獅子の末裔

卯花月影

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26.筑紫の国

26-3. 罠に臨む狐

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 三月一日――豊前小倉を目指し、秀吉の本隊が大坂を出陣した。

 九州――今でこそその名で呼ばれるが、大化改新以前は「筑紫の国」と称されていた。
 この地は、筑紫国・豊国・肥国・熊曾国の四つの国から成り立っていた。
 しかし、時代の流れとともに変遷を遂げ、やがて「筑紫七国」と呼ばれるようになる。
 そして、奈良時代に至り、九つの国に分けられた。

――筑前、筑後、豊前、豊後、肥前、肥後、日向、大隅、薩摩。

 この地に繰り広げられてきた数々の戦――。
 今また、天下統一を掲げる秀吉の軍が、この古き国々を飲み込まんとしている。
 九州の地は、歴史と血の記憶を刻みながら、静かに新たな戦の足音を迎えようとしていた。
 入口にある筑前には、未だ島津に味方する豪族が多く残っており、先に日向へ向かった秀長隊とは別方向から薩摩を目指す。

 大軍を率いての長旅。
 大坂から京へと抜け、西国街道をひたすら南下する行軍は、一月弱を要すると見られていた。
 沿道には多くの見物人が詰めかけ、秀吉の威勢を一目見ようと群がっていた。
 忠三郎は馬上から人々の群れを見下ろしながら、これからの九州平定戦について思い巡らせる。

「島津は未だ、和睦を拒否しているというが……」
 九州を席巻する島津氏は、今や豊後を除くほぼ全土を掌中に収めている。
 彼らの強さを支えているのが――

 島津四兄弟。

「島津といえば、恐るべきは島津四兄弟。当主の義久を始め、義弘、歳久、家久……いずれも音に聞こえた猛者とか」
 町野長門守が言う通り、義久のもと、義弘の剛勇、歳久の智謀、家久の苛烈な戦ぶりが織りなす軍勢は、まさに戦国最強の一角をなす。
 彼らが徹底抗戦の構えを見せれば、この戦さは長引くことになる。

「簡単に攻め落とせるものでもないのでは……」

 忠三郎は前方を見据えた。
(にしても分からぬ)
 島津は、かつて信長には素直に臣従していた。
 ならば何故、秀吉にはこうも頑なに抵抗を続けるのか。

 忠三郎の疑問に、町野長門守が静かに答えた。
「そこはやはり、鎌倉以来の名家の誇りではないかと」
「名家の誇りだけで、家を滅ぼすほど、愚かな者ではなかったが」
 忠三郎がそう呟くと、町野が怪訝そうな顔をする。
「殿は、島津家の者に会うたことがおありで?」
 忠三郎は黙って頷いた。
 町野は驚いたように目を見開く。

「ちょうど十年前。島津中務なかつかさ殿に会うた」

 そして、都とその周辺を案内した礼として、薩摩の酒を贈られたことを思い出す。
――島津に対して、悪い印象はなかった。
 だが、天下人が信長から秀吉へと移った今、状況は変わりつつある。
 信長のもとであれば、島津は織田の旗のもと、戦国の世を共に終わらせる道を選んだかもしれない。
 しかし、秀吉のもとでは……?

(島津が故右府様には従い、関白には刃を向ける……それこそが答えかもしれぬ)

――誇りか、それとも……。
 忠三郎は、遠く西へと続く街道を見据えた。
 昨年、豊臣家と島津の一戦において、島津の「釣り野伏せ」戦法が炸裂し、長曾我部信親と十河存保が討ち取られた。
 川向こうに陣取る島津勢を見た豊臣勢は、敵の数が少ないと侮り、勢いよく川を渡った。

 だが、その瞬間――。

 伏兵が四方から襲い掛かり、二千を超す者が討たれた。
 その勢いは、鉄砲隊が弾を撃つ暇もないほどであったという。

 ***

 長曾我部信親――。
 かつて、信長が烏帽子親を務めた、将来を嘱望された勇将。
 その信親が討たれ、戦場から逃れた長曾我部元親は、深く落胆した。
 嫡男を失った絶望に、元親は潔く自害しようとする。
 だが、家臣たちは慌ててそれを引き止めた。
 その時には既に引き潮となり、退却もままならぬ有様だった。

 そんな窮状を見かねたのか――。
 敵方の大将より、ある知らせが届いた。

『左京亮殿、討取候事、弓箭之事ユヘ不及是非次第ニ候』
(信親を討ち取ったのは弓矢の習い、やむを得ないことであった。この上、無益な戦は望まぬ。潮が満ちるのを待ち、退陣されるがよい)

――それは、島津家久の言葉だった。

 戦場において、これほどの情けが示されることがあろうか。
 さらに、信親の死を悼んだ元親が、家久に遺骸の返還を申し入れると、家久は快く応じ、丁重に遺骸を返還したという。

 ***

 この話を聞いたとき、忠三郎の脳裏に浮かんだのは――。
 十年前のあの笑顔だった。
(中務殿は、あの頃からお変わりではない……)
 懐かしい記憶が、戦さの気配に霞む西国街道の向こうに、ぼんやりとよみがえっていく。

 豊前を引き上げた島津勢は、そのまま豊後へと押し寄せた。
 そこは、大友宗麟が領する地――。
 キリスト教国と化した豊後。
 大友宗麟は、ポルトガル人宣教師から入手したというフランキ砲(南蛮渡来の大砲)を用い、島津勢を撃退した。

「南蛮渡来の大砲の威力に、島津も恐れをなしたとか」
 忠三郎はふと呟く。
 すると、町野長門守が続けた。

「豊後の大友宗麟とは、キリシタンなのか?」
 高山右近からそんな話は聞いたことがない。
 右近も九州の事情には疎いのだろうか。
「はい。それゆえ、宣教師から大量の硝石を入手し、大友家の火力は他国の類を見ないほどという噂で」
 だが、その大友もまた島津の猛攻に晒され、滅亡寸前という。

「此度の合戦は、キリシタンである大友殿を、悪魔の手先である島津からお救いし、再びかの地をキリシタンの国とするための戦さと、キリシタンたちは皆、そう申しておりまする」
「島津が悪魔の手先……?」

 忠三郎は思わず呆れた。
 戦の大義とは、かくも容易く作られるものなのか。
 秀吉のもとで戦う武将たちは、豊臣の天下を揺るぎないものとするための戦と捉えている。
 だが、キリシタンたちはこれを宗教戦争と見ているのか。

(中務殿であれば、これ以上の戦さは意味がないと、お分かりになるはず)
 十年前、京で会った島津家久の穏やかな笑顔を思い出す。
 本来、武士とは、戦乱を望まぬものではなかったか。

(戦さに大儀などない――義兄上もそう言っていた)

 ならば、この先どうするか。
 先鋒の豊臣秀長の隊には、黒田官兵衛がいる。
 官兵衛であれば、無為に戦を長引かせるようなことはしないだろう。
(されど……わしは如何いたそうか)

――戦のただ中にあって、どの道を選ぶべきか。
 忠三郎は、西へと続く街道を見つめながら、深く考え込んだ。

三月二十九日――。

 約一か月の旅路を経て、ついに豊前小倉へと到着した。
 関門海峡を望む九州の入口、小倉。
 その交通の要衝たる地には、かつて三百年前に城があったという。
 忠三郎は、はじめて訪れたこの地で、「菅原道真に所縁の大宰府はどこにあるのか」と、あちらこちら見て回っていた。

 大陸より渡来した梅を見て歌を詠む――
 その風雅な習慣が始まったのが、大宰府であると伝えられている。

(まことに趣のある地じゃ……)

 忠三郎は、馬上から遥かなる彼の地へと思いを馳せた。
 すでに梅の季節は終えてしまったものの、かの大宰府がいかなる地であるのか、一度この目で見ておきたい。

 史の香りを宿す地に、今もなお梅の余韻は残っているのだろうか。
 風にのって、かすかに香るものがあるとすれば、それは残り香か、それとも――。

 忠三郎の胸に、小さな旅心が芽生えていた。

「……大宰府は筑前。これより通るのではないか?」
 どこかで聞き覚えのある声に振り向くと、そこには、珍しく烏帽子を被った義太夫がいた。
 義太夫は騎馬のまま遥か遠くを眺め、どこか得意げだ。
「どこにもおらぬと思えば、すでに到着していたのか」
「おぬしらよりも十日も早う、この地に着いておる」

 何と、義太夫はすでに小倉に到着していたという。
 伊勢に戻った義太夫は、五百の手勢をかき集め、さっさと船を用意すると、一足飛びに博多湊へと到着していたのだ。

「筑前を通る?」
「然様。これより軍議で明らかになろうが、関白は本隊を二手に分けて薩摩へ攻め入る所存じゃ。我等、伊勢衆は筑前・筑後・肥後を通って薩摩入りしろと命がくだるであろう」

 忠三郎は眉をひそめた。
「何故、そのようなことを存じておる?」
 義太夫は苦笑し、肩をすくめる。
「おぬしは知らなすぎる。先の合戦で、何故に豊臣勢が敗北を喫したのかも存じてはおるまい」

 確かに――。

 忠三郎には秀吉の側近に知人がいない。
 また、素破を使わぬため、どうしても情報が遅れがちである。

 高山右近や牧野長兵衛、黒田官兵衛といったキリシタン仲間が時折、教えてくれることもあるが、それもほんの一部でしかない。
 そもそも、忠三郎の危うい言動を警戒し、あえて知らせない者も多いようだ。

「わしは所詮、外様大名。関白の側近から何かを教えられるような義理もなければ、久太郎や藤五郎のように関白に気に入られている訳でもない。何をどうやって知れというのか」
 忠三郎が拗ねたように言うと、義太夫は呆れたように馬を降り、歩み寄った。
「ここでは拙い。中で話そう」
「おぉ。では、持参の酒を用意させよう。」

 忠三郎が嬉しそうに言うと、義太夫はニヤリと笑い、
「やはり酒持参か。来た甲斐があったわい」

 と、どこか満足げに言いながら、帷幕へと馬を引いていった。

***

 こうして、酒とともに交わされる話は、果たして軍議に匹敵するものなのか――。
 それは、杯が進むほどに怪しくなっていくのであった。


 義太夫の言う先の合戦とは、昨年十二月、豊臣勢先発隊が島津家久を相手に大敗北を喫した戦――。
 戸次川の戦い。
 豊後を流れる大河、戸次川を主戦場とし、豊臣勢八千に対し、島津勢およそ一万。
 兵数だけを見れば、戦は五分――いや、やや不利程度にも思えるが、実際には一方的な敗北となった。
 では、なぜ?

* ****

「関白が全幅の信頼を寄せる軍師、黒田官兵衛。こやつがおらんかったのがまず敗因じゃ」
 義太夫が呆れたように言う。
「官兵衛殿は毛利勢と共にいたとか」
「然様。先着していた大友勢と四国勢だけでは島津と対等に戦うことは難しいと考え、中国勢を引き連れ、後から豊後へ向かっていた」

 なるほど。
 つまり、毛利勢が揃うまで動くべきではなかったのだ。

「その間、軍監の仙石秀久には、**『迂闊に兵を動かすな』**と厳命がくだっていた」
「仙石? 関白の側近か?」
 聞き覚えのない名だ。
「存じておらぬか。おぬしよりも四つ、五つ年上のはず。関白の古参武将で、確か美濃の国衆の子とか」
「して、その者が命に背いて兵を動かしたわけは?」

* ****

 毛利勢を待つ間――。
 仙石秀久は、秀吉の権力をかさに着て、大友家の者に饗宴を命じ、連日、酒宴を開き、横暴な振る舞いを繰り返していた。
 そんな折――。
 島津家久が、万を超す大軍で鶴賀城へ攻め寄せた。
 当然、城からは援軍を求める使者が現れる。
 寄せ手は、川向こうに布陣する島津勢を見て、一旦軍議を開いた。
 そこで、意見が分かれる。

* ****

 仙石秀久は、敵が寡兵なのを見て、川を渡って鶴賀城に救援に向かうことを主張。
 一方で、島津の戦法を知る長曾我部元親と大友義統は、川を境に睨み合いを続け、援軍を待つよう進言した。

 すると――。

「田舎者が蛮族相手に臆したか! わしは関白殿下の名代である。敵を恐れ、兵を動かせぬのであれば、我が軍勢だけで島津勢を蹴散らしてみせる!」
 息を荒くし、仙石は勝手に兵を挙げた。
 軍監にここまで言われて、逆らえる者はない。
 結果、十二月の冷たい川を渡河するという、無謀な決断が下された。

* ****

「その先は存じておろう」
 義太夫が深く息を吐く。
「寄せ手が渡河するのを見届けた島津の伏兵が一斉に襲い掛かり、ある者は討ち取られ、ある者は逃げ場を失い、溺れ死んだ」
 忠三郎は、思わず沈黙する。
 驚くべき愚策だ。
 まさかそんな話だったとは、露ほども思わなかった。

「では、左京亮殿(長曾我部信親)は、島津勢が釣り野伏を仕掛けてくると承知の上で、川を渡ったと?」
「おぉ。鶴、よう存じておったな。その方にしては上出来じゃ」
 長曾我部信親は、軍議の後に叫んだという。
『明日は討死と定めたり。川を渡る事、罠に臨む狐の如し。全くの自滅と同じ』

「……罠に臨む狐……」
「無駄死すると分かっていたのじゃ」

 結果――。
 長曾我部信親、十河存保、依岡左京らの名だたる武将たちは討ち取られ、豊臣勢は壊滅。
 ただ、軍監の仙石秀久だけが、一人、豊前まで逃げ延びた。

 そして、黒田官兵衛にこう告げたという。
「四国勢が思うたよりも弱兵であったために敗走した次第にて」

* ****

「呆れた物言い。豊臣家には、そのような鈍愚な将しかおらぬのか」
 忠三郎は呆れ返る。
 軍監の横暴な振る舞いは、何も豊臣家に限ったことではない。
 かつての信長の側近――
 万見千千代、長谷川藤五郎、堀久太郎……

 彼らもまた、目に余る振る舞いをしていた。
 だが、彼らには将としての才があった。

(それに比べて、豊臣家はどうだろうか……)

* ****

「その一方で、豊後のキリシタン共は、憎き島津が滅ぼされれば、九州一帯をキリシタンの国とすることができると、豊臣勢を歓迎しておるしのう」
「それはまことか?」
「高山右近から何も聞いてはおらぬか? 伴天連どもは、この戦さを聖戦と呼び、戦場で死んだキリシタンは殉教であると申しておるぞ」
 忠三郎は絶句した。
(何も聞いていない……)
 そもそも、あの高山右近が好戦派であるとは思えない。
(何かが違う……)
 誰もが己の大義を掲げ、己の思いだけで戦っているだけ。

 そのために、異を唱えることのできぬ者たちが、無為にその命を奪われているだけではないか。
 帝の勅命を受けたといっても、あくまで形式。
 所詮は、秀吉の天下取りのためにかき集められた烏合の衆。

「軍勢は揃い、あとは薩摩に攻め入るだけ。されど、このまま黙って本隊に付き従っていても、功名をあげて葉月様を取り戻す機会は訪れぬかもしれぬ」
 義太夫の言葉に、忠三郎は大きくうなずくと、広げた絵図を睨み、行軍の道筋を確かめる。
「ここは?」
 と忠三郎が豊前にある山を指さす。
「おぉ、それは島津に従う秋月種実の岩石城。岩石山は山伏どもが修行の場としておる巨岩、奇岩だらけの険しい山。その上に立つ城は豊前一の堅城と言われておるゆえ易々とは落とせぬであろう」
 それを聞いた忠三郎はポンと膝を打ち、
「ここがよい。ここを我等だけで落とそう!」
「な、なに? 我等だけ……とは!?」
 忠三郎はニヤリと笑う。
「無論、わしと義太夫じゃ!」

 恐ろしいことを言い始めた。義太夫の頭の中で、戦鼓が虚しく鳴り響く――。
 これは、果たして戦の妙手か、それとも無謀な戦狂いの戯言か。



「待て、待て。いかなる調略をもって…」
「何を言うておる。わしが調略などできるはずもないことは、よう存じておろう。力攻めで落とすのじゃ」
「力攻め? 血迷うたか! 我等だけで、この堅城を力攻めなどと……」

 義太夫は慌てて忠三郎の肩を掴む。
「よう考えてみよ。いたずらに兵を失うだけではないか! わしは男と心中などしとうない!」
 忠三郎は苦笑しながらも、どこまでも真剣な表情で言い放った。
「されど、そこまでの功名を上げねば、葉月殿を取り戻すことは叶うまい」
 この言葉に、義太夫はグッと詰まる。

 たしかに――。
 この戦さは、秀吉のための戦さではない。
 葉月を取り戻すための戦いだ。

「義兄上とて、一日で城を落としたことがあろう」
「あるにはあるが、それは……」
 それは、火攻めだった。
 それも突発的に攻め入ったのではなく、入念な下調べをした上でのことだ。

***

「義太夫殿。頼み入る」
 忠三郎が改めて頭を下げると、義太夫はうーんと頭を抱える。
「わしとおぬしだけでは、ちと手駒が足りぬ」
「手駒?」
「もう一人、巻き込もう」
「もう一人?」
「然様。幸いにも、我が親類が此度の合戦に参戦しておる。話を付けようほどに、おぬしも協力せい」
「親類? ……とは?」
 忠三郎が首を傾げる。
 義太夫はニヤリと笑みを浮かべ、立ち上がった。

(かなり遠い親類ではあるが、まぁ贅沢を言うておる場合ではない。ここは無理やりにでも参戦させるしかあるまいて)
 何事かを考えた義太夫は、足早にその場を去る。

「お、おい! 義太夫! どこへ行く?」
 忠三郎は訳も分からぬまま、義太夫の後を追った。
 果たして、巻き込まれる親類とは一体誰なのか――。

 そして、無謀なる城攻めの行方は……。
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