獅子の末裔

卯花月影

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26.筑紫の国

26-7. 轟く鉄火、揺らぐ九州

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 本丸大手門付近では、蒲生忠三郎が今か今かと合図を待っていた。

「殿!助太郎殿が!」
 町野長門守の声とともに、助太郎が息を切らせて駆け込んできた。
「待ちかねたぞ、助太郎。火の手は見えぬようじゃが、首尾は?」
「それが……火矢は撃ちましたが、どうにも火が広がらず……。致し方なく、義太夫殿が弟と共に城中へ……」
「義太夫が城中へ?」
 忠三郎が目を細める。
「その方が来る前、三の丸付近から騒がしい声が聞こえてきたと知らせを受けたが……」
 義太夫に限って敵に見つかるようなことはない――そう信じたいところだが、これ以上待っていても夜が明けてしまう。
「致し方ない。門を破って中へ入る! 爺、門を破れ!」
「ハハッ!」
 町野左近が心得て、足軽たちに破城槌を運ばせる。

 城内から銃声が響く。
 だが、雨だれのような音が響いた後、急に静まり返った。
「……これは義太夫の言うとおり、敵の鉄砲は揃っておらぬようじゃな」

 ――一発撃つたびに弾込めをしておるのか。

「このまま城門を突き破れ!」
 破城槌が叩きつけられ、ほどなく城門は砕け散る。
「者ども、かかれ! 陣太鼓を叩け!」
 忠三郎は振り向き、足軽から陣貝を受け取る。
 大きく息を吸い込み――全力で吹いた。

……が、貝は沈黙を守った。
(……おや?)
 簡単そうに見えるが、陣貝を鳴らすにはコツがいる。
 貝の音の正体は、唇を震わせて共鳴させるもの。大きく息を吹き込めば鳴るというものではない。
 忠三郎は、何度も懸命に吹いてみるが、鳴らない。
「臆病者の吹く貝は鳴らぬものでござる」
 背後から皮肉げな声がする。
 振り向けば、家臣の本多三弥がにやにや笑っている。

「では、その方、吹いてみよ。もし鳴らぬときは……」
 と言い終わる前に、三弥は貝を手に取ると、見事な音を響かせた。
「貝とはかように吹くもの。では、これにて……」
 三弥は愉快そうに笑いながら、馬を駆けていく。
「……あやつめ。わしを臆病者と笑うておるのか」
 忠三郎は唇を噛む。

 そこへ町野長門守が寄ってきて、ぽつりと言った。
「殿。伊勢以来、召し抱えた者どもが、まことに恩賞がもらえるのかと案じておりまする」

 ――どうやら、軍議の席で忠三郎が「葉月を返せ」と言ったことが知れ渡っているらしい。
「このような遠征で加増も望めず、恩賞が少なければ、不満が募るのも無理からぬことかと」
(……皆に渡す恩賞のことを忘れておった)
 しかし、加増がない以上、何を渡せるというのか?

 しばし考え――そして、閃いた。

「皆、よく聞け!」
 忠三郎は馬上から高らかに叫ぶ。
「此度の戦で目覚ましい働きをした者には、蒲生の姓と、わしの偏諱を与え、連枝同様の扱いを約束しよう!」

 その場がどよめき、歓声が上がる。
 しかし、町野長門守は青ざめた。
「と、殿! それでは、もしも十人が目覚ましい働きをしたら、その十人に姓と偏諱を与えると仰せで!?」
「おぉ! よい考えであろう!」
 忠三郎が満足げに頷く。
「それでは、我が家中は蒲生だらけになってしまいますが……」
「それはそれでよいではないか。一層、絆が深まるというものじゃ」
「はぁ……そう、とも言えますが……」

(今は亡き賢秀公や快幹公がいたら、なんと仰せになることか……)
 と、町野長門守が思ったとき――
「長門、あれは何であろうか?」
 忠三郎が城門の向こうを指さした。

 見ると――
 城門の奥から、誰かが全力で駆けてくる。
「義太夫殿、では……?」

 確かに、義太夫と助九郎だ。
 しかし、その後ろには、大刀を振りかざした荒武者たちが猛然と追いかけている。
「早う、早う! あの狂った武者どもを撃て!!」
 義太夫が叫ぶ。
「義太夫の奴……何をしておるのか」
 呆気に取られる足軽たち。

 だが、町野長門守が即座に合図を送り、鉄砲隊が一斉に銃撃。
 響き渡る銃声の中、義太夫を追っていた熊井越中守配下の抜刀隊が、次々と倒れていく。
「敵をおびき寄せたのか」
 忠三郎が感心すると、こちらに向かって走ってきた義太夫は肩で息をしながら、苦笑する。
「お? まぁ、そうじゃ。敵の鉄砲隊はあってなきようなもの。このままおぬしの鉄砲隊を押し立てて進めば、城は一日で落ちる」
「承知した。さすが義太夫、奇策を講じてくれたな!」
 忠三郎が満足げに頷くと、義太夫は笑顔を見せた。
「されど……ちと……」
 ふらりとよろけ、助九郎の肩に寄りかかる。
「如何した? 手傷を負うたか?」
 忠三郎が馬を飛び降りて駆け寄ると、義太夫がその場に崩れ落ちた。
「義太夫!?」
 慌てて寝かせて、助九郎と町野長門守が具足を脱がせ、体を探るが――
「そもそも逃げ回っていただけで、敵と戦うてはおりませぬ。」
「では、何が起きた?」
「忠三郎様、ここは我らに任せ、行ってくだされ!」
 助九郎が促す。

 忠三郎は一瞬、迷ったが――無言で立ち上がった。
「義太夫を頼む。今日中に城を落とす!」
 馬に飛び乗り、戦場へ駆けた。

 その日の夕暮れ、岩石城はついに落城した。
 本丸の門が破られ、城兵は次々に投降し、熊井越中守は覚悟を決めて切腹。
 城内の灯火が揺らめくなか、忠三郎は静かに立ち尽くしていた。

 難攻不落と謳われた堅城は、今、炎とともに沈みゆく。
 戦いの終わりを告げる煙が、夕焼けの空に溶けていった。


 豊臣勢が圧倒的な火力をもって、豊前一の堅城と謳われた岩石城をたった一日で落とした――
 この知らせは、たちまち九州全土を駆け巡った。
 これを聞いた秋月種実*は、戦意を失い、ついに豊臣軍へ降伏。
 その勢いのまま、秀吉軍は筑後、そして肥後へと進軍し、九州制圧に向けて着々と歩を進める。

 兵たちは皆、勝利に酔いしれた。
「このまま薩摩まで突き進めば、島津如き田舎武者など恐るるに足らず!」
 誰もがそう信じて疑わなかった。
 豊臣勢の士気は、これ以上ないほどに高まっている。

 戦場での手柄を立て、領地を預かろうとする者たちは後を絶たず、九州征伐の終焉は、もはや目前のものと思われた。
 九州全土に轟く勝利の声――
 忠三郎は、ふと町野左近に耳打ちするように問いかけた。
「義太夫は如何したであろうか」
 さりげなく声をかけられた町野左近は、黙したまま返事に窮している。

 会えば、話したいことが山のように積もっている。
 どうやって抜刀隊を引き付けたのか。
 なぜ、たった二人で飛び込んだのか。

 だが――
(それよりなにより……)
 忠三郎の胸に去来する、別の疑問。
(何故に、玉姫殿のことを言わなかった)
 籍姫を失った時もそうだった。
 義太夫は、一言も語らず、まるで今も生きているかのように振る舞い続けた。
 まるで、語ってしまえば、本当にその人がこの世から消えてしまうとでも言うかのように。
 そして、今回もまた――

(病いをおして、戦さ場に来ていたとは)
 玉姫を失いながら、それを誰にも告げず、ただ戦場を駆けていた義太夫。
 何を思い、何を背負い、この戦の中に身を投じたのか。
 忠三郎は、遠く空を仰ぐ。
 戦火の煙が晴れぬうちに、九州征伐はさらに進んでいく。

「殿。高山様がお見えで」
 町野長門守の声に、忠三郎はハッと我に返る。
(……考えていても仕方あるまい)
 義太夫は肥後のキリシタン医師の元に送ったのだから、ここで心配していてもどうにもならない。
 今は、この戦の流れを見定めねばならぬ。
 忠三郎は表情を引き締め、高山右近を迎えに出た。

「これは右近殿! 我ら、向かうところ敵なし。皆が望む世の到来も間近でござりますな!」
 明るく笑いかけるが――
 右近の顔は、どこか浮かない。
「まもなくキリシタンの世が来ると、皆々喜んでおるというに……右近殿には、何か心にかかることでも?」
 忠三郎が問いかけると、右近はふと視線を落とした。

 やがて、静かな声で呟く。
「……まことに武力をもって制圧することで全て丸く収まるとは思えませぬ」
 忠三郎は眉をひそめた。
「右近殿? 何を申される」
「…忠三郎殿は、九州征伐の後に何が起こるか、考えたことはございますか」
「何が起こるか? そは……九州は平定され、天下はさらに泰平へと向かうのでは」
「……果たして、そうでしょうか」

 右近の目には、憂いが滲んでいた。
「右近殿、一体何を憂いておられる」
 右近は、静かに息を吐き――
 やがて、言葉を選ぶように、ゆっくりと口を開いた。
「此度の戦のために、諸国に号令が発せられ、鋤を刀に、釜を槍に打ち直せて兵を駆り出しておりましょう。領民に戦を強いて駆り出し、他国に攻め入り、無辜の民の命を奪い、武力をもって従わせることは…」
 右近の声は、どこか淡々としていた。
「人の国に土足で踏み入る盗人の類と大差ないのではないかと考える次第で」
 その言葉に、忠三郎の眉がわずかに動く。
「我らが盗人であると?」
 複雑な表情を浮かべる忠三郎を見て、右近は力なく笑った。
「忠三郎殿は、この戦がまことに聖戦と、そうお考えで?」
 右近の目には、憂いが消えることなく宿っていた。

 ――その問いかけに、忠三郎はすぐに答えることができなかった。
(この戦が、本当に天下万民のための戦であると?)
 もともと、その話には疑問を抱いていた。
 なぜならば――
(島津は、天下のため、信長公に恭順すると、そう申し出ていた)
 それが、天下人が変わった途端に態度を急変させた。
 ――明確な理由は定かではない。
 だが、かつて酒を酌み交わした仲である島津豊久を、どうしても悪く思うことはできなかった。
 戦の正しさとは何か。
 忠三郎の胸の奥に、ふと沈黙が落ちた。
 それは、決して拭い去ることのできない影のように――。

「殿下は九州を足掛かりに、海の向こうへ攻め入ろうとお考えになっておりまする」
 右近の言葉は、淡々としていながら、どこか重く響いた。
 忠三郎は眉をひそめる。
「スペインの軍船を用立てる話は?」
 ポルトガル商人はともかく、宣教師たちはいずれも秀吉の野望を警戒していた。
 そして、何より――高山右近自身が断固として反対した。
 その結果、秀吉の申し入れは退けられた。
「されど、今、この天下で迂闊に殿下の命に背けば、キリシタンの今後が危うくなるのではありますまいか」
 忠三郎が慎重に問いかける。
 秀吉の怒りに触れれば、キリシタンの弾圧が始まるのは明白だった。
 しかし、右近の答えは、揺るぎなかった。
「例えそうであったとしても、軍船を用立てて、唐、天竺まで攻め上るなどという恐ろしき野望は、断じて阻止せねばなりますまい」
 その言葉に、忠三郎は無意識に息を呑む。
(右近殿は、関白に逆らうと、そう言うておるのか)
 ――九州征伐は、ただの戦では終わらない。
 この先には、さらに大きな野望が広がっている。
 忠三郎は、右近の横顔をじっと見つめた。
 それは、まるで嵐の前の静けさのように、ただ冷ややかに沈黙していた――。
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