獅子の末裔

卯花月影

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31.会津

31-3. 白雪に誓う

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 十一月。

 忠三郎は兵を率いて、会津・黒川城より出陣した。
 朝、霜が降り、吐く息も白く凍るような冷気の中、野営する兵たちの口からは、次第に弱音が漏れはじめていた。
「お、おう、耳がもげそうじゃ……」
「会津の寒さは聞いとったが、奥州の風は皮膚に刺さるようじゃのう……」
「鎧の下に、炭でも詰められんもんかのう……」
 重苦しい空気が陣中を包み、士気は目に見えて下がっていた。

 乳人子の町野長門守も体を縮こませ、ガタガタと震えている。
「如何した、長門」
「いやはや、ここまで寒いとは…これは想定外にて…」
「皆、寒さに震えておるのう」
 忠三郎はふと、天を仰いだ。灰色の空の向こうに、どこかで雪の気配が息をひそめている。
 そして、にやりと笑ったかと思うと、不意に甲冑の紐を解きはじめた。
「……と、ととの、殿ッ!?」
 町野長門守をはじめ、周囲の家臣たちが色めき立つ。忠三郎は何を思ったか、まず鎧直垂を脱ぎ、その下の肌着も脱ぎ捨て、ついにはふんどし一枚の姿になった。
 たちまち白い吐息が立ち昇り、凍てつく空気に肌が晒される。

 だが忠三郎は平然としていた。
 鍛え抜かれたその体に、再び胸甲をかぶせ、甲冑を身にまとっていく――さながら古の武神の如く、裸に甲冑を着けるその姿は、どこか威厳に満ち、そして……少しだけ可笑しかった。
「我を見よ!寒さなど、恐るるに足らず!」
 忠三郎がそう高らかに言い放つと、あたりにいた家臣たちは一瞬言葉を失い、呆然と見つめた。
 ……沈黙。風の音。白い息。
 そして、誰かがぽつりとつぶやいた。
「殿……まことに……湯殿と間違えておられぬか……?」
「たわけたことを申すな!これは戦支度。心の鎧を温めておるのじゃ!」
 忠三郎がそう返すと、どっと笑いが起きた。
「お、おう! 殿がやるなら、わしもっ!」
「やってやろうじゃないかァァ!」
「脱げ脱げ! この寒さ、殿に負けてたまるかい!」
 次々と、家臣たちがわらわらと鎧直垂を脱ぎはじめた。
 あっという間に、寒空のもとに裸の男たちが並びはじめるという、なんとも奇妙な光景が広がる。
「おい、利兵衛! 腹がつっかえて胸甲が締まらんぞ!」
「弥八、おまえ腹巻きまだ巻いてるじゃろうが、それは卑怯ぞ!」
「寒くなんか……寒くなんかないわい!! ううっ、さぶッ!!」
 中には鳥肌が立ちすぎて鎧が浮いた者までいた。
 そんな中、ただ一人、忠三郎だけが凛としていた。
 寒さに震える声をよそに、その声は真っすぐで、曇りなく響いた。
「この寒さも、民を守るための道ならば、なんのことはない。身を清める水と同じじゃ。むしろ目が覚める」
 そしてぽつりと、笑みを浮かべて続けた。
「――まぁ、春先までは目が覚め遠しになりそうじゃがのう」
 笑いが再び陣中に広がった。不思議なことに、誰の肩も震えてはいても、顔にはもう弱気な色はなかった。

 冗談のような寒稽古――それが、いつしか士気を高める儀となった。
 こうして、奥州の寒風の中、ふんどし一枚に甲冑をまとった異様な軍勢が、ひとつの心で前へと進み出した。
 その様子を、山陰から見ていた村人たちは、目を丸くして言った。
「……あれが、蒲生様の軍勢かの……?」
「まるで裸祭りじゃな」
 だが、その姿には、確かに何かを超えた清々しさと、奇妙な威厳が宿っていた。
 
 白く煙る山々を越え、寒風を斬って進む裸甲冑の行列は、ついに二本松の地に差しかかった。
 冬枯れの野に、あやしくも勇ましい軍勢の姿が現れると、領内の村人たちは鍬を放り、柴を抱えたまま立ち尽くした。
「……あれが、うわさの蒲生の殿か」
「裸に鎧……いや、鎧に裸、じゃなかろうか」
「ほうじゃの、どっちが主かわからんが……まあ、目が覚めたわい」
 そうして見守るうち、軍勢の先頭で、忠三郎が満面の笑みで声を上げた。
「おお、二本松はよう晴れておる! 良き城じゃ、良き空気じゃ!」
 その顔には旅路の疲れなど微塵も見えず、頬に貼りつく霜さえ笑っているかのようだった。
 だが背後の家臣たちはというと、明らかに顔色が青く、唇を噛みしめていた。
「……さすが、幼い頃から鳳の雛と呼ばれた御仁じゃ」
「寒さに酔うておられるのでは……?」
「いっそ本丸に湯を張ってくだされ、のう?」

 二本松城の門が開き、城内から迎えが出てきた。
 先頭に立つのは、城代の坂源次郎改め蒲生源左衛門。ジョアンの名を持つキリシタンだ。日ごろから忠三郎の不可解な行動には耐性のある家臣だったが、今度ばかりはさすがに眉をひそめた。
 なにせ目の前に立つ主君が、どう見ても鎧直垂も肌着も着けておらず、ふんどし一枚に甲冑という、異様きわまりない姿なのだから。
「と、殿……?」
「源左衛門、大儀じゃ」
 まるで湯上がりにでも声をかけるような調子で、忠三郎がにこやかに手を振る。
 源左衛門は、しばし口を開けたまま立ち尽くしていたが、ほどなくして顔を引き締め、深々と一礼した。
「……これは、勇ましき寒稽古の果てとお見受けいたす。どうぞ、すぐに温かきものを」
「うむ、湯と酒と漬物、それに火鉢を十ほど」
 背後から「十では足りませぬ!」と哀鳴のような声が上がった。
 それを聞いた忠三郎は、にやりと口元を吊り上げた。
「いやいや、これぞ武士の心意気。されど――さすがに風邪をひいては笑いごとではすまぬでな」
 そう言って自ら門をくぐると、兵たちも続々と城内へなだれ込んだ。
 雪の気配すら漂う晩秋の空気の中、ふんどし甲冑の軍勢が、堂々と二本松の城下を揺らしながらの入城を果たした。

 その夜、城内には篝火がともされ、兵たちは湯殿にてようやく息を突く。
 湯気の立ちのぼる中、そこかしこから歓喜の声が湧き上がった。
「ひぃぃ~っ、生き返るううう……!」
「風呂……風呂ってありがたいんじゃのう……」
「殿のおかげで魂まで温まったわい……」
 その湯殿の隅では一足先に湯殿からでてきた忠三郎が鼻歌を口ずさんでいた。
「♪湯に揺れ 腹も揺れつつ 戦支度……ふむ、これも歌になるのう」
 口ずさむその鼻歌は、少し調子外れで、しかし妙に味があった。
 その表情は、戦国の将とは思えぬほど柔らかく、どこか子供のようでもあり、そしてなにより――少し、誇らしげであった。

 夜半、二本松城から見下ろすと、雪は城下をすでに白く覆い尽くしていた。
 月光を吸い込んで静かに光る雪。梢の一つひとつが凍え、風さえ息を潜めるその景色は、まるで時間そのものが凍りついたようだった。
 忠三郎は濡れ縁に腰を下ろし、湯呑から立つ湯気をじっと見つめていた。
 この雪の下には、かつて己が命じて焼いた村々の跡がある。
 豊臣家の命とはいえ、その手で多くを焼き、多くを失わせた。
 老も子も、誰の祈りに聞かれることもなく、ただ白く消えていった。

 ――命は、我がものにあらず。
「己のいのちを愛する者はそれを失い、この世でそのいのちを憎む者はそれを保って永遠のいのちに至る」
 かつてロレンソが語った、あの言葉が静かに胸の内に甦る。
 人は地の塵で造られ、神によって命の息を吹き込まれ、生かされ、そして天に召される。
 忠三郎にとって、命とはもはや、己の所有物ではない。
 与えられ、生かされ、そして――何のために燃やすべきかを、問われているものだった。

 そのとき、町野長門守が慌ただしく現れた。
「と、殿……少々、妙な客人を……」
 その後ろには、見慣れぬ武士姿の男が一人、もう一人は、町人風ながら妙に落ち着いた身のこなしをしている。
「ふむ、さては温まらずに帰る客か?」
 と忠三郎が軽口を叩くと、長門守は苦笑しながら答えた。
「いえ、伊達家の家老、須田伯耆殿にござります」
 その名に、控えていた家臣たちの空気が一変する。
 須田伯耆といえば、奥州・伊達政宗の側近中の側近。その彼が、敵陣に足を運ぶなど尋常ではない。

 須田は静かに頭を下げ、すぐに隣の町人風の男に目をやった。
「この者は、政宗公の祐筆を務めております、曾根四郎助。……お預かりしている書状がございます」

 忠三郎が頷くと、曾根四郎助は懐から一通の密書を取り出した。封は切られ、内容が読み解かれている。
 曾根が差し出した文を読み下ろす間、雪は音もなく降り積もり、灯火の揺らぎが書状の文字を泳がせた。
 忠三郎は、書状を手にしたまま、長く視線を落とし、言葉を発しなかった。

 政宗――。

 その名を聞くだけで、胸の奥が疼く。
 孤独を鞘に収め、野心を笑みで隠す、獣のようなまなざし。いまその名は、自分の命を断つ言葉として突き刺さる。
「これは……政宗殿が、一揆の首謀者に宛てた……?」
 そこには信じがたい言葉が並んでいた。

 ――伊達家よりの助勢、時機を見て蜂起すべし。
 ――蒲生勢、出陣すればこれを挟撃する可し。
 ――忠三郎、討つべし。

 その場にいた家臣たちの顔色が変わる。
 ひときわ強張った顔で、町野長門守が前に出た。
「殿! これは罠にござる。出陣など、もってのほか!」
 蒲生源左衛門、蒲生忠右衛門も顔色を変えて前に進み出る。
「伊達家が我らを謀ると知れた以上、なおさら動いてはなりませぬ。ここは二本松を固め、相手の出方を――」
 さらに一人の家臣が、遠慮がちに口を開いた。
「殿……今しばらく、様子を見ては。二、三日ほど……雪も深くなりましょうし……」
 忠三郎は、文を畳み、静かに笑った。
「なるほど。二、三日様子を見れば、向こうの腹も見えると」

 そう言って一同を見渡し、ゆっくりと言葉を続けた。
「いかにも我らはこの地に慣れてはおらず、また雪中での行軍にも不慣れ。されど大義は我らにある。みな、恐れるな」

 ざわめく家臣たちの前で、声を張ることなく、けれど確かに告げた。
「左京大夫がその気ならば、こちらも腹をくくるしかあるまい。もともと、そうなれば一戦交える覚悟で会津を出たのじゃ」

 苦笑まじりに言いながら、扇子で手元の火鉢をあおぐ。
「よって、軍を進めよ。伊達勢より先に、二本松を押さえる。好機は、待つものではない。迎えに行くものじゃ」
 家臣たちはその柔らかな言い回しの奥にある、ゆるぎなき意志を悟り、深く頭を垂れた。

 忠三郎はふと、夜空を仰いだ。
 星ひとつ見えぬ曇天。
 けれど、その奥に、光はあると信じていた。
「主こそ神。われらを造りたまえるものは主にましませば我らはその屬なり。 我らはその民その草苑の羊なり」
 それは、苦しいときに思い出す言葉だった。
 裏切った兄、一益。
 奪われた故郷、日野。
 焼かれた村々、血に染まった畦道。
 それでもなお、自分は今日まで、生かされてきた。

 ならば、その命を惜しむ理由はない。
 押し黙った家臣たちの中で、ただ一人、町野長門守がぽつりと言った。
「……では、今度は湯ではなく、火のなかへ飛び込むので?」
 忠三郎は、ふっと笑った。
「うむ。腹も据えておる。今度はふんどしで火中に飛び込む覚悟じゃ」
 家臣たちの笑いのなかに、ひとすじの涙を落とす者がいた。

 その夜、篝火が再び高く燃えた。
 出陣の支度が静かに進められ、雪はしんしんと、音もなく降り積もっていく。

 翌朝、白き雪を踏みしめ、忠三郎は出陣した。
 背に負うは甲冑、胸に宿すは十字架。
 誰が敵かも定かならぬ戦の道。
 それでもなお――命を、神に捧げる覚悟で、忠三郎は歩き出していた。
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