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「……いつ」
「昨日です」
「この……っ」
馬鹿が。という暴言を、なんとかぐっと堪え、ベイジルがこぶしを握る。
「変な誤解をされないためにも、早く止めないとっ」
「早馬に頼みましたので、今から追いつくのは不可能かと」
「……くそっ! 直接屋敷に赴いて、モンテス伯爵と父上に話をしないとならなくなったじゃないか!」
がしがし。ベイジルが苛ついたように頭を掻きむしり、クラリッサを指差した。
「いいか。ぼくの幸せを願うなら、ぼくが浮気していたこと、モンテス伯爵や父上に言わず、手紙はきみの誤解だったと弁明しろ。すぐに屋敷に戻って使用人たちに準備をさせないと──くそっ。もう王都の城門が閉まる時間じゃないか。なんでもっと早く言わなかった!!」
「すみません」
「ああ、もう! 明日、朝一で出発するから、城門が開く少し前にぼくの屋敷に来い。きみだけじゃ不安だから、ぼくも一緒に行ってやる! 感謝しろ!」
「わかりました」
クラリッサの返答に舌打ちしながら、ベイジルは喫茶店を後にした。その背が完全に見えなくなってから、クラリッサはネリーに顔を向けた。
「どうしました? 顔色が悪いようですが」
「……だ、だって……あんなベイジル様、はじめてで……いつも紳士的で、優しくて……それがあたしの知るベイジル様で……」
「そうですね。わたしも最初はそう思っていました」
「……あれが、ベイジル様の本性なのですか? あんな身勝手で、高圧的な……紳士とはほど遠い」
「どうなのでしょうね。でもね、ネリーさん。わたしと交わした約束、覚えていますよね?」
ショックから思考が停止しているネリーが、なんのことだと首を捻る。
「……えと」
「あなたがベイジルと婚約すれば、慰謝料は請求しない。契約書にも、サインしてくれましたよね?」
はっとしたように、ネリーの顔から血の気が引いていく。
「ま、待ってください。だって、ベイジル様があんな方だったなんて、あたし、知らなくて……っ」
「たとえそうでも、ベイジルがわたしの婚約者だということはご存知でしたよね? それを知りながら、あなたはベイジルと不貞行為をした。それは責められるべき行いではないですか?」
「そ、れは……でも、最初に声をかけてきたのはベイジル様です! それだけは信じてください!」
誘いに乗った時点で同罪だろう。思ったが、それは口には出さなかった。時間が惜しかったから。
「この議論は、移動中にしましょう。わたしの実家まで、王都から一週間はかかりますから」
「……え?」
「あなたに慰謝料を請求しない条件として、もう一つ提示してあったはずです。ベイジルとの不貞行為を認め、必要ならそれを証言すると」
「そ、それって……モンテス伯爵とロペス伯爵の前で、ベイジル様との浮気を自ら証言しろってことですか……?」
ネリーはその光景を思い浮かべたのか、カタカタと身体を震わせはじめた。
「なにを今さら。ベイジルと一緒になるためならなんでもしますと言い切ったのはあなたじゃないですか」
「……こ、こんなことになるなんて思ってなかったから。クラリッサ様があたしたちを祝福してくれたから、きっとみんなもそうだって……」
どうにもおめでたい頭の持ち主のようだが、そのおかげであのような──浮かれていたとはいえ──条件を吞んでくれたのだから、いまは感謝すべきなのだろう。
はあ。クラリッサは深く、深くため息をついた。
「学園生活は続きますし、これからもベイジルと顔を合わせる機会はあるでしょうから、本当はわたしも、穏便に事を進めたかったのですが……」
異常にプライドも自己評価も高いベイジルを持ち上げ、あくまであなたの幸せのために身を引くのだと。本来請求するはずの慰謝料もいらないと言えば納得するだろうと考えていたが、甘かった。これでも最大限、譲歩したはずだったのに。
(不貞行為も認めたうえで、まだあんなに偉そうな態度をとるなんて、流石に予想していなかった……)
これはもう、手に負えない。逆恨みされようと、周りを巻き込むしかない。けれど外面が良いベイジルの本性を、はたして父たちに信じてもらえるだろうか。不安だったが、でもこのチャンスを逃したくなくて、とにかくクラリッサは必死だった。
「移動の準備はできています。あなたの屋敷へは使いを出しておきますから、ご心配なく。さあ、行きましょう。早く出立しないと、城門が閉まってしまいますからね」
「……あ、あたし、まだ混乱してて」
「混乱など、馬車内でいくらでもできますよ」
クラリッサはネリーの手を取り、少々強引に引っ張った。探偵からもらった調査報告書の写しはそれぞれの家に、手紙と共に送ったが、それでもまだ安心はできない。
駄目押しがほしい。それが、ネリーの存在と証言だった。嬉しい誤算だが、ベイジルはネリーの前で、本性を垣間見せてくれた。不貞行為と共に、それも父たちの前で証言してほしかった。
「予定通り、お父様のお屋敷に向かってください」
個室から出ると、クラリッサは控えていたお目付役の男にそう告げた。先に話を通していたのだろう。かしこまりました、と真剣な表情で男が頷く。
喫茶店近くに停まっていた馬車にクラリッサとネリーが乗り込むと、馬車はゆっくりと動き出した。王都の出入り口の、城門へと向かう。
窓から周りを確認する。ベイジルの姿がないことにひとまず安堵し、ほうっと息をつくクラリッサ。前に座るネリーは、膝の上に置いたこぶしを震えさせていた。
「……なんで、こんなこと……あたしはただ、幸せになりたかっただけなのに……クラリッサ様の嘘つきぃ……」
しまいには、ボロボロと涙を流しはじめた。自分には一切、非がない。その思考回路はベイジルと似ているなと、クラリッサは呆れてしまった。
「昨日です」
「この……っ」
馬鹿が。という暴言を、なんとかぐっと堪え、ベイジルがこぶしを握る。
「変な誤解をされないためにも、早く止めないとっ」
「早馬に頼みましたので、今から追いつくのは不可能かと」
「……くそっ! 直接屋敷に赴いて、モンテス伯爵と父上に話をしないとならなくなったじゃないか!」
がしがし。ベイジルが苛ついたように頭を掻きむしり、クラリッサを指差した。
「いいか。ぼくの幸せを願うなら、ぼくが浮気していたこと、モンテス伯爵や父上に言わず、手紙はきみの誤解だったと弁明しろ。すぐに屋敷に戻って使用人たちに準備をさせないと──くそっ。もう王都の城門が閉まる時間じゃないか。なんでもっと早く言わなかった!!」
「すみません」
「ああ、もう! 明日、朝一で出発するから、城門が開く少し前にぼくの屋敷に来い。きみだけじゃ不安だから、ぼくも一緒に行ってやる! 感謝しろ!」
「わかりました」
クラリッサの返答に舌打ちしながら、ベイジルは喫茶店を後にした。その背が完全に見えなくなってから、クラリッサはネリーに顔を向けた。
「どうしました? 顔色が悪いようですが」
「……だ、だって……あんなベイジル様、はじめてで……いつも紳士的で、優しくて……それがあたしの知るベイジル様で……」
「そうですね。わたしも最初はそう思っていました」
「……あれが、ベイジル様の本性なのですか? あんな身勝手で、高圧的な……紳士とはほど遠い」
「どうなのでしょうね。でもね、ネリーさん。わたしと交わした約束、覚えていますよね?」
ショックから思考が停止しているネリーが、なんのことだと首を捻る。
「……えと」
「あなたがベイジルと婚約すれば、慰謝料は請求しない。契約書にも、サインしてくれましたよね?」
はっとしたように、ネリーの顔から血の気が引いていく。
「ま、待ってください。だって、ベイジル様があんな方だったなんて、あたし、知らなくて……っ」
「たとえそうでも、ベイジルがわたしの婚約者だということはご存知でしたよね? それを知りながら、あなたはベイジルと不貞行為をした。それは責められるべき行いではないですか?」
「そ、れは……でも、最初に声をかけてきたのはベイジル様です! それだけは信じてください!」
誘いに乗った時点で同罪だろう。思ったが、それは口には出さなかった。時間が惜しかったから。
「この議論は、移動中にしましょう。わたしの実家まで、王都から一週間はかかりますから」
「……え?」
「あなたに慰謝料を請求しない条件として、もう一つ提示してあったはずです。ベイジルとの不貞行為を認め、必要ならそれを証言すると」
「そ、それって……モンテス伯爵とロペス伯爵の前で、ベイジル様との浮気を自ら証言しろってことですか……?」
ネリーはその光景を思い浮かべたのか、カタカタと身体を震わせはじめた。
「なにを今さら。ベイジルと一緒になるためならなんでもしますと言い切ったのはあなたじゃないですか」
「……こ、こんなことになるなんて思ってなかったから。クラリッサ様があたしたちを祝福してくれたから、きっとみんなもそうだって……」
どうにもおめでたい頭の持ち主のようだが、そのおかげであのような──浮かれていたとはいえ──条件を吞んでくれたのだから、いまは感謝すべきなのだろう。
はあ。クラリッサは深く、深くため息をついた。
「学園生活は続きますし、これからもベイジルと顔を合わせる機会はあるでしょうから、本当はわたしも、穏便に事を進めたかったのですが……」
異常にプライドも自己評価も高いベイジルを持ち上げ、あくまであなたの幸せのために身を引くのだと。本来請求するはずの慰謝料もいらないと言えば納得するだろうと考えていたが、甘かった。これでも最大限、譲歩したはずだったのに。
(不貞行為も認めたうえで、まだあんなに偉そうな態度をとるなんて、流石に予想していなかった……)
これはもう、手に負えない。逆恨みされようと、周りを巻き込むしかない。けれど外面が良いベイジルの本性を、はたして父たちに信じてもらえるだろうか。不安だったが、でもこのチャンスを逃したくなくて、とにかくクラリッサは必死だった。
「移動の準備はできています。あなたの屋敷へは使いを出しておきますから、ご心配なく。さあ、行きましょう。早く出立しないと、城門が閉まってしまいますからね」
「……あ、あたし、まだ混乱してて」
「混乱など、馬車内でいくらでもできますよ」
クラリッサはネリーの手を取り、少々強引に引っ張った。探偵からもらった調査報告書の写しはそれぞれの家に、手紙と共に送ったが、それでもまだ安心はできない。
駄目押しがほしい。それが、ネリーの存在と証言だった。嬉しい誤算だが、ベイジルはネリーの前で、本性を垣間見せてくれた。不貞行為と共に、それも父たちの前で証言してほしかった。
「予定通り、お父様のお屋敷に向かってください」
個室から出ると、クラリッサは控えていたお目付役の男にそう告げた。先に話を通していたのだろう。かしこまりました、と真剣な表情で男が頷く。
喫茶店近くに停まっていた馬車にクラリッサとネリーが乗り込むと、馬車はゆっくりと動き出した。王都の出入り口の、城門へと向かう。
窓から周りを確認する。ベイジルの姿がないことにひとまず安堵し、ほうっと息をつくクラリッサ。前に座るネリーは、膝の上に置いたこぶしを震えさせていた。
「……なんで、こんなこと……あたしはただ、幸せになりたかっただけなのに……クラリッサ様の嘘つきぃ……」
しまいには、ボロボロと涙を流しはじめた。自分には一切、非がない。その思考回路はベイジルと似ているなと、クラリッサは呆れてしまった。
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