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 崩れた洞窟の入り口から、ずるりと青紫色の触手が這い出てくる。
 その一本一本が大木と同じぐらいの太さと、小さい家ならば丸ごと飲み込めてしまいそうな長さがある。
 洞窟を崩し破壊しながら、粘着質で弾力性のありそうな体に傷ひとつ作ることなく現れたのは、コゼットのいうとおり巨大タコとしか表現ができない物体だった。
 洞窟の中で見えた瞳は私の頭よりも大きくて、ずるずると蠢く触手の隙間から覗く本体は触手に比べれば小ぶりだけれど、よくあんな狭い洞窟の中におさまっていたと思えるぐらいの巨体だ。

「ほら、アリスベル様、巨大タコですよ! 地底蛸のお父さん!」

 地底蛸を純粋に巨大化したような見た目ではあるので、コゼットの主張も間違っていないような気がしてくる。
 レオン様が「魔物に家族はいない」ともう一度訂正してくれる。案外律儀だ。

「いーえ、絶対お父さんですぅ。洞窟の地底蛸を乱獲するから、怒って出てきたんですよぅ。最近じゃ、私だけじゃなくてルーファスさんも、それからアリスベル様も、こんなに触手を……! アリスベル様と、触手……!」

 コゼットが何かに気づいたような表情を浮かべて私を見上げる。
 心なしか顔が赤らんでいる。よく意味が分からない。
 コゼットには何度かお肉と同格の扱いをされてきた気がするけれど、今度は地底蛸の触手。
 今度ばかりは意味が分からないし、全く嬉しくない。

「アリスベル様、駄目ですよ、アリスベル様みたいな美しくて可憐な方が触手を手にするなんて、どれ程の男たちが道を踏み外してしまうと思うんですか? 全く、駄目です、危険ですぅ!」

「コゼット、なんだか分からないわ……!」

 マリアンヌは意味が分かっているのだろうか、溜息交じりに『なかなか特殊な子ねぇ……』と言った。

「魔物が巨大化……? 実技訓練場に、赤玉ドラゴンが現れたが、これもなにか関係が……?」

 オスカー様が真剣な声で呟く。
 レオン様がオスカー様の隣に並んだ。

「オスカー、見た通り打撃はきかない。斬撃はすぐに塞がる」

「了解しました。レオン殿下、アリスベル様の腕に魔石が。……手早く終わらせましょう、援護を」

「あぁ、頼むぞ、オスカー」

「はい。焼きダコにしましょう」

「焼きダコ……?」

 訝しそうに呟くレオン様。
 オスカー様が一瞬私を振り向いて、意味ありげな視線を送ってくださる。

「か、可愛い……っ」

『可愛い……っ!』

 思わず呟いてしまった。そしてマリアンヌと声が重なった。
 今のは、可愛い。可愛いわよね、そうよね、マリアンヌ。返事はないけれど、マリアンヌはきっと虫の息だ。気持ちは分かる。
 地底蛸の父親、ではなくて、巨大化した地底蛸は、私とコゼットに向かって触手を振り下ろそうとする。
 質量がありながらも素早いその攻撃を、オスカー様が剣で弾く。

「冷徹なる氷牢、死者の国の魔女!」

 オスカー様の短い詠唱に反応し、魔石が埋められて魔力を帯びた短剣が冷たく輝く。
 霜が降りたように凍る巨大な触手は、のろのろとその動きを止めた。
 しかし凍ったのは一瞬の事で、すぐにうねうねとまた動き始める。
 レオン様は軽々と跳躍し、一瞬で私の元へと移動すると、私の腕輪ごと私の手を取った。

「アリスベル、俺は弱くないからな……、魔法攻撃しかきなない巨大タコが相手だったのに、魔石を忘れただけだからな……!」

「わ、わかりましたわ、わかりましたから、レオン様、魔法を」

 必死なレオン様に、私はこくこく頷いた。
 レオン様が弱いと思ったことは一度もない。戦っている姿を見たのはこの間のドラゴンの時がはじめてだったけれど、オスカー様と堂々と並び立っていたので弱くはないとは分かっている。
 触手入り鞄を抱えて戻ってきたコゼットが、私の背後にぴたっとくっつきながら「貧弱王子~」などと余計な事を言っているけれど、私はその声がなるだけ聞こえないように大きな声でレオン様に話しかける。

「レオン様、レオン様を頼りにしていますわ! だから、早く魔法を!」

「そうか! アリス、そんなに俺を……!」

「うわ、勘違い馬鹿王子です~、……最悪ぅ」

 コゼットが、ぼそっと低い声で呟いた言葉を、私は聞かなかったことにした。
 コゼットらしからぬ、明るさが抜け落ちた不快感に満ち溢れた言葉だったのが怖かったからだ。
 私は何も聞かなかったし、何も聞こえなかった。そういうことにしておこう。
 幸いレオン様にも聞こえていなかったのか、レオン様は嬉しそうに顔を輝かせたあと、ふと真剣な表情で地底蛸を見据える。

「オスカー、避けろ!」

 オスカー様の魔力を帯びた斬撃が、触手の一本を切り落とした。
 のたうち回るそれから、オスカー様は身を翻して離れる。

「我らが栄光、我らが勝利、大いなる光弾、女神アテナ!」

 レオン様の高らかな言葉と共に、眩い閃光があたりに満ちる。いくつもの光の矢が天から降り注ぎ、巨大蛸を貫く。
 オスカー様が短剣に埋められた魔石に手を当てた。

「時空をも切り割く無限の刃、虚無より産まれ虚無へと還す者、来たれ、クロノス!」

『やっちゃえ、オスカー様!』

 せっかくの力に満ちた詠唱が、マリアンヌのきゃいきゃいとした声援で台無しになっている気もしないでもないけれど、オスカー様の言葉に呼応して短剣に暗い闇が纏わりつく。
 それは私の身長以上もありそうな黒光りする鋭い剣へと姿を変えた。
 アテナの光弾が突き刺さっている巨大蛸に、その剣は振り下ろされる。
 巨大蛸は別の空間に吸い込まれるように黒く渦を巻いて、それから跡形もなく消滅した。
 崩れた洞窟と、転がる岩や細かい石だけが後に残っている。
 私はほっと息を吐いた。
 やがて、きらきらとした粒子を纏った巨大な魔石がその場所には浮かび上がり、またも私の腕輪へと、物凄い勢いで吸い込まれていった。なんだか、多量の魔石を取り込んでいる腕輪の色が以前よりも毒々しい気がする。
 お兄様に大丈夫なのか聞いてみた方が良いかもしれない。
 オスカー様はその光景を静かに見つめ、レオン様は私の手を取ったまま、難しい顔で腕輪を覗き込んでいる。
 コゼットは私の背後から抜け出すと、巨大蛸の素材だろう、巨大な触手をよいしょ、と抱え上げた。

「巨大蛸からは、巨大な触手が取れるんですねぇ、はじめて見ましたけど、美味しいんでしょうか? アリスベル様、いります?」

「コゼット……、それは要らないわ。……でも、どうしてあんなものに襲われていたの?」

 心なしかぴちぴちと動いているような新鮮な触手を両手で抱えるコゼットをなんとも言えない気持ちでみつめながら、私は尋ねた。
 レオン様は私の腕から手を離すと、両手を組んでコゼットを睨みつける。
 もうコゼットの事は怖くはないのだろうか。

「そうだ、なんなんだお前は。なんであんなものを引き連れて、逃げてきたんだ」
 
「知らないですよぅ、私はただ、いつものように日課の食糧集めをしてたら、アリスベル様達が洞窟に入っていったのを見つけたから、こっそり後を追いかけてただけですよぅ。そうしたら地底蛸のお父さんが私ににじりよってくるじゃないですか、モップで叩いてもびくともしないから逃げてたら、レオン様がいたってだけです」

「レオン様はどうして洞窟に?」

 私が尋ねると、レオン様は視線を彷徨わせた。

「そ、それは……、ちょっとした用事があって」

 魔力を使い果たしてしまったのだろう。
 砂のように魔石が崩れて消えてしまったぼろぼろの短剣をしまうと、オスカー様も私たちの元へとやってくる。
 
「洞窟に、用が?」

 オスカー様に訝し気に尋ねられて、レオン様は「まぁな」と短く答えた。
 もうこの話題には触れるなという強い意志が感じられる口調だった。きっと何か、事情があるのだろう。

「コゼット、見かけたなら声をかけてくれたらよかったのに」

「声をかけられる雰囲気じゃないっていいますか、邪魔してアリスベル様に嫌われたくなかったって言いますか、気づかれないように見張って、必要以上にオスカー様がアリスベル様に接近したら、容赦なく邪魔してやろうとは思ってましたけど~! でも地底蛸のお父さんから逃げるのに必死だったので、途中からそれどころじゃなかったんですぅ」

「そうなんだ、アリスベル。この女に邪魔されて、途中からお前たちを見失って……、アリスベル、オスカーに変な事はされなかったか!」

「変な事はされていませんけれど……、レオン様、レオン様も私たちを見張っていましたの?」

「ど、洞窟の中で、たまたま見掛けて、……偶然だ、偶然!」

「そうなのですね……、お二人とも、遠慮せずに声をかけてくださればよかったのに。私、魔法の訓練に、オスカー様に付き合っていただいておりましたの。普通の地底蛸なら魔法で倒せるようになりましたのよ」

 二人とも、たまたまここに居合わせただけらしい。
 そういうこともあるのだろう。
 私はそういえばと思い出して、今日の成果を報告することにした。 
 あんな巨大なものは無理だけれど、普通の地底蛸なら私でも倒せることができた。
 巨大なものはコゼットにも倒せなかったので、私が太刀打ちできなくても当然だろう。
 そう思うとなんだか気が楽になった。
 
「それは良かったですねぇ! アリスベル様、今度は私と二人っきりで食材集めをしましょうね!」

「アリスベル……、オスカーに頼らずとも、俺が」

 私の手を取ってぶんぶん振るコゼットの手は、巨大蛸の触手のせいでなんだかべたついている。
 レオン様の言葉を遮り、オスカー様が真面目な口調で言う。

「……レオン殿下。……この間の赤玉ドラゴンの件と、今回の巨大蛸。少し、気になります。ここも崩れたばかりで危険ですし、騎士団と宮廷魔導士に、調査の依頼をしたいのですが」

「……そうだな。……色々お前に言いたいことはあるが、道の閉鎖と、調査、それから土砂崩れが起きないように、補強工事を行うのが先か。俺たちのほかには、洞窟内には人はいなかったと思うが……」

「私も殿下に色々と言いたいことはありますが、それが先決だと思われます。私はお二人を学園まで送ります。殿下は、早々にまずは道の閉鎖を手配して頂きたい」 

 レオン様は暫く沈黙していたけれど、「分かった」と短く答えた。

「オスカー様、私は大丈夫ですぅ。巨大な触手を魔物の素材屋さんに売りに行きたいので、……あれ、私が貰う、で良いですよね? 他に誰か欲しい人いますか?」

 コゼットが小首を傾げて尋ねてくるので、皆いらないと首を振った。

「やった! ドラゴンのお肉といい、巨大触手といい、オスカー様とアリスベル様の傍にいると珍しいものが手に入りますね~! 休日に会うアリスベル様と、アリスベル様の綺麗な白い胸と、触手! 今日も最高に幸運ですね~! それじゃ!」

 とても嬉しそうに巨大な触手を抱えて去っていくコゼットを、黙ったまま暫く見送っていた。
 白い胸。
 今、コゼットは白い胸と言わなかっただろうか。
 私は恐る恐る自分の胸部に視線を落とす。
 いつの間にかほつれていたボタンがとれてしまい、べろんとローブがめくれていた。

『あらー……』

 とても残念そうなマリアンヌの声が遠くに聞こえる。
 私は慌ててローブを両手でつかむと胸元を隠して、恐る恐るレオン様たちの方を見た。
 二人とも視線を逸らしている。

「見ました……?」

「その、不可抗力だ、アリスベル」

「アリスベル様……、申し訳ありません」

 困ったように、私を見下ろしてレオン様が言う。オスカー様は、視線を逸らしたまま小さな声で謝った。

『やっぱり、アリスちゃんには強制お色気イベントの呪いでもかかってるのかもしれないわね』

 そんなものあってたまるかと思いながら、私は再び意識が遠のきそうになるのを感じていた。
 

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