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4 勝敗は?

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 乗馬服に着替えればよかった。
 もっと動けたはずなのに、大事な時に人目を気にしてしまうなんて馬鹿だ。
 動きやすい軽いドレスが汗ではりついて気持ち悪い。 
 できることならスカートを持ち上げて風を感じたかった。

「……わかった」

 かまえるだけで腕がふるえる。
 もう一度だけ、がんばろう。
 セヴランには侯爵家うちの討伐隊に入ってもらわなきゃ。

 木剣を握る手に力が入る。
 彼に向かって思い切り剣を振り下ろす。すぐさまパーンと大きな音がしてあっさりはじかれ、剣はシルヴェーヌの手を離れて泉の近くへ飛んだ。

「……私、負けたのね」

 思わずその場に座り込んだ。
 セヴランが目の前に立って手を差し出す。
 
「どんな願いだった? もしかしたら俺が勝ったからその願いを叶えてあげられるかもしれない」

 セヴランは優しい。負けたのはシルヴェーヌなのに。
 彼の手と顔を交互に見つめる。

「討伐に行かないって願いなら無理だけど」
「そうじゃない。セヴにうちの討伐隊に入ってもらおうと思ったの」

 セヴランが何か言いかけたけど黙ってしまった。それから小さく無理だよ、とつぶやく。

「お父様ならセヴを受け入れてくれる。だって、私と歳の近い男の子たちを集めて剣術の授業をしているし、セヴは私より強いんだから」

 その男の子たちは近隣の領地の次男、三男などでシルヴェーヌの婿候補と噂もある。だからこそ――。
 
「私の婚約者になってほしい。ずっと一緒にいたいし、ずっとそばにいてほしい」

 剣で挑んで負けて、レディらしくなく土の上に座り込んで言った。
 セヴランがいてくれるならどんなことでもするのにセヴランは手を真横に下ろして、視線をそらす。
 
「シルヴィは剣術の得意な男と結婚するといいよ」
「セヴがなってほしい、私より強いもの」
「俺はダメだ、剣は得意じゃない。それにシルヴィはこのまま学べばその辺の男に負けないくらい強くなると思う」
「セヴがいいのに」

 セヴランは黙ってしまった。
 彼だって伯爵の息子だって認められているのだし、婿入りの資格はある。
 
 シルヴェーヌには彼の出自は少しも気にならない。
 でもこの世界は貴族の中でも序列があるし、血筋を気にする人も多く、身近な人でいうとお母様がそう。

「ごめんなさい。わがままだよね。でも私、セヴがうちに来てくれたら」
「シルヴィ、ご両親が許すはずないよ」
「そんなの……でも、私は」
「それ以上言ったらダメだよ。……木剣を取ってくる」

 セヴランが泉の方へと向かった。

「待って、私がとるわ!」

 勝負に熱中して、手にできた豆がつぶれてしまっている。じんじんして痛むから、木剣に跡が残っているかもしれない。もしもセヴランに見られたらとても気にするはず。

「シルヴィ?」

 勢いよく立ち上がって、シルヴェーヌは走り出した。
 全力を出したせいか、身体のバランスが取りにくい。

「あ……っ!」
 
 自分の脚にひっかかって、木剣を手にする前に泉に転がり落ちた。
 ドボンと大きな音を立てて、慌てて水面から顔を出し岩肌をつかむ。
 豆がつぶれていた上、ざらついた岩肌で手のひらを擦って痛みに思わずうめいて手を離す。
 
 底は思ったより浅く、足がついたけどドレスが濡れて身体にまとわりつく。

「……落ちちゃった」

 今日はセヴランに格好の悪いところばかり見せている。

「そのまま動かないで」

 セヴランがためらいなく泉に入ると、シルヴェーヌの手首をつかんで手のひらを見た。
 ほんの少しだけ眉をひそめ、何も言わずにウエストをつかんで持ち上げると、泉のふちにシルヴェーヌを座らせた。
 意外と力があって男の子なんだって思う。

「ごめんなさい、セヴも濡れちゃったね」
「今日は晴れているし水浴びも気持ちいい。陽が落ちる前に乾くよ。それより傷の手当てをしないと」
 
 泉から出たセヴランと一緒に陽の当たる場所へ移動した。
 大きな岩は太陽に温められていて、意外と早く乾きそう。
 乾いてもらわないと困る。

「シルヴィ、手を出して」

 おずおずと差し出すと、小さな白い手のひらにいくつもの豆がつぶれて皮がむけ赤くなっている。まじまじと見たくなかった。
 
「すぐ治るわ」

 強がってそう言って見たけど、このまま戻ったらみんなに怒られてしまう。
 ドレスは乾いてもしわくちゃだろうし、髪だってボサボサだ。
 外出だってできなくなるかも。少しでもいい状態で戻りたい。

 セヴランは黙ったまま、砂利など入っていないのを確かめてからスミスソンの軟膏を塗ってくれた。
 ハンカチは濡れてしまったし包帯代わりになるものはないけど、それだけでホッとする。
 
「……シルヴィ、秘密を守れる?」
「セヴとの約束なら絶対守るよ」
「……わかった」

 シルヴェーヌの顔をじっと見つめた後で、セヴランは傷ついた手を両手で覆った。
 なんだかとても暖かくて気持ちいい。
 嘘みたいに痛みが消えていく。

「セヴが前に言った、手当てって本当に痛みが和らぐんだね」
「……もう痛くない?」
「うん、すぐに木剣をにぎれそう」
 
「それはやめてほしいな。きれいな手だから本当は扇とか」
「おうぎ? 持ってないわ。戦えないもの」
「侯爵夫人だって討伐に参加しないだろ? シルヴィもそうしたらいいのに」

 一人っ子じゃなかったら。
 兄か弟がいたらそうなっていたと思う。
 でも今は跡継ぎだし、大人になったらもう一度セヴランにプロポーズする。
 次期女侯爵ならそれが許されるはずだもの。

「私、これからもずっとセヴと一緒にいたい」

 セヴランは困った顔をして、あいまいに笑う。
 それから手を離した。
 なんだかさみしい。

「指、動かしてみて。どう?」

 シルヴェーヌの手のひらにあった傷はすべてなくなって、女の子に見える手に戻っていた。これなら叱られない!

「すごい! セヴって、治癒の力があるの?」
「少しだけ」
「セヴ、すごい! 傷ひとつ残ってないわ」

「大げさだよ。大した力じゃないから。自分のことはほとんど治せないしね」
「そう……でも! できるようになるかも。セヴだもん」

 みんなに自慢したっていいのに。
 セヴランは興奮するシルヴェーヌに困ったように笑って内緒だよ、と言った。
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