滝川家の人びと

卯花月影

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8 一期一会

8-1 一期一会

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 南近江日野、中野城の一角にある庵。
 こちらへ…と案内された先にあったのは、身を屈めなければ通れないような、小さな入口だった。

 一益はふと思い出していた。
 摂津からの帰路、信長に「左近、茶の湯は覚えたか」と問われたことを。
『安土の天主が完成した暁には茶会を催す。その時までに備えておけ』とまで言われ、あわてて忠三郎に教えを乞うたのであった。
 そのおかげで今、こうして茶の湯の作法を学ぶ身となったのである。
「はて、これは…ここから中へ入ると?」
 一益が怪訝な顔をすると、忠三郎が微笑んで頷く。
 妙なことをさせられるな、と思いつつ、草履を脱ぐ。入口をくぐろうとすると、忠三郎が軽く制する。
「お待ちを。入口に刀がつかえまする。それなる刀掛けに刀を預けて入ってくだされ」
「何、刀を預けると」
「はい。それが作法。持つものは扇子と懐紙のみ。刀を預けた上で、頭を下げ、にじって入るゆえ、この入口を『にじり口』と申しまする」
 言われた通り、膝をまげてにじって中へ入ると、たちまち外の光が遮られ、薄暗さと炭火のほのかな赤みに包まれた。畳の擦れる音、炉から立ちのぼる湯気、沈むような香りが、心を鎮める。

「何ゆえ、かような面倒なことをさせるのじゃ」
 義太夫が入口に頭をぶつけ、顔をゆがめながら言うと、忠三郎は笑って、
「狹き門より入れ。滅にいたる門は大きく、その路は廣く、之より入る者多し、とある通りじゃ」
 孔子も孟子もそんなことは言っていない。一体誰の言葉なのか、と義太夫が首を傾げる。
 一益は狭く、薄暗い部屋の中を見回しながら、
「それが茶の湯の心得か」
 と問うと、忠三郎がはい、と答える。
「まずは床の間の掛物に一礼したのちに、掛物をよう見てくだされ」
 一益と義太夫は言われたとおり、掛物に目をやる。

 『宜有千萬よろしくせんまんあるべし

 忠三郎の字でそう書いてある。
「唐の吉語にて、限りない福を願うと申します」
 忠三郎はさらりと言った。
 一益には、ただの吉祥の語とは思えなかった。その響きには、戦場の勝敗や富貴をも越え、人の世に静けき和をもたらす祈りが潜んでいるように思えた。
(平安…それを願う言葉か)
 掛物にこめられた思いが、座敷に漂う香や釜の音とともに、じんわりと胸に沁みてくる。
「さすれば、次は、右手で茶碗を取り、左手の上に乗せてくだされ」
 一益が言われるままに茶碗を取ると、忠三郎が続ける。
「茶碗を回し、正面を避けて茶を飲みまするが、飲み干さずに口元を茶巾で拭き、茶碗は反対に回して正面をそれがしに向け、義太夫に渡してくだされ」
「回し飲みか」
「然様。このような濃い茶は濃茶と申し、回し飲みでござります」
「一味同心ということか」
 かつて戦場で、命を共にする契りとして酒を回し飲みしたことを思い出し、一益はうなずく。
 忠三郎が静かに続けた。
「右近殿は申されました。イエズスは十字架にかかる前の晩、己が明日には死に渡されると知りながらも、弟子たちと共に杯を分かち合われたと。それは己の死を告げるためではなく、なお共に生きる契りを示すためであったと」
 戦場に立つ者なら誰しも、明日をも知れぬ命だ。己の死が明日に定められていると悟りつつ、その夜に人と杯を分け合う――。
 それはただの覚悟ではない。死を越え、なお命の契りを同胞はらからに手渡そうとする心であろう。
 忠三郎はさらに言った。
「茶事は、その時かぎりの出会いを重んずるもの。
 明日をも知れぬ命なればこそ、与えられた一刻を共に過ごすことに心を尽くす。これを一期一会と申します」

 その言葉が、音もなく胸の底に沈んだ。
 幾度となく見た戦場の別れ――朝に共に笑った友が、夕べには屍となる。
 その無常を思えばこそ、今ここで与えられたひとときを生き切るのが武士の道だ。
 だが、この「一期一会」という言葉にこめられた契りは、さらに深い。
 ただ死を覚悟して今を燃やすにとどまらず、死の先までも続くかのような静かな確かさを帯びている。

 釜の湯がことりと鳴り、座敷に沈黙が落ちる。
「それは我ら、もののふにも通じるところ。ひとたび戦さ場にでれば、明日をも知れぬ儚き命。しかし、天の下では、何事にも定まった時があり、すべての営みには時がある。生を受けるのに時があり、死ぬるのにも時がある。それゆえにこの与えられし僅かな時を共に過ごすことに心を馳せるのでござります」
 忠三郎が神妙な面持ちで説明する。
「して、あれなる釜の音を聞き、香を聞き、これなる茶碗はなになにの茶碗でござりますな、と言うたり、あれなる掛物は誰それの歌でござりますな、と言うたりして、時を過ごしまする」
 わかったような、わからないような、なんとも言い難い説明だ。
「…で、これなる茶碗はどこの名物じゃ」
 真新しさを感じない、どことなく見覚えのある茶碗だ。蒲生家にあるのだから祖父快幹が所持する、それなりに名の知れたものだろう。そう思って尋ねたが、
「甲賀の信楽で焼いた茶碗でござります」
 釉薬を塗らずに焼き上げることで出る独特の色合いが信楽の特徴だ。見覚えがあると思えば、やはりそうなのか。快幹なら唐物の珍しい茶碗のひとつやふたつ、持っていそうなものだが…。信楽であれば忠三郎よりも一益のほうが詳しい。
「この侘び寂びを感じる簡素な風合い。温かみある人肌を感じさせる美しい緋色。武野紹鴎も村田珠光も認める信楽の窯こそ、まことの茶陶の窯。江南から天下に誇る、城ひとつに値するともいわれるような名器と、評される日も近いかと」
 信楽の窯は鎌倉期、南都焼の流れをくむと伝わり、古来より武家や寺院の調度品にも用いられてきた。よく見ると風炉も釜も香炉も、すべて信楽焼きのようだ。遠い昔、滝城にあった調度品の多くが信楽焼だったことを思い出す。これまで郷愁に浸るなどということはなかったが、こうして改めてみていると不思議な郷愁が沸いてくる。
 義太夫はまた大あくびをして、
「なにやら…この香りは眠うなる…」
「この香は、それがしが我が家にある香木をいくつか調合したものでござります」
「それはもしや、伽羅とかいう香木か!」
 義太夫が驚いて、改めて香りを確かめている。伽羅は香木の中でも希少な最上級の香木だ。忠三郎は笑って、
「伽羅は使うておらぬ」
「なんじゃ、つまらぬ」
 普段から起きているときも眠っているかのような忠三郎にはふさわしい香りが漂っている。香とは眠気を覚ます筈だが…。
 香道の始まりは飛鳥時代とも平安時代ともいわれている。室町期に入って上質な香木が大陸からもたらされるようになり、体系化されて武家の間で流行した。戦さ場に出るときには兜に香を炷き染めるが、武家においても作法そのものを知るものはほぼ皆無なため、正しく行われることはない。
 香道の二大流派の一つ志野流は、室町将軍・足利義政の家臣であり、東山御物の香を司った志野宗信を開祖とする。将軍家に伝えられたその作法と理念を守るため、一子相伝とされた。入門の条件はとても厳しく、志野流の伝統・秘伝・精神を生涯に渡り守り続けるという血判状を提出し、香席法度と呼ばれる作法は口伝でのみ継承され、他言は堅く禁じられている。
 志野流四代目宗悟の香匠(高弟)は世に三人しかいない。堺の豪商今井宗久、津田宗及、そして忠三郎だ。
 三代目省巴の香匠、香聞き名人と呼ばれた建部隆勝は六角家の家臣だった。堺の茶席で忠三郎と同席した建部は、まだ前髪立ちだった忠三郎に声をかけられる。
「建部殿の小袖にたき染めている薫物たきものは?」
 建部の調合した薫物の香りを聞き分けたかのように、そう訊ねてくる忠三郎に、建部は驚き、
「晩秋の香り落葉。葉の散る哀れさを思わせる香りと言われておりまする」
「葉の散る哀れさ…」
   優雅な趣を感じさせる涼しい目をして建部を見ていた。
 当時、応仁の乱を経て志野流は後継者が絶え、伝統が途絶えようとしていた。建部は宗家を盛り立てるために幼い頃から神童の誉高く、茶の湯をはじめ諸芸の造詣が深かった忠三郎に目をつけた。
「然様。平安のころに書かれた香の伝書「薫集類抄くんしゅうるいしょう」を存じておいでか?春夏秋冬になぞらえた薫物の調合について書かれておりまする」
 忠三郎の好きな古今集と香銘の繋がりを話すと、素直に飛びついてきた。そこで建部は四代目宗悟に勧めて門外不出の教えを伝え、志野流香匠(高弟)とした経緯がある。
「遠い国では何千年も前から香を砕いて粉にして、デウスの前に供えられていたと聞き及びました。その名もしずく香」
「しずく香?」
 妙な名前だ。どんな意味があるのか。
「はい。天に立ち上る香の煙はまさしくデウスに祈る、デウスを呼び求めることにつながり、涙を思わせるしずくは、古の異国の偉大な君主たちの涙をもって奉げられた祈りに通ずるとか。国を憂い、民を想う君主の祈り。余人のために奉げる涙の祈り、それは決してさげすまれることはないと、摂津のキリシタン大名、右近どのはかように仰せでした」
 どうも志野流の教えとは違うようだ。それにしても忠三郎は知らないうちに随分と高山右近の影響を受けている。
「ではあれなる掛物は…どなた様の句じゃ」
 義太夫があくびをしながら問う。
「あれなるは唐の国の…」
「もうよい。にしても、鶴、そなた存外に悪筆(字が下手)じゃな」
 義太夫が笑って言う。悪筆というか妙な癖があるが、その下に書かれた鶴と思しき鳥の絵はお世辞にもうまいとは言えない。そちらの才はないようだ。忠三郎がムッとして
「では紙と筆を渡すゆえ、義太夫が書いてみよ」
 とまたはじまったので、一益は五月蠅そうに手を振り、
「義太夫、いらぬことばかり申すな。その方、少し外に出ておれ」
「ハハッ…これは大変ご無礼仕りました」
 神妙な顔で頭を下げ、義太夫は障子を開けて退室する。
 しばし静けさが戻ったかに見えたが、ほどなく外から小声がもれた。
「……字ぐらい、わしの方が上手じゃ……。あのような悪筆、子どもの落書きじゃて……」
 一益は苦笑し、忠三郎は咳払いして聞こえぬふりをした。
 その声が遠ざかるころ、外で「頭がぶつかった……!」という小さな悲鳴が上がった。
 義太夫はまた、にじり口の敷居に額をしたたかにぶつけたらしい。
 一益はふっと息を漏らす。
「狭き門より入れ、か……」
 そのつぶやきに、忠三郎も思わず微笑んだ。
 座敷には再び、炭のはぜる音と香の匂いだけが残った。
「掛物と花は亭主の心にござります。そして花は、野に咲くがごとくに生けることが肝要」
 特徴のある竹の花入れには姫瓜の花が活けてある。滝川家の家紋である木瓜にしたかったのだろうが、季節が過ぎていたので姫瓜にしたのだろう。
「茶事は己のもつ珍しい茶器を披露する場ではありませぬ。己の持てるもの、ありのままの心で客人をもてなし、心と心を通わせるもの」
 今日の茶碗や掛物の謎がとけた。忠三郎はそれを言いたいがために、唐物の茶陶を避けて、身近な信楽の茶器を使い、高級な香木を避けて自ら香木を選び調合し、自分で書いた掛け軸を掛け、花を活けたのだろう。
 一益は苦笑して、
「それが数寄というものか?」
 と聞くと、忠三郎は微笑んで、
「はい。更にいうなれば、侘び寂びとは憐みのこと。憐みのこころをもって生きることこそ、茶の湯のこころにて」
 静かな言葉は、説法でもなく、ただ座敷に漂う香と釜の音に溶け込むようであった。
 華やかで煌びやかなものを好む忠三郎とは真逆ともいえるが、人の心とは実にこのようなものなのかもしれない。
「わかった。上様から茶会の話がでた折には、そなたに尽力してもらうこととなろう。…したが此度日野にきたのは、茶の湯の話だけではない」

 その言葉とともに、炉の炭がぱちりと弾け、釜の湯が一際大きく鳴った。静謐の中に、不穏を告げるような響き。
「心得ておりまする。…また北勢四十八家の者の仕置きのことで?」
「いや…三瀬御所のことじゃ」
 空気がひりつく。忠三郎の手が一瞬止まり、それでも何事もなかったかのように帛紗ふくさを畳んだ。
 今月に入り、信長から伊勢の旧国司・北畠具教父子と、それに一味する者を討ち取る旨、命が下った。
 三瀬御所とは北畠家の居館の名であり、かつて南朝以来の名門として伊勢を支配してきた家である。
「いずれはそうなるものと思うておりました。さりながら、義太夫を追い出したわけは?」
 忠三郎が笑ってそう訊ねる。義太夫に聞かせたくない話があって追い出したのだと察していたようだ。
「その三瀬御所暗殺の命を受けたのが、北畠中将の元におる、織田掃部じゃ」
「それはまた…何故にそのような…」
 何をもって三介に取り入ったのかは不明だが、織田掃部は織田家の遠縁という立場を利用して度々三介のもとに出入りしていた。
 甲斐の雲行きが怪しくなったのを見た織田掃部は、伊勢に戻り、三介の重臣の座に収まっている。一益は織田掃部が三介のもとにいると聞いた時から、義太夫ではなく佐治新介に南伊勢の動向を探らせている。
 今回、信長が何をもって織田掃部に命じたのかはわからないが、私怨のある義太夫が絡むと話がややこしくなる。
 忠三郎は苦笑して、
「仮にも義太夫は…」
「承知しておる。されど今は義太夫に邪魔立てされるわけにはいかぬ。伊勢の前国司を一族ごと消さねばならぬ大事なとき」
「一族ごと…」
 帛紗を畳む忠三郎の手が一瞬止まる。何か言いたげだが、何事もなかったように手を動かしはじめた。北畠は村上源氏の流れをくむ名家だ。その家を絶やすのは惜しいと、そう思ったのだろう。
 しばらく忠三郎と話をして、茶の湯座敷をでた。
 足元にある灯籠が目に付いた。これも信楽のものに見える。甲賀の城にも同じようなものがあった。
「義兄上、懐かしゅうござりましょう」
「鶴はまことに江南を愛でておるのじゃな」
 感心して言うと、忠三郎が嬉しそうな笑顔を向ける。
「はい。どこのものよりも優れておりまする」
 初めて会った時からこの八年、実にいろいろなことがあったが、忠三郎もずいぶん大人になった。一益は頷き、
「そなたは国の主にふさわしい」
 感慨深く言うと、忠三郎が照れたように笑った。
「次は夜噺の茶会にお越しくだされ。灯籠に火を灯しておきましょうほどに」
「では次からは信楽院ではなく、茶の湯座敷で話をするとしようか」
 茶室の外には、夕暮れの光が淡く差し、庭の灯籠はまだ火の入らぬまま佇んでいた。
(闇に火を灯す——それもまた、この国に芽吹くものの兆しか)
 ――風もなく、ただ香のしずくが、闇に溶けていた。
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