僕には子供の頃から決められている許婚がいた。けれどお互い特に相手のことが好きと言うわけでもなく、月に2度の『デート』と言う名目の顔合わせをするだけの間柄だった。そんなある日僕の元に許婚から手紙が届いた。そこに記されていた内容は婚約破棄を告げる内容だった。あまりにも理不尽な内容に不服を抱いた僕は、逆に彼女を遣り込める計画を立てて許婚の元へ向かった――。 ※他サイトでも投稿中

処理中です...