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 クロード先輩はハッとしたように唐突に目を見開くと、私とオスカー様の顔を交互に見る。
 それから慌てた様子でわたわたと手をふった。大きな体なのに妙に可愛らしい仕草だった。

「悪い! 喋り過ぎた。俺は男女の事は苦手で、要するに鈍感だと良く言われる。せっかくオスカーに会いにきたのに、邪魔をしちまったな……!」

「い、いえ、そんな……!」

 妙な気の使われ方をされていることに気づき、私は顔に熱が集まるのがわかる。
 両手で頬をおさえる私を、クロード先輩はニヤニヤしながら見下ろした。

「オスカーは堅苦しいが良いやつだから、よろしくな、アリスベル。しかしまぁ、なんだ、アリスベルをオスカーが気にする気持ちは分からなくもないな」

「……余計なことを言うな。……クロード、邪魔だと気づいたのなら、早急に立ち去ることを提案する」

 オスカー様は不機嫌そうに眉間に皺を寄せている。
 クロード先輩は大仰に肩を竦めてみせた。

「おお怖い。じゃ、俺は帰るわ。さっきの書類、目を通しておいてくれ。書類は苦手なんだ、肩が凝る」

「了解した」

「それじゃあな、オスカー。アリスベルも、またな!」

 クロード先輩は簡単な挨拶をすませると、去り際に私の頭をぐりぐりと撫でて、騎士訓練所から出て行った。
 男性の方に頭を撫でられたことなど無かった私は、男性の方に限らず頭を撫でられた経験なんて思い出せないのできっとないのだろうけれど、驚いてクロード先輩が去って行った扉をしばらく見つめていた。
 女性の体に不用意に触るなど褒められるべきことではないのだけれど、あまりに自然だった。その上、なんのいやらしさも感じられず、嫌悪感も恥ずかしさもまるでない。クロード先輩が女生徒に人気があるという話は、かなり信憑性がある。
 快活で爽やかな方という印象なのに、もしかしたらクロード先輩はかなり罪深いのではないのだろうか。

「……アリスベル様」

 低い声で呼ばれて、私は扉から視線を外して振り向いた。
 オスカー様は小さく溜息をついた後、「何か用事でしたか?」と尋ねた。不機嫌そうだった表情が、若干穏やかなものへと変わっている。オスカー様は常時不機嫌そうに見えなくもないので、その変化はほんの些細なものなのだけれど。

「あの、……クロード先輩と何かお話があったのではないですか? 邪魔なのは、私の方だったのではないでしょうか?」

「クロードが言っていたように、始末書を届けにきただけですので、問題ありません。始末書というか、謝罪文というか……、あれは見た目の通り血の気が多いので、実技訓練場の調査を行う宮廷魔導師の護衛を任せたら、喧嘩をして実技訓練場の森の奥へと宮廷魔導師を置き去りにして戻ってきてしまったんです。向こうにも問題はあったんだとは思いますが、こちらはただの学生ですのでね、謝罪をする義務があるので、謝罪文を書かせた、という訳です」

「そうですの……、クロード先輩は明るくて優しい方という印象を受けましたわ。宮廷魔導士の方にも、問題のある方はいますのね」

「クロードは礼儀作法がまるでできていないので、腹を立てる者も多いでしょう。アリスベル様にあのような言葉遣いで……、私としても、思うところはありますよ」

「……私、嬉しかったですわ。親しみを持ってくださっているようで、……できれば、オスカー様にも、あのように気安く接していただきたいのですけれど」

「……善処します」

 オスカー様は視線をそらして、それだけを言った。
 照れているのだろうか、珍しく目元がやや赤い気がする。

『可愛いわねぇ、可愛いわねぇ……』

 胸の奥がふんわりするような、気がした。
 一体なんだろうと思ったのだが、マリアンヌの言葉で理解できた。可愛いという気持ちだろう。
 普段表情の硬い生真面目な男性が照れる姿というのは、可愛らしい。勿論シャルルのような見目の可愛らしい方が照れる姿は当然可愛いのだけれど、オスカー様のそんな様子は希少性も相まってとてつもなく可愛い。うん、可愛い。
 私はそんな感情をなるだけ表に出さないようにしながら、週末のお願いをすることにした。

「あの、オスカー様。今日はご相談があって、会いにきましたの」

「相談ですか。魔法の練習ですか?」

「えぇ、それもありますけれど、……王都の近郊の探索に、ご一緒して頂きたいと思いまして」

「それは、王都の街の探索……、ではなさそうですね。……まだ実技訓練をして間もないのに、実践に出かけるのは賛同しかねます。勿論、御身は私がお守りさせて頂きますが、それでも危険なことには変わりない。無謀を止めるのも、騎士としての私の役目かと」

「それでは、騎士ではなくて私の学園での友人として、お出かけに付き合ってくれませんか?」

 反対されるような気はしていたので、私は準備していた言葉を伝えた。
 騎士としてのオスカー様はとても生真面目で、曲がったことが許せない方だというのは短い付き合いだけれど、もうわかっている。
 オスカー様にとって私はアリスベル侯爵令嬢である。なるだけ危険から遠ざけようとするだろうし、守護の対象になるのだろう。
 例えば私がアリスベルではなくコゼットなら、オスカー様はおそらく引き留めたりはしないだろう。
 私としても迷惑はかけたくないけれど、侯爵令嬢でいる限り、出かけることができる日は来ないかもしれない。
 身勝手な我儘を言っているような気がして、説得する覚悟を決めてきたのに、途中声が小さくなってしまった。
 オスカー様は不機嫌なようにも、困っているようにも見える表情を浮かべた。

「友人、ですか……」

「い、嫌でしょうか……、私、オスカー様に良くして頂いて、調子に乗ってしまいましたわ。……ごめんなさい」

 確認するように友人という言葉を繰り返えされた。
 私は急に恥ずかしくなって、それと共に悲しくなって、俯く。
 オスカー様は私がレオン様の件で傷ついていたのを知っているから、放っておけなくて優しくしてくれていただけなのかもしれない。顔立ちは怖いが心根はとても優しい方だ。相手が私じゃなくて他の女性だったとしても、同じように接してくれていただろう。
 それなのに私ときたら、勘違いして、年齢も上で私と違って大人に近いオスカー様を友人などと言って、恥ずかしい。
 ふんわりしていた胸の奥が、締め付けられるように苦しい。
 暖かくて硬い、少しざらついた指先が私の髪へと触れた。

「……嫌なわけがありません。……私の方こそ、友人など、分不相応だと思いまして。……本当は、クロードを羨んでいました。友人なら、あなたに触れても良いのかと、髪を撫でても、許されるのかと」

「オスカー様……、……私がこうして、あなたに会いに来ること、迷惑では、ありませんの?」

「どうしてそう思われるのでしょうか。以前からアリスベル様は、そのような質問をなさいますが、迷惑などと思った事は一度もありません。……駄目だとは思いながらも、アリスベル様とこうして共に過ごせることを、喜んでしまっていますよ、私は」

「良かった……! 私も、オスカー様とこうして一緒にいると、とても安心しますのよ。先日も、ドラゴンから守って頂いて……、きちんとお礼もしていませんでしたわ。それなのに、また面倒なお願いをしに来てしまって、これではまるで傲慢で迷惑な貴族令嬢そのものですわね……」

 項垂れる私の髪を、オスカー様の大きな手が撫でる。
 クロード先輩に撫でられたときは驚いたけれど、特に何も感じなかったのに、今はなんだか落ち着かない。
 鼓動が早くなって、呼吸が苦しい。
 オスカー様は、女性に不用意に触る方ではない。私だけ特別扱いされている気がして、そう思うと余計に落ち着かない気持ちになった。
 恐る恐る顔をあげると、優しげな青色の瞳と目があった。

「私は、アリスベル様の我儘ならば全て叶えて差し上げたい。それぐらい、可愛らしいお願いだと、正直なところ思っていました。……立場を考えて駄目だと言わざるを得ませんでしたが、ただの友人としての私なら、是非、ご同行させて頂きたい。今週末の休みの一日目、土の日でご都合はいかがですか?」

「オスカー様はよろしいのですか? ご予定はありませんの?」

「私の予定など、あってないようなものですから。……アリスベル様が踏破できる程度の探索地について、調べておきます」

「私がお誘いしたのに、そこまでしていただくのは申し訳ないですわ……」

 コゼットからどこに行くのが良いのか聞こうと思っていたのだけれど、オスカー様は大丈夫だというように微笑んでくれた。

「私は戦うことぐらいしか、取り柄がありませんので。王国の地理や湧いている魔物については、人より詳しいと自負しています。どうぞ、気にせずにお任せください」

「何から何まで頼りきりで、申し訳ないです。……でも、私とても楽しみです」

「……そうですね。私も……、先の予定が待ち遠しいという経験は、生まれて初めてかもしれません」

「私もです。公務や義務以外でどこかに出かけるのは、幼い時以来です。オスカー様、ありがとうございます」

 オスカー様は私の髪を撫でていた手を離すと、軽くその手を握り込んだ。
 大きくて硬くて、皆を守ってくれる手のひらだ。私から触れたら、どんな感触がするのだろう。
 一瞬そんなことを考えてしまい、私はその思いを急いで打ち消した。
 自分から男性の方に触れるなどしてはいけない。
 触れられた髪にずっと手のひらの熱が残っているような気がした。

『うぅ……、尊いわぁ……、アリスちゃんがオスカー様と会うたびに私は致命傷よ……』

 静かに咽び泣くマリアンヌの声が聞こえたような気がしたけれど、その声はとても小さくて良く聞き取れなかった。


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