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12話|招待状の意味
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12話|招待状の意味
クローヴェル侯爵家の朝は、穏やかだった。
庭に差し込む光はやわらかく、遠くで鳥の鳴く声が聞こえる。
王宮にいた頃には、決して味わえなかった静けさだ。
エルゼリア・クローヴェルは、執事から差し出された銀盆の上の封書に、静かに視線を落としていた。
赤い封蝋。
刻まれた紋章は、見間違えようもない。
――帝国。
「……正式なもの、ですね」
低く呟き、指先で封を切る。
中に入っていたのは、簡潔で無駄のない文面だった。
歓迎の言葉も、過剰な修辞もない。
用件はただ一つ。
帝国宰相特使ハインリヒ・ヴォルフより、
非公式ながらも明確な招待。
――帝国にて、直接会談を望む。
それだけで、十分だった。
エルゼリアは文面を読み終え、そっと目を閉じる。
胸に浮かんだのは、驚きでも高揚でもない。
――やはり、来ましたか。
理由は分かっている。
帝国が彼女を必要としているからではない。
王国が、彼女を失ったからだ。
「お嬢様」
控えめな声で、執事が口を開く。
「帝国からの招待とあらば、無視するのは難しいかと」
「ええ」
エルゼリアは頷いた。
「ですが……これは、単なる招待ではありません」
「と、申しますと?」
「帝国は、確認しに来るのです。
私が、噂通りの人間かどうかを」
それは、試されるということ。
同時に、選ばれる可能性でもある。
彼女は立ち上がり、窓の外を見た。
王都の方角は、ここからは見えない。
――王宮に戻る気はない。
それは、はっきりしている。
だが、帝国に行くかどうかは、別の話だった。
その日の午後、クローヴェル侯爵がエルゼリアを呼び出した。
父である彼は、封書の存在をすでに知っている。
「……帝国から、招待が来たそうだな」
「はい」
侯爵は、娘の顔をじっと見つめる。
「無理に行く必要はない。
お前は、もう王宮の人間ではないのだから」
「分かっています」
エルゼリアは、静かに答えた。
「ですが、行く意味も……分かっています」
侯爵は、深く息を吐いた。
「お前は、昔からそうだ。
必要とされる場所から、逃げない」
「逃げてはいません。
ただ……選びたいのです」
「何を?」
「自分が、どこで、どう生きるのかを」
その言葉に、侯爵は目を伏せた。
やがて、小さく笑う。
「……成長したな」
父は、それ以上、何も言わなかった。
止めもしない。
背中を押す言葉も、与えない。
それが、クローヴェル家のやり方だった。
一方、王宮では、別の空気が流れていた。
「――クローヴェル侯爵家に、帝国からの使者が出入りしている?」
ロネスは、報告を聞き、思わず声を荒らげた。
「確かか?」
「はい。
正式なものではありませんが、目撃情報が」
ロネスの胸に、嫌な予感が広がる。
――帝国が、彼女に接触している。
それは、何を意味するのか。
「……まさか」
否定したい。
だが、否定する根拠がない。
ハインリヒ・ヴォルフの言葉が、脳裏をよぎる。
――実務を理解している者。
――裏で政務を支えていた人物。
その人物が、今、帝国に引き抜かれようとしている。
「……止めなければ」
ロネスは、そう呟いた。
だが、どうやって?
婚約は破棄した。
王宮から追い出したのは、自分だ。
今さら、何を言えるというのか。
その夜、エルゼリアは一人、机に向かっていた。
帝国からの招待状は、封筒に戻され、静かに置かれている。
返事を書くための、白い紙。
まだ、何も書かれていない。
彼女は、ペンを手に取り、しばらく考え込んだ。
王宮での日々。
評価されなかった努力。
沈黙の中で積み上げてきた判断。
――もう、戻らない。
それは、後悔ではなく、決意だった。
エルゼリアは、ペンを走らせる。
短く、簡潔に。
承諾の意。
訪問の意思。
それだけを書き、署名を添えた。
ペンを置いた瞬間、不思議と胸が軽くなる。
これは、復讐ではない。
見返すためでもない。
ただ――
自分の価値を、正しく測られる場所へ行くだけだ。
窓の外では、夜風が木々を揺らしていた。
王国は、今も混乱の中にある。
だが、それは、もう彼女の責任ではない。
帝国への道が、静かに開かれた。
その先に待つのが、
試練か、評価か、あるいは――
新しい居場所なのか。
それを知るのは、
これからだ。
ただ一つ確かなのは、
エルゼリア・クローヴェルが、
再び「沈黙のまま使われる存在」ではないということだった。
クローヴェル侯爵家の朝は、穏やかだった。
庭に差し込む光はやわらかく、遠くで鳥の鳴く声が聞こえる。
王宮にいた頃には、決して味わえなかった静けさだ。
エルゼリア・クローヴェルは、執事から差し出された銀盆の上の封書に、静かに視線を落としていた。
赤い封蝋。
刻まれた紋章は、見間違えようもない。
――帝国。
「……正式なもの、ですね」
低く呟き、指先で封を切る。
中に入っていたのは、簡潔で無駄のない文面だった。
歓迎の言葉も、過剰な修辞もない。
用件はただ一つ。
帝国宰相特使ハインリヒ・ヴォルフより、
非公式ながらも明確な招待。
――帝国にて、直接会談を望む。
それだけで、十分だった。
エルゼリアは文面を読み終え、そっと目を閉じる。
胸に浮かんだのは、驚きでも高揚でもない。
――やはり、来ましたか。
理由は分かっている。
帝国が彼女を必要としているからではない。
王国が、彼女を失ったからだ。
「お嬢様」
控えめな声で、執事が口を開く。
「帝国からの招待とあらば、無視するのは難しいかと」
「ええ」
エルゼリアは頷いた。
「ですが……これは、単なる招待ではありません」
「と、申しますと?」
「帝国は、確認しに来るのです。
私が、噂通りの人間かどうかを」
それは、試されるということ。
同時に、選ばれる可能性でもある。
彼女は立ち上がり、窓の外を見た。
王都の方角は、ここからは見えない。
――王宮に戻る気はない。
それは、はっきりしている。
だが、帝国に行くかどうかは、別の話だった。
その日の午後、クローヴェル侯爵がエルゼリアを呼び出した。
父である彼は、封書の存在をすでに知っている。
「……帝国から、招待が来たそうだな」
「はい」
侯爵は、娘の顔をじっと見つめる。
「無理に行く必要はない。
お前は、もう王宮の人間ではないのだから」
「分かっています」
エルゼリアは、静かに答えた。
「ですが、行く意味も……分かっています」
侯爵は、深く息を吐いた。
「お前は、昔からそうだ。
必要とされる場所から、逃げない」
「逃げてはいません。
ただ……選びたいのです」
「何を?」
「自分が、どこで、どう生きるのかを」
その言葉に、侯爵は目を伏せた。
やがて、小さく笑う。
「……成長したな」
父は、それ以上、何も言わなかった。
止めもしない。
背中を押す言葉も、与えない。
それが、クローヴェル家のやり方だった。
一方、王宮では、別の空気が流れていた。
「――クローヴェル侯爵家に、帝国からの使者が出入りしている?」
ロネスは、報告を聞き、思わず声を荒らげた。
「確かか?」
「はい。
正式なものではありませんが、目撃情報が」
ロネスの胸に、嫌な予感が広がる。
――帝国が、彼女に接触している。
それは、何を意味するのか。
「……まさか」
否定したい。
だが、否定する根拠がない。
ハインリヒ・ヴォルフの言葉が、脳裏をよぎる。
――実務を理解している者。
――裏で政務を支えていた人物。
その人物が、今、帝国に引き抜かれようとしている。
「……止めなければ」
ロネスは、そう呟いた。
だが、どうやって?
婚約は破棄した。
王宮から追い出したのは、自分だ。
今さら、何を言えるというのか。
その夜、エルゼリアは一人、机に向かっていた。
帝国からの招待状は、封筒に戻され、静かに置かれている。
返事を書くための、白い紙。
まだ、何も書かれていない。
彼女は、ペンを手に取り、しばらく考え込んだ。
王宮での日々。
評価されなかった努力。
沈黙の中で積み上げてきた判断。
――もう、戻らない。
それは、後悔ではなく、決意だった。
エルゼリアは、ペンを走らせる。
短く、簡潔に。
承諾の意。
訪問の意思。
それだけを書き、署名を添えた。
ペンを置いた瞬間、不思議と胸が軽くなる。
これは、復讐ではない。
見返すためでもない。
ただ――
自分の価値を、正しく測られる場所へ行くだけだ。
窓の外では、夜風が木々を揺らしていた。
王国は、今も混乱の中にある。
だが、それは、もう彼女の責任ではない。
帝国への道が、静かに開かれた。
その先に待つのが、
試練か、評価か、あるいは――
新しい居場所なのか。
それを知るのは、
これからだ。
ただ一つ確かなのは、
エルゼリア・クローヴェルが、
再び「沈黙のまま使われる存在」ではないということだった。
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