獅子の末裔

卯花月影

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2.天香桂花

2-4. 金の三つ団子

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 永禄十二年の暮れ。この年も忠三郎は信長の傍近くにいて、岐阜で年の瀬を迎えた。

 信長は兎角、人目をひく装いを好み、必然的に傍に仕える近侍はみな、それに倣い、競い合って金銀で彩色された華やかで風流な装いを身にまとった。
 忠三郎も例外なく、煌びやかな装いを纏い信長に倣う。
(戦させずに国を守る方法とは…)
 忠三郎がぼんやりと考えていると、
「鶴」
 にわかに信長に声をかけられ、はっと顔をあげる。
「如何した?」
「は、いえ…ふと、戦させずに国を守る方法はないものかと考えていた次第でござります」
「戦させずに国を守る?」
 信長がジロリと忠三郎を見たので、孫子の火攻篇の一節を話すと、
「フン。知りたいか?」
「それは無論。上様は如何お考えで?」
 信長は分かっているようだ。忠三郎は期待を込めて信長を見る。
「我が威を天下に知らしめることよ」
「それは…」
「諸国が余に逆らうことの愚かさを知れば、戦さなどはなくなる」
 さすがは信長。確かにその通りだと忠三郎は納得する。
「そのため、此度、戦場の馬印うまじるしを変えるようにと皆に命じた」
「馬印を、変えるとは?」
 馬印とは戦場で、武将が自分のいる場所を示すために立てる大きな標識のようなもの。信長は大将級の武将には、馬印に金の装飾を施すようにと命じた。
「これで敵を恐れさせるのじゃ」
 さも妙案とばかりに信長が笑う。
(金の装飾?)
 どうもよくわからない。
 忠三郎はその日の務めを終えると、城下の滝川屋敷へと足を向けた。
 
 常であれば人が大勢いる滝川屋敷ではあるが、今日は思っていたよりも少ない。そればかりか、いつのまにか、廃墟のようだった屋敷は、簡素ながらもしっかりと修繕が施されていた。
「鶴様」
 声をかけてきたのは滝川助九郎だ。
「なにやら、趣が変わったようじゃが…」
「はい。存じてはおられぬので?」
 助九郎がクスリと笑う。何のことかと首を傾げながら詰所に行くと、佐治新介が顔をあげた。
「鶴殿か。どこぞの田舎公家のような恰好しておったというに、いつの間にやら、いかにも織田家の公達じゃ」
 新介はそう言うと大口を開けて笑った。
(田舎公家…)
 そんな風に思われていたのか。
「我が家も様変わりしたであろう?」

 家臣たちが集まる詰所は相変わらずの有様だが、表座敷には数枚の畳が敷かれ、襖の穴が修繕されているのが見えた。
「そう思ていたところ。義兄上は何故急に屋敷の手入れをなされた?」
「妻帯されたのじゃ。それも上様の娘を嫁にもろうた」
「上様の娘…」
 それであれば、忠三郎の正室・吹雪の姉か妹になるはずだが、そんな話は耳にしたことがない。
 にわかにドタバタと音がして、振り返ると義太夫が大きな筒を抱えて現れた。
「おぉ、鶴。殿は伊勢じゃ」
「義太夫…、何を抱えておる?」
「これか?これは殿の馬印じゃ」
 義太夫が目の前に筒を置く。
「こいつを棒に括り付け、立てればよいじゃろう。さすれば並みいる者共は皆、これは滝川左近がおると恐れおののき、戦うことをやめて逃げまどうこと間違えなし」
「これが?」
 とてもそうは思えなかったが。

 新介も複雑な表情を浮かべてうーんと唸りながらも、
「まぁ、よいのではないか?金で塗り固めよと、上様はそう仰せじゃ。こいつも金を塗れば、それらしゅうなるじゃろ…ところでこれは何じゃ?馬印といえば、扇や傘、輪貫ではないのか?」
「こいつか。こいつは団子じゃ」
「団子?」
 新介と忠三郎が同時にそう言うと、義太夫はカハハと笑い、
「戦さといえば、やはり飯。腹が減っては戦さはできぬ。殿の馬印は金の団子」
 どうも大真面目に言っているようだ。
「義兄上は…なんと仰せに?」
「わしらに任すと仰せになり、伊勢に戻られた」
 なんでもいいということか。いかにも一益らしい。
「されど、まぁ、一つでは寂しいかのう。やはり三つくらいは括り付けたほうが格好がつくというものか」
「まぁ、確かに三つなければ団子には見えぬのう。こいつを三つ並べて竿にさせば、串に刺さった団子に見えるじゃろ。おぉ、いっそ、本物の団子を竿に刺すいうのはどうか。いざというときに兵糧代わりとなろう」
「戯けたことを申すな。馬印といえば大将の顔じゃ。それを食うとは、殿の顔を食うということではないか」
 義太夫と新介が真剣な顔で悩む。
(金の団子で敵を震え上がらせ、国を守る…?)
 キラキラと戦場で輝く金の団子が目に浮かんだ。だんだんと、想像していたこととかけ離れていく気がする。
 しばらく考えていた新介は面倒になったらしく、
「さっさと考えて上様に申し伝えねば、我らはいつまでも伊勢には戻れぬ。この際、よいではないか。団子が一つでも三つでも。殿がいると分かるだけで、敵兵は皆、恐れる」
 新介の言うとおりだ。馬印そのもので敵を恐れさせることはできない。そこに一益がいると分かるから、敵は恐れ、味方は奮い立つ。
(敵を恐れさせるような将とならねば、戦さは避けられぬと、そういうことか)
 では、どうしたら、敵が恐れるような将になることができるだろうか。
(父上や叔父上は…どうお考えであろうか)
 ちょうど、信長から近江衆に越前出兵の命が下っている。忠三郎も日野へ戻り、出陣の準備をしなくてはならない。
(父上や叔父上が如何なされるのか、見てみよう)
 金の団子などという意表を突いた発想はないだろうが、何か考えているかもしれない。
 
 二月下旬、上洛する信長とともに岐阜を出立した忠三郎は、戦さ支度のために都へは同行せず、日野へ戻った。
「若。夕餉の膳をお持ちしました」
 侍女が現れ、常のごとく広縁に膳を置いていく。侍女の姿が見えなくなると、忠三郎は立ち上がり、漆塗りの四足膳を手に庭へ降りて池に近づく。
 佐助の手紙を読んでから、餌やりがてら鯉に毒味させていたが、餌がいいせいか、池の鯉は随分大きくなったように見える。

(馬印か…)
 そもそも馬印が流行りだしたのは最近になってから。古くは旗印が大将のしるしであり、父も叔父も馬印は使用していないはずだ。
(上様は金塗りの唐傘であったはず)
 信長は日よけも兼ねて唐傘を用いている。金の使用は大将級の武将にしか許されていない。忠三郎も何か欲しいと思って滝川家に顔をだしたが、団子だの兵糧代わりだのという話ばかりで、参考になるような話は全く聞けなかった。
「全く義太夫のやつめ。まことに義兄上の馬印を団子にするつもりで…」
 岐阜での一件を思い出して一人、笑っていたが、何気なく池を見てハッとした。
(鯉が…)
 先ほどまで泳いでいた鯉が、一匹残らず白い腹を出して浮かんでいる。病気や寿命で、ここまで急激に大量死するとは思えない。
(毒味していた膳奉行が死んだというは、まことのことであったか)

 佐助は忠三郎の食事には殊更に気を配り、膳奉行に毒味をさせていた。しかし膳奉行が死んでいたことは佐助の手紙で初めて知った。佐助がいなくなってから、膳奉行に毒味させることも憚られ、言われたとおり、池の鯉に毒味をさせていたのだが。
(まさか…佐助の言う通り、お爺様が…)
 にわかに信じられない。祖父は何故、こんなことをするのか。祖父を尊敬していたからこそ、これまで言われた通りにしてきたつもりだ。岐阜での生活に耐えたのも、祖父に命じられたからだ。
(それでもお爺様は、わしを認めてはくださらぬ)

 忠三郎はしばしのとき、茫然と水面に浮かぶ鯉を眺めていたが、やがてふらふらと部屋に戻ると、手を打って侍女に町野左近を呼びに行かせる。
「若、お呼びで?」
「なるべく人目につかぬように、池の鯉を入れ替えてくれぬか」
「は。池の鯉を…?」
 町野左近が首を傾げて池に降りていく。
「これは!わ、若!一大事でござりますぞ!」
 忠三郎は慌てふためいて戻って来た町野左近を軽く制して、
「大声をだすな。皆に知れてしまう」
「されど、これは…」
「鯉に毒味させていたのじゃ」
 町野左近はエッ!と驚き、
「で、では、まさか誰かが若を…」
「しっ!声が大きい。人に知られとうない。それゆえ、爺を呼んだのじゃ」
「まさか、まさか、これはもしや、大殿が…」
 忠三郎は取り乱す町野左近の口を手で覆う。
「滅多なことを申すな。家中が乱れる。このことは他言無用と致せ。よいな」
「されど、若の身に何かあっては…」
「かようなことが表に出ては、我が家がまた、家中で争っておると人から後ろ指さされよう。これこそ家の恥。それゆえ、誰にも言わぬと約束してくれ」
 町野左近は困惑して忠三郎を見ていたが、
「そこまで若が仰せであれば…。この件は天地神明に誓って誰にも申しませぬ。されど、今後は毒味をつけさせていただきます」
「承知した。鯉の始末は頼む」
 町野左近は青ざめたまま、下がっていった。忠三郎はいたたまれなくなり、部屋に入って襖を閉める。

「佐助。おぬしの申していた通りじゃ。されどおぬしはもう、わしと供におらぬ。わしはこの先、どうしたらよいのか」
 自分の城にいるというのに暗殺を恐れる日々を送らなければならない。
(お爺様はわしがそんなに憎いのか)
 幼い頃から尊敬していた祖父・快幹。その祖父は今まさに、忠三郎を闇に葬ろうとしている。かつて蒲生宗家を乗っ取ったときのように。
(…ということは…)
 佐助の言う通り、祖父は甲賀に逃れた六角義治に通じて織田家に叛旗を翻そうとしているのではないか。
(お爺様は織田の恐ろしさをお分かりではない)
 初陣で見た目を覆いたくなるような織田軍の乱暴狼藉が思い起こされる。伊勢に攻め込んだ時と同じように、織田家の兵が押し寄せ、日野の町が焼き払われる。田畑は荒らされ、蓄えられた食糧は根こそぎ持ち去られ、城下は人身売買の場に変貌する。木々は燃え、清らかな川は赤く染まる。
 戦乱が収まった後も、わずかに残された民は深刻な飢餓に陥り、冬を越すことなどできなくなるだろう。

(それゆえ佐助は、全てを受け止め、日野の民を戦乱から守れと、そう言うたのか)
 佐助は供にいた間、時間をかけ、忠三郎に日野の民の暮らしを見せ、日野の山河を見せてくれた。それは何のためだったのか。
(すべてはわしに、この地を守れと、そう言いたいがために…)
 そしてそれは、怒りや恨みで戦さをすることでは成し得ないのだと、そう伝えたかったのではないだろうか。
「わかった。佐助、見ていてくれ」
 この件は忠三郎自らが、決着をつけなければならない。

 朝になり、どうやって鯉を仕入れてきたか、池を見ると昨夜の出来事が嘘のように、鯉が泳いでいた。
(爺が…)
 思っていた以上に手際がいい。運ばれてきた朝餉に添えられていた魚も、やけに身が綻びている。毒味にしては食べ過ぎにも見え、忠三郎は可笑しくなって一人、ひっそりと笑った。
「若。御台様がお呼びでござります」
 膳を下げに来た侍女にそう告げられた。
「御台様?…あぁ、織田家の…」
 二・三度ほどしか顔をあわせたことのない正室の吹雪のことだ。これまで呼ばれたことなど一度もなかったが。
(珍しいこともあるもの)
 何だろうかと思い、吹雪のために建てた館へと赴くと、吹雪が侍女たちに囲まれていた。

(かような顔であったか…)
 まともに顔を見たことがなかったと気づいた。
「ご覧あれ。伊勢のふうから餅が届きました。若殿と一緒に召し上がれと文が」
 吹雪が艶やかな小袖を纏い、笑顔を見せた。
(伊勢の風?)
 何のことか分からなかったが、伊勢であれば、滝川家のことと思われた。
(義兄上は妻帯されたと言うておったな。相手は確か、上様の娘)
 であれば、吹雪の姉か妹のことだろう。
「おお、美味そうじゃ」
 忠三郎は餅を手に取って口に含む。昨夜は食べておらず、今朝も食欲がわかず、ほとんど口をつけずに食事を終えている。餅が殊の外、甘く感じた。
(これは…)
 餅の下に懐紙が見え、中に何か書かれているのが透けて見えた。
「若殿は伊勢から来たものは召し上がるのですね」
 吹雪が不満そうに言う。忠三郎がなんのことかと吹雪を見ると、
「この城のものは、わらわが菓子ひとつ出しても毒味なしには召し上がらぬ若殿が、伊勢から来たというだけで何のためらいもなくお召しになる」
 そんなことがあったろうか。よく覚えていない。そんなことよりも、懐紙が気になる。

「何を申すのじゃ。それよりも、その餅の下にある懐紙を見せてくれぬか」
 吹雪がエッと驚いて、餅を取り出し、懐紙を渡した。
「天香桂花元、例刻」
 見事なまでに完結であり、仮名がない。一益の直筆と思われた。いつもの時間に信楽院で待つという意味だろう。

(やはり、我が家のことを調べて…)
 この用心深さを見る限り、一益は家中に内通者がいることを知っているのかもしれない。すでに何かを掴んでいることは間違えない。
(義兄上も、義太夫も、何をどこまで知っているのであろうか)

 一益であれば、誰かに口外することはないだろう。しかし、誰にも知られたくないと思っていたことだ。
(話すしかないのか)
 せめてもう少し、祖父の動向を見守ってから会いたかったが、いずれにせよ一か月後には越前出兵を控えている。少なからず一益に頼まなければ、このまま城を開けるのにも不安があるが。
(まことに…義兄上を信じてよいものか…)
 ふと不安になる。一益をはじめとする滝川家の面々は素破だ。盗みを生業とし、人を騙し、嘘偽りを言って陥れ、闇から闇へ人を葬る。
(されど…)
 人相は兎も角、彼らは人が言うほどに悪い人間とは思えなかった。乱暴な扱いではあったが、気軽に忠三郎を受け入れ、供に酒を飲み、武芸を教え、戦場では危ないところを助けてもらった。
(何を信じてよいかも分からぬが、信楽院に行くしかあるまい)
 考えれば考える程分からなくなる。致し方なく、覚悟を決め、信楽院に向かうことにした。
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