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第二章 車内でも隣には
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隣のキッチンに立ち背を向けている目雲にゆきが呼びかける。
「目雲さーん、スマホが鳴ってます」
首だけ振り向いた目雲は白くなっている片手を軽く掲げた。
「すみません、ちょっと手が離せないので、名前だけ見てもらますか」
「えっと」
ゆきがスマホケースを開くと、宮前もそこをのぞき込む。
「どれどれ、あ、颯天だ」
表示された名前は目雲颯天となっていた。
「同じ苗字と言うことはご親族?」
「弟だよ、噂をすればだね。どうする周弥、出る?」
笑顔でゆきに教えた後、宮前は目雲に問いかけた。目雲は少しも考えることなくそれに答えた。
「いい」
あまりの返答の速さに驚いている間に、スマホの振動が止まった。
「あ、切れました」
しかし、こちらもまたすぐ動き出す。
「あ、また掛かってきた。これ出るまで掛かってくるんじゃん?」
「お鍋見ておきましょうか?」
ゆきがスマホを手に取り、目雲の近くに持って行く。
目雲は小麦粉に塗れた自分の手と、とろ火にかけている鍋と、油を温めている深めのフライパンと、ゆきの手元のスマホをそれぞれ見ると、聞こえないくらいの薄いため息をついて手を洗い、ゆきからスマホを受け取った。
「すぐ戻りますので、お願いしてもいいでしょうか」
油の方のコンロは火を切りエプロンを外す目雲に、ゆきは煮込んでいる方の鍋を指さした。
「時々かき混ぜておけばいいですか?」
「はい、ちょっと外行ってきます」
目雲を見送ったゆきは手を洗うとお玉を手に取りクルリとかき回した。
すると宮前もゆきの傍に立って、シンクに置いてあった洗い物を始めた。
お玉を置いたゆきは作業スペースに置かれた調理途中の様子を眺めていた。
「ゆきちゃんを避けてた理由聞いた?」
唐突な宮前の質問にもゆきはそのまま軽く答えた。
「体調が悪いのを隠したかったというくらいには」
「それ以上は聞かないの?」
体調を崩す原因が季節性のものだけでないのはゆきも分かっている。さらに仕事が多忙だからでもなく、告白の時に聞いた一緒にいることが不幸になると確信している原因が何かある事は流石に察していた。
「そうですね、目雲さんが話し出したら聞く覚悟はありますけど」
手元に視線を落としている宮前の横顔に微笑みかけた。
宮前はそのまま作業をしつつ、思いのほか柔らかい声でゆきに尋ねる。
「気にならない?」
ゆきものんびりとした口調で答えた。
「なんとなく私が何かしたのではないというのは伝わっているので、それ以上は聞かない方がいいのかなと」
「まあ聞いて楽しい話じゃないのはそうかな。元カノの話だし尚更」
「そういう系なんですね」
「そういう系なの、あいつは今でも囚われてると思う」
宮前がすすぎ始めた調理器具を、ゆきは布巾を手に取り水気を拭いていく。
「囚われてるんですか?」
引きずっているではないのだとゆきは、その身動きできない程の思考に陥る過去なのだと理解した。
「だからゆきちゃんを振っちゃんだって。別にその子をまだ好きとかじゃないよ、ただトラウマになってる感じ」
宮前は努めて明るく話しているが、ゆきもだからこそその深刻さが伝わっていた。
「あまりいい恋ではなかった、ということですか」
「そうそう、だから傍から見ててもしんどそうだった。さらにそのことで今も周弥とご両親はあんまり仲が良くない。というか周弥が一方的に嫌悪してるって感じかな」
正月には挨拶に行くと言っていたからこそ、頻繁に交流がないとしてもそこまでの関係だとはゆきも想像できなかった。
「嫌悪って結構強い感情ですね」
ただ今のゆきにそこに深入りするつもりはなかった。
ゆきは鍋の様子を見ながらボールやざるを拭いて、それをちらりと見た宮前はその凪いだ表情に真意を測れずに少し困惑していた。
しかしゆきはそんなことは知る由もなく、宮前に過去の追及をせず現在のことを尋ねる。
「ちなみに今はどうですか?」
「どう見ても楽しそうでしょ」
宮前は思い切り笑うので、ゆきは微笑む。
「良かったです、もし宮前さんが見ていて辛そうになったら教えてくださいね」
「たぶんゆきちゃんとなら大丈夫だよ、ゆきちゃんがいない時期のがしんどそうだった」
「大丈夫だと信じたいです」
「ゆきちゃんは?」
その時にゆきは少し驚いた。
まな板を拭きながらゆきを見ている宮前と目を合わせた。
「私ですか?」
「そう、ゆきちゃん。ゆきちゃんは大丈夫なの?」
「私は大丈夫ですよ」
「ゆきちゃんも俺の友達でしょ? 心配しちゃダメ?」
ゆきは首を横に振ったが、少しの違和感を覚えずにいられなかった。
さっきもしかりだが、普段の宮前なら心配していたとしても、ゆきに対してはあくまでも目雲ありきの付き合いをしているように感じていた。目雲との交流が絶たれていた時にもこれからも友達だからと確認のようなことをして、その後も定食屋に来てはいたが、スマホにメッセージが届くことはなくなっていたし、定食屋で言葉を交わしても目雲の話以外はしなかった。
だからこうまではっきりと冗談めかしてなく、ゆきだけを考えた言葉を言うことは初めての事だった。
「有難いですけど、宮前さんが私の分まで考え出したら、本当に宮前さんの方がしんどくなっちゃいますよ」
さっきも同じニュアンスのことを言ったが今度はもっとまじめに伝えた。
「でもさ、俺はさ、ゆきちゃんもさ、もう大事なんだよ。だからさ、考えずにはいられないんだよ。ゆきちゃんは周弥にもったいないくらいだって思ってるからこそ」
「宮前さん」
下手したら口説いていると勘違いしてもおかしくないセリフだが、ゆきはもちろんそんな勘違いはしない。ただその宮前の必死さのようなものがどこから来るのかを考える。
宮前もゆきが変な受け取り方をしないと確信しているからこそ、正直に伝えることができた。目雲ありきの関係ではもちろんあると承知しているが、それでもゆきとの関係性はそれとは別に築けていると、初めて感じられたゆきだからだ。
「できればもうどうにもならなくなる前に、俺ができることはしたいんだ。周弥といると辛いとか、一回振ったくせになによッ、とか思わない?」
ゆきはわざと一呼吸置いた。
そしてきちんと伝わるように、宮前を笑顔で見つめた。
「どちらも思いませんよ、辛いと思う人を好きになったりしませんし、付き合えて嬉しいのは私の方です」
決して強い口調でもなく、普段と変わらないゆきの言葉だったが、宮前にはきちんと伝わった。
「そっか」
「そうですよ」
宮前は視線を逸らすと、一瞬表情を失う。
まな板を片付け終えた宮前は、布巾を掛けてそのまま少しシンクの縁に両手を付いて体重をかけるように立つと、ふいにゆきに顔を向けた。
「俺みたいな友達がいても?」
無邪気な表情のような、どこか困っているような微笑みでゆきの顔を見る宮前を不思議に思ったゆきは、少しだけ首を傾げた。
「宮前さんですか? いてくれて楽しいですよ?」
「いやさ、付き合う前ならいざ知らず、こうやって二人で会うときに邪魔じゃん」
わざと明るく言っているんだと分かるゆきはますます困惑してしまう。
「邪魔じゃないですよ、どうしたんですか? 恋人の方と喧嘩でもしたんですか?」
あまりの宮前の自虐ぶりに、ゆきはただの可能性の一つとして言っただけだったのだが、宮前は目を見開いた後、悔しそうに開き直った。
「したよ、したんだよ。本当に良く分かったね、たぶん周弥も気づいてる! 似たものカップルだな本当に」
茶化すような言い方にそれだけではないと思いながらも、その様子とは逆に今までの宮前とは違うどこか気弱な雰囲気もゆきには気にかかった。
一先ず深そうな真相は置いておいて、現状のトラブルについてゆきはフォーカスを絞った。
「深刻な喧嘩ですか?」
宮前もはぐらかそうとは思ってなかったが、自分の根本的な問題よりまた話しやすい方を取った。
ゆきの方を向いていた宮前は体を返してさせシンクにもたれ掛かると、絡めた自分の手を俯き加減で眺めながら、自分に言い聞かせるよう呟く。
「たぶん大丈夫だとは思う。今は遠距離だけど、もうすぐこっちに戻ってくるって。その話ししてたらなんか喧嘩になってただけだから」
「喜ばしい話だったはずなんですね」
それとほぼ同時に、がちゃりと玄関ドアが開いた。
「すみません、終わりました」
玄関に立つ目雲に徐に宮前が問いつめる。
「なあ、周弥。お前も分かってるんだろ?」
「いきなり何の話しだ」
不審感を隠しもせずに目雲はシンクの前に立つ宮前をどかすと、手を洗う。
「宮前さん恋人の方と喧嘩されたそうです」
「はい、だろうな」
目雲は器用にゆきに返事をした後に宮前を薄く睨む。
宮前はそんな目雲に怒るどころか、むしろどこか胸がいっぱいだと感じさせるほどに声を上ずらせる。
「だよね、だってこのメニュー絶対ゆきちゃんに出すときにチョイスするとは思えない」
「ビーフシチューと鶏のから揚げですか?」
ゆきはまだ完成途中のキッチンを見てメニューを察していたが、それほど不自然さは感じていなかったので、僅かに首を傾げる。
「しかも、ご飯炊いてる。俺の好きな物だ」
「バゲットも用意してますよ」
自分にだけ優しく伝える目雲に、ゆきは笑ってしまう。
「ビーフシチューにご飯が宮前さんのお好きな物なんですか?」
「そう、から揚げにもやっぱり白米は必須でしょ」
やはりわざとお茶目に言う宮前は目雲のその言わない優しさに心を打たれているようだとゆきにも伝わっていた。
「豪華でいいメニューですね、私もビーフシチューはご飯でもパンでも好きです。もちろん鶏のから揚げも好きです」
「サラダといろいろなピクルスもありますからね」
「運んだりとか手伝うので完成したら呼んでくださいね」
目雲と宮前には何か特別な友情があるんだと改めて感じはしたが、それをここで尋ねることはしないでおこうと決めた。
ゆきが、宮前と目雲との関係を受け入れられているか気にしている理由がきっとどこかにあるんだろうとはちゃんと分かったが、それをゆきが知ることが今すぐ必要なことではないのだろうとも思ったからだ。
ゆきは今を大切にはするが、物事の流れを汲まずに今だけに囚われることもまたしない。チャンスやタイミングは逃すべきではないが、行動することの重要性は重々承知の上で、敢えてなにもしないことを選らぶことの意味もまた知っている。それは特に誰か自分以外の心に関係している場合においては、優先すべきことを慎重に見極める必要があると昔から自然と感じていたからでもある。
ゆきにとってはそれは至極当たり前のことなので、無理にでも聞き出すべきだと必然を感じたとき以外はそっと見守ることにしていた。
宮前とリビングに座り、宮前がDIYしたものの話なんかをしながら料理が出来上がるのを待っていた。
ローテーブルいっぱいにそれぞれの皿が並び、目雲が飲み物は何が良いかと二人に聞いた。
「今日は車で送りますから、ゆきさんは飲んでもらっても」
車のディーラーをいろいろ回るため、一日レンタカーを借りている目雲の提案に、ゆきと宮前は二人で自然と目を合わせた。
「今日は休肝日ってことで」
宮前が言えばゆきも頷いた。
「私もそうします」
「あら、ゆきちゃんも毎日飲むの?」
宮前の妙に茶化した言い方に目雲は呆れた雰囲気を出すが、ゆきは笑みで答える。
「主に誰かと集まった時が多いですね」
「お前と一緒にするな」
目雲の蔑みも通常運転で受け流し続ける。
「たまには飲まずに飯だけ食うのもいいだろ? 酒飲むのは周弥も好きだし」
「今度またみんなで飲みましょう」
ゆきに宮前が頷く。
「そうそう、どうせ次もすぐだろ」
目雲は強く突っぱねる理由もないからこそ、どうしてだか自慢げな宮前と笑顔のゆきを見て頷いた。
「分かった」
そして目雲がグラスに水を注ぎ、食事が始まる。
「目雲さーん、スマホが鳴ってます」
首だけ振り向いた目雲は白くなっている片手を軽く掲げた。
「すみません、ちょっと手が離せないので、名前だけ見てもらますか」
「えっと」
ゆきがスマホケースを開くと、宮前もそこをのぞき込む。
「どれどれ、あ、颯天だ」
表示された名前は目雲颯天となっていた。
「同じ苗字と言うことはご親族?」
「弟だよ、噂をすればだね。どうする周弥、出る?」
笑顔でゆきに教えた後、宮前は目雲に問いかけた。目雲は少しも考えることなくそれに答えた。
「いい」
あまりの返答の速さに驚いている間に、スマホの振動が止まった。
「あ、切れました」
しかし、こちらもまたすぐ動き出す。
「あ、また掛かってきた。これ出るまで掛かってくるんじゃん?」
「お鍋見ておきましょうか?」
ゆきがスマホを手に取り、目雲の近くに持って行く。
目雲は小麦粉に塗れた自分の手と、とろ火にかけている鍋と、油を温めている深めのフライパンと、ゆきの手元のスマホをそれぞれ見ると、聞こえないくらいの薄いため息をついて手を洗い、ゆきからスマホを受け取った。
「すぐ戻りますので、お願いしてもいいでしょうか」
油の方のコンロは火を切りエプロンを外す目雲に、ゆきは煮込んでいる方の鍋を指さした。
「時々かき混ぜておけばいいですか?」
「はい、ちょっと外行ってきます」
目雲を見送ったゆきは手を洗うとお玉を手に取りクルリとかき回した。
すると宮前もゆきの傍に立って、シンクに置いてあった洗い物を始めた。
お玉を置いたゆきは作業スペースに置かれた調理途中の様子を眺めていた。
「ゆきちゃんを避けてた理由聞いた?」
唐突な宮前の質問にもゆきはそのまま軽く答えた。
「体調が悪いのを隠したかったというくらいには」
「それ以上は聞かないの?」
体調を崩す原因が季節性のものだけでないのはゆきも分かっている。さらに仕事が多忙だからでもなく、告白の時に聞いた一緒にいることが不幸になると確信している原因が何かある事は流石に察していた。
「そうですね、目雲さんが話し出したら聞く覚悟はありますけど」
手元に視線を落としている宮前の横顔に微笑みかけた。
宮前はそのまま作業をしつつ、思いのほか柔らかい声でゆきに尋ねる。
「気にならない?」
ゆきものんびりとした口調で答えた。
「なんとなく私が何かしたのではないというのは伝わっているので、それ以上は聞かない方がいいのかなと」
「まあ聞いて楽しい話じゃないのはそうかな。元カノの話だし尚更」
「そういう系なんですね」
「そういう系なの、あいつは今でも囚われてると思う」
宮前がすすぎ始めた調理器具を、ゆきは布巾を手に取り水気を拭いていく。
「囚われてるんですか?」
引きずっているではないのだとゆきは、その身動きできない程の思考に陥る過去なのだと理解した。
「だからゆきちゃんを振っちゃんだって。別にその子をまだ好きとかじゃないよ、ただトラウマになってる感じ」
宮前は努めて明るく話しているが、ゆきもだからこそその深刻さが伝わっていた。
「あまりいい恋ではなかった、ということですか」
「そうそう、だから傍から見ててもしんどそうだった。さらにそのことで今も周弥とご両親はあんまり仲が良くない。というか周弥が一方的に嫌悪してるって感じかな」
正月には挨拶に行くと言っていたからこそ、頻繁に交流がないとしてもそこまでの関係だとはゆきも想像できなかった。
「嫌悪って結構強い感情ですね」
ただ今のゆきにそこに深入りするつもりはなかった。
ゆきは鍋の様子を見ながらボールやざるを拭いて、それをちらりと見た宮前はその凪いだ表情に真意を測れずに少し困惑していた。
しかしゆきはそんなことは知る由もなく、宮前に過去の追及をせず現在のことを尋ねる。
「ちなみに今はどうですか?」
「どう見ても楽しそうでしょ」
宮前は思い切り笑うので、ゆきは微笑む。
「良かったです、もし宮前さんが見ていて辛そうになったら教えてくださいね」
「たぶんゆきちゃんとなら大丈夫だよ、ゆきちゃんがいない時期のがしんどそうだった」
「大丈夫だと信じたいです」
「ゆきちゃんは?」
その時にゆきは少し驚いた。
まな板を拭きながらゆきを見ている宮前と目を合わせた。
「私ですか?」
「そう、ゆきちゃん。ゆきちゃんは大丈夫なの?」
「私は大丈夫ですよ」
「ゆきちゃんも俺の友達でしょ? 心配しちゃダメ?」
ゆきは首を横に振ったが、少しの違和感を覚えずにいられなかった。
さっきもしかりだが、普段の宮前なら心配していたとしても、ゆきに対してはあくまでも目雲ありきの付き合いをしているように感じていた。目雲との交流が絶たれていた時にもこれからも友達だからと確認のようなことをして、その後も定食屋に来てはいたが、スマホにメッセージが届くことはなくなっていたし、定食屋で言葉を交わしても目雲の話以外はしなかった。
だからこうまではっきりと冗談めかしてなく、ゆきだけを考えた言葉を言うことは初めての事だった。
「有難いですけど、宮前さんが私の分まで考え出したら、本当に宮前さんの方がしんどくなっちゃいますよ」
さっきも同じニュアンスのことを言ったが今度はもっとまじめに伝えた。
「でもさ、俺はさ、ゆきちゃんもさ、もう大事なんだよ。だからさ、考えずにはいられないんだよ。ゆきちゃんは周弥にもったいないくらいだって思ってるからこそ」
「宮前さん」
下手したら口説いていると勘違いしてもおかしくないセリフだが、ゆきはもちろんそんな勘違いはしない。ただその宮前の必死さのようなものがどこから来るのかを考える。
宮前もゆきが変な受け取り方をしないと確信しているからこそ、正直に伝えることができた。目雲ありきの関係ではもちろんあると承知しているが、それでもゆきとの関係性はそれとは別に築けていると、初めて感じられたゆきだからだ。
「できればもうどうにもならなくなる前に、俺ができることはしたいんだ。周弥といると辛いとか、一回振ったくせになによッ、とか思わない?」
ゆきはわざと一呼吸置いた。
そしてきちんと伝わるように、宮前を笑顔で見つめた。
「どちらも思いませんよ、辛いと思う人を好きになったりしませんし、付き合えて嬉しいのは私の方です」
決して強い口調でもなく、普段と変わらないゆきの言葉だったが、宮前にはきちんと伝わった。
「そっか」
「そうですよ」
宮前は視線を逸らすと、一瞬表情を失う。
まな板を片付け終えた宮前は、布巾を掛けてそのまま少しシンクの縁に両手を付いて体重をかけるように立つと、ふいにゆきに顔を向けた。
「俺みたいな友達がいても?」
無邪気な表情のような、どこか困っているような微笑みでゆきの顔を見る宮前を不思議に思ったゆきは、少しだけ首を傾げた。
「宮前さんですか? いてくれて楽しいですよ?」
「いやさ、付き合う前ならいざ知らず、こうやって二人で会うときに邪魔じゃん」
わざと明るく言っているんだと分かるゆきはますます困惑してしまう。
「邪魔じゃないですよ、どうしたんですか? 恋人の方と喧嘩でもしたんですか?」
あまりの宮前の自虐ぶりに、ゆきはただの可能性の一つとして言っただけだったのだが、宮前は目を見開いた後、悔しそうに開き直った。
「したよ、したんだよ。本当に良く分かったね、たぶん周弥も気づいてる! 似たものカップルだな本当に」
茶化すような言い方にそれだけではないと思いながらも、その様子とは逆に今までの宮前とは違うどこか気弱な雰囲気もゆきには気にかかった。
一先ず深そうな真相は置いておいて、現状のトラブルについてゆきはフォーカスを絞った。
「深刻な喧嘩ですか?」
宮前もはぐらかそうとは思ってなかったが、自分の根本的な問題よりまた話しやすい方を取った。
ゆきの方を向いていた宮前は体を返してさせシンクにもたれ掛かると、絡めた自分の手を俯き加減で眺めながら、自分に言い聞かせるよう呟く。
「たぶん大丈夫だとは思う。今は遠距離だけど、もうすぐこっちに戻ってくるって。その話ししてたらなんか喧嘩になってただけだから」
「喜ばしい話だったはずなんですね」
それとほぼ同時に、がちゃりと玄関ドアが開いた。
「すみません、終わりました」
玄関に立つ目雲に徐に宮前が問いつめる。
「なあ、周弥。お前も分かってるんだろ?」
「いきなり何の話しだ」
不審感を隠しもせずに目雲はシンクの前に立つ宮前をどかすと、手を洗う。
「宮前さん恋人の方と喧嘩されたそうです」
「はい、だろうな」
目雲は器用にゆきに返事をした後に宮前を薄く睨む。
宮前はそんな目雲に怒るどころか、むしろどこか胸がいっぱいだと感じさせるほどに声を上ずらせる。
「だよね、だってこのメニュー絶対ゆきちゃんに出すときにチョイスするとは思えない」
「ビーフシチューと鶏のから揚げですか?」
ゆきはまだ完成途中のキッチンを見てメニューを察していたが、それほど不自然さは感じていなかったので、僅かに首を傾げる。
「しかも、ご飯炊いてる。俺の好きな物だ」
「バゲットも用意してますよ」
自分にだけ優しく伝える目雲に、ゆきは笑ってしまう。
「ビーフシチューにご飯が宮前さんのお好きな物なんですか?」
「そう、から揚げにもやっぱり白米は必須でしょ」
やはりわざとお茶目に言う宮前は目雲のその言わない優しさに心を打たれているようだとゆきにも伝わっていた。
「豪華でいいメニューですね、私もビーフシチューはご飯でもパンでも好きです。もちろん鶏のから揚げも好きです」
「サラダといろいろなピクルスもありますからね」
「運んだりとか手伝うので完成したら呼んでくださいね」
目雲と宮前には何か特別な友情があるんだと改めて感じはしたが、それをここで尋ねることはしないでおこうと決めた。
ゆきが、宮前と目雲との関係を受け入れられているか気にしている理由がきっとどこかにあるんだろうとはちゃんと分かったが、それをゆきが知ることが今すぐ必要なことではないのだろうとも思ったからだ。
ゆきは今を大切にはするが、物事の流れを汲まずに今だけに囚われることもまたしない。チャンスやタイミングは逃すべきではないが、行動することの重要性は重々承知の上で、敢えてなにもしないことを選らぶことの意味もまた知っている。それは特に誰か自分以外の心に関係している場合においては、優先すべきことを慎重に見極める必要があると昔から自然と感じていたからでもある。
ゆきにとってはそれは至極当たり前のことなので、無理にでも聞き出すべきだと必然を感じたとき以外はそっと見守ることにしていた。
宮前とリビングに座り、宮前がDIYしたものの話なんかをしながら料理が出来上がるのを待っていた。
ローテーブルいっぱいにそれぞれの皿が並び、目雲が飲み物は何が良いかと二人に聞いた。
「今日は車で送りますから、ゆきさんは飲んでもらっても」
車のディーラーをいろいろ回るため、一日レンタカーを借りている目雲の提案に、ゆきと宮前は二人で自然と目を合わせた。
「今日は休肝日ってことで」
宮前が言えばゆきも頷いた。
「私もそうします」
「あら、ゆきちゃんも毎日飲むの?」
宮前の妙に茶化した言い方に目雲は呆れた雰囲気を出すが、ゆきは笑みで答える。
「主に誰かと集まった時が多いですね」
「お前と一緒にするな」
目雲の蔑みも通常運転で受け流し続ける。
「たまには飲まずに飯だけ食うのもいいだろ? 酒飲むのは周弥も好きだし」
「今度またみんなで飲みましょう」
ゆきに宮前が頷く。
「そうそう、どうせ次もすぐだろ」
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