獅子の末裔

卯花月影

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27.伴天連禁制

27-3. 風に溶ける言の葉

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 体力の回復を待ち、忠三郎は義太夫を伴い、博多を目指して肥後を後にしようとしていた。
「殿!」
 突然の呼び声に、忠三郎は思わず背筋を伸ばす。息せき切って駆けてきたのは、町野長門守であった。
 忠三郎は咳払いをひとつ。
 ——否、今の自分は蒲生忠三郎ではない。兵を率いた忠三郎はすでに領国へ戻ったことになっている。ここにいるのは、蒲生家の家臣、三郎。
「あっ、これは失礼をば!」
 町野は慌てて言葉を改める。だが、額の汗を拭うよりも早く、早口でまくし立てた。
「三郎様、存じ折の島津中務が、こちらへ向かっておるとのことで!」
「中務殿が?」
 島津四兄弟の末弟、島津中務大輔家久。黒田官兵衛の説得を受け、いち早く和睦に応じた人物だ。秀吉へ挨拶するため、佐土原城を発ち、肥後を経由して博多へ向かってくるという。
「今回の島津との和睦は、中務の尽力が大きいとか」
 義太夫がすっと口を開く。
「さすがは素破。島津家の内情まで調べていたか」
 忠三郎が感心したように言うと、義太夫は得意げに鼻を鳴らした。そして後ろに控えていた助太郎、助九郎、日本衛門らを振り返り、
「いやいや、これも皆の働きゆえ。わしばかりが知恵を絞っていたわけではない」
 などと言いながら、ひょいと裾をまくって小さく踊るような仕草をしてみせる。
「何の舞じゃ」
「踊りたくもなるというものよ!これまで島津がいかに頑なであったか、存じておろうに」
 義太夫はひとつ肩をすくめ、得意げに語り始めた。

 島津家には、家の行く末を必ず合議制で決めるという取り決めがある。
「合議制?」
「然様。つまりは当主の義久、次兄の義弘、三男の歳久、そして中務こと四男の家久。されど、上三人と比べると家久の立場は弱い」
「立場が弱いとは?」
「三男の歳久とは十以上も年が離れている上に、妾腹じゃ」
「それは……知らなんだ」

 家久は島津家を守るため、徹底抗戦を唱える義弘、歳久に相談することなく、豊臣秀長と単独講和を結んだ。
 各地での敗戦、そして弟の行動を見た当主・義久は、これも合議することなく剃髪して秀吉に降伏。だが和睦に不満を持つ三男の歳久は刺客を放ち、秀吉の暗殺を試みて失敗した。
「なんとも物騒な話ではないか」
「されど、最早せんなきことじゃ。和睦は成立した。当主の義久は未だ上洛を渋っておるがのう」
「それで中務殿が上洛しようと……」

 忠三郎は遠くを見やる。
 戦火に揺れ続けた九州も、今ようやくひとつの決着を迎えようとしている。だが、それは安寧への第一歩にすぎない。
「いや、未だ安寧には程遠い。島津の領内には豊臣家に歯向かおうと言う者も少なくはない。その上、関白は四兄弟全員に上洛を命じたというに、応じたのは家久のみ。しかもその家久は病に倒れたというではないか」
「病に倒れた?」
 思わぬ言葉に、忠三郎は眉をひそめた。
(かような時節に病に倒れるとは…)
 胸の奥に、小さな棘が刺さるような違和感を覚える。
(中務殿…)
 かつての記憶が甦る。
 上洛した際、薄明かりの燈る酒亭で、家久は豪快に杯を傾け、目を細めて笑っていた。
 ——忠三郎殿、武士とは妙なものよな。生国も身分も全く違う我らが、こうして肩を並べて酒を酌み交わすことになるとは。
 その言葉に、忠三郎も杯を掲げ、微かに笑った。
 家久の口ぶりは柔らかかったが、その眼の奥には常に何かを計る光があった。己の家を守るためか、それとも己自身のためか。

 秀吉の治世となり、敵味方に分かれてからも、家久の軍略は鋭く、冷静に敵味方を見極めながら、最も効果的な策を打っては豊臣勢を翻弄した。その智謀に、豊臣勢は幾度となく苦しめられたが、その話を伝え聞くたびに、そうした敵と同じ時代を生きることに戦人としての歓びを感じてもいた。

 ——敵でなければ、どれほど心強いか。

 そんな思いを抱いたことも、一度や二度ではなかった。
 家久の評判はよく、秀吉は家久を直臣に取り立てて大名にしようとしていた。忠三郎もまた、家久とならば語り合えるものがあるのではないかと思っていた。
 ——ようやく肩を並べて話ができるところまで来たというのに、それを阻む者がいる。
 それは病という名の理不尽か、あるいは——。
「まことの病か?」
 忠三郎は、周囲を憚るように声を潜めた。
 義太夫はちらりと周囲を見回し、さらに声を落とす。
「やはりそう思うたか。中務が倒れた当初から、これは島津本家もしくは、抗戦派の兄弟からの毒盛りではないかとささやかれておるわい」
 忠三郎は唇を引き結んだ。
 家久が病に伏せたと聞いたときから、心のどこかで、この疑念はよぎっていた。
 ——あまりにも出来すぎている。
 家久は、島津家の中で最初に、豊臣の和睦を受け入れ、秀吉に従う道を選んだ男だった。それゆえ、抗戦を唱える兄弟たちの目には、家の威信を損なう裏切り者と映っていたことだろう。
 この九州において、戦乱が終息するかどうかは、もはや家久の動向にかかっているとも言えた。
 そして、その家久が病に倒れた——。
 これがただの偶然なのか、それとも、誰かの意図が働いているのか。
 義太夫の言葉は、静かな水面に落ちる小石のように、忠三郎の胸の内に波紋を広げた。
 しかし、その真相は分からない。
 それこそが、この世の理不尽というものなのかもしれない。
「鶴、そう早急に答えをだすな」
 義太夫の声音は、どこか諭すようだった。
「毒盛りはあくまで噂に過ぎぬ。まことのことは誰にもわからぬ。なんというても…」
「なんというても?」
 問い返す忠三郎に、義太夫はふっと笑い、夜風に髷を揺らした。
「これもまた天命。天が許すことなくば、一羽の鳥さえも地に落ちることはないと、そう言うではないか」
「天が許すことなくば…」
 如何なる理不尽なことであっても、それは天が許したことなのだと、義太夫はそう言いたいのだろうか。
 だが、それではあまりに無情ではないか。
 家久が、あの夜、杯を傾けながら語った言葉が思い出される。

——忠三郎殿、武士とは妙なものよな。生国も身分も違えど、こうして肩を並べて酒を飲むこともある。
 その笑顔の裏に、どれほどの想いがあったのか。
 島津を守るため、家久は自らを捨てたのではなかったか。
 その命が、ただ天の気まぐれで断たれるというのなら——あまりに理不尽ではないか。
 遠くで、潮騒がかすかに響く。風のように掴みきれない運命、過去の語らいが今や儚く消えゆく。
 寄せては返す波のように、忠三郎の胸に、言いようのない思いが広がっていった。


 筑前国の博多。
 はるか昔より、この地は大陸との交易や外交の要として栄え、太宰府が置かれて千年余りが過ぎた。
 遣唐使が行き交い、宋の商人たちが異国の品を運び込んだ日々。港には南蛮船が浮かび、市には異国の言葉が飛び交い、あらゆる文物がここに集った。かつては、まさしく日の本の西の玄関口ともいうべき地であった。

 しかし、戦乱はこの町を容赦なく飲み込んだ。
 灰燼に帰した屋敷、踏み荒らされた市井、黒く焦げた社の鳥居。かつての賑わいは影を潜め、残されたのは、幾度も戦火をくぐり抜けてきた者たちの嘆きだけ——。

 その博多を、今、秀吉は新たな戦の礎とすべく復興させようとしていた。
 海の彼方、大陸への道を開く要の地として。
 家臣たちに命じ、区割りを定め、再び町を蘇らせるべく工事が進められている。だが、復興の槌音が響くたび、そこに生きる人々の胸には、言い知れぬ不安が募っていくのを誰が気づいていただろうか。

 この町は、再び商人たちの笑い声に満ちるのか。
 それとも、さらなる戦の渦へと巻き込まれてゆくのか——。

 博多の港には、南蛮船の影がゆらめいていた。
 潮の香を孕んだ風が帆を撫で、沖合には、異国の旗を掲げたフスタ船が静かにたたずんでいる。陽を受けて鈍く光る大砲の砲口が、まるでこの国の行く末を見据えているかのようだった。

 その港を目指し、忠三郎と義太夫は肥後の地を発った。
 馬上の忠三郎は、仰ぎ見る空に遠い故郷の日野を思う。戦に翻弄され、秀吉の命により幾度も故郷を離れた身。日の本がひとつにまとまろうとしている今、その先に広がるのは新たな戦なのか、それとも——。

 港に降り立つと、潮騒の中に南蛮語の喧騒が混じる。
 遠く沖には、大砲を積んだフスタ船が揺蕩い、陽の光を反射して鋭く光っていた。
 異国の風が吹き抜け、博多の町並みに溶け込んだ教会の鐘の音が微かに響く。

 忠三郎と義太夫は、静かに歩を進め、高山右近の許を訪ねた。
 迎えた右近の表情には、かすかな翳りが差している。
「ポルトガルの軍船を用立てるなど、あり得ませぬ」
 右近の声は静かで、けれど揺るぎない。
「この上、戦乱を招けば、さらに多くの国や民の嘆きが増すだけとなりましょう」
 それは、右近の信仰から発せられる言葉のようだ。
 戦の世に生きながらも、右近は剣ではなく、信仰によって道を切り拓こうとしている。
 その眼差しの奥には、幾度も血に染まったこの国の地に、泰平が訪れることを願う、深い祈りがあった。
「されど……」
 忠三郎が言葉を継ぐと、右近はふっと目を伏せた。
「コエリョ神父が——」

 イエズス会日本副管区長、ガスパル・コエリョ。
 秀吉の意向を汲み、軍艦を調え、大陸征服の折にはキリスト教を広めようと目論んでいた。
 そのため、彼は博多沖に大砲を積んだフスタ船を停泊させ、秀吉にその武威を示そうとした。
 だが、潮目は変わった。
 本国スペインは秀吉の野心を警戒し、イエズス会も軍船の斡旋を拒んだ。
 思惑の狂ったコエリョは、いまや岐路に立たされている。

「それでは、関白の機嫌を損ねるのでは?」
 忠三郎が問うと、右近は深く頷いた。
「まことに、忠三郎殿の仰せの通り」
 しかし、その声はどこか重く沈んでいる。
 右近は静かに天を仰ぎ、微かに唇を動かした。

——幸いはなるかな、平和ならしむる者。その人は神の子ととなえられん。

 もし神の子として生きるならば、戦の道を避けねばならない。
 たとえその選択が、この世の権力者の怒りを買うことになろうとも——。

「されど、ここで殿下の命に従い戦船を用立てては、神と人の前で何の申し開きもできぬこととなりましょう」

 その言葉は、揺らぎなき決意のようだった。
 遠く、博多の海が静かにたゆろう。
 波間に映る夕陽は、血のように赤かった。

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