獅子の末裔

卯花月影

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31.会津

31-6. 京儀を嫌い申す

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 京の町並みが遠くに見えたとき、忠三郎は馬上で目を細めた。
 幾度となく夢に見た都の屋根。瓦のひかりが、春の陽に滲んでいた。
 霞のなかに浮かぶ五重塔、桃色と白の花が咲き誇る山裾の社、賀茂川のほとりでは花売りが声を張り上げていた。どこかからか笛の音が聞こえ、それに混じって小舟の櫓が水を割る音がさやかに響く。
 かつて織田家が栄えたこの地に、今ふたたび足を踏み入れる――
 それは過去と向き合う旅でもあった。
 父の影、織田家の家臣たちの声、そして、自らの選んできた道。
 それらが空の霞のように、胸の奥で静かに揺れていた。

 聚楽第へ着いたのは午後の初め、庭には山吹が咲きはじめていた。
 名残の冷気に混じって、桃のかおりが漂う。高楼にかかる金箔の飾り、各所に配された唐渡りの品々――異国の香を帯びたそのきらびやかさは、現のものとは思えぬ浮世の栄華だった。
 案内された大広間には、すでに重なるように諸将の姿があった。

 豊臣秀吉――今や天下を握る男。
 その側近、浅野長政と石田三成。
 そして、木村吉清父子――あの雪の名生で共に耐えた者たち。
 だが何よりも、対座する一人の男の姿が、場を支配していた。

 ――伊達政宗。

 若く、獣のように鋭い眼差しが、忠三郎を射抜く。
 だが忠三郎は、いつものように、飄々と口元をほころばせた。
「おお……これはこれは。お変わりなさそうで、何より」

 政宗の眉がぴくりと動く。
 火花のような緊張が、広間を包んだ。
 その空気を断ち切るように、石田三成が進み出る。手にしていた密書を、静かに秀吉の前に差し出した。
「殿下、ご覧ください。これこそが、伊達左京大夫殿が国衆に出した密書にござります」
 秀吉はそれを受け取り、何も言わず目を通す。
 室内にただ、紙をめくる音が響く。
「……それは偽書にございます」
 政宗が口を開いた。
 声音は淡々としていたが、明らかな怒りが込められていた。
「我が花押――『セキレイ』の目には、針で穴をあけてある。それが証。だがこの文には、それがないのではありますまいか」

 その場が静まり返る。
 誰もが、その言葉の虚ろさを見抜いていた。
 だが秀吉は、笑みを浮かべた。
「ほう。では、左京大夫……その偽書に煽られた一揆の残り、おぬしがきっちり鎮めてみせよ。――それができるな?」
 政宗の顔が一瞬、凍りついた。
 秀吉はさらに続ける。
「そして――これより、伊達領のうち、長井・信夫・伊達・安達・田村・刈田の六郡四十四万石を没収し、会津少将に与える」
 広間の空気が一変した。
 政宗の指が、膝の上でかすかに震える。
 忠三郎はなおも静かに微笑んでいた。
 だが、その笑みの奥にあるものを、政宗は見逃さなかった。
 ――勝者の余裕ではない。
 ――赦しを拒む冷ややかさが混ざり合う、苦い微笑みであった。
「……面白い」
 政宗が立ち上がった。
 その声には笑みがあった。
 だが、忠三郎を射抜くその目は、炎のように憎しみに燃えていた。
「上手く立ち回るものよ。……会津殿」
 政宗は踵を返し、長裃の裾を払って広間をあとにした。
 その背は、笑っていながらも、怒りと屈辱に満ちていた。
 残された忠三郎は、誰の顔も見なかった。
 ただ、遠くに咲く山吹の揺れを眺めていた。

 春が来るたびに、また誰かが血を流す。
 そしてそのたびに、自分の手は、少しずつ冷えていく。
 ――赦しとは何か。
 この騒ぎの中に、果たして神の御心はあるのか。忠三郎の胸には、また一つ、新たな祈りが沈む。
 政宗の去った聚楽第の広間には、一瞬だけ深い静けさが訪れた。
 だが次の瞬間、秀吉の顔に浮かんだのは、少年のように無邪気な笑みだった。

「いやあ、見事な裁きじゃったろう、忠三郎殿」
 場の空気が和らぐ。
 浅野長政が苦笑し、石田三成は黙して袖の内で扇をたたむ。
 忠三郎は笑顔のまま、深く頭を下げた。
「はっ。さすがは殿下」
 秀吉は満足げに頷くと、急に顔を寄せるようにして言った。
「――さての。そなたにちと、相談があるのじゃ」
 声をひそめながらも、目は爛々と輝いていた。手に入れたい獲物を思い描く、狩人のような光。

「おぬしの元におる成田甲斐という女子――。上方にも噂が届いておる。わずか数十騎で城を奪い返した胆力。しかも器量もなかなかと聞く。……のう、忠三郎殿」
 秀吉の声は、酒を含んだように柔らかく、それでいて逃れられぬ圧を含んでいた。
「その女子を、わしの側室に召し抱えたいと思うておるのじゃ。成田家ともゆかり深きそなたなら、話も通しやすかろう」
 忠三郎は、一瞬だけ言葉を失った。
 口元に笑みを保ちつつ、喉の奥がひりつく。
 甲斐を、秀吉の――。

 まさか、と思った。だがそれは、あまりに甘い考えだった。
 戦乱の世において、女が武を立てれば、その名はすぐに男たちの間で広まり、時にはその命さえ、戦利品のように扱われる。
 その瞬間、ふと、過ぎし日の情景が脳裏をよぎる。

 ――章姫。
 織田信長の娘とされていた、美しく、艶やかな姫。自らの館に置き、穏やかな夜の灯りに、膝を寄せ合って盃を交わした日々。だがそれは、恋慕というにはどこか儚く、切なさが伴っていた。
 後になって、ある章姫の母親から漏らされた言葉に、忠三郎は耳を疑った。
 「……あの方は、左近様の娘にございます」
 思い返せば、仕草のひとつひとつに、義兄・一益を彷彿とさせるものがあった。
 高潔で、冷静で、それでいて誰よりも人の情に通じていた。
 ――自分が最も憧れ、最も遠ざけてしまった男。

 自分は、章姫のうちに、一益の幻を追っていたのではないか――
 そう気づいたときにはもう遅かった。
 秀吉が「信長公の血筋を手中に」と口にしたその日、忠三郎は章姫を差しだした。
 あの冷えた雨の夕刻、黙して輿に乗る章姫の横顔は、何も責めなかった。
 だが、ただ一度、忠三郎を見つめたその瞳には――たしかに、滝川一益と同じ何物にも動じない色があった。

 それが政道だと言い聞かせても、胸の奥に渦巻く無念は消えなかった。
(また、同じことを繰り返すのか)
 今度は、あの甲斐を。

 忠三郎は目を伏せ、深く一礼した。
「恐れながら……甲斐は未だ若く、城の再建や家中の取りまとめに心を砕いております。それがしよりも、まず父君・氏長殿よりご意向をうかがうべきと存じまする」
 秀吉はくく、と笑った。
「まあ、あまりに急いては野暮というものじゃの。そなたに任せる。――うまく取り成してくれ」
 忠三郎は再び頭を下げた。広間を後にしながら、己の歩む道が、再び誰かの尊厳を犠牲にして築かれていることを、噛みしめていた。
 その胸中に、かつて章姫が微笑んだ姿が、ふっと浮かんでは、消えた。

 夕暮れの京の風は、春だというのにひどく冷たかった。
 金箔の鴟尾が沈む夕陽を浴び、雲は紫に染まりはじめていた。
 街では花灯籠の火がともり、三条の橋のたもとからは鼓や三味線の音が流れ出す。
 屋敷に戻った忠三郎は、ふだんのように笑みを浮かべることもなく、ただ硯の前に座った。
 灯明の揺らぎが障子にゆれ、筆を持つ手に微かに震えが走る。

 ――あのとき、なぜ甲斐を傍に置いたのか。
 戦の功を褒めたのか。哀れみだったのか。
 いや、彼女の強さに惹かれたのか、それとも弱さに。

 男と女の情ではなかった。それは確かだ。
 だが、己の傍に置き、戦乱の余火に巻き込んだ責めは、避けようもなかった。
「――甲斐……すまぬ」
 声にならぬ声が、胸のうちに落ちる。
 やがて忠三郎は、筆をとり、成田氏長に宛てて手紙を書き始めた。
 ――娘御のこと、関白殿下が関心を持たれております。
 文の行間に、言葉にできぬ思いがにじむ。
 贖罪とは、何をもって果たされるのか。
 信仰とは、ただ自らを赦すための盾であってはならない。

 忠三郎は筆を置き、しばらくその文を見つめた。
 夜が更け、遠くから鼓の音がかすかに聞こえた。
 都の春は、皮肉なほどに、花の盛りを迎えていた。

 聚楽第の屋敷に戻った忠三郎のもとを、夜も更けぬうちに黒田官兵衛が訪ねてきた。月が高く、京の空には薄い霞がかかっていた。軒下をくぐる夜風が、どこか遠くの田舎の土の匂いを運んでくる。火灯しの明かりが、二人の影を障子に映していた。
「忠三郎殿……一つ、耳に入れておきたいことがござる」
 そう前置きした官兵衛の顔には、いつも以上の翳りがあった。
「奥州の騒乱、こたびの葛西・大崎の件じゃが…」
 官兵衛は言葉を切り、少し杯に口をつけたあと、低く続けた。
「旧大崎・葛西領に木村吉清・清久親子が配されたとき、おぬしはどう思われたか」
 忠三郎は答えず、静かに眼差しを落とした。木村父子は、突如として三十万石の地を与えられ、政宗を押さえるかのようにその北隣に封じられた。
「……はじめから、一揆が起きると、誰かは読んでおったということか」
 官兵衛は頷いた。
「殿下は、伊達左京大夫の心を見抜いておられた。大人しゅう収まる男ではないと。ならば、一度あの地を攪乱せしめ、左京大夫を試し、挙げ句の果てに責める口実とすればよい……そう、考えられたようじゃ」
「……木村殿は、捨て駒だったのか」
「そう申しても、言い過ぎではあるまい。目立った功績もない木村殿を、兵も治政の基盤もろくに与えず、いきなりあの荒地に投じた。左京大夫を刺激するために、あえてあの木村を使うたのじゃ」
 忠三郎は、掌にある杯を強く握りしめた。微かに器が鳴った。
 そうではないかとは思っていた。あまりにも唐突すぎる封地、あまりにも拙速な命令、そして何より、あまりにも血のにおいが早すぎた。

 だが――。
 やはり、そうなのか。
 木村親子は、豊臣の威信の礎として、あの地に投じられたにすぎなかったのか。あの地に暮らす民すらも、政略の駒にすぎなかったのか。
「……なんとも殿下らしい…」
 官兵衛は杯を置き、言った。
「忠三郎殿。政とは、そういうものです」
「……して、官兵衛殿は、それを良しと?」
 静かに問う忠三郎の目は、まっすぐだった。官兵衛はその視線を受け止め、ほんの一瞬、表情を陰らせた。
「良しとは申さぬ。だが、悪しきものを打つために、なお悪しき手を使うことも、乱世には必要とされる。……その上で、いかに善を残すかが、我らの勤めでござろう」

 その言葉に、忠三郎は再び杯を見た。そこに映る灯明の揺らぎは、まるで己の心そのもののようだった。
 奥州の地に放たれた数万の命。それは秀吉の掌で操られた駒にすぎず、木村親子の悲運も、民の嘆きも、その劇の一場面にすぎないのか。
 怒りが胸に湧いた。しかし、それをぶつける先は、どこにもなかった。

 豊臣に仕え、栄達を得た己もまた、その掌のうちにある駒にすぎぬのか――。
「奥州の騒乱、葛西・大崎のみとお思いか」
「いや…上杉領でも一揆が起きたと聞き及びましたが…」
「いかにも、奥州各地で一揆が起きておる。仙北、由利、庄内の藤島、和賀、稗貫――皆、口を揃えて言うことは『京儀は嫌い申す』」
「京儀は嫌い申す…」
 忠三郎は静かに目を伏せた。
 京儀――。
 都で決められた掟、法、尺度。すなわち豊臣政権の施政そのものを指す言葉。
 その「正しさ」が、遠く離れた奥州の民にとっては、重しであり、呪いであり、刃となっている。

 官兵衛は、まなざしを灯明の陰に沈めたまま、なおも言葉を継ぐ。
「このたびの検地は、畿内の尺度をそのまま北へと押しつけた。されど奥州の地は、春遅く、冬は長い。山間の寒冷な土地にては、同じ反別で同じ量の米は取れぬ。……それを知らぬ者が筆を執り、槍で脅して田畑を測る。百姓どもが抗えば、即刻なで斬り。すでに死者も出ております」
「……それはいささか、わしが聞いた話とは違う。年貢は土地の等級分けが行われ、収穫量を策定していると聞き及んでいたが……」
 言いながらも、忠三郎の声には迷いが混じっていた。
 誰よりも現地を歩き、農の難しさを目の当たりにしてきた自分が、それを信じてよいのか――心が揺れていた。
 すると傍らに控えていた町野長門守が小さく咳払いした。
「如何した長門」
 問いかける声が自然と低くなる。
「殿…。実は黒田様の仰せの通りにて…。検地に使われる枡も竿も上方のもの。その尺度ではかられ、挙句、二公一民では五畿内であればまだしも、奥州では餓死者が出るほどの重い負担となりまする」
「何故、それをわしに言わなんだ?」
 震えを帯びた声。怒りよりも、焦りと無力感が滲んでいた。
「実は検地を実施したのは我らではなく、関白殿下でござります。迂闊に命に背くようなことをいたせば、我らにまで危害が及ぶ恐れがあり…」
「関白…」
 秀吉が関白職を甥の秀次へ譲り、大陸へと目を向けはじめた日から、確かに政の風向きは変わった。
 小田原征伐の熱も冷めぬうちに、会津に入った大軍は、まるで鎖を引くように、冷たく無機質に検地を進めた。
 忠三郎は困惑したまま、町野長門守の顔を見、そして官兵衛の顔を見た。
「……官兵衛殿。これは……」
 灯明が揺れ、その黒い瞳に影を落とす。

「関白殿下は職務に忠実だったまでのこと。そして太閤殿下はこれより海の向こう、大明との戦さを控えておる。大戦を前にこの日の本の主が誰であるのか、下々の者にわからせるために行われたものかと」
 官兵衛の言葉は、風のように静かだった。だがその一語一語が、忠三郎の胸に、鉄の塊のように重く沈んでゆく。

 ――「わからせるため」。
 誰に、何を、「わからせる」というのだ。
 犠牲となる百姓たちの命の重さは、政の名の下では、言葉ひとつにすり潰されてゆくのか。
 忠三郎は目を伏せた。
 その胸奥で、声なき悲鳴が響いていた。
 かつて、一益は言った。
「民を愛する者は強く、民を愛さざる者は弱し」と。
 その教えを心に刻みながら、己は何も為せぬまま、ただ命を受け、兵を動かし、地を奪い、女を差し出し、土地を測らせてきたのではないか――。

 灯明の炎が揺れ、忠三郎の影を長く伸ばした。
 今や九十二万石――徳川、前田に次ぐ地位を得た忠三郎。その背に、これまでとは比べものにならぬ重みがのしかかっている。

 民の声を聞く者として、政を預かる者として、そして――キリシタンとして。
 何が、最も正しいのか。
 神の御心に叶う行いとは、果たしてこの血に染まった加増なのか。
 忠三郎は、ふと視線を遠くにやった。障子の向こうには、まだ散らぬ桜の花が夜風に揺れている。
 京の春は、あまりに華やかだった。
 だが、その華やぎの裏には、寒さに震える民がいた。奥州の雪に埋もれた村々。泣く子を抱きしめながら、米一粒にも手を伸ばせぬ母たちの姿が、ありありと目に浮かぶ。

 己は本当に、正しき道を歩んでいるのか。
 己の選んだこの道の先に、何があるのか――。

 忠三郎は、杯を静かに置いた。
 火の気のない室内に、灯明の小さな炎が揺れている。蝋の香が、かすかに春の夜気に混ざった。
 官兵衛は、言いにくそうに目を伏せ、なおも続けた。

「……六月には、再び奥州へ大軍が差し向けられます。太閤殿下の命により、徳川殿、前田殿も自ら兵を率い、仕置の名のもと、奥州に残る一揆を鎮圧する手筈となるかと」
「……再び、奥州へ…」
 忠三郎の声は低く、灯明の火に吸われていくようだった。
 再仕置――。すなわち、もう一度、武によって秩序を打ち立てるということ。かつて自らも加わった奥州仕置。あのとき命からがら逃れた者たち、雪のなかに埋もれた叫び、母の亡骸にすがりついて泣いていた子どもたち。その全てが、今ふたたび、剣の下に晒されようとしている。
「戦なき天下を掲げながら、戦をもって静謐を得る……皮肉なものにて」
 官兵衛は静かに呟いたが、忠三郎はその言葉には答えなかった。
 胸の奥が、静かに軋んでいた。
 加増を受けたばかりだ。だがその米一粒一粒は、誰かが耕し、誰かが汗を流して得たものだ。それを積み上げることで自分が得たものは、ほんとうに「報い」なのか。
 心は、かつてなきほどに、沈んでいた。
 武をもって征する政。征しては改め、改めてはまた、征する。人の世とは、かくも果てなき戦いの繰り返しなのか。政の正義とは、果たして誰のためにあるのか。

 忠三郎は、再び梅に目をやった。
 その一輪が、風もないのに、ふいに揺れた気がした。遠い地の誰かの呻き声が、目には見えぬ風となってこの京の空に届いたかのように。
 いっそ、己の手を汚さぬままであれば、もっと心は穏やかだったかもしれない。だが、自らの手で地を治め、自らの名のもとに人が死ぬことの意味を知った今となっては、もはやその頃の無垢には戻れない。

 ――主よ、我に問いを与え給うか。
 忠三郎は、手を組んで心のなかで祈った。

 殺すことが正義と呼ばれ、征服が秩序と化すこの世において、あなたはなお、われらに赦しを与えられるのですか、と。
 官兵衛が、静かに席を立つ気配がした。
「夜も更け申した。これにて、失礼つかまつる」
「……官兵衛殿」
 忠三郎が呼び止めると、官兵衛は振り向いた。そして、ふっと目元を和らげた。
「ただ……祈り、苦しみぬいた末に選んだ道であれば、それはきっと、みこころに叶う道でござりましょう」
 その言葉を背に、官兵衛は静かに去っていった。
 忠三郎は、障子に揺れる灯明の影をじっと見つめていた。
 夜は、まだ明けない。
 だが、その闇の深さを知った者だけが、やがて訪れる曙のかすかな光を見つけるのかもしれない。

 梅がまたひとひら、舞い落ちた。遠い奥州の空に咲いた、名もなき祈りのようだった。
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