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属国の姫は皇帝に虐められたい

侵入者

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 数日は、穏やかな日々だった。
 私はいつもと変わらず、部屋で本を読んだりルルと話をしたり、帝国の歴史について学んだりして過ごしていた。

 けれど、夜も朝も一人きり。

 ジークハルト様のいない日々は、急に色彩を欠いて見えた。

 食事も、お茶も、お菓子も、砂を噛むようだった。

 今までを思えば、必要以上に満たされているのに。
 今まで、――そんな風に思ったことは今まで一度もなかったのに。

 寂しい。

 一人寝のベッドの中で、温もりを思い出すようにシーツを辿る。

 今まで胸をときめかせながら読んでいた趣味の艶本の数々に目を通しても、どの物語に出てくる登場人物もジークハルト様の魅力に比べたら劣ってしまう。

 名前を呼んで欲しい。抱きしめて欲しい。――触れて欲しい。

 気持ちを強く持たなければと思うのに、気を抜くとじんわりと涙が滲んできてしまう。

 まだ出立して数日、音沙汰がないのは当たり前だ。
 それでも、不安で仕方ない。無事を祈ることしかできないのが、歯がゆかった。

 そうして、幾日か過ぎた昼下がり。
 いつもと同じように部屋のリビングで後宮の図書室からルルに持ってきてもらった歴史書に目を通していると、部屋の外が何やら騒がしい気がした。

 なにかしら、と思って、私は立ち上がる。
 入り口の扉に近づき開こうとすると、外から声が聞こえた。

「来ては駄目です……!」

 ルルの声だ。
 なにか、良くないことが起こっている。
 背筋にぞわりと悪寒が走った。全身の血液が凍るようだった。

 ーールルに、何かあったら。

 わかっている。
 部屋に籠り、隠れているのが最善だということぐらい。

 けれど、私はーー

「ルル……!」

 扉を勢いよく開いた。
 そこには、短剣を手にしているルルの腕を捻り上げる、見たことのない男の姿があった。

 黒く艶のある長い髪に、美しい顔立ちはどことなくジークハルト様に似ている。

 薄灰色の瞳に、細身の体。
 その唇には酷薄な笑みが浮かんでいた。

「ルルを離しなさい!」

 つまりそうになる声を振り絞り、私はなるだけ大きな声で言った。

 男はじろりと、まるで値踏みするように私を見て、嬉しそうに目を細める。

「姫君だね。噂通り、美しい」

 男は、ルルの顔を無造作に壁へと叩きつけた。
 私は喉の奥で悲鳴をあげる。

 いつも綺麗に整えられているルルの髪が乱れている。ルルは呻き声も上げずに、男を睨みつけた。
 ばたばたと足音が聞こえる。
 侍女の方々が異変に気付いて駆けつけようとしている。

 けれど、男がルルの手から抜き取った短剣をルルの首筋に突きつけるのを見て、足を止めた。

 私も、侍女たちも、動くことができず、ルルの頭がぎちぎちと壁に押し付けられるのを見ていることしかできない。

「ルルを離して……っ、酷いことをしないで……!」

 私は震える声で言った。

 ルルをーー失ったら。

 恐怖で体がすくむ。脚が震えて、座り込みそうになる。
 朧げだった記憶が、不意に蘇ってくる。

 乳母は、私の前で強引に兵士たちに連れて行かれた。

 最後まで気丈に微笑み「ティア様、大丈夫です。いつか素敵な王子様が、あなたを助けに来ます……!」と言っていた。

「姫君が大人しく僕に従うというのなら、この女は離してあげるよ」

「ティア様、駄目です! 逃げてください……! アルケイド様の元に……!」

 ルルの言葉を遮るように、頭が壁へと叩きつけられる。

 叩きつけられた拍子に浅く首が切れたのか、ルルの細い首筋に赤い筋がついた。
 私は首を振る。溜まっていた涙が散った。

「私は、どうなっても構いません。ルルを離してください!」

「ティア様、駄目です……!」

「黙っていろ、女。姫君は素直で良い子だね。共に来るなら、悪いようにはしない。ほら、おいで」

 私は促されるまま、男に近づいた。
 男はルルを解放する代わりに私の腕を掴み、今度は私の首筋に短剣をあてた。

「姫君を傷つけられたくなければ、動くんじゃない。さぁ、姫君。お別れの挨拶をしよう」

 男に引きずられるようにして、私は後宮の入り口へと歩く。

 ルルや侍女たちの私を呼ぶ声が、耳に響く。
 私はーールルを振り返り、微笑んだ。

「私は、大丈夫です。心配ありません」

 大丈夫、怖くない。

 誰かが傷つくのはこわいけれど、私が傷つくのは、こわくない。

 私はこういったことは、得意な筈だ。
 だから、大丈夫。

「健気で愛らしいね、姫君。……シュダ、帰るよ」

 後宮の入り口の回廊の前に、黒いローブを着た男が立っている。

 男の前には薄い膜のようなものがはられ、後宮と城をつなぐ回廊を断絶していた。
 アルケイド様や兵士の方々の姿が、膜の向こうに見える。

「ティア様!」

 アルケイド様が私の姿を見て、目を見開いた。
 薄膜に手を伸ばし、触れる。

 膜に触れた途端に青い炎が手を包み、アルケイド様は苦しげに眉を寄せてうめいた。

「やめておけ、アルケイド。手が焼け焦げて、使い物にならなくなる。目的は果たしたから、もう帰るよ。それではね」

「クレスト……! ティア様を離せ、その方は陛下の大切な……っ」

「リュシーヌの女を正妃に? ジークハルトは血迷っているよ。大人しい姫君だけれど、傾国の美姫とでもいうのかな。リュシーヌの女なんて、玩具にしかならないのに」

「黙れ、クレスト! ティア様を愚弄するな!」

「帰るよ、シュダ」

 黒いローブの方は、軽く会釈をした。
 私たちの足元に、薄紫に輝く魔法陣が現れる。

 強く光った瞬間、私の体は眩暈がするような浮遊感に襲われた。
 
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