『婚約破棄された令嬢ですが、王国は私抜きでは立てなかったようですね』

鷹 綾

文字の大きさ
23 / 40

23話|王宮の違和感

しおりを挟む
23話|王宮の違和感

 王宮の空気が、微妙に変わり始めている。

 誰かが声高に宣言したわけではない。
 だが、廊下を行き交う文官たちの足取り、会議室で交わされる言葉の端々に、はっきりとした違和感が滲んでいた。

「……帝国側、また判断を返してきました」

 午前の会議で、若い文官が報告書を差し出す。

「こちらの照会に対して、即日で。
 しかも、“王国側で判断してよい”と」

 その一文が、会議室をざわつかせた。

「判断してよい、だと?」
「責任はどうするつもりだ」
「口だけで言っているのではないのか」

 疑念は、自然なものだった。

 これまでの王宮では、
 判断=責任=処罰、という図式が染みついている。

 ロネスは、黙って文書を受け取り、目を通した。

 簡潔な文面。
 逃げ道のない言い回し。
 だが同時に、相手を縛りすぎない設計。

「……これは」

 思わず、言葉が漏れる。

 彼の隣に座る財務官が、慎重に口を開いた。

「帝国は、判断を投げているのではありません。
 枠を示したうえで、委ねてきています」

「委ねる、か……」

 ロネスの脳裏に、ある人物の姿が浮かぶ。

 エルゼリア・クローヴェル。

 かつて、王宮の奥で、
 誰よりも早く、誰よりも正確に判断材料を整えていた婚約者。

 ――彼女なら、こうする。

 その考えに気づいた瞬間、
 胸の奥が、ちくりと痛んだ。

「この判断、どうします?」

 視線が、ロネスへ集まる。

 一瞬の沈黙。

 以前なら、
 結論を先延ばしにしただろう。
 慎重さを理由に。

 だが今は――

「……この件は、こちらで決める」

 自分でも驚くほど、はっきりした声だった。

「帝国の示した枠内だ。
 問題はない」

 会議室が、静まり返る。

「殿下、それは――」

「責任は、私が取る」

 言葉が、自然と続いた。

 それは、彼にとっても初めての感覚だった。

 責任を口にすることが、
 恐怖ではなく、
 必要な行為として認識される。

 会議は、そのまま進んだ。

 決定事項が、次々と整理される。
 小さな判断。
 だが、確実な前進。

 午後、ロネスは一人、回廊を歩いていた。

 窓の外には、王都の街並み。
 変わらぬ景色。

 だが、内部は変わり始めている。

「……なぜ、今さらだ」

 自嘲気味に呟く。

 彼女がいた頃、
 判断材料は常に揃っていた。
 にもかかわらず、自分は決めなかった。

 いや――
 決めさせなかったのだ。

 責任を、
 曖昧な場所に押し込めることで。

 そのやり方が、
 どれほど国を停滞させていたか。

 帝国との交渉が、それを浮き彫りにしている。

 一方、帝国宰相府。

 王国側の決定報告が届き、
 執務室に集まった官僚たちが短く息を吐いた。

「……王国、決めましたね」

「はい。
 枠内判断。
 問題ありません」

 ハインリヒ・ヴォルフは、エルゼリアを見た。

「変化を感じるか?」

「感じます」

 彼女は、少しだけ言葉を選ぶ。

「戸惑いは、まだ強い。
 ですが、“決めていい”という感覚が、
 ようやく芽生え始めています」

「それは、危険でもある」

「はい」

 即答だった。

「判断に慣れていない者ほど、
 極端に振れます」

「なら、どうする?」

「揺れ幅を、観測します」

 淡々とした声音。

「止めません。
 ただし、逸脱した瞬間に、線を引く」

 それは、厳しくもあり、
 誠実なやり方だった。

 夜、エルゼリアは書類を閉じ、
 ふと、過去を思い返す。

 王宮で感じていた違和感。
 決まらない会議。
 責任を避ける空気。

 ――あの場所では、
 違和感を言語化することすら、
 許されなかった。

 だが今、
 その違和感が、王宮自身の中から生まれ始めている。

 それは、彼女にとって、
 どこか皮肉で、
 同時に、救いでもあった。

「……遅すぎる、なんてことはない」

 小さく呟き、灯りを落とす。

 王宮は、違和感を覚え始めた。
 帝国は、それを見逃さない。

 この違和感が、
 変化になるのか、
 反発に変わるのか。

 分岐点は、近い。

 エルゼリア・クローヴェルは、
 静かに次の局面を見据えていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

婚約破棄を本当にありがとう

あんど もあ
ファンタジー
ラブラブな婚約者のパトリシアとラルフ。そんなパトリシアに、隣国の王立高等学院に留学しないかとのお誘いが。「私、もうこの国の王立学園を卒業してますよ?」「高等学園にはブライト博士がいるわよ」「行きます!」 当然、ラルフも付いて行くのだが、そこでパトリシアは王太子の婚約者と思われて……。

「では、ごきげんよう」と去った悪役令嬢は破滅すら置き去りにして

東雲れいな
恋愛
「悪役令嬢」と噂される伯爵令嬢・ローズ。王太子殿下の婚約者候補だというのに、ヒロインから王子を奪おうなんて野心はまるでありません。むしろ彼女は、“わたくしはわたくしらしく”と胸を張り、周囲の冷たい視線にも毅然と立ち向かいます。 破滅を甘受する覚悟すらあった彼女が、誇り高く戦い抜くとき、運命は大きく動きだす。

次代の希望 愛されなかった王太子妃の愛

Rj
恋愛
王子様と出会い結婚したグレイス侯爵令嬢はおとぎ話のように「幸せにくらしましたとさ」という結末を迎えられなかった。愛し合っていると思っていたアーサー王太子から結婚式の二日前に愛していないといわれ、表向きは仲睦まじい王太子夫妻だったがアーサーにはグレイス以外に愛する人がいた。次代の希望とよばれた王太子妃の物語。 全十二話。(全十一話で投稿したものに一話加えました。2/6変更)

妹の初恋は私の婚約者

あんど もあ
ファンタジー
卒業パーティーで、第一王子から婚約破棄を宣言されたカミーユ。王子が選んだのは、カミーユの妹ジョフロアだった。だが、ジョフロアには王子との婚約が許されない秘密があった。

【完結】この運命を受け入れましょうか

なか
恋愛
「君のようは妃は必要ない。ここで廃妃を宣言する」  自らの夫であるルーク陛下の言葉。  それに対して、ヴィオラ・カトレアは余裕に満ちた微笑みで答える。   「承知しました。受け入れましょう」  ヴィオラにはもう、ルークへの愛など残ってすらいない。  彼女が王妃として支えてきた献身の中で、平民生まれのリアという女性に入れ込んだルーク。  みっともなく、情けない彼に対して恋情など抱く事すら不快だ。  だが聖女の素養を持つリアを、ルークは寵愛する。  そして貴族達も、莫大な益を生み出す聖女を妃に仕立てるため……ヴィオラへと無実の罪を被せた。  あっけなく信じるルークに呆れつつも、ヴィオラに不安はなかった。  これからの顛末も、打開策も全て知っているからだ。  前世の記憶を持ち、ここが物語の世界だと知るヴィオラは……悲運な運命を受け入れて彼らに意趣返す。  ふりかかる不幸を全て覆して、幸せな人生を歩むため。     ◇◇◇◇◇  設定は甘め。  不安のない、さっくり読める物語を目指してます。  良ければ読んでくだされば、嬉しいです。

婚約者の幼馴染って、つまりは赤の他人でしょう?そんなにその人が大切なら、自分のお金で養えよ。貴方との婚約、破棄してあげるから、他

猿喰 森繁
恋愛
完結した短編まとめました。 大体1万文字以内なので、空いた時間に気楽に読んでもらえると嬉しいです。

「君を愛することはない」と言われたので、私も愛しません。次いきます。 〜婚約破棄はご褒美です!

放浪人
恋愛
【「愛さない」と言ったのはあなたです。私はもっとハイスペックな次(夫)と幸せになりますので、どうぞお構いなく!】 侯爵令嬢リディアは、建国記念舞踏会の最中に、婚約者である王太子レオンハルトから婚約破棄を宣言される。 「君を愛することはない!」という王太子の言葉は、国中に響く『公的拒絶誓約』となってしまった。 しかし、リディアは泣かなかった。 「承知しました。私も愛しません。次いきます」 彼女は即座に撤退し、その場で慰謝料請求と名誉回復の手続きを開始する。その潔さと有能さに目をつけたのは、国の行政を牛耳る『氷の宰相』アシュ・ヴァレンシュタインだった。 「私の政治的盾になれ。条件は『恋愛感情の禁止』と『嘘がつけない契約』だ」 利害の一致した二人は、愛のない契約結婚を結ぶ。 はずだったのだが――『嘘がつけない契約』のせいで、冷徹なはずの宰相の本音が暴走! 「君を失うのは非合理だ(=大好きだ)」「君は私の光だ(=愛してる)」 隠せない溺愛と、最強の夫婦による論理的で容赦のない『ざまぁ』。 一方、リディアを捨てた王太子は「愛さない誓約」の呪いに苦しみ、自滅していく。 これは、悪役令嬢と呼ばれた女が、嘘のない真実の愛を手に入れ、国中を巻き込んで幸せになるまでの物語。

拝啓、許婚様。私は貴方のことが大嫌いでした

結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
【ある日僕の元に許婚から恋文ではなく、婚約破棄の手紙が届けられた】 僕には子供の頃から決められている許婚がいた。けれどお互い特に相手のことが好きと言うわけでもなく、月に2度の『デート』と言う名目の顔合わせをするだけの間柄だった。そんなある日僕の元に許婚から手紙が届いた。そこに記されていた内容は婚約破棄を告げる内容だった。あまりにも理不尽な内容に不服を抱いた僕は、逆に彼女を遣り込める計画を立てて許婚の元へ向かった――。 ※他サイトでも投稿中

処理中です...