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12. どうぞ、と言ったのに
しおりを挟む先程までの震えと涙はどこへやら。
ヴァネッサ嬢は目を丸くしたまましばらく私を見つめると急に慌て始めた。
「い、いらない? どうでもいい? ナターリエ様は、な、何を言っているのですか?」
「何って、本当のことを言っただけですけど?」
ヴァネッサ嬢は信じられない! そんな表情になって声を荒らげてくる。
「ハインリヒ様は、ナターリエ様の結婚間近の婚約者なんですよね!? どうしてそんな酷いこと言えるんですか??」
「……」
その言葉に私は眉をしかめる。
ハインリヒ様もそうだったけれど、ヴァネッサ嬢も同じね?
二人ってすごくお似合いなんじゃないかしら?
「どうして、とは? ヴァネッサ様……あなたがそれを言うのですか?」
「え?」
私の声が低くなったからか、ヴァネッサ嬢がビクッと震える。
「ハインリヒ様はあなたと会うために私に嘘を吐き続けました。そして、そのことを問い詰めた私に言い訳として前世のことを話して来たのですよ?」
「……?」
ヴァネッサ嬢はそれが何? と言いたそうだ。
「その時の私の気持ちが分かります? 私の心は冷えました」
「冷え、て?」
「そうです。前世を言い訳にして自分のしたことを正当化しようとする不誠実な対応……私はハインリヒ様のことを何一つ信頼することが出来なくなりました」
ヴァネッサ嬢が、あ……と声を上げた。
「信頼すら出来ない───そんな相手と結婚生活が送れるとでも? そんなの愛情を必要としない政略結婚だとしてもごめんです」
「……ですけど! わたしたちが会っていたのは……ただお互い懐かしかっただけで──」
まだそれを言うのかと呆れた。
「いい加減にしてください!」
「……!?」
「何でもかんでも前世、前世……ハインリヒ様もヴァネッサ様も、前世が~と言えば何でも許されると思っていませんか?」
「まさか! そ、そんなことないですよ?」
ヴァネッサ嬢は否定するけれど、私は首を横に振る。
そう言われても信じられない。
「私にはあなたとハインリヒ様の前世の仲がどれだけ親密だったのかは分かりません。ですが、その関係をこうして現世にまで持ち込んだわけですから───」
私はそんなヴァネッサ嬢に向かってにっこり微笑むときっぱり告げる。
「ハインリヒ様……彼のことは、どうぞヴァネッサ様がお好きにしてくださいませ?」
「……え! わたしの好きに? だ、ダメよ……そ、そんなの……だって」
(ダメ? そんなの?)
ヴァネッサ嬢は大きく動揺して瞳が大きく揺れている。
その様子を見て私は思った。
ヴァネッサ嬢も私とハインリヒ様に結婚して欲しそうな様子なのよね、と。
「……何がダメ、なのかはよく分かりませんが、そういうことなので先程、お願いされた二人がこれからも会うこと……私は全く反対なんてしませんよ?」
嫉妬もしませんけど。
(むしろ、たくさん逢瀬を繰り返してくれた方が不貞の証拠になるものね)
「どうぞどうぞ! 私は邪魔などしませんのでハインリヒ様……いえ、アルミン? と、お幸せに」
「……っ!」
私はそれだけ言ってヴァネッサ嬢から離れる。
疲れたわ。今日はもうここまででいい。そう思って汗を拭う。
一方のヴァネッサ嬢は一瞬何かを言いかけては口を噤む。
その表情は何だかとても悔しそうに見えた。
(要らないからどうぞ? と言っているのにその悔しそうな顔はなに?)
ここは邪魔な私が身を引くなら、やったわ!
そうなる所ではないの?
(…………気持ち悪いわね)
ハインリヒ様もベルクマン侯爵夫妻もヴァネッサ嬢も……
いったい何を考えているの?
彼らの考えが分からなくて、とにかく気持ち悪い。
ただ、なんとなく……
ハインリヒ様と私が結婚することはそれぞれが望んでいるけれど、その先にある“思惑”は全員違う気がするのよね。
それぞれが抱いている思惑の結果が、ハインリヒ様と私が結婚すること、と一致しただけというか……だから余計に気持ち悪いと感じるのかも。
(あ、そうだわ)
「すみません……ヴァネッサ様」
「な、なんですか……?」
私はふと思い出したことを聞いてみようと歩みを止めて振り返る。
「前世のあなた───ヘンリエッテ王女には“婚約者”がいましたよね?」
「……! そ、それ、どうして……」
ヴァネッサ嬢は、まさかそんなことを聞かれるとは思っていなかったのか、かなり驚いていた。
私は無視をして質問を続ける。
「ヘンリエッテ王女はその方のこと……愛していましたか?」
「え? 愛?」
「そうです。それこそ“また運命が巡りあって逢いたい”と思えるほど愛していましたか?」
私のその質問にヴァネッサ嬢はすぐにこう答えた。
「もちろんです! だって婚約者だったんですから」
「…………そうですか。ありがとうございました。では、これで失礼しますね」
「え? あ……ナターリエ様……待っ」
ヴァネッサ嬢はそのまま歩き出して離れていく私を引き止めようとしていたけれど、私は振り向くことはしなかった。
ただ、何を言っているかまでは分からなかったけれど、遠ざかる私の背中に向かって何かを呟いていたことだけは感じた。
ヴァネッサ嬢から離れて歩きながら考えた。
(───婚約者だったんですから、ねぇ)
なんて言うか、通り一遍のことを口にしたようにしか感じられなかったわ。
なんとなくだけど、“ヴァネッサ嬢”が逢いたかったのは婚約者ではなく“アルミン”なのだろうなぁと私は強く感じた。
「ナターリエ!」
「お母様?」
あまりにも疲れたので飲み物でも飲んで一息つこうとしていた所に、お母様がやって来た。
「……見ていたわ。先程まで話していた令嬢がそうなのね?」
「はい」
お母様はヴァネッサ嬢に視線を向けると「お姫様……ねぇ?」と小さく呟いた。
「どうかしました?」
「いえ? 前世の記憶を持っている“お姫様”だと言うわりには……」
「言うわりには?」
うーん、と首を捻りながらお母様は言った。
「なんだか普通の女性ね、と思って」
「普通?」
「そう。“王族らしさ”を感じないと言うか……」
「……」
王族らしさ───……
それは私が思った違和感と同じかしら。
「まぁ、昔は昔。今は男爵令嬢として生きているのだからそういうものかもしれないわね」
「……」
お母様はそこで話を切り上げたけれど、その言葉は妙に私の頭の中に残り続けた。
その後、私がはっきりとハインリヒ様を要らないと言ったのに、逆に動揺されたことなどを報告し、改めてベルクマン侯爵家のことも調べた方がいいという結論を出した。
そこで、ふと思った疑問をお母様に聞いてみた。
「ねぇ、お母様」
「なに?」
「前世を思い出すきっかけは人それぞれだと思うのだけど……」
ハインリヒ様はヴァネッサ嬢に会って声をかけられた時と言っていた。
まぁ、ハインリヒ様の話を聞いた感じだと声をかけたと言うよりは思わず口から出ていたというニュアンスに聞こえたけれど。
なんであれ、ヴァネッサ嬢はそれよりもっと前に前世を思い出していたことになる。
「ヴァネッサ嬢はどうしてハインリヒ様を見て自分の前世の護衛騎士のアルミンだと感じだのだと思う? 顔でも似ていたのかしら?」
「そうねぇ……前世のことはあまり語りたがらない人も多いし、真偽がはっきりしないから何とも……」
やはり、前世に関することは分からないことばかりらしい。
「何より、前世の知り合いに会う確率が低すぎるものね」
「そういうこと。でも、その道の研究者の一説によると個人差はあるけれど、前世の記憶を思い出した人は自分の姿を見てどこかしら前世の姿を継承している、なんて口にするという話もあるそうよ?」
「へぇ……確かに瞳の色とか髪の色とかならありそうな話ね。でも、それはよほど特徴的でないと意味が無いけれど」
「そうなのよね」
お母様も苦笑した。
それにどんなに前世の自分の姿と似ている! と主張したところで残念ながらそれを立証する手立てはあまりない。
そうなると、ヴァネッサ嬢が思わず口に出すほどなのだから、ハインリヒ様はもしかしたらアルミンの姿を彷彿とさせるほど色濃く外見を継承しているのかもしれない。
また、ハインリヒ様が疑問に感じていないのだから、それはヴァネッサ嬢にも言えることだけれど。
(ヘンリエッテ王女の姿絵が残っていればいいのに……)
でも……改めて思うわ。
前世の記憶があっても、私たちが生きているのは“今”……
大切にすべきは“今”ではないの?
そう思ったらますます、ハインリヒ様に対して苛立ちを覚えた。
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