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26.筑紫の国
26-5. 風の囁き、盃の詩(うた)
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忠三郎は杯を傾けながら、帷幕の中で一人、遠い昔を思い起こしていた。
信長や一益が傍にいたとき、戦場では否応なく彼らの指示に従ってきた。
だが、彼らがいなかったときに限って、何度か痛い失敗をしている。
それはいずれも、調略を使わず、力攻めで城を落とそうとしたときだった。
(わしには調略の才はない。ならば兵糧攻めか、力攻めしかないではないか)
そうやって己を納得させてきた。
しかし、一益は常々、孫子の言葉を引き合いに出して、こう諭していた。
『兵とは国の大事なり。死生の地、存亡の道、察せざるべからざるなり』
戦さは国の命運をかける一大事であり、生死を決める戦場、国の存亡をかける選択は、よくよく考える必要がある。
無論、忠三郎もよく理解しているつもりだ。しかし一益は
『そなたは百戦百勝すればよいと考えておる。されど戦さになった時点で、すでにそれは最上ではない』
戦わずして勝つこと。
それこそが最上の策であり、無用な戦を避け、敵の兵や物資を丸ごと手に入れる道なのだと。
ひとたび戦さとなり、その戦さが長引けば長引くほど、互いに疲弊し、ようやく勝って敵地を手に入れたとしても、そこには戦乱で荒れ果てた地しか残されていない。
孫子にそんなことが書いてあったなと思い出した。しかし一益の言うことは兵書の鵜呑みではなく、苛烈な長島願証寺攻めのあと、一面焼け野原となった長島を任され、苦労して復興させたからこそ出てきた言葉だろう。
『いかに広大な領地を手にしようとも、そこに畑を耕す者がおらずして、どうして兵糧を集めることができようか』
他国に攻め入り、人や物を奪い取ることよりも、治水と開墾に力を入れ、自国を潤すことを第一とすべし、さすれば自ずから人は集まる、他国から人をさらってくる必要もなくなると、そう教えてくれた。
(あの時、わしは何と返したかな)
忠三郎はぼんやりと昔を思い出す。
祖父・快幹の教えを受け、商いの力を信じていた忠三郎は、こう言った。
『されど、やはり国を潤すには金では?』
すると義太夫がすかさず口を挟んだ。
『そうじゃのう。米も美味いが、魚も肉も食いたいしのう。殿、伊勢に住む我らはともかく、人里離れた山中で暮らす鶴は、金がなければ魚が食えぬのでは?』
『人里離れた山中とは、日野のことを申しておるのか!全く無礼な奴。日野はお爺様が精魂込めて作った町。市が開かれる日など、桑名に負けずとも劣らぬほどの賑わいを見せておるわ!』
義太夫といつもの口論になりかけたところで、一益が煩わしそうに手を挙げた。
『そう思うのであれば、なおのこと、戦さは避けるべき。二人とも、一日千金という言葉を存じておろう?』
『はい。一日は千金に値するほど価値あるもの、という意味では?』
『然様。されど千里の道を十万の兵を動かし、養うためには、一日で千金を費やすとも言う』
義太夫が、ほうほうと頷きながら言った。
『それで又左などは戦場にも算盤を持ち込み、日々、金勘定で忙しゅうしておるので?』
前田利家が算盤大名と呼ばれる所以である。
一益は苦笑しながら、静かに言った。
『あれは極端な例ではあるが、それほど戦さというのは金がかかる。遠征が伸びれば伸びるほど、金はかかり領国は疲弊し、田畑は荒れる。うまい思いをするのは堺の商人ばかり。領国が疲弊すれば他国がつけ入る隙となり、いかなる優れた将であっても抗うことは難しくなる。金が惜しくば戦さなどせぬこと。やむを得ず戦さとなったときには、一日も早う終わらせることを第一とせよ』
あのときは、ただ漠然と聞いていた話が、今は身に沁みる。
忠三郎は復興途中の松坂を家臣たちに任せ、遠く九州へとやってきた。
いまだ領国は荒れたまま。
今期の蔵入りも少ないだろう。
被災した松坂の商人たちと比べ、堺の商人たちは九州遠征でさらに膨大な利益を得ている。
(一日も早くこの戦さを終わらせ、松坂に戻って国を復興せねば)
戦の最中にいても、戦費を浪費するばかりで何も得るものがない。
それが現実だった。
『故にことごとく用兵の害を知らざる者は、則ち、ことごとく用兵の利をも知ること能(あた)わざるなり』
戦の害を知らぬ者は、戦の利をも知ることができない。
今、ようやくその言葉の意味が、骨の髄まで沁み渡った。
「それは――孫子か?」
ふいに響いた声に、忠三郎は顔を上げた。そこには義太夫が立っている。
「義太夫……いつからそこにおった?」
「ずっとおったわい。おぬしが薄ぼんやりと書を眺めておる間、ずっとな」
「薄ぼんやりとは……」
義太夫は床几を引き寄せ、腰を下ろすと、盃を手に取りながらぽつりと呟いた。
「戦とは、奪うものばかりで、得るものなど無きに等しい」
その声音はいつもと変わらぬ調子ながら、その脳裏には、戦火に消えたひとり娘の面影が揺らめいているのかもしれない。
忠三郎は黙って盃を差し出した。義太夫は満面の笑みを浮かべ、それを受け取ると、一息に飲み干す。
「ちょうど喉が渇いたところよ。これは末期の酒か?」
忠三郎は苦笑し、盃を持ち直す。
「酒を酌んで君に与うというからのう、ほれ、鶴」
義太夫が銚子を手に取り、ゆるりと注ぐ。
「唐の王維か」
「さすがじゃのう。酒の詩ゆえ、存じておったか。君自ら寬うせよ――人情の翻覆は、波瀾に似たり」
義太夫が口ずさむのは、かの唐の詩人・王維の詩。世の儚さを詠み、友を慰める一篇。
「白首の相知も猶お剣を按じ」
長年の友であっても、時に剣を交えることがある。
「朱門の先達は弾冠を笑う」
出世を果たした者は、門前で機を待つ者を嘲るものよ。
「草色は全く細雨を経て湿い、花枝は動かんと欲するも春風寒し」
草は春の雨に潤い、花は咲こうとするも、春風は未だ冷たい。
「世事は浮雲、何ぞ問うに足らん」
世のことなど、浮雲のごとし。思い悩むには及ばぬ。
「如かず、高臥して且らく餐を加えんには」
むしろ枕を高くして眠り、しっかり食すがよい。
忠三郎はしみじみと呟いた。
「よう覚えておるのう。義太夫が漢詩とは……意外な一面を見た」
義太夫は盃を傾け、苦笑する。
「これはわしが酒を飲むとき、己に言い聞かせておる言葉よ。結局のところ、よく寝て、よく食えということじゃ」
「よく寝て、よく食えか……」
そういえば義太夫は、事あるごとに「食うか?」と何かしら差し出してくれた。あれも義太夫なりの気遣いだったのだろう。
ふと義太夫が盃を置き、忠三郎を見やる。
「鶴。殿が何故、孫子に詳しかったか、気づいておるか?」
「何故、とは。義兄上はあらゆる兵書に精通しておられたゆえ……」
忠三郎が首を傾げると、義太夫は唇の端を持ち上げた。
「やはり、おぬし、まともに孫子を読んでおらんな。火攻めの極意は、孫子にこそある。『火を以て攻を佐くる者は明なり』――それゆえ、おぬしのところの家来を二、三人、貸してくれ」
「それはよいが……何を始める?」
「そのほうは大人しく待っておれ」
何を企んでいるのやら。忠三郎は肩をすくめ、盃を口に運んだ。
折から春の風がふたりの頬を撫でる。
ふわりと温かく、それでいて心地よい風だった。
(城攻めを開始するころには、程よい風が吹くやもしれぬ)
忠三郎は盃の酒をぐいと飲み干し、空を仰いだ。
義太夫の策を後押しするかのように、風は夜の闇へと静かに溶けていった。
翌日、目が覚めると義太夫はもう、蒲生家の家人数名を連れて姿を消していた。
「殿。高山様がお見えで」
町野長門守に声をかけられたのは、前田利家のもとへ召され、一しきり説教をされて戻った直後だった。
高山右近――九州攻めの三番隊として従軍している彼の陣は、九番隊の蒲生陣営からは少し離れた場所にある。昨夜の軍議での忠三郎の態度が気になったのか、わざわざ訪ねてきたらしい。
「忠三郎殿。ちと気にかかり、お邪魔いたしました」
右近の声音には、静かな憂いが滲んでいた。しかし、忠三郎はそれを笑って受け流す。
「ご案じめさるな。今こそ我が名を天下に知らしめる時。いかなる堅城といえども、たちどころに攻め落としてみせましょうぞ」
意気揚々とした言葉に、しかし右近は首を横に振る。
「いえ。気がかりというは、忠三郎殿のことではありませぬ」
「では……何を?」
「豊後のキリシタンたちが、此度の戦さで我らが勝つことにより、島津の脅威から解放され、九州がキリシタンの国となると――そのように信じておるようで」
忠三郎は義太夫の言葉を思い出す。義太夫もまた、似たようなことを口にしていた。
「領主の大友殿はキリシタン。そのように申しておるのでは?」
大友宗麟の治める豊後では、寺社が破壊され、領民のほぼすべてがキリシタンになったと聞く。だとすれば、彼らの期待も当然かもしれない。
だが、右近は何か言いたげだった。
「皆が思い描く通りになるとは……思えませぬ」
その言葉に、忠三郎は眉をひそめる。
「関白が何か?」
「さにあらず……」
右近は答えず、一呼吸置くと、思いがけない名を口にした。
「それと――義太夫殿のことが気にかかりまして」
「義太夫?」
忠三郎は思わず問い返す。
「こちらへ赴く前に、南蛮寺に姿を見せたと、ロレンソ殿が申されておりました」
南蛮寺――キリシタンたちの祈りの場。義太夫がそこへ?
「あぁ……出陣に際し、旧知のロレンソ殿に挨拶でもしに参ったものかと」
そう思いかけたが、右近の言葉は続く。
「……死した者はいずこへ行くのか、と。そのようにお尋ねになったと」
忠三郎の胸に、冷たいものが落ちた。
「死した者……とは……」
一益のことだろうか。
「主を失い、そんなことを考えたやもしれませぬな」
「左近殿のことも、もちろん。しかし……その直後、義太夫殿は奥方を亡くされたと」
「奥方――玉姫殿を?」
思わず声が上ずった。
「玉姫殿が、この世におらぬと?」
義太夫の口からは何も聞かされていない。昨夜、共に盃を傾けた時も、そんな素振りすら見せなかった。
(玉姫殿が……)
思えば、籍姫を亡くした時も、義太夫はなかなか事実を口にしなかった。
「それは由々しきこと……して、義太夫は、他には何か話しておったので?」
ロレンソに打ち明けたというのは、それだけ義太夫にとって重大なことだったのだろう。しかし、右近の返答は、さらに不可解なものだった。
「他には……『あさり』がどうとか」
「……あさり?」
忠三郎は思わず聞き返した。
「砂浜におる、あの貝のことであろうか?」
玉姫と、あさり。一体どんな関わりがあるというのか。
「それがしにも分かりませぬが……ロレンソ殿が案じておられたゆえ、お伝えいたしました」
忠三郎は唇を噛む。
(何かの暗示か……それとも、玉姫殿は貝の毒に当たったということか?)
しかし、貝で人が死ぬとは聞いたことがない。ふぐの毒ならば人を殺すと聞くが、貝は……。
(何が毒となるか、わからぬものよ……されど、あやつ。そしらぬ顔をしおって)
気にはなったが、今は考えを巡らせている暇はない。前田利長と共に算段を整え、出陣の支度をせねばならなかった。
ふと、春の風が頬を撫でる。
その風は、春の訪れを告げるものか、それとも、戦の嵐を運ぶものか――。
信長や一益が傍にいたとき、戦場では否応なく彼らの指示に従ってきた。
だが、彼らがいなかったときに限って、何度か痛い失敗をしている。
それはいずれも、調略を使わず、力攻めで城を落とそうとしたときだった。
(わしには調略の才はない。ならば兵糧攻めか、力攻めしかないではないか)
そうやって己を納得させてきた。
しかし、一益は常々、孫子の言葉を引き合いに出して、こう諭していた。
『兵とは国の大事なり。死生の地、存亡の道、察せざるべからざるなり』
戦さは国の命運をかける一大事であり、生死を決める戦場、国の存亡をかける選択は、よくよく考える必要がある。
無論、忠三郎もよく理解しているつもりだ。しかし一益は
『そなたは百戦百勝すればよいと考えておる。されど戦さになった時点で、すでにそれは最上ではない』
戦わずして勝つこと。
それこそが最上の策であり、無用な戦を避け、敵の兵や物資を丸ごと手に入れる道なのだと。
ひとたび戦さとなり、その戦さが長引けば長引くほど、互いに疲弊し、ようやく勝って敵地を手に入れたとしても、そこには戦乱で荒れ果てた地しか残されていない。
孫子にそんなことが書いてあったなと思い出した。しかし一益の言うことは兵書の鵜呑みではなく、苛烈な長島願証寺攻めのあと、一面焼け野原となった長島を任され、苦労して復興させたからこそ出てきた言葉だろう。
『いかに広大な領地を手にしようとも、そこに畑を耕す者がおらずして、どうして兵糧を集めることができようか』
他国に攻め入り、人や物を奪い取ることよりも、治水と開墾に力を入れ、自国を潤すことを第一とすべし、さすれば自ずから人は集まる、他国から人をさらってくる必要もなくなると、そう教えてくれた。
(あの時、わしは何と返したかな)
忠三郎はぼんやりと昔を思い出す。
祖父・快幹の教えを受け、商いの力を信じていた忠三郎は、こう言った。
『されど、やはり国を潤すには金では?』
すると義太夫がすかさず口を挟んだ。
『そうじゃのう。米も美味いが、魚も肉も食いたいしのう。殿、伊勢に住む我らはともかく、人里離れた山中で暮らす鶴は、金がなければ魚が食えぬのでは?』
『人里離れた山中とは、日野のことを申しておるのか!全く無礼な奴。日野はお爺様が精魂込めて作った町。市が開かれる日など、桑名に負けずとも劣らぬほどの賑わいを見せておるわ!』
義太夫といつもの口論になりかけたところで、一益が煩わしそうに手を挙げた。
『そう思うのであれば、なおのこと、戦さは避けるべき。二人とも、一日千金という言葉を存じておろう?』
『はい。一日は千金に値するほど価値あるもの、という意味では?』
『然様。されど千里の道を十万の兵を動かし、養うためには、一日で千金を費やすとも言う』
義太夫が、ほうほうと頷きながら言った。
『それで又左などは戦場にも算盤を持ち込み、日々、金勘定で忙しゅうしておるので?』
前田利家が算盤大名と呼ばれる所以である。
一益は苦笑しながら、静かに言った。
『あれは極端な例ではあるが、それほど戦さというのは金がかかる。遠征が伸びれば伸びるほど、金はかかり領国は疲弊し、田畑は荒れる。うまい思いをするのは堺の商人ばかり。領国が疲弊すれば他国がつけ入る隙となり、いかなる優れた将であっても抗うことは難しくなる。金が惜しくば戦さなどせぬこと。やむを得ず戦さとなったときには、一日も早う終わらせることを第一とせよ』
あのときは、ただ漠然と聞いていた話が、今は身に沁みる。
忠三郎は復興途中の松坂を家臣たちに任せ、遠く九州へとやってきた。
いまだ領国は荒れたまま。
今期の蔵入りも少ないだろう。
被災した松坂の商人たちと比べ、堺の商人たちは九州遠征でさらに膨大な利益を得ている。
(一日も早くこの戦さを終わらせ、松坂に戻って国を復興せねば)
戦の最中にいても、戦費を浪費するばかりで何も得るものがない。
それが現実だった。
『故にことごとく用兵の害を知らざる者は、則ち、ことごとく用兵の利をも知ること能(あた)わざるなり』
戦の害を知らぬ者は、戦の利をも知ることができない。
今、ようやくその言葉の意味が、骨の髄まで沁み渡った。
「それは――孫子か?」
ふいに響いた声に、忠三郎は顔を上げた。そこには義太夫が立っている。
「義太夫……いつからそこにおった?」
「ずっとおったわい。おぬしが薄ぼんやりと書を眺めておる間、ずっとな」
「薄ぼんやりとは……」
義太夫は床几を引き寄せ、腰を下ろすと、盃を手に取りながらぽつりと呟いた。
「戦とは、奪うものばかりで、得るものなど無きに等しい」
その声音はいつもと変わらぬ調子ながら、その脳裏には、戦火に消えたひとり娘の面影が揺らめいているのかもしれない。
忠三郎は黙って盃を差し出した。義太夫は満面の笑みを浮かべ、それを受け取ると、一息に飲み干す。
「ちょうど喉が渇いたところよ。これは末期の酒か?」
忠三郎は苦笑し、盃を持ち直す。
「酒を酌んで君に与うというからのう、ほれ、鶴」
義太夫が銚子を手に取り、ゆるりと注ぐ。
「唐の王維か」
「さすがじゃのう。酒の詩ゆえ、存じておったか。君自ら寬うせよ――人情の翻覆は、波瀾に似たり」
義太夫が口ずさむのは、かの唐の詩人・王維の詩。世の儚さを詠み、友を慰める一篇。
「白首の相知も猶お剣を按じ」
長年の友であっても、時に剣を交えることがある。
「朱門の先達は弾冠を笑う」
出世を果たした者は、門前で機を待つ者を嘲るものよ。
「草色は全く細雨を経て湿い、花枝は動かんと欲するも春風寒し」
草は春の雨に潤い、花は咲こうとするも、春風は未だ冷たい。
「世事は浮雲、何ぞ問うに足らん」
世のことなど、浮雲のごとし。思い悩むには及ばぬ。
「如かず、高臥して且らく餐を加えんには」
むしろ枕を高くして眠り、しっかり食すがよい。
忠三郎はしみじみと呟いた。
「よう覚えておるのう。義太夫が漢詩とは……意外な一面を見た」
義太夫は盃を傾け、苦笑する。
「これはわしが酒を飲むとき、己に言い聞かせておる言葉よ。結局のところ、よく寝て、よく食えということじゃ」
「よく寝て、よく食えか……」
そういえば義太夫は、事あるごとに「食うか?」と何かしら差し出してくれた。あれも義太夫なりの気遣いだったのだろう。
ふと義太夫が盃を置き、忠三郎を見やる。
「鶴。殿が何故、孫子に詳しかったか、気づいておるか?」
「何故、とは。義兄上はあらゆる兵書に精通しておられたゆえ……」
忠三郎が首を傾げると、義太夫は唇の端を持ち上げた。
「やはり、おぬし、まともに孫子を読んでおらんな。火攻めの極意は、孫子にこそある。『火を以て攻を佐くる者は明なり』――それゆえ、おぬしのところの家来を二、三人、貸してくれ」
「それはよいが……何を始める?」
「そのほうは大人しく待っておれ」
何を企んでいるのやら。忠三郎は肩をすくめ、盃を口に運んだ。
折から春の風がふたりの頬を撫でる。
ふわりと温かく、それでいて心地よい風だった。
(城攻めを開始するころには、程よい風が吹くやもしれぬ)
忠三郎は盃の酒をぐいと飲み干し、空を仰いだ。
義太夫の策を後押しするかのように、風は夜の闇へと静かに溶けていった。
翌日、目が覚めると義太夫はもう、蒲生家の家人数名を連れて姿を消していた。
「殿。高山様がお見えで」
町野長門守に声をかけられたのは、前田利家のもとへ召され、一しきり説教をされて戻った直後だった。
高山右近――九州攻めの三番隊として従軍している彼の陣は、九番隊の蒲生陣営からは少し離れた場所にある。昨夜の軍議での忠三郎の態度が気になったのか、わざわざ訪ねてきたらしい。
「忠三郎殿。ちと気にかかり、お邪魔いたしました」
右近の声音には、静かな憂いが滲んでいた。しかし、忠三郎はそれを笑って受け流す。
「ご案じめさるな。今こそ我が名を天下に知らしめる時。いかなる堅城といえども、たちどころに攻め落としてみせましょうぞ」
意気揚々とした言葉に、しかし右近は首を横に振る。
「いえ。気がかりというは、忠三郎殿のことではありませぬ」
「では……何を?」
「豊後のキリシタンたちが、此度の戦さで我らが勝つことにより、島津の脅威から解放され、九州がキリシタンの国となると――そのように信じておるようで」
忠三郎は義太夫の言葉を思い出す。義太夫もまた、似たようなことを口にしていた。
「領主の大友殿はキリシタン。そのように申しておるのでは?」
大友宗麟の治める豊後では、寺社が破壊され、領民のほぼすべてがキリシタンになったと聞く。だとすれば、彼らの期待も当然かもしれない。
だが、右近は何か言いたげだった。
「皆が思い描く通りになるとは……思えませぬ」
その言葉に、忠三郎は眉をひそめる。
「関白が何か?」
「さにあらず……」
右近は答えず、一呼吸置くと、思いがけない名を口にした。
「それと――義太夫殿のことが気にかかりまして」
「義太夫?」
忠三郎は思わず問い返す。
「こちらへ赴く前に、南蛮寺に姿を見せたと、ロレンソ殿が申されておりました」
南蛮寺――キリシタンたちの祈りの場。義太夫がそこへ?
「あぁ……出陣に際し、旧知のロレンソ殿に挨拶でもしに参ったものかと」
そう思いかけたが、右近の言葉は続く。
「……死した者はいずこへ行くのか、と。そのようにお尋ねになったと」
忠三郎の胸に、冷たいものが落ちた。
「死した者……とは……」
一益のことだろうか。
「主を失い、そんなことを考えたやもしれませぬな」
「左近殿のことも、もちろん。しかし……その直後、義太夫殿は奥方を亡くされたと」
「奥方――玉姫殿を?」
思わず声が上ずった。
「玉姫殿が、この世におらぬと?」
義太夫の口からは何も聞かされていない。昨夜、共に盃を傾けた時も、そんな素振りすら見せなかった。
(玉姫殿が……)
思えば、籍姫を亡くした時も、義太夫はなかなか事実を口にしなかった。
「それは由々しきこと……して、義太夫は、他には何か話しておったので?」
ロレンソに打ち明けたというのは、それだけ義太夫にとって重大なことだったのだろう。しかし、右近の返答は、さらに不可解なものだった。
「他には……『あさり』がどうとか」
「……あさり?」
忠三郎は思わず聞き返した。
「砂浜におる、あの貝のことであろうか?」
玉姫と、あさり。一体どんな関わりがあるというのか。
「それがしにも分かりませぬが……ロレンソ殿が案じておられたゆえ、お伝えいたしました」
忠三郎は唇を噛む。
(何かの暗示か……それとも、玉姫殿は貝の毒に当たったということか?)
しかし、貝で人が死ぬとは聞いたことがない。ふぐの毒ならば人を殺すと聞くが、貝は……。
(何が毒となるか、わからぬものよ……されど、あやつ。そしらぬ顔をしおって)
気にはなったが、今は考えを巡らせている暇はない。前田利長と共に算段を整え、出陣の支度をせねばならなかった。
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その風は、春の訪れを告げるものか、それとも、戦の嵐を運ぶものか――。
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(2022.04.04)
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慶長5年9月14日。
赤坂に到着した徳川家康を狙うべく夜襲を提案する宇喜多秀家と島津義弘。
史実では、これを退けた石田三成でありましたが……。
もしここで彼らの意見に耳を傾けていたら……。
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