70 / 146
11 君に引く弓
11-1 君に引く弓
しおりを挟む
信長の命を受けた忠三郎・義太夫は、武藤宗右衛門の供養のために敦賀、花城山へ行き、少しの間、花城山に逗留した。
戻ってきたのは摂津に再び秋が訪れた九月に入ってから。
「敦賀をこれまで通り、元服前の武藤殿のご嫡子に任せるとは、上様も余程、武藤殿の働きに対して思うところがおありだったのではないか」
信長は交通の要所である敦賀を宗右衛門亡きあとも、そのまま嫡子の助十郎に治めさせると決めた。四方は丹羽長秀・羽柴秀吉・柴田勝家の領地に囲まれているとはいえ、破格の待遇で、武藤家の遺臣たちが驚いたのも無理はない。
「それは無論、この妹婿の義太夫様がおるからよ」
胸を張ってそう言う義太夫に、忠三郎が声をあげて笑う。
「いやはや、さすがは武藤殿が見込んだ婿殿じゃ。では早う有岡の城を落として、祝言をあげねばなるまいて」
丹波の八上城はこの夏、明智光秀によって攻略されている。残るのは有岡城、そして播磨の三木城。いずれも一年以上、毛利の援軍を待って籠城を続けているが、頼みの綱の毛利軍はあらわれず、そろそろ兵糧が枯渇してきている筈だ。
「もうまもなく小屋野城か。義太夫、先に行ってくれ」
忠三郎がふと馬の脚を止める。
「お?何じゃ?小便か?」
「な、なるほど…義太夫にはこの風情ある辺りの景色が厠に見えるか。わしは少しススキを摘んでから行く」
「ススキ?フム、古式ゆかしい公達は小便をせぬか」
義太夫が恍けた顔でそう言って笑う。
「公達?それは誰のことを言うておる」
「誰というて…皆、言うておるわ。まぁ、よい。日も暮れ落ち、辺りは暗い。早う参れよ」
義太夫が滝川助九郎を伴って姿を消すと、忠三郎は町野長門守、滝川助太郎に声をかけて、辺りのススキを一本ずつ、丁寧に集め始める。
「されど、若殿と道行を供にしている助太郎殿も、だんだんと当家に慣らされ、古式ゆかしい素破になって参られたな」
町野長門守がススキを手にそう言う。古式ゆかしい素破とは、また随分奇妙な言い回しだ、と助太郎は苦笑いして
「これでは滝川家に戻った時に、お役にたてぬ者となるのではと懸念しておりまする」
素襖を着せられたり、蛍を集めさせられたかと思えば、今度はススキ。ここ最近、素破らしい仕事はほとんどしていない。信長は忠三郎を戦場に出したくないのか、事務仕事ばかりしているおかげで、傍にいる助太郎まで戦場で戦う機会を奪われている。
一益に命じられ、忠三郎の元に来てから何年もたつが、未だに忠三郎という人間が理解できない。例えば、このススキ。刀で薙ぎ払ってしまえば簡単に済むものを、何故、一本一本集める必要があるのか。
(全く持って、数寄人というは分からぬ)
楽し気にススキを集める忠三郎を横目で見る。
(おや…)
忠三郎がフラフラと歩いていく先に、何かが動いているのが見えた。
(お味方の兵であろうか)
こんな時間にこんな場所で何をしているのだろうか。
(怪しい…)
助太郎が刀の柄を握ったとき、
「うぉー!」
忠三郎の前で雄叫びをあげた人影が立ち上がり、刀を抜いて斬りかかって来た。
「忠三郎様!」
忠三郎が寸でのところで身を翻すと、助太郎が走ってきて人影に体当たりする。
見ると、暗闇に四・五名ほどの雑兵がいた。
「待て!待ってくれ!」
そのうちの一人が大声を張り上げる。その声に聞き覚えがあり、忠三郎が刀を抜いたまま、声の主を見ると、
「そ、そこもとは…」
「そなた、蒲生の子倅ではないか。斬るな、斬るな」
有岡城にいるはずの、荒木村重だった。村重が雑兵に身をやつし、わずかな手兵とともに城を抜けだして来たと分かった。
「かようなところで一体何を…」
「野暮用じゃ。頼む。見逃してくれ」
村重が拝むように手を合わせる。
「合戦の最中に野暮用とは、此は如何に」
「そう申すな。空腹じゃ。腹が減ってたまらず、城を出てきたのじゃ。頼む、見逃してくれ」
その言葉を聞いた助太郎と町野長門守が刀を構える。
「忠三郎様、此奴は敵将では?首を捕って手柄といたしましょう」
二人はまさかこの雑兵が荒木村重とは思っていない。
「やめろ!やめてくれ!後生じゃ!助けてくれ!」
目もあてられぬ見苦しいその姿に、忠三郎は唖然として村重を見る。
「なんと見苦しきお姿…。城内には未だ兵が残っておるというのに」
忠三郎はひと呼吸おいて、刀を握る助太郎に目を向け、努めて平らに言った。
「誉れなき首など、我が刃にて討つものではない。――宗右衛門殿と交わし『戦は理にて終わらせよ』との約も、ここで違えるわけには参らぬ」
その言葉に村重はますます取りすがり、地に額をすりつける。
「忠三郎、後生じゃ!おぬしにはこれまで散々、馳走してきたことを忘れたか。おぬしが来る度毎に都から女子まで呼び、高い酒を振るもうてきた、その恩を忘れたか」
「それとこれとは…」
「おぬしの代わりに、万見仙千代を討ってやったではないか。どうじゃ、仙千代など、簡単に消すことができたじゃろう」
今となっては、それが本当に己が望んでいたことなのかどうかも分からない。長年、深く恨んでいた万見仙千代。いつか討ち果たそうと思っていたが、仙千代が討死して嬉しかったわけでもない。
(ただ…あやつが死んで…己の小ささに気づいただけだ)
明日にも命を失う戦場で戦う身でありながら、味方同士で争うなどと、そんなことをしていた自分を深く恥じた。
そんな忠三郎の胸の内を知らない村重は、何度も忠三郎を拝み、
「見逃してくれれば、この恩は必ず返そう。のう、知らぬ仲でもあるまい。見逃してくれ」
忠三郎が戸惑い、返事に困っていると、村重は突然、踵を返して走り出した。
「あ!卑怯者!待て!」
助太郎が慌てて後を追おうとする。
「待て、助太郎」
「忠三郎様。敵を逃がすと仰せか」
「あのような憐れな匹夫を討ってなんの誉れがあろうか」
「しかし…」
(目の前にいる敵を逃がすなど…あり得ぬ)
助太郎は憤慨して、忠三郎を置いて城へ向かおうとする。
「待て、助太郎。ススキを忘るるな」
忠三郎が刀を収め、集めたススキを両手に持つ。
「長門、助太郎殿はすっかりご立腹じゃ。なだめてくれ」
「は?それがしが?それは若殿の御役目では…」
町野長門守は助太郎が走り去った暗闇の先にある城を見ながら、馬の背にススキを乗せた。
それから間もなく、一益は小屋野城広間でススキを手に戻った三名の報告を聞いていた。
「…で?逃がした敵将とは?存じおりの者か?」
義太夫が呆れてそう聞くと、忠三郎は言いにくそうに口を開き、
「摂津守殿であったかと…」
「何、摂津守?それは確かか」
聞き捨てならず、一益が問い返す。
「はい。間近で見ており、間違えありませぬ」
一益は頷き、扇子をパチリと鳴らす。
武藤宗右衛門の進言通り、城内の兵糧が枯渇してきたことを察知してから、城の包囲の一部を開け、城内の者が逃げやすいようにしてきた。それがまさか、村重本人が城を捨てて逃げてくるとは。
(毛利の援軍が来た時のために、有岡城を捨て、他の城へうつったか)
逃げた先は恐らく、村重の息子のいる尼崎城。いかに援軍を呼ぶためとはいえ、ここまで包囲されているのだから、一度城の外に出れば、再び中に入ることができないと分かっているはずだ。
「何をやっておるのじゃ。千載一遇の機会だったではないか。摂津守を捕えれば、この戦は終わった筈。何故に取り逃がした?」
義太夫があきれ果て、声を大にして言う。義太夫だけではなく、滝川助太郎も、佐治新介も、皆、口には出さなくても同じことを思っているだろう。
「あまりに…憐れな姿で追うには忍びず…」
忠三郎が申し訳なさそうに一益を上目遣いに見る。
「もうよい。皆、他言無用じゃ。摂津守がどうなろうが、有岡城にいないことに変わりはない。我らで戦を終わりにしようではないか」
「はい。それはどのように?」
「摂津守の向かった先は尼崎城であろう。鶴は義太夫とともに城介殿の元へ行き、有岡城を取り囲む兵の一部を尼崎へ差し向け、総攻めするよう進言せい。その後、安土の上様にも同様に告げよ」
「ハッ。義太夫とともに…」
忠三郎がクスリと笑って返事をする。
「我らは有岡城を落とす。新介」
「ハハッ、新介はこれに」
「その方、木全彦一郎、滝川助九郎を連れて城に入り、町屋を焼き払ったのち、上﨟塚砦にいる中西新八郎に会いに行け。命を助ける代わりに城兵を説き、門を開けるようにと伝えよ」
「委細承知仕りました」
これで長きに渡る籠城戦に終止符を打つことができる。
(宗右衛門。ようやく終わりにする時が来たぞ。見ていてくれ)
想定していた展開とは大きく異なるが、年が終わる前にはすべてが片付くだろう。
九月二十一日。信長が京を出立、二十四日に摂津に入った。
「左近、摂津守が有岡城におらぬとは、誠であろうな」
小屋野城に現れた信長は、開口一番にそう訊ねる。
「はい。そのことを城内の者どもに触れ回ったところ、城から落ち延びる者は後を絶ちませぬ。この勢いに乗じて城を落とすため、我が手の者を遣わし、砦の将を調略しているところでござります」
先だって信長から馬を下賜されたばかりだ。武藤宗右衛門が一益の手柄を殊更に強調して信長に伝えていたのかが分かり、今更ながらに宗右衛門の存在の大きさを思わされた。
「よかろう。したが、これより後、降るものは…」
やはりそうか、と思いつつ、
「許すな、と?」
「そちが助命を約した者は許してやれ。されどこののち降伏などは断じて許さぬ。雑兵に至るまでなで斬りにせよ」
「ハハッ」
一益は堅い表情で返事をする。予想はしていたことだが、これは、とんだ殺戮劇になりそうだ。
「妻子を捨てて逃げだすとは、とんだ痴れ者よ」
「摂津守の妻子は有岡城本丸に籠っているものと思われまする。これを捕え、人質として尼崎・花岡両城の開城を促せば、いかに摂津守といえども逃げ惑うことはできなくなるものかと」
信長は満足そうにうなずき、
「よかろう。詳細は城介と話して進めよ。予は五郎左の元へ行き、京へ戻る。何かあれば鶴を送って参れ。ときに…」
信長の声色が変わり、一益が気づいて信長の顔を見る。その目が雄弁に心にある何かを語っている。
「助十郎の後見はそなたか」
助十郎とは亡き武藤宗右衛門の嫡男のことだ。
(上様もご心痛か…)
知略・武勇もさることながら、宗右衛門は無私無欲に働く忠臣だった。宗右衛門を失ったことは信長にとっても大きな痛手なのだろう。
「はい。宗右衛門の生前の望みにて、及ばずながらそれがしが後見を務めることと致しました」
「…であるか」
信長は多くを語らなかった。しばし、かつて宗右衛門が座っていた広間の一角を見ていたが、つと立ち上がるとそのまま小屋野城を後にし、丹羽長秀の守る塚口砦へ向かった。
上﨟塚砦を守る中西新八郎が佐治新介の調略に応じて門を開け、砦を明け渡したのは十月十五日。
一益は兵を砦に入れて、城下の屋敷を焼き払い、人々を本丸に追い込んだ。炎が屋根を噛み、夜空を赤く染める。逃げ惑う群衆の叫びと、子の泣き声が入り混じり、煙にむせる声すら炎に呑まれて消えていった。
野に残ったススキは、風に折れず、ただ揺れていた。
更に岸の砦に籠る荒木家の重臣、渡辺勘太夫を攻める。
「殿!渡辺めが降伏したいと申し出ておりまする」
佐治新介がそう告げてくる。
「ならぬ。使者を追い返せ。鉄砲、大筒を撃ち込み、手心加えず攻め続けよ」
「え…それはあの…砦におるものを皆…」
こういうとき、義太夫であれば察して素直に応じてくれるが、新介は躊躇して返事をしない。
(取次が新介だと、これまで通りというわけにもいかぬか)
口にするにはいささか抵抗があるが、言わなければ新介は動かないだろう。
「新介。多くを考えるな。降伏を願い出るような時期はとっくに過ぎておろう。今更、命を惜しんで降伏したいなどと通ると思うか。謀反人どもを残らず根絶やしにせよ」
「ハハッ」
新介はなおも納得していない様子だったが、短く返事をして姿を消す。入れ替わりに信長から下賜された馬の世話をしていた義太夫が広間に入ってくる。
「いやはや、上様から賜ったあの真っ黒な馬。なんとも殿にふさわしいですなぁ」
緊迫した空気を打ち破るような声に、一益は苦笑し、
「鶴がうらやんでおったな」
「あやつは何でも真っ黒にするのがよいと考えておるのでしょう」
忠三郎は甲冑も兜も黒を好んで身に着ける。
「殿、鵯塚は如何なされまする。荒木の家臣、野村丹後と雑賀衆が籠っておりまする」
「鵯塚…雑賀衆…そういうことか」
武藤宗右衛門は鵯塚砦を金堀攻めで落とせといっていた。砦には雑賀衆が籠り、うかつに塀を乗り越えようとすれば鉄砲の的になると気づいていたのだ。
「金堀人足を入れ、地中から攻め入れ」
「お、我らの得意な土竜攻めでござりますな。畏まってござりまする」
「では、わしも、その黒い馬とやらに乗って城へ乗り込むか」
一益は手勢を率いて城内に入り、次々に砦を落としていった。砦の城将、野村丹後と渡辺勘太夫は切腹。ついに本丸まで兵を進めた。
「君に引く荒木ぞ弓の筈ちがい
居るにいられぬ(射るに射られぬ)有岡の城」
忠三郎が朗々と詠いあげると、義太夫がそれを横目で見る。
「何じゃ、それは」
「丹波の細川殿が詠まれた句。戦場と言えども歌のこころを忘れてはならぬ。猛きもののふの心をも慰むるは歌なり」
優雅なものだ、と義太夫は息をつく。
「歌など詠うておる場合か。女子供を残して逃げた奴も逃げた奴じゃが、それを逃がした奴も逃がした奴じゃ」
「そう言うな。義太夫も妻帯するのであれば、和歌のよさを学ぶべきと思うが?」
「女房もらうのと、和歌を詠むのは話が別じゃ」
忠三郎は笑って帷幕の中へ入っていく。帷幕の中では諸将が信忠の前に伺候し、軍議が開かれている。
「本丸はこれまでのようにはいきませぬ。堀で囲まれ、容易には近づけぬ砦。城兵や女子供あわせて五百余名が籠っており、ここはひとつ、城代の荒木久左衛門に降伏を促しては如何なものかと」
堀久太郎が言う。武藤宗右衛門も似たような進言をしていたし、一益もそのつもりだった。しかし予想外にも有岡城にいるはずの村重は尼崎におり、城に残っているのは城代だ。
『兵は詭道。戦さというはその場・その場において状況が変わるもの。最終的には左近殿ご自身で見て、ご判断いただくことが肝要かと』
宗右衛門はそう言っていた。あれほど練りに練った戦略を伝えておきながら、思わぬことで戦局は大きく変わることを熟知していたからこそ、わざわざそう付け加えたのだろう。
信忠は頷き、
「して、降伏の条件は?」
「花隈・尼崎両城の開城を条件に、城兵・女子供を助命する旨、城代に申し伝え、誰かを交渉の使者として尼崎にいる村重の元へ送りこんでは?」
先行きを案じた明智光秀も、同様の進言をしてきたと聞いている。
「左近、その方はどう考える?」
信忠が先ほどから一言も発しない一益にそう訊ねる。
「いつまでも城を眺めているわけにもいきますまい。まずは本丸明け渡しの使者を送りましょう」
義太夫・新介の二人を使者に立てて降伏を促すと、城代の荒木久左衛門はすんなりと城明け渡しに応じて、門から姿を現した。ここにきてようやく、捕らわれていた高山右近の人質が寄せ手に渡される。
荒木久左衛門は後ろ手に縛られて信忠の本陣に引き立てられてきた。
「摂津守は尼崎におるのか」
信忠が聞くと、久左衛門は答えることができないほど、震えだしてしまった。それをみた忠三郎が苦笑して、穏やかに問いかける。
「摂津守は何故に城を出たのか。いずこへ参ったか、話してはくれぬか」
久左衛門は首を大きく何度も降りながら
「茶器をもって尼崎に向かったと聞き及びました。それ以外は何も存じませぬ。殿は病と称して本丸の奥に籠り、我らが気づいたときには、すでに城のどこにもお姿が見えなかったのでござります」
その姿は猫に追い詰められた鼠のようだ。嘘を言っているようにも見えない。
「茶器を持って…」
忠三郎が笑い出す。毛利への手土産のつもりかもしれないが、単身で茶器だけ持って城を出たとはあきれ果てて言葉もない。
信忠はため息をつき、
「城内の女子供、および家臣どもを人質として、花岡城・尼崎城の開城を迫ろうかと思うが」
信忠は一益に聞いたのだが、堀久太郎は返事を待たず、先に話し始める。
「荒木久左衛門と申したの。城内にはいかほどの人がおるのか」
「は、はい。男は百二十ほど、女子供は五百十ほどにござります」
六百人以上いる。
「左近、どう思う?」
信忠が一益を見て言う。
「はい…しかし誰を使者に…」
一益が思案顔になったとき、久左衛門が叫んだ。
「それがしを、それがしを摂津守の元へお遣わしくだされ。必ずや説得して参ります。万が一にも摂津守が同意しなかったときには、それがしが先陣率いて尼崎へ攻め上りましょう」
一益は返事をしない。黙ってジッと久左衛門の顔を見ている。
「それがよい。城代家老に説かれれば、摂津守も耳を貸すやもしれませぬ」
堀久太郎がそう言い、忠三郎も頷く。しかし一益はなかなかいいとは言い出せないでいる。久左衛門を睨んだままだ。
「皆の言うこと、尤もと思うが…」
信忠が久太郎と忠三郎を気遣ってそう言うが、一益は首を縦に振らない。
「義兄上、何か言うてくだされ」
痺れを切らした忠三郎がそう言うと、
「左近、不服か」
信忠が心配して声をかけた。一益はようやく頷き、
「行くがよい。城内六百名の人質を預かっていると摂津守に伝えよ」
「ハハッ」
荒木久左衛門の縄を解くと、久左衛門は三百人の兵を連れて尼崎城へ向かった。有岡の城では信長の甥、津田信澄が人質となった人々を捕り込め、見張りを立てさせた。
寄せ手は、しばしの間、久左衛門の帰りを待つことになった。
「義太夫、それは?」
手に袖を千切ったような布きれをもつ義太夫を見つけて、忠三郎が声をかける。
「なにやら、摂津守の女房が、これを摂津守に届けてくれというてのう」
「おぉ、和歌ではないか」
霜がれに残りて我は八重むぐら 難波の浦の底のみくづに
もはや枯れて残ったヤエムグラのような自分が、海に沈んで水屑になるだけだ、と詠う。
「なんと憐れな…これを見れば、摂津守も城を明け渡して、皆を救おうと思うのではないか」
「そうかのう…」
義太夫が白々とした気分でそう言うと
「…で、この歌を詠んだ女子は、どのような女子じゃ」
「なにやら今楊貴妃とか呼ばれておるほどの器量と聞いたが」
「なんと!なれば必ず摂津守は城を明け渡すであろう。和歌は情を動かす。戦、理に終わらせるためにも、情の道具は使うがよい」
「そうかのう…」
だとすれば、最初から城に置き去りにして一人で逃げるようなことはしないのではないか。
「何じゃ、義太夫。気のない返事ばかりしおって。今楊貴妃に興味がないか」
「ないない。わしには恋女房がおる。早う祝言をあげたい…」
忠三郎は驚き、二の句も告げないといった顔をして義太夫を見ていたが、
「義太夫…つまらぬ男になったのう…」
「そう言うと思うたわ。まぁ、こいつを尼崎に届け、摂津守の出方を見るのも面白いかもしれぬ」
義太夫は人を遣わして袖の切れ端を尼崎まで届けさせた。
その翌日、
「どうであった?摂津守は?」
忠三郎が興味津々で聞くと、義太夫はため息交じりに、
「返って来た」
「返って来た?」
「返歌が」
義太夫はため息まじりに扇を差し出す。顔はふざけたように見えるが、視線は落ち着かず揺れていた。
思ひきや天の架け踏みならし
難波の花も夢ならんとは
天の架け橋を踏み鳴らすように戦ってきたが、難波の出来事も夢のようになったと詠っている。
「和歌のやりとりなど、戦の最中に何の甲斐がある。…いや、そうでもせねば、己の気持ちがもたぬのかもしれぬ」
軽口を叩きながらも、胸の奥に澱む怒りと諦観を押し隠しているのが、傍らにいる忠三郎には伝わった。
忠三郎の顔色が変わった。扇の要が、かすかに鳴った。
「これは…」
「何じゃ?こいつは今楊貴妃の元へ届けては拙いものか?」
「いや…それは構わぬが…。ちと、城介殿の本陣へ行ってまいる」
忠三郎は慌てた様子で一益の元へ去っていく。
「さっぱりわからんが…届けてやるか」
悠長に和歌をやり取りする村重夫妻も、和歌を見て顔色を変える忠三郎も、理解に苦しむ。こういうときのために、忠三郎の言うように和歌を学んだ方がいいのだろうか。
いずれにせよ、不憫と思った義太夫は、有岡城に入り、捕り込められている者の一人に扇を渡した。その時、火縄が吠えた。
「何事!」
義太夫はとっさに身をひるがえし、刀の柄を握る。
「おや…」
辺りを見回したが、敵の気配がない。
「如何した。今の銃声は。誰が撃った?」
寄せ手の兵を調べていくと、荒木家の家臣の一人が倒れているのが見つかった。
「眉間に一発…」
火縄銃を抱えている。
「自ら引き金をひいたのか。器用な奴…」
自害するにしても、こんな方法は初めてみたな、と驚いていると、亡骸のそばに、また、袖の切れ端が見えた。
露の身も 消えても心 残り行く
何とかならむ みどり子の末
(子らの行く末を案じている…見殺しにされると思うたのか)
荒木村重が開城に応じないと、そう思った末のことだろう。
(これは前代未聞のこととなるのではないか)
この先を考えると憂鬱になる。義太夫は重い足取りで、城の外へ向かって歩いて行った。
待てど暮らせど荒木久左衛門は姿を現さない。一益は信忠本陣で、ひたすら久左衛門の帰りを待ち続けている。そこへ忠三郎がやってきた。
「一大事でござります」
「忠三郎、何事か」
信忠が床几から立ち上がって問うと、忠三郎がその場に片膝つき、
「久左衛門は未だ姿を見せませぬか」
「一向に戻る気配がない。…で、一大事とは?」
「申し上げにくき義なれど…摂津守は城を明け渡すつもりはないものと存じあげまする」
やはりそうか。村重が首を縦に振らなかったため、久左衛門は逃げたのだろう。
(危惧していた通りになった)
一益が目を閉じ、眉間に皺を寄せる。信忠は怪訝な顔をして
「何故にそれがわかる?」
「摂津守が正室に充てた歌を見ました。これがまた、なんとも言い訳がましい歌にて、到底、城を明け渡す気があるとは思えませぬ」
信忠が愕然として床几に座り込む。説得に失敗した場合でも、先陣を務めて尼崎を落とすとまで言った荒木久左衛門がまさか、逃走するとは思っていなかったようだ。
「上様に…お伺いをたてるしかありますまい」
一益が言うと、信忠も黙って頷いた。
京にいる信長の元に行った忠三郎は、荒木久左衛門がいつまでも戻らないこと、捕らわれた妻子たちが朝晩声をあげて嘆き悲しんでいることを伝えて戻って来た。
「そうか、よう伝えてくれた。して、父上は何と?」
信忠がわずかな期待を込めて忠三郎に問う。
「はい。上様も摂津守に置き捨てられた女子供を大層不憫と思召されておりまする」
「忠三郎。ようやった。では…」
「いえ。不憫とは思うが、奸人を懲らしめるため、ここは甘い沙汰を下すわけにはいかぬ、と仰せにござります」
「なんと…」
信忠が言葉を失う。
(さもあらん)
想定していた中でも最悪の結末だが、最初から恐れていたことでもある。
(…にしても二人とも妻子を残して逃げるとは…)
天下に恥をさらしてでも、生き延びたいと、そういうことなのだろう。
「摂津守の一族の処刑はすべて都で執り行うため、これより都へ連れ上るようにとの仰せにござります」
「都で。…して、他のものは?」
「士分にあるものの妻子は皆、磔。滝川左近、蜂谷兵庫助、丹羽五郎左の三名で行うようにと」
あの中から選び出して処刑しろと言うことだ。その一言に、場の空気が凍りついた。誰も声を発せず、ただ互いの視線を避けるように伏し、重苦しい沈黙だけが残った。外では秋風が帷幕を揺らし、火桶の火がぱちりと弾け、その音だけがやけに大きく響いた。
「残りの者は?」
「奉行の矢部善七郎に申し付け、家々に捕り込め、焼き殺せとの仰せでござりました」
「あの者どもを皆、焼き殺せと?左近…」
どうにかしろと言いたげに信忠が一益を見る。
「悪戯に時を稼いでも、ご沙汰は変わりますまい。ぐずぐずしていては上様自ら、ここへ来られるものかと」
「足軽・雑兵に至るまで、逃がすわけには参らぬと?」
「城介殿。相手は謀反人とその郎党。ましてや最後まで織田家に逆ろうてきた者ども。その報いは死をもって償わせよとの上様の仰せにござります」
一益の声が冷たく帷幕の中に響いた。信忠はそれを聞いて、一人頷き、そして、
「忠三郎、摂津守の親族を都へ連れていけ」
「ハッ。心得ました」
忠三郎が短く返事をして帷幕の外へ出ていくと、幕内には信忠と一益だけが残された。
——理で終わらせる道は、まだどこかに、と一益は一瞬だけ探したが、夜風は答えを運ばなかった。
しばらくの沈黙の後、信忠が口を開いた。
「左近、父上を鬼と思うか」
「は…」
間の悪い質問だと思った。信忠は何を思っているのか。ここ数年、一益は信忠と戦場を共にすることが多い。初陣以来、信長から命じられた通りに働き、家督を譲られた今もそれは変わらない。温厚で、父に対しては絶対服従なのだと、そのように見えた。
「父上…信長しかおらぬのじゃ、かようなことができるのは」
それはそうだろう。一益は苦笑した。しかし、信忠は更に言葉をつづけ、
「かようなことが二度と起こらぬように天下を治めることができるのも、父上しかおらぬ。そなたには分からぬか。父上こそ、誰よりも戦さのない世を望んでおられる。だからこそ、それを邪魔するものには容赦がない」
一益は黙って信忠の顔を見る。
(上様の志は…常に天下にあった)
尾張にいたころ、そんな話を聞いた。今となってはそれも不思議ではない。天下は今、確かに信長の目の前にある。
「見たいとは思わぬか。戦国の終わりを。戦さのない世を」
「それは無論。そのために我らは日夜、働いておりまする」
「わしは、そなたを頼りにしておる」
信忠の真摯な気持ちを受け止めながら、信忠の言いたいことが初めて分かった。
(裏切るなと…そう言っているのか)
信長の過酷な沙汰で、人心が離れていくことを危惧しているのだ。
「戦さのなき世を見たい。それ故に父上に従う。左近、供に戦国を終わらせようではないか」
「ハハッ」
信忠の邪心ない心の内を明かされ、ふと、思い出す。
(あやつも…似たようなことを言うておったな)
供に戦国を終わらせたいと願った武藤宗右衛門。志半ばで病に倒れた得難い軍師。
(こうして…あまたの命を失いながら、戦国を終わらせるのか)
この先、どれほど残酷なこの世に胸を痛めれば、真に泰平の世が訪れるのだろうか。
幕内に漂う静けさは、焔に焼かれる城よりもなお烈しく、二人の胸を締めつけた。言葉を交わすよりも深く、沈黙の圧がすべてを物語っていた。
誰ひとり声を発せぬまま、夜はただ、重く、更けた。
戻ってきたのは摂津に再び秋が訪れた九月に入ってから。
「敦賀をこれまで通り、元服前の武藤殿のご嫡子に任せるとは、上様も余程、武藤殿の働きに対して思うところがおありだったのではないか」
信長は交通の要所である敦賀を宗右衛門亡きあとも、そのまま嫡子の助十郎に治めさせると決めた。四方は丹羽長秀・羽柴秀吉・柴田勝家の領地に囲まれているとはいえ、破格の待遇で、武藤家の遺臣たちが驚いたのも無理はない。
「それは無論、この妹婿の義太夫様がおるからよ」
胸を張ってそう言う義太夫に、忠三郎が声をあげて笑う。
「いやはや、さすがは武藤殿が見込んだ婿殿じゃ。では早う有岡の城を落として、祝言をあげねばなるまいて」
丹波の八上城はこの夏、明智光秀によって攻略されている。残るのは有岡城、そして播磨の三木城。いずれも一年以上、毛利の援軍を待って籠城を続けているが、頼みの綱の毛利軍はあらわれず、そろそろ兵糧が枯渇してきている筈だ。
「もうまもなく小屋野城か。義太夫、先に行ってくれ」
忠三郎がふと馬の脚を止める。
「お?何じゃ?小便か?」
「な、なるほど…義太夫にはこの風情ある辺りの景色が厠に見えるか。わしは少しススキを摘んでから行く」
「ススキ?フム、古式ゆかしい公達は小便をせぬか」
義太夫が恍けた顔でそう言って笑う。
「公達?それは誰のことを言うておる」
「誰というて…皆、言うておるわ。まぁ、よい。日も暮れ落ち、辺りは暗い。早う参れよ」
義太夫が滝川助九郎を伴って姿を消すと、忠三郎は町野長門守、滝川助太郎に声をかけて、辺りのススキを一本ずつ、丁寧に集め始める。
「されど、若殿と道行を供にしている助太郎殿も、だんだんと当家に慣らされ、古式ゆかしい素破になって参られたな」
町野長門守がススキを手にそう言う。古式ゆかしい素破とは、また随分奇妙な言い回しだ、と助太郎は苦笑いして
「これでは滝川家に戻った時に、お役にたてぬ者となるのではと懸念しておりまする」
素襖を着せられたり、蛍を集めさせられたかと思えば、今度はススキ。ここ最近、素破らしい仕事はほとんどしていない。信長は忠三郎を戦場に出したくないのか、事務仕事ばかりしているおかげで、傍にいる助太郎まで戦場で戦う機会を奪われている。
一益に命じられ、忠三郎の元に来てから何年もたつが、未だに忠三郎という人間が理解できない。例えば、このススキ。刀で薙ぎ払ってしまえば簡単に済むものを、何故、一本一本集める必要があるのか。
(全く持って、数寄人というは分からぬ)
楽し気にススキを集める忠三郎を横目で見る。
(おや…)
忠三郎がフラフラと歩いていく先に、何かが動いているのが見えた。
(お味方の兵であろうか)
こんな時間にこんな場所で何をしているのだろうか。
(怪しい…)
助太郎が刀の柄を握ったとき、
「うぉー!」
忠三郎の前で雄叫びをあげた人影が立ち上がり、刀を抜いて斬りかかって来た。
「忠三郎様!」
忠三郎が寸でのところで身を翻すと、助太郎が走ってきて人影に体当たりする。
見ると、暗闇に四・五名ほどの雑兵がいた。
「待て!待ってくれ!」
そのうちの一人が大声を張り上げる。その声に聞き覚えがあり、忠三郎が刀を抜いたまま、声の主を見ると、
「そ、そこもとは…」
「そなた、蒲生の子倅ではないか。斬るな、斬るな」
有岡城にいるはずの、荒木村重だった。村重が雑兵に身をやつし、わずかな手兵とともに城を抜けだして来たと分かった。
「かようなところで一体何を…」
「野暮用じゃ。頼む。見逃してくれ」
村重が拝むように手を合わせる。
「合戦の最中に野暮用とは、此は如何に」
「そう申すな。空腹じゃ。腹が減ってたまらず、城を出てきたのじゃ。頼む、見逃してくれ」
その言葉を聞いた助太郎と町野長門守が刀を構える。
「忠三郎様、此奴は敵将では?首を捕って手柄といたしましょう」
二人はまさかこの雑兵が荒木村重とは思っていない。
「やめろ!やめてくれ!後生じゃ!助けてくれ!」
目もあてられぬ見苦しいその姿に、忠三郎は唖然として村重を見る。
「なんと見苦しきお姿…。城内には未だ兵が残っておるというのに」
忠三郎はひと呼吸おいて、刀を握る助太郎に目を向け、努めて平らに言った。
「誉れなき首など、我が刃にて討つものではない。――宗右衛門殿と交わし『戦は理にて終わらせよ』との約も、ここで違えるわけには参らぬ」
その言葉に村重はますます取りすがり、地に額をすりつける。
「忠三郎、後生じゃ!おぬしにはこれまで散々、馳走してきたことを忘れたか。おぬしが来る度毎に都から女子まで呼び、高い酒を振るもうてきた、その恩を忘れたか」
「それとこれとは…」
「おぬしの代わりに、万見仙千代を討ってやったではないか。どうじゃ、仙千代など、簡単に消すことができたじゃろう」
今となっては、それが本当に己が望んでいたことなのかどうかも分からない。長年、深く恨んでいた万見仙千代。いつか討ち果たそうと思っていたが、仙千代が討死して嬉しかったわけでもない。
(ただ…あやつが死んで…己の小ささに気づいただけだ)
明日にも命を失う戦場で戦う身でありながら、味方同士で争うなどと、そんなことをしていた自分を深く恥じた。
そんな忠三郎の胸の内を知らない村重は、何度も忠三郎を拝み、
「見逃してくれれば、この恩は必ず返そう。のう、知らぬ仲でもあるまい。見逃してくれ」
忠三郎が戸惑い、返事に困っていると、村重は突然、踵を返して走り出した。
「あ!卑怯者!待て!」
助太郎が慌てて後を追おうとする。
「待て、助太郎」
「忠三郎様。敵を逃がすと仰せか」
「あのような憐れな匹夫を討ってなんの誉れがあろうか」
「しかし…」
(目の前にいる敵を逃がすなど…あり得ぬ)
助太郎は憤慨して、忠三郎を置いて城へ向かおうとする。
「待て、助太郎。ススキを忘るるな」
忠三郎が刀を収め、集めたススキを両手に持つ。
「長門、助太郎殿はすっかりご立腹じゃ。なだめてくれ」
「は?それがしが?それは若殿の御役目では…」
町野長門守は助太郎が走り去った暗闇の先にある城を見ながら、馬の背にススキを乗せた。
それから間もなく、一益は小屋野城広間でススキを手に戻った三名の報告を聞いていた。
「…で?逃がした敵将とは?存じおりの者か?」
義太夫が呆れてそう聞くと、忠三郎は言いにくそうに口を開き、
「摂津守殿であったかと…」
「何、摂津守?それは確かか」
聞き捨てならず、一益が問い返す。
「はい。間近で見ており、間違えありませぬ」
一益は頷き、扇子をパチリと鳴らす。
武藤宗右衛門の進言通り、城内の兵糧が枯渇してきたことを察知してから、城の包囲の一部を開け、城内の者が逃げやすいようにしてきた。それがまさか、村重本人が城を捨てて逃げてくるとは。
(毛利の援軍が来た時のために、有岡城を捨て、他の城へうつったか)
逃げた先は恐らく、村重の息子のいる尼崎城。いかに援軍を呼ぶためとはいえ、ここまで包囲されているのだから、一度城の外に出れば、再び中に入ることができないと分かっているはずだ。
「何をやっておるのじゃ。千載一遇の機会だったではないか。摂津守を捕えれば、この戦は終わった筈。何故に取り逃がした?」
義太夫があきれ果て、声を大にして言う。義太夫だけではなく、滝川助太郎も、佐治新介も、皆、口には出さなくても同じことを思っているだろう。
「あまりに…憐れな姿で追うには忍びず…」
忠三郎が申し訳なさそうに一益を上目遣いに見る。
「もうよい。皆、他言無用じゃ。摂津守がどうなろうが、有岡城にいないことに変わりはない。我らで戦を終わりにしようではないか」
「はい。それはどのように?」
「摂津守の向かった先は尼崎城であろう。鶴は義太夫とともに城介殿の元へ行き、有岡城を取り囲む兵の一部を尼崎へ差し向け、総攻めするよう進言せい。その後、安土の上様にも同様に告げよ」
「ハッ。義太夫とともに…」
忠三郎がクスリと笑って返事をする。
「我らは有岡城を落とす。新介」
「ハハッ、新介はこれに」
「その方、木全彦一郎、滝川助九郎を連れて城に入り、町屋を焼き払ったのち、上﨟塚砦にいる中西新八郎に会いに行け。命を助ける代わりに城兵を説き、門を開けるようにと伝えよ」
「委細承知仕りました」
これで長きに渡る籠城戦に終止符を打つことができる。
(宗右衛門。ようやく終わりにする時が来たぞ。見ていてくれ)
想定していた展開とは大きく異なるが、年が終わる前にはすべてが片付くだろう。
九月二十一日。信長が京を出立、二十四日に摂津に入った。
「左近、摂津守が有岡城におらぬとは、誠であろうな」
小屋野城に現れた信長は、開口一番にそう訊ねる。
「はい。そのことを城内の者どもに触れ回ったところ、城から落ち延びる者は後を絶ちませぬ。この勢いに乗じて城を落とすため、我が手の者を遣わし、砦の将を調略しているところでござります」
先だって信長から馬を下賜されたばかりだ。武藤宗右衛門が一益の手柄を殊更に強調して信長に伝えていたのかが分かり、今更ながらに宗右衛門の存在の大きさを思わされた。
「よかろう。したが、これより後、降るものは…」
やはりそうか、と思いつつ、
「許すな、と?」
「そちが助命を約した者は許してやれ。されどこののち降伏などは断じて許さぬ。雑兵に至るまでなで斬りにせよ」
「ハハッ」
一益は堅い表情で返事をする。予想はしていたことだが、これは、とんだ殺戮劇になりそうだ。
「妻子を捨てて逃げだすとは、とんだ痴れ者よ」
「摂津守の妻子は有岡城本丸に籠っているものと思われまする。これを捕え、人質として尼崎・花岡両城の開城を促せば、いかに摂津守といえども逃げ惑うことはできなくなるものかと」
信長は満足そうにうなずき、
「よかろう。詳細は城介と話して進めよ。予は五郎左の元へ行き、京へ戻る。何かあれば鶴を送って参れ。ときに…」
信長の声色が変わり、一益が気づいて信長の顔を見る。その目が雄弁に心にある何かを語っている。
「助十郎の後見はそなたか」
助十郎とは亡き武藤宗右衛門の嫡男のことだ。
(上様もご心痛か…)
知略・武勇もさることながら、宗右衛門は無私無欲に働く忠臣だった。宗右衛門を失ったことは信長にとっても大きな痛手なのだろう。
「はい。宗右衛門の生前の望みにて、及ばずながらそれがしが後見を務めることと致しました」
「…であるか」
信長は多くを語らなかった。しばし、かつて宗右衛門が座っていた広間の一角を見ていたが、つと立ち上がるとそのまま小屋野城を後にし、丹羽長秀の守る塚口砦へ向かった。
上﨟塚砦を守る中西新八郎が佐治新介の調略に応じて門を開け、砦を明け渡したのは十月十五日。
一益は兵を砦に入れて、城下の屋敷を焼き払い、人々を本丸に追い込んだ。炎が屋根を噛み、夜空を赤く染める。逃げ惑う群衆の叫びと、子の泣き声が入り混じり、煙にむせる声すら炎に呑まれて消えていった。
野に残ったススキは、風に折れず、ただ揺れていた。
更に岸の砦に籠る荒木家の重臣、渡辺勘太夫を攻める。
「殿!渡辺めが降伏したいと申し出ておりまする」
佐治新介がそう告げてくる。
「ならぬ。使者を追い返せ。鉄砲、大筒を撃ち込み、手心加えず攻め続けよ」
「え…それはあの…砦におるものを皆…」
こういうとき、義太夫であれば察して素直に応じてくれるが、新介は躊躇して返事をしない。
(取次が新介だと、これまで通りというわけにもいかぬか)
口にするにはいささか抵抗があるが、言わなければ新介は動かないだろう。
「新介。多くを考えるな。降伏を願い出るような時期はとっくに過ぎておろう。今更、命を惜しんで降伏したいなどと通ると思うか。謀反人どもを残らず根絶やしにせよ」
「ハハッ」
新介はなおも納得していない様子だったが、短く返事をして姿を消す。入れ替わりに信長から下賜された馬の世話をしていた義太夫が広間に入ってくる。
「いやはや、上様から賜ったあの真っ黒な馬。なんとも殿にふさわしいですなぁ」
緊迫した空気を打ち破るような声に、一益は苦笑し、
「鶴がうらやんでおったな」
「あやつは何でも真っ黒にするのがよいと考えておるのでしょう」
忠三郎は甲冑も兜も黒を好んで身に着ける。
「殿、鵯塚は如何なされまする。荒木の家臣、野村丹後と雑賀衆が籠っておりまする」
「鵯塚…雑賀衆…そういうことか」
武藤宗右衛門は鵯塚砦を金堀攻めで落とせといっていた。砦には雑賀衆が籠り、うかつに塀を乗り越えようとすれば鉄砲の的になると気づいていたのだ。
「金堀人足を入れ、地中から攻め入れ」
「お、我らの得意な土竜攻めでござりますな。畏まってござりまする」
「では、わしも、その黒い馬とやらに乗って城へ乗り込むか」
一益は手勢を率いて城内に入り、次々に砦を落としていった。砦の城将、野村丹後と渡辺勘太夫は切腹。ついに本丸まで兵を進めた。
「君に引く荒木ぞ弓の筈ちがい
居るにいられぬ(射るに射られぬ)有岡の城」
忠三郎が朗々と詠いあげると、義太夫がそれを横目で見る。
「何じゃ、それは」
「丹波の細川殿が詠まれた句。戦場と言えども歌のこころを忘れてはならぬ。猛きもののふの心をも慰むるは歌なり」
優雅なものだ、と義太夫は息をつく。
「歌など詠うておる場合か。女子供を残して逃げた奴も逃げた奴じゃが、それを逃がした奴も逃がした奴じゃ」
「そう言うな。義太夫も妻帯するのであれば、和歌のよさを学ぶべきと思うが?」
「女房もらうのと、和歌を詠むのは話が別じゃ」
忠三郎は笑って帷幕の中へ入っていく。帷幕の中では諸将が信忠の前に伺候し、軍議が開かれている。
「本丸はこれまでのようにはいきませぬ。堀で囲まれ、容易には近づけぬ砦。城兵や女子供あわせて五百余名が籠っており、ここはひとつ、城代の荒木久左衛門に降伏を促しては如何なものかと」
堀久太郎が言う。武藤宗右衛門も似たような進言をしていたし、一益もそのつもりだった。しかし予想外にも有岡城にいるはずの村重は尼崎におり、城に残っているのは城代だ。
『兵は詭道。戦さというはその場・その場において状況が変わるもの。最終的には左近殿ご自身で見て、ご判断いただくことが肝要かと』
宗右衛門はそう言っていた。あれほど練りに練った戦略を伝えておきながら、思わぬことで戦局は大きく変わることを熟知していたからこそ、わざわざそう付け加えたのだろう。
信忠は頷き、
「して、降伏の条件は?」
「花隈・尼崎両城の開城を条件に、城兵・女子供を助命する旨、城代に申し伝え、誰かを交渉の使者として尼崎にいる村重の元へ送りこんでは?」
先行きを案じた明智光秀も、同様の進言をしてきたと聞いている。
「左近、その方はどう考える?」
信忠が先ほどから一言も発しない一益にそう訊ねる。
「いつまでも城を眺めているわけにもいきますまい。まずは本丸明け渡しの使者を送りましょう」
義太夫・新介の二人を使者に立てて降伏を促すと、城代の荒木久左衛門はすんなりと城明け渡しに応じて、門から姿を現した。ここにきてようやく、捕らわれていた高山右近の人質が寄せ手に渡される。
荒木久左衛門は後ろ手に縛られて信忠の本陣に引き立てられてきた。
「摂津守は尼崎におるのか」
信忠が聞くと、久左衛門は答えることができないほど、震えだしてしまった。それをみた忠三郎が苦笑して、穏やかに問いかける。
「摂津守は何故に城を出たのか。いずこへ参ったか、話してはくれぬか」
久左衛門は首を大きく何度も降りながら
「茶器をもって尼崎に向かったと聞き及びました。それ以外は何も存じませぬ。殿は病と称して本丸の奥に籠り、我らが気づいたときには、すでに城のどこにもお姿が見えなかったのでござります」
その姿は猫に追い詰められた鼠のようだ。嘘を言っているようにも見えない。
「茶器を持って…」
忠三郎が笑い出す。毛利への手土産のつもりかもしれないが、単身で茶器だけ持って城を出たとはあきれ果てて言葉もない。
信忠はため息をつき、
「城内の女子供、および家臣どもを人質として、花岡城・尼崎城の開城を迫ろうかと思うが」
信忠は一益に聞いたのだが、堀久太郎は返事を待たず、先に話し始める。
「荒木久左衛門と申したの。城内にはいかほどの人がおるのか」
「は、はい。男は百二十ほど、女子供は五百十ほどにござります」
六百人以上いる。
「左近、どう思う?」
信忠が一益を見て言う。
「はい…しかし誰を使者に…」
一益が思案顔になったとき、久左衛門が叫んだ。
「それがしを、それがしを摂津守の元へお遣わしくだされ。必ずや説得して参ります。万が一にも摂津守が同意しなかったときには、それがしが先陣率いて尼崎へ攻め上りましょう」
一益は返事をしない。黙ってジッと久左衛門の顔を見ている。
「それがよい。城代家老に説かれれば、摂津守も耳を貸すやもしれませぬ」
堀久太郎がそう言い、忠三郎も頷く。しかし一益はなかなかいいとは言い出せないでいる。久左衛門を睨んだままだ。
「皆の言うこと、尤もと思うが…」
信忠が久太郎と忠三郎を気遣ってそう言うが、一益は首を縦に振らない。
「義兄上、何か言うてくだされ」
痺れを切らした忠三郎がそう言うと、
「左近、不服か」
信忠が心配して声をかけた。一益はようやく頷き、
「行くがよい。城内六百名の人質を預かっていると摂津守に伝えよ」
「ハハッ」
荒木久左衛門の縄を解くと、久左衛門は三百人の兵を連れて尼崎城へ向かった。有岡の城では信長の甥、津田信澄が人質となった人々を捕り込め、見張りを立てさせた。
寄せ手は、しばしの間、久左衛門の帰りを待つことになった。
「義太夫、それは?」
手に袖を千切ったような布きれをもつ義太夫を見つけて、忠三郎が声をかける。
「なにやら、摂津守の女房が、これを摂津守に届けてくれというてのう」
「おぉ、和歌ではないか」
霜がれに残りて我は八重むぐら 難波の浦の底のみくづに
もはや枯れて残ったヤエムグラのような自分が、海に沈んで水屑になるだけだ、と詠う。
「なんと憐れな…これを見れば、摂津守も城を明け渡して、皆を救おうと思うのではないか」
「そうかのう…」
義太夫が白々とした気分でそう言うと
「…で、この歌を詠んだ女子は、どのような女子じゃ」
「なにやら今楊貴妃とか呼ばれておるほどの器量と聞いたが」
「なんと!なれば必ず摂津守は城を明け渡すであろう。和歌は情を動かす。戦、理に終わらせるためにも、情の道具は使うがよい」
「そうかのう…」
だとすれば、最初から城に置き去りにして一人で逃げるようなことはしないのではないか。
「何じゃ、義太夫。気のない返事ばかりしおって。今楊貴妃に興味がないか」
「ないない。わしには恋女房がおる。早う祝言をあげたい…」
忠三郎は驚き、二の句も告げないといった顔をして義太夫を見ていたが、
「義太夫…つまらぬ男になったのう…」
「そう言うと思うたわ。まぁ、こいつを尼崎に届け、摂津守の出方を見るのも面白いかもしれぬ」
義太夫は人を遣わして袖の切れ端を尼崎まで届けさせた。
その翌日、
「どうであった?摂津守は?」
忠三郎が興味津々で聞くと、義太夫はため息交じりに、
「返って来た」
「返って来た?」
「返歌が」
義太夫はため息まじりに扇を差し出す。顔はふざけたように見えるが、視線は落ち着かず揺れていた。
思ひきや天の架け踏みならし
難波の花も夢ならんとは
天の架け橋を踏み鳴らすように戦ってきたが、難波の出来事も夢のようになったと詠っている。
「和歌のやりとりなど、戦の最中に何の甲斐がある。…いや、そうでもせねば、己の気持ちがもたぬのかもしれぬ」
軽口を叩きながらも、胸の奥に澱む怒りと諦観を押し隠しているのが、傍らにいる忠三郎には伝わった。
忠三郎の顔色が変わった。扇の要が、かすかに鳴った。
「これは…」
「何じゃ?こいつは今楊貴妃の元へ届けては拙いものか?」
「いや…それは構わぬが…。ちと、城介殿の本陣へ行ってまいる」
忠三郎は慌てた様子で一益の元へ去っていく。
「さっぱりわからんが…届けてやるか」
悠長に和歌をやり取りする村重夫妻も、和歌を見て顔色を変える忠三郎も、理解に苦しむ。こういうときのために、忠三郎の言うように和歌を学んだ方がいいのだろうか。
いずれにせよ、不憫と思った義太夫は、有岡城に入り、捕り込められている者の一人に扇を渡した。その時、火縄が吠えた。
「何事!」
義太夫はとっさに身をひるがえし、刀の柄を握る。
「おや…」
辺りを見回したが、敵の気配がない。
「如何した。今の銃声は。誰が撃った?」
寄せ手の兵を調べていくと、荒木家の家臣の一人が倒れているのが見つかった。
「眉間に一発…」
火縄銃を抱えている。
「自ら引き金をひいたのか。器用な奴…」
自害するにしても、こんな方法は初めてみたな、と驚いていると、亡骸のそばに、また、袖の切れ端が見えた。
露の身も 消えても心 残り行く
何とかならむ みどり子の末
(子らの行く末を案じている…見殺しにされると思うたのか)
荒木村重が開城に応じないと、そう思った末のことだろう。
(これは前代未聞のこととなるのではないか)
この先を考えると憂鬱になる。義太夫は重い足取りで、城の外へ向かって歩いて行った。
待てど暮らせど荒木久左衛門は姿を現さない。一益は信忠本陣で、ひたすら久左衛門の帰りを待ち続けている。そこへ忠三郎がやってきた。
「一大事でござります」
「忠三郎、何事か」
信忠が床几から立ち上がって問うと、忠三郎がその場に片膝つき、
「久左衛門は未だ姿を見せませぬか」
「一向に戻る気配がない。…で、一大事とは?」
「申し上げにくき義なれど…摂津守は城を明け渡すつもりはないものと存じあげまする」
やはりそうか。村重が首を縦に振らなかったため、久左衛門は逃げたのだろう。
(危惧していた通りになった)
一益が目を閉じ、眉間に皺を寄せる。信忠は怪訝な顔をして
「何故にそれがわかる?」
「摂津守が正室に充てた歌を見ました。これがまた、なんとも言い訳がましい歌にて、到底、城を明け渡す気があるとは思えませぬ」
信忠が愕然として床几に座り込む。説得に失敗した場合でも、先陣を務めて尼崎を落とすとまで言った荒木久左衛門がまさか、逃走するとは思っていなかったようだ。
「上様に…お伺いをたてるしかありますまい」
一益が言うと、信忠も黙って頷いた。
京にいる信長の元に行った忠三郎は、荒木久左衛門がいつまでも戻らないこと、捕らわれた妻子たちが朝晩声をあげて嘆き悲しんでいることを伝えて戻って来た。
「そうか、よう伝えてくれた。して、父上は何と?」
信忠がわずかな期待を込めて忠三郎に問う。
「はい。上様も摂津守に置き捨てられた女子供を大層不憫と思召されておりまする」
「忠三郎。ようやった。では…」
「いえ。不憫とは思うが、奸人を懲らしめるため、ここは甘い沙汰を下すわけにはいかぬ、と仰せにござります」
「なんと…」
信忠が言葉を失う。
(さもあらん)
想定していた中でも最悪の結末だが、最初から恐れていたことでもある。
(…にしても二人とも妻子を残して逃げるとは…)
天下に恥をさらしてでも、生き延びたいと、そういうことなのだろう。
「摂津守の一族の処刑はすべて都で執り行うため、これより都へ連れ上るようにとの仰せにござります」
「都で。…して、他のものは?」
「士分にあるものの妻子は皆、磔。滝川左近、蜂谷兵庫助、丹羽五郎左の三名で行うようにと」
あの中から選び出して処刑しろと言うことだ。その一言に、場の空気が凍りついた。誰も声を発せず、ただ互いの視線を避けるように伏し、重苦しい沈黙だけが残った。外では秋風が帷幕を揺らし、火桶の火がぱちりと弾け、その音だけがやけに大きく響いた。
「残りの者は?」
「奉行の矢部善七郎に申し付け、家々に捕り込め、焼き殺せとの仰せでござりました」
「あの者どもを皆、焼き殺せと?左近…」
どうにかしろと言いたげに信忠が一益を見る。
「悪戯に時を稼いでも、ご沙汰は変わりますまい。ぐずぐずしていては上様自ら、ここへ来られるものかと」
「足軽・雑兵に至るまで、逃がすわけには参らぬと?」
「城介殿。相手は謀反人とその郎党。ましてや最後まで織田家に逆ろうてきた者ども。その報いは死をもって償わせよとの上様の仰せにござります」
一益の声が冷たく帷幕の中に響いた。信忠はそれを聞いて、一人頷き、そして、
「忠三郎、摂津守の親族を都へ連れていけ」
「ハッ。心得ました」
忠三郎が短く返事をして帷幕の外へ出ていくと、幕内には信忠と一益だけが残された。
——理で終わらせる道は、まだどこかに、と一益は一瞬だけ探したが、夜風は答えを運ばなかった。
しばらくの沈黙の後、信忠が口を開いた。
「左近、父上を鬼と思うか」
「は…」
間の悪い質問だと思った。信忠は何を思っているのか。ここ数年、一益は信忠と戦場を共にすることが多い。初陣以来、信長から命じられた通りに働き、家督を譲られた今もそれは変わらない。温厚で、父に対しては絶対服従なのだと、そのように見えた。
「父上…信長しかおらぬのじゃ、かようなことができるのは」
それはそうだろう。一益は苦笑した。しかし、信忠は更に言葉をつづけ、
「かようなことが二度と起こらぬように天下を治めることができるのも、父上しかおらぬ。そなたには分からぬか。父上こそ、誰よりも戦さのない世を望んでおられる。だからこそ、それを邪魔するものには容赦がない」
一益は黙って信忠の顔を見る。
(上様の志は…常に天下にあった)
尾張にいたころ、そんな話を聞いた。今となってはそれも不思議ではない。天下は今、確かに信長の目の前にある。
「見たいとは思わぬか。戦国の終わりを。戦さのない世を」
「それは無論。そのために我らは日夜、働いておりまする」
「わしは、そなたを頼りにしておる」
信忠の真摯な気持ちを受け止めながら、信忠の言いたいことが初めて分かった。
(裏切るなと…そう言っているのか)
信長の過酷な沙汰で、人心が離れていくことを危惧しているのだ。
「戦さのなき世を見たい。それ故に父上に従う。左近、供に戦国を終わらせようではないか」
「ハハッ」
信忠の邪心ない心の内を明かされ、ふと、思い出す。
(あやつも…似たようなことを言うておったな)
供に戦国を終わらせたいと願った武藤宗右衛門。志半ばで病に倒れた得難い軍師。
(こうして…あまたの命を失いながら、戦国を終わらせるのか)
この先、どれほど残酷なこの世に胸を痛めれば、真に泰平の世が訪れるのだろうか。
幕内に漂う静けさは、焔に焼かれる城よりもなお烈しく、二人の胸を締めつけた。言葉を交わすよりも深く、沈黙の圧がすべてを物語っていた。
誰ひとり声を発せぬまま、夜はただ、重く、更けた。
1
あなたにおすすめの小説
四代目 豊臣秀勝
克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。
読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。
史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。
秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。
小牧長久手で秀吉は勝てるのか?
朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか?
朝鮮征伐は行われるのか?
秀頼は生まれるのか。
秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?
獅子の末裔
卯花月影
歴史・時代
未だ戦乱続く近江の国に生まれた蒲生氏郷。主家・六角氏を揺るがした六角家騒動がようやく落ち着いてきたころ、目の前に現れたのは天下を狙う織田信長だった。
和歌をこよなく愛する温厚で無力な少年は、信長にその非凡な才を見いだされ、戦国武将として成長し、開花していく。
前作「滝川家の人びと」の続編です。途中、エピソードの被りがありますが、蒲生氏郷視点で描かれます。
織田信長IF… 天下統一再び!!
華瑠羅
歴史・時代
日本の歴史上最も有名な『本能寺の変』の当日から物語は足早に流れて行く展開です。
この作品は「もし」という概念で物語が進行していきます。
主人公【織田信長】が死んで、若返って蘇り再び活躍するという作品です。
※この物語はフィクションです。
本能寺からの決死の脱出 ~尾張の大うつけ 織田信長 天下を統一す~
bekichi
歴史・時代
戦国時代の日本を背景に、織田信長の若き日の物語を語る。荒れ狂う風が尾張の大地を駆け巡る中、夜空の星々はこれから繰り広げられる壮絶な戦いの予兆のように輝いている。この混沌とした時代において、信長はまだ無名であったが、彼の野望はやがて天下を揺るがすことになる。信長は、父・信秀の治世に疑問を持ちながらも、独自の力を蓄え、異なる理想を追求し、反逆者とみなされることもあれば期待の星と讃えられることもあった。彼の目標は、乱世を統一し平和な時代を創ることにあった。物語は信長の足跡を追い、若き日の友情、父との確執、大名との駆け引きを描く。信長の人生は、斎藤道三、明智光秀、羽柴秀吉、徳川家康、伊達政宗といった時代の英傑たちとの交流とともに、一つの大きな物語を形成する。この物語は、信長の未知なる野望の軌跡を描くものである。
ソラノカケラ ⦅Shattered Skies⦆
みにみ
歴史・時代
2026年 中華人民共和国が台湾へ軍事侵攻を開始
台湾側は地の利を生かし善戦するも
人海戦術で推してくる中国側に敗走を重ね
たった3ヶ月ほどで第2作戦区以外を掌握される
背に腹を変えられなくなった台湾政府は
傭兵を雇うことを決定
世界各地から金を求めて傭兵たちが集まった
これは、その中の1人
台湾空軍特務中尉Mr.MAITOKIこと
舞時景都と
台湾空軍特務中士Mr.SASENOこと
佐世野榛名のコンビによる
台湾開放戦を描いた物語である
※エースコンバットみたいな世界観で描いてます()
天竜川で逢いましょう 〜日本史教師が石田三成とか無理なので平和な世界を目指します〜
岩 大志
歴史・時代
ごくありふれた高校教師津久見裕太は、ひょんなことから頭を打ち、気を失う。
けたたましい轟音に気付き目を覚ますと多数の軍旗。
髭もじゃの男に「いよいよですな。」と、言われ混乱する津久見。
戦国時代の大きな分かれ道のド真ん中に転生した津久見はどうするのか!!???
そもそも現代人が生首とか無理なので、平和な世の中を目指そうと思います。
甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ
朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】
戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。
永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。
信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。
この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。
*ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。
独裁者・武田信玄
いずもカリーシ
歴史・時代
国を、民を守るために、武田信玄は独裁者を目指す。
独裁国家が民主国家を数で上回っている現代だからこそ、この歴史物語はどこかに通じるものがあるかもしれません。
【第壱章 独裁者への階段】 純粋に国を、民を憂う思いが、粛清の嵐を巻き起こす
【第弐章 川中島合戦】 甲斐の虎と越後の龍、激突す
【第参章 戦争の黒幕】 京の都が、二人の英雄を不倶戴天の敵と成す
【第四章 織田信長の愛娘】 清廉潔白な人々が、武器商人への憎悪を燃やす
【最終章 西上作戦】 武田家を滅ぼす策略に抗うべく、信長と家康打倒を決断す
この小説は『大罪人の娘』を補完するものでもあります。
(前編が執筆終了していますが、後編の執筆に向けて修正中です))
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる