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 レオン様と共に礼拝堂に向かい、朝の礼拝をすませた。
 一緒に礼拝をしたいわけではなかったけれど、レオン様が教会に行きたいと言うのだから仕方ない。クロノス様の慈愛は王国民全てにそそがれているので、私がレオン様を拒否するわけにはいかない。

「アリスベル、毎日教会に来ているのか?」

 両手を組んで共にクロノス様に祈りを捧げた後、レオン様に問われる。
 レオン様が私に話しかけてくるのが珍しかったので、私はついその顔をじっと見上げてしまった。
 レオン様は口元を押さえて視線を逸らした。

「はい。可能な限りは、毎日。でも時々、寝過ごしてしまうこともありますの。そんな時は、自室でお祈りを済ませておりますわ。クロノス様はきっと許してくださるとは思いますけれど、お恥ずかしい限りです」

「……俺の母親は、王国にはフェンリル様がいないと言って嘆いていたな。リンドブルム獣王国に帰りたいというのが、口癖だった。父は母のために、フェンリルの像も教会に建てるというが、少々甘やかしすぎているような気がする」

「それだけ、王妃様を愛しているのでしょう。魔族や半獣族の方々も王国には住んでいますから、良いことだと思います」

「アリスベルはクロノスを信仰してるんだろう? 気にはならないのか?」

「えぇ、特には。教会に足を運ぶ方々が増えるのは、喜ばしいことです。クロノス様もフェンリル様も、ホルス様も、苦しみ悩む人々の拠り所になりますわ。それがなんであれ、寄る辺があるというのは心強いことです」

『そうかもしれないわねぇ……』

 マリアンヌがしみじみと呟いた。
 クロノス様は幼い頃からずっと私の心の支えだった。そして今は、クロノス様の御使であるマリアンヌが私を支えてくれている。
 勿論、頼ってばかりではいけないことは分かっている。けれど、彼女がとても大きな存在であることは間違いない。

「……そうか。……本当は俺が君を支えなければいけなかったのに、……ごめん」

 レオン様の耳がまた垂れている。
 そんなに落ち込まなくても良いのに、一体レオン様はお兄様に何を言われたのだろう。
 レオン様の目尻にじわじわと涙が滲んでいる。私は慌ててハンカチを取り出すと、滲んだ涙を拭き取って差し上げた。ついでに背伸びをして、垂れた耳ごと軽く頭を撫でる。
 私はもう大丈夫なのに、まるで別人のように自信を失っているレオン様が心配だ。
 レオン様は目を見開いて私を見下ろした後、分かりやすく頬を赤く染めた。

『か、かわいいわね……、なんなのこいつ、ずるいじゃない……っ』

 なるほど、これは可愛いという気持ち、なのかもしれない。
 レオン様に触れてしまった手を急いで離すと、私は一歩後ろに下がった。
 熱の篭った瞳が食い入るように私を見ている。それは朝の静寂な教会には似つかわしくない激しい感情が秘められているような気がした。

「アリスベル……、最低な俺に、なんて君は優しいんだ……。どうして俺は、こうなる前に気づかなかったんだ?」

 逃げようとした私の手を、レオン様が握る。
 手を引かれると簡単に抱きこまれてしまった。
 しなやかで硬いレオン様の体の感触が、体温が、服越しに伝わってくる。

(ぅああああ……っ)

『ぎゃああああ!』  
 
 私とマリアンヌの叫び声が見事に重なった。
 頭の中でだけれど、本当に声を発していたらきっと教会中に響き渡って建物が揺れていたかもしれない。

「ななな、何を、なさいますの……っ、レオン様、レオン様……っ」

 混乱した私は、動揺に声を震わせながらレオン様の腕の中で身を竦ませる。
 この状況は一体。
 何で、どうして、こんな状態になってしまったんだろう。
 私はレオン様と穏やかに会話をしていただけのつもりだったのに、落ち込むレオン様が可愛いなとちょっと思っただけなのに、それがいけなかったのだろうか。
 クロノス様の御前でこんなふしだらな姿を晒してしまうなんて、私はなんて罪深いのだろう。
 もう、お嫁に行けない。

『落ち着きなさいアリスっ、婚約者はそこのレオンよ!』

 それもそうね。
 婚約者なのだから、抱きしめられても別に構わないのかしら。
 ……いや、ちょっと待って。私は婚約破棄される予定なのだから、やっぱり駄目だ。

「アリスベル……、教えて欲しい。……オスカーと、何かあったのか?」

 私を腕に閉じ込めたままのレオン様の、小さく掠れた声が耳に響く。
 予想外の名前を言われて、私はびくりと体を震わせた。
 どうしてここでオスカー様の名前が出てくるんだろう、確かに今日会いに行こうとしていたけれど、それはレオン様は知らないはずだ。

「……オスカー様?」

 何かあったといえばあったし、何もないといえば何もない。
 少しだけ、個人的にお話をした。そして私はその短い邂逅にとても元気づけられた。
 けれどオスカー様は立場を弁えている方なので、私が会いにいかなければ、それ以上のことは何も起こらないだろう。
 今はただの、知人。できればもう少しお話をしてみたいと思っているけれど。

「あぁ。さっき……、アリスベルの独り言が聞こえた。オスカーの名前を呼んでいただろ?」

『聞こえるの、あの距離で? 大きな耳は飾りじゃないのね……、赤頭巾の声がよく聞こえるように狼だって耳が大きいんだものねぇ』

 確かにレオン様の耳は狼のそれに似ている。半獣族の方々は五感も鋭いとは聞いたことがあるけれど、本当らしい。
 耳も鼻も目も、私たちよりずっと発達してるのだという。もしかしたらティグレ様は、それでシャルルの居場所がすぐにわかるのかも知れない。
 そんなことをぼんやり考えていた私は、背中に大きな掌の感触を感じてはくはくと口を動かした。
 だ、抱きしめられているわ。どうしよう、さっきよりもずっと力が強い。
 レオン様の顔なんて見たくないと思っていたのに、胸が高鳴る。体温が上昇するのがわかる。
 私はなんて節操のない、はしたない女なのだろう。オスカー様のことを考えていたのに、レオン様に抱きしめられてどきどきしてしまうだなんてどうかしている。

『どうもしてないわよぉ、大丈夫よアリス、気をしっかり持ちなさい。あんたは、花よ! 男は蝶! 花に群がって当然なのよ、そういう強い気持ちで、是非奪い合いをされちゃいなさいよぉ! 良いわぁ……、あたしのアリスが男たちに奪い合われる世界……、とても良いわ……、嫉妬するレオンとか、良いじゃない……、お酒がすすんじゃうわよ』

 何もよくないわ。私は窮地だと思うの、マリアンヌ。
 
『浮気をみつかった駄目男みたいな反応してんじゃないわよぉ。もう少し免疫をつけなさい、レオンに抱きしめられてそんなに動揺してるようじゃ、グレイ先生相手にしたらあんた死ぬわよ』

 それは昨日も言われた気がする。
 マリアンヌにそこまで言わせるグレイ先生、怖い。一体グレイ先生に近づいたら何が起こるというのだろう。

「レオン様……、オスカー様はコゼットやレオン様のことで落ち込んでいた私を励ましてくださったの。とても良い方だと思っておりますわ」

「あのオスカーが? 堅苦しい男だとばかり思っていたが」

「はい。とても優しい方ですわ。……レオン様、離してくださいまし。……私、もう行かないと」

 レオン様の腕の中で、私は軽く身動いだ。
 腕の力が緩んだ隙に、レオン様の腕の中から何とか抜け出した。まだ何か言いたげなレオン様にお辞儀をすると、私は教会から逃げ出した。
 まさしく文字通り、走って逃げ出したのである。
 マリアンヌは大丈夫だというけれど、やっぱり大丈夫じゃない。
 抱きしめられた感触が体に残っていて、どうしようもなく恥ずかしい。同時に腹立たしいと思う。もっと前に、こんなことになる前にそういった振る舞いをしてくださったら私も素直に受け入れられたのかもしれないのに。
 今はどうしても、心からそれを嬉しいとは思えなかった。
 この胸の苦しさは、何ともいえない閉塞感は正しいのだろうか。どうしたら良いのだろう、私は。
 マリアンヌは『良いわぁ、青春ねぇ……、白米何杯でもいけるわね』と言ったっきり黙り込んでしまった。
 きっと自分で考えろということなのだろう。

 教室に入ると、私の両隣の席にシャルルとコゼットが座って、二人に挟まれる形になった。
 コゼットの「昨日は地底蛸がいなかったんですぅ、私が乱獲したせいでしょうか……」という話に、「どんだけ食べたのよ、コゼット」とシャルルが呆れたように返事をしていた。
 私はレオン様のせいで上の空になってしまい、二人の話を聞いているだけだった。
 シャルルとの会話でも普段からそういうことが多いため、明るいコゼットが加わると益々その傾向が強くなってしまったけれど、二人ともあまり気にしていないようだった。

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