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第二章 車内でも隣には

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 冷凍庫を閉めて、目雲は使わなかった保存容器をゆきに見せる。

「これガラス製で少し重たいですが、臭いが付かなくて長持ちするので、置いていってもいいですか?」

 適当に安く買い揃えたとは思えない全サイズおそろいの綺麗なガラスの容器は、確かに長く使うにはとても最適そうだった。
 手に持ち眺めながらゆきは目雲の言葉に反応する。

「もちろんです、その、もしかして新しく買わせてしまいましたか?」

 自分の家にあった物を持ってきたにしては少し量が多いこと気が付き、ゆきがそこまで手の込んだことだと思ってなかった自分を反省する。

「必要な物ですから気にしないで下さい」
「結構な量ですから重かったですよね。お金もちゃんと食費も含めてお渡ししますね」

 せめてもと思いゆきが明言しても案の定目雲も遠慮する。

「いいえ、本当に気にしないでください。僕も食べましたから」
「ほぼ一週間分ですよ。そういう訳にはいきません。いくらか教えてもらえないならかなり多く払いますよ」
「すごい脅し文句ですね、では材料費だけいただきます。その他は僕の応援の表れだと思ってください」

 目雲はキッチンから出てハンガーラックの前に置いてある自分のトートバックから財布を取り出すと、スマホで計算し始める。
 後ろから付いて来ていたゆきは自身を抱きしめるように胸の前で手を交差して肩を上げる。

「これから目雲さんを応援するときに緊張しちゃいますよ」
「ゆきさんはいてくれるだけで僕の励みなので、こうして一緒にいてくれるとずっと頑張れます」

 そういう言葉にゆきは照れる前にいつも驚いてしまう。あまりに普通の会話の中で突然言われるから、それも目を見てとかでもなく、ゆきに響かせてやろうとは微塵もなく当たり前のように言うので、自分のことだと受け入れるのが遅れるからだ。

 それでもそわそわと恥ずかしくもなるので困ったような変な笑顔になってしまう。

「目雲さんはたまにそういうことをさらりと言いますね」
「事実ですから」

 目雲はスマホの電卓の画面をゆきに向け、そこに表示された金額にゆきは不信感を抱いた。

「本当にそれだけですか? 自分が食べた分は引きますとか言わないで下さいね」
「今日の分だけですけど、レシートみますか?」

 目雲が手にした二枚のレシートをゆきに渡す。
 午前中にゆきの部屋に来る前に行ったものと、午後からの買い物の分がありざっと目を通す。

「目雲さんは買い物も上手なんですね」

 今日の食事と一週間分の晩御飯を作れるほどの材料がそこには羅列されていて、最後には確かに目雲が見せた金額になる。

「ゆきさんが万一払いたがった時を想定して、無駄なく細かく考えました」
「なんて手のひらの上な私」

 ゆきが驚愕の表情をしたら、それが面白かった目雲が表情を緩める。

「冗談です、いつも通りに普通に買い物しただけですよ」
「激安スーパーでも知ってるんですか?」
「そこまでではないと思いますよ。片方はこの近くですし」
「本当だ。すごいです」

 ゆきがまじまじとレシートを眺めていると、目雲がそんなゆきの顔を少しだけ覗き込むように体を傾けた。

「合格ですか?」
「合格?」

 意味が分からずゆきが顔を上げると、目雲は姿勢を正してお伺いを立てる。

「もし合格なら来週もどうですか?」

 その提案にゆきは慌てた。

「流石にこれを来週もって大変すぎますよ! ほとんど一日中料理してたんですよ」
「ゆきさんは一日中仕事してましたし、これからまた寝るまでするんですよね?」
「しますけど、それは本当に仕事ですから。目雲さんはお休みなんですよ、せめてここで寛(くつろ)いでくれるとかならまだしも、一日キッチン立たせるなんてできません」

 ゆきのその言い方に目雲は期待を持つ。

「来ること自体はいいんですか?」
「それはいいですよ、でも今日と一緒で私は何もお相手できないから申し訳ないです」

 言葉の通り肩を落とすゆきに目雲は逆に明るく微笑んだ。

「さっきも言いましたけど、一緒にいれるだけで僕は嬉しいんです。邪魔でないなら来たいと思ってますし、料理もゆきさんが気に入ってくれるなら作るのも楽しいです。それこそ僕の息抜きだと思って貰えば」

 ゆきは見上げたまま目をパチクリさせた。

「目雲さんの趣味は勉強じゃなかったですか?」
「勉強もしますよ、最近は家でできてます。ゆきさんが気になるならキッチンで煮込みながら何か読んでいてもいいですし」

 目雲の大事な時間が確保されていると知り、そこまで言ってくれるならばとゆきも拒む理由はなかった。

「本当に負担でないなら、私も目雲さんと会えるのは嬉しいですから。ご飯も一緒に食べられるし、目雲さんの気配は安心できるみたいで仕事も捗る気もしてます」

 ゆきが素直な感想を目雲に伝えるとほっとしたように優しい目をした。

「それは何より嬉しいです」
「こちらこそ、ありがとうございます」

 そこで目雲はこの日それだけは確認しておこと思っていたことを口にした。

「ゆきさんのお誕生日はどうしますか?」

 もうすぐだと分かってはいたが、今年は金曜という一応の平日でもあり、ゆきには追われている仕事もある。

「すみません、仕事しないと」
「電話はしてもいいですか?」
「はい、もちろんです」
「参考までに何か欲しいものはありますか?」

 ゆきは胸の前で両手を振る。

「とんでもない、お気持ちだけで嬉しいです」
「アクセサリーを贈ったら重たいですか?」

 付き合っていると実感させられるような申し出に、物の嬉しさより、そのことそのものに気恥ずかしさが芽生えてしまい、振っていた手を合わせて少し俯いて顔を隠す。

「あ……いえ、そんなことは」
「それなら贈らせてください」

 ゆきはすっかり照れてしまっていた。

「その……ありがとうございます」

 目雲は真面目な表情で頷いた。
 その後、片づけをするという目雲が手伝いを申し出たゆきを丁寧に追い払い、さっさと終わらせると、仕事は大変だと思うができるだけ早めに寝るように言って帰って行った。

 そして予告通り、金曜日の夜九時頃目雲からゆきに電話があり、誕生日を祝った。
 日頃毎日連絡をするようなことはない二人だ。週末の予定を合わせるような必要な話のためがほとんど、たまに目雲に借りた本の感想をゆきが話すくらいでそれも頻度は多くない。

 お互い忙しくなくても、それが変わることもなく、ゆきも目雲も自分の時間も互いの時間も尊重しているが故の本当にのんびりした付き合い方だった。だからこそ、特別な理由のない電話はそれだけでプレゼントになった。

 次の日曜日、食事を作りに来た目雲は宣言通りゆきにプレゼントを渡した。
 シーンを選ばないシンプルな小粒なダイヤが三連輝くネックレスにゆきは少し驚きつつも、それほど高価な物ではないという目雲の言葉をなんとか信じて、とても気に入ったことも事実だったのでそのまま本心から喜びお礼を伝えた。

 逆にバレンタインとして、打ち合わせで外に出たついでにデパートで急いで買ったチョコレートを目雲に贈って、今年は吟味できていないと白状したが、目雲も喜んで受け取った。

 結局ゆきの仕事が元の様に余裕あるものになったのはホワイトデーを過ぎた頃になり、目雲は一カ月以上毎週末一日ゆきの家で料理をしていた。
 その日も目雲は料理の材料を持ってゆきの部屋に来ていた。

「これホワイトデーの贈り物です」
「目雲さん、もうね、私がお礼しないといけないんですよ? 贈られたら嬉しくいただきますが、もう貰ってばっかりで私は一体何を返したらいいんでしょうか?」

 切実なゆきの訴えに目雲は緩く首を振る。

「バレンタインのお返しなので何も返さなくていんですよ」
「それ以上にお世話になってますから」
「じゃあ今度は僕が忙しくなった時に家に来て下さるか、僕がここに来ることを許してください」

 その目雲のアイデアにそれまで困ったようなゆきの表情が晴れる。

「目雲さん名案です! そうしましょう。ちょっとご飯の出来栄えは下がりますが、食べられるくらいのものはできます」
「一緒にいてくれるだけでいいですよ」

 目雲がゆきの料理を信用できずに言っているわけではないと分かっているので、その言葉のままに受け取ることができる。
 ただそうなると気恥ずかしくもあるので、つい思考が複雑になり真面目におかしなことを言いだしてしまう。

「目雲さんは菩薩ですか?」
「違いますよ、ただの人です」
「最近は人の位も高くなってきたんですね、となると私はそろそろ人でいられなくなるかもしれません」

 妙な謙遜を言い始めたゆきに微笑みながら、目雲はしっかりと訂正する。

「ゆきさんは可愛い人ですよ」

 ただでさえ浮つきそうだった心にその目雲の言葉は衝撃的だった。
 適当を言わない相手と知ってしまっている上に、目雲の優しい表情が拍車をかける。

「ぁうッ、そんな嬉しそうな顔で言わないで下さい、心臓が壊れます」
「無意識ですから、どうにもできません」

 本気で分かっていなさそうに自分の顔を手の裏で摩る姿がまた魅惑的で、惚れた欲目以上に人を惹きつける相手なのだと改めてゆきは思い知り、逆に冷静になった。

「……では私が早く受け流さす術を身につけます。心頭滅却すれば火もまた涼し、明鏡止水です」
「ゆきさんは日ごろがそうなのでたまにはいいと思いますよ」

 まるで惑わすために言ったとも取れる言葉に、ゆきも敢えて渋い顔を作り問いただす。

「……わざとなんですね」

 決して気分を害したわけでなく、翻弄させていることに抵抗したいがためだったが、目雲にはそんな思惑はなかった。

「いえ、ただの本心です。思いは届けてこそだと気が付いたので」

 以前は考え過ぎて思い悩んでいたと聞いて居たので、それを方便だと言うことはゆきにはできない。その言葉通りに受け取るしかないのだが、そうだからこそ、ゆきも胸がときめき困るのだ。

「……それは、そうですけど」
「好きですよ、ゆきさん」

 不意打ちに一瞬息が止まるゆきに、優しく微笑む目雲は致命傷しか負わせないが、ゆきにも最低限届けなければならない言葉がある。

「……私もです」

 それだけが限界で見事に撃沈したゆきだった。
 そしてゆきはこの日の夕飯は外食にしてもらいお礼に奢らせてもらった。持ってきてもらった材料はすべて昼間のうちに目雲によっていつも通り平日のゆきの食事に変わった。




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