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30. 砕けたお姉様の野望
しおりを挟む「……腹痛」
私は小さく呟く。
“あの日”の事だったのか……と。
正直、あまり思い出したくない話ではあるけれど、記憶にある限りでは……あれはお姉様が珍しく私に優しくしてくれて、ご飯を分けてくれた。
だけど、そのすぐ後に急激な腹痛に見舞われた……
(お姉様も目の前で同じ物を食べていたから疑わなかったわ……)
そして、腹痛に苦しむ私の横で何故か話は私がお姉様のご飯を盗み食いした事になっていて──……
「ルチア、大丈夫か? そして、今の話は……」
あぁ、旦那様がまたしても心配そうな顔になってしまった。
私は安心して欲しくて笑顔を見せた。
「大丈夫です、いえ、大丈夫でした。命に関わるような事では無かったので! すぐに良くなりましたし」
「いや、ルチア……そういう事じゃなくて……」
旦那様が痛々しい表情で私にそう言いかけた時、それまでは全く動かず淡々と語るだけだったお兄様が初めてお姉様の方に身体を向けた。
「────リデル。あれはお前の仕業だったのか?」
「……っっ!」
お姉様の身体がビクッと大きく跳ねる。
「答えてくれ! あの時、お前は腹痛に苦しむルチアや皆の前で言っていたのは……」
そう。お姉様は苦しむ私を前にたくさん心配そうな様子を見せた後、最後にこう言った。
────でもね? 他人の物を取ったルチアも悪いのよ? バチが当たったのかもしれないわねぇ……可哀想。
朦朧としていたから意味はよく分からなかったけれど、私は悪い子でバチが当たった……そう思った事だけは覚えている。
「……俺たちはそれが……その言葉はルチアがリデルの食べ物を盗み食いした、と解釈した。実際、ルチアがリデルの食べ物を食べていた……という使用人の証言もあった」
「……」
「だから、俺たち……いや、俺はルチアを……なんて卑しい奴だと……」
「……」
お姉様は答えない。涙目で唇をギリギリと噛み締めたまま、こんな所で色々と暴露を始めたお兄様を恨めしそうに睨んでいる。
「……リデル。お前があの時に皆の前で言った“他人の物”……あれは、本当に食べ物の事だったのか? そもそも、ルチアは盗み食いなんてしていなかったんじゃないか?」
「……」
「今日のお前の姿を見るまでは、疑問にも思わなかった…………だが、もしかして本当は、あれは……ルチアのあの腹痛はお前が故意に……」
お兄様の中での葛藤が見て取れた。
ずっと可愛い妹だと思っていたお姉様の本性を見て相当困惑したのだと思う。
それにお兄様は殆どを領地で過ごしていたから、大人になってからの私とお姉様の様子は殆ど知らない。
そう言えば、お兄様が語りだしてから、ずっと静かだったわね、と思いお父様とお母様の方を見ると、二人は完全に茫然自失状態だった。
「うるさいわよ、お兄様! 何で! 何でこんな所で余計な事を喋ったのよ!! 全部、ぜーんぶ、ルチアが悪いに決まってるじゃない! だってルチアが私より…………だなんて許せない! だから、あの時もちょっと下剤を混ぜ込んだ食べ物を与えただけよ! 毒じゃないのよ? だから、すぐに治ったでしょ!?」
お姉様は見苦しい言い訳をしていた。
毒じゃなければいい? そんなはずないのに。
「───そこまでだ。そのうるさい口を慎め、スティスラド伯爵令嬢!」
「殿っ……!?」
殿下がこれ以上は見苦しくて聞いていられないとばかりに止めに入った。
「妹を長年虐げて来た理由が、どんな理由かと思えば……なんて浅はかで短慮な嫉妬…………スティスラド伯爵令嬢、君は昔から何一つ変わらないのだな」
「……なっ」
「すでにこちらでも、色々と調べてはあったが、今日は君がどんな人なのかよく分かったよ」
「お、王太子妃……」
この期に及んでお姉様は、まだその言葉を口にした。
その様子には誰もが驚き、その執念に怖さも覚える。
「すごいな。まだそれを口に出来るのか。王太子妃……君ほど相応しくない人はいないだろう。おかげでそう確信したよ」
「そんな……」
「もう一度言う。スティスラド伯爵令嬢リデル。君が王太子妃に選ばれる事は絶対に無い!」
「あ……」
殿下のその言葉にお姉様はその場に力なく崩れた。
「……さて、そこで放心しているだけの伯爵夫妻は置いておいて、スティスラド伯爵令息カイリ。君に聞きたい」
「…………はい」
「今、この場でこの話をしたのは何故だ? 両親と共に可愛がっていたであろう妹を売ってまで、可愛いとも思っていなかった妹に擦り寄ったのは、せめて自分だけは罪を軽くして欲しいという嘆願か?」
殿下のその言葉にお兄様は静かに答えた。
「……どう受け取ってくれても構いません。ただ、今日……様子のおかしなリデルの姿と、これまで見た事もなかったルチアのその姿を見て、これまで自分の信じていたものが何だったのか知りたくなった。それに……」
「……それに?」
「まさか、これがリデルの本性なら、それをちゃんと皆に知ってもらうべきだと……だけど、リデルの性格を思うと、こうでもしなければ絶対に殿下の前でも皆の前でも口を割らない、そう思いました」
「……確かにな。身内からの裏切りという暴露は相当堪えているはずだ」
被っていた猫は剥がれ、自慢の美貌は“醜い”と一蹴され、兄により過去の失恋を公の場でバラされ、そしてずっとずっと夢を見ていた王太子妃になる道も絶たれたお姉様。
今、この場で負ったダメージは相当だと思う。
「しかし……嘘でもルチア嬢の為、とは言わないのだな」
「そう口にした所で……これまでの自分がルチアにしてきた事は帳消しにはなりません。俺も両親やリデルと同じ罪を負うべき人間です」
「……まぁ、その通りだろうな。その辺は我々が口を出す事では無いので、天……ルチア嬢に対しては謝罪でも懺悔でも後で好きに裏でやってくれ」
「…………はい」
「では、スティスラド伯爵家の者達を……」
殿下が、お兄様を連れて放心状態のお父様とお母様、絶望状態のお姉様を取り調べる為に別室に連れて行こうとした時だった。
「……はっ! ま、待ってくれ! カイリ殿」
「旦那様?」
旦那様が何故か鬼気迫る表情でお兄様を引き止める。
───トゥマサール公爵令息は、愛する妻の兄に何をする気だ!? やはり許せないのだな……
会場内がそんな空気に包まれる。
「何でしょうか? 話なら……」
「いや、後では困る! どうしても今すぐ確認しておきたい! いや、おかなくてはダメだ!」
「……?」
困惑するお兄様に向かって旦那様は言った。
「───ルチアのこの可愛らしさと美しさを幼い頃から見抜いていたという、その幼馴染の男は、今……何処でどうしているんだ!」
───あっ!
私も含めて会場中が同じ空気に包まれた。
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