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第二章 車内でも隣には

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 それぞれ年度末の忙しさが過ぎ去った四月のある金曜日の晩。
 愛美が行こうと言っていたゆきの大学時代のバイト先の居酒屋〈宝亭〉に四人で集まっていた。

 居酒屋と言うには少しカフェバーの様な雰囲気もあるやや広い店は、カウンターは勿論、丸テーブルやソファー席、こあがりに大きなテーブル席もあった。
 新歓の季節柄、しっかりと予約をした四人掛けの四角い席で目雲と宮前が並んで座り、その向かいにゆきと愛美が座った。

「マスター久しぶりぃ」

 わざわざ自ら最初のドリンクを運んできたマスターに愛美がテンション高めに挨拶すると、笑いながらも冷めた口調で愛美を見る。

「お前の変わりようにはびっくりするな」
「そう?」
「ぜひ中身も変わっていてくれよ」
「ひどいな、ちゃんと大人になったって」

 ゆきに視線を移したマスターはいつもの如く親の様な微笑みを浮かべる。

「篠崎は変わらないな」
「私もちょっとは成長したと思いますよ、それにこの前来ましたし」

 今も定期的に友人と来ているゆきは当然その度マスターに会っていた。

「篠崎はうちにいる間で成長してくれたから安心しかしてないよ。それにメグと違ってまだウチの常連だもんな」
「仕方ないじゃん、こっち来ること減っちゃたんだもん」

 口を尖らす愛美に、マスターはニヒルに笑う。

「へいへい、そうだよなぁ。まあ、今日はゆっくりしていってくれな」
「おう」
「ありがとうごさいます」

 愛美とゆきがそれぞれ答えると、視線を残りの二人に移ししっかり笑顔を向ける。

「お連れさんもごゆっくり」

 マスターが戻ると早速乾杯をして、それぞれ仕事の進捗状況の報告から始まり、互いの忙しさをねぎらった。特に愛美と宮前を中心に。
 それからゆきがたまにここを友人と利用している話や、愛美の本職の活動でのエピソードやそれぞれ学生時代の思い出と話題は多岐にわたり尽きることがない。

 そんな話を聞きながらゆきは何気なく店のドアが開くのを見てしまう。
 接客業をしてる性かなと、ここに勤めていたことも相まって無意識に来店が気になってしまっていたが、ドアが開くところまでで、入ってくる人にまでは見ないようにしていた。

「ゆきさん、席変わりましょうか?」

 そのことに気付いた目雲にふいに聞かれて、すぐに理解できずにゆきはパチクリを向けてしまう。

「え」
「扉を気にされているようなので」
「あ、すみません。いらっしゃいませって言いそうになるといいますか、確認するのが癖みたいになってるだけなんですけど」

 愛美が激しい動きでそれに同意する。

「わかるぅ、私もコンビニでバイトしてた時、客で行った時にいらっしゃいませって言ったことある」
「職業病ってやつだね。俺もお世話になってますって口癖になってるわ」

 宮前が言う横で、目雲が自分の席を勧める。

「こちら側からなら扉が見えませんから、まだ気にならないと思います」

 席を変わろうとする目雲をなんとか制止しようとゆきが手を振る。

「いえ、いえ、そんなそんな、手間を取らせるわけには――」

 もうドアを意識して見ないようにしていたその時ちょうど店に入ってきた客が目雲の後ろを通るところで、声を掛けられた。

「あれ、ゆき?」
「ん? あ! あきくん」

 偶然居合わせたのが堺晃夫だとゆきが気付くと、愛美もびっくりしながらも大きく笑う。

「うわっ、あっきーじゃん」

 声の掛けられた方を堺がみて苦笑する。

「また懐かしい呼び方を。メグさんもお変わりなく」
「それ本心? それともお世辞? え、ってかもう悪口? 嫌味?」

 怒涛に畳みかける愛美に、堺がさらに笑いを深める。

「ホントに全然変わってませんね、その性格。変わったのは見た目だけで」

 二人が会話している横でゆきが目雲と宮前に大学の同期だと説明していた。
 ここの居酒屋が大学に近くのため、在学中からよく来ていた堺と愛美は顔見知りだったとゆきは付け加える。

「やっぱ嫌味なんじゃんか」

 愛美が言えば、堺が応酬する。

「違いますよ、動画見てますよ。どんどんお綺麗になられて」
「素直に受け取れんわ。なに、あっきー一人なの?」
 愛美が堺の周りを見て言うと、頷いた。
「そうですよ、ちょっと飲んでから帰りたくて」

 その言い方がいかにもだったために愛美ににやけられる。

「何? ヤなことあったんだ」
「深くは聞かないで下さいよ、飲んだら忘れるくらいの事です」
「嘘だね、あっきーてば」

 流石に堺が苦笑いを浮かべる。

「あっきーって年じゃないですよ」
「ゆっきー、あっきーってやってたじゃん」
「最初の頃だけでしょそんなの、なあ、ゆき?」

 当時からの様子に特に注意もしていなかったゆきは話を振られるとは思っておらず丁度酎ハイを傾けていたので、むせそうになりながら口をハンカチで拭く。
 なんとか思い出を引っ張り出して当時の事を話す。

「えっと、新歓で先輩に付けられたんだよね、一年くらいかな」
「ねえ、あっきーも一緒に飲もうよ」

 愛美が特に誰に聞くてもなく提案をして、一番驚いたのは堺だった。

「え? でも合コン中でしょ? すみません、邪魔しちゃって」

 ぺこりと目雲達に頭を下げる堺に、愛美が大げさに手を振って否定する。

「違う違う、もともと知り合い、親睦を深めてるの」

 ゆきから目雲との馴れ初めを聞いていた愛美はゆきが二人だけで仲良さそうに外を歩くような男は堺くらいだろうと目星を付けていて、あらぬ誤解を今後招かないためにもチャンスだと考えたからだった。

 堺はそんな事とは全く分かるはずもなく首を捻り訝しそうな表情になる。

「あれ? そう?」

 失恋だけを知っている堺が思わせぶりな視線をゆきに送る。
 ゆきはただただ双方に気を使わせたりしないかどうかだけに気をやっていて、愛美の意図には気が付かない。
 愛美が目雲と宮前に笑顔を向ける。

「そうそう、良いですよね? そもそもゆきの大学の頃の話を聞くためにここに来たんだったら打って付けの人間です!」

 勘の良い宮前が真っ先に答える。

「それはぜひ聞きたい!」

 笑みを浮かべながら二人の見守っていた宮前が手を挙げて賛成すると、愛美が手招きする。

「ほらほら、お座り、お座り」

 堺との親し気な様子が気になっていた目雲もそれを受け入れた。
 ゆきが壁際に並べられているフリーの椅子をもって目雲との間の空いている面に置き、そこへ堺が座った。

「何飲む?」

 ゆきがメニューを渡す。

「ハイボールにするわ、最近はまってんだよね」
「いろいろあるよ」
「とりあえずレモンでいいや、ゆきは? ついでに頼むから」
「じゃあ梅酎ハイにしようかな」
「あの新人のバイトの子大変そうだし、マスターに直接言ってくるわ」

 堺はそもそも今も職場として近いのでずっと常連で来ていたので、マスターとも顔見知りで店の状況にも精通していたのだが、勝手知ったるゆきが来たばかりの堺を思いやって席を立つ。

「じゃあ私が行くよ」

 ほぼ満席の状態で店内が慌ただしいことは明らかだったため、万年人不足だからそんな時は常連はそうすることが別に不思議ではないことはゆきと堺には共通認識としてあった。
 個人店の自由さだ。

「元バイトだもんな」

 他にも注文がないか皆に確かめてからゆきが席を離れ、カウンター越しにマスターに呼びかけに行くと、すぐに堺が追いかけてきた。

「あれ、どうした?」
「食いもんも頼んどこうと思って」
「そっか」
「マスター焼きそばと奴ね」

 堺がやや大きな声でカウンター内で調理に忙しなく動いているマスターが顎で指示を出す。

「そこ書いとけよ」
「オッケー、奴はすぐ貰える?」
「待っとけ」

 マスターのこだわりで豆腐は近所の豆腐店から仕入れており、それに薬味たっぷりの冷奴は密かに人気のメニューだ。
 カフェバーの雰囲気を持ちながら居酒屋らしいメニューが多いので、それが宝亭が居酒屋の由縁だ。

 ゆきがマスターが冷奴を仕上げているのを眺める。 流石にもうドリンクを作ったりはしないがそれを運ぶくらいはするのでそこで出来上がるのを待っている。

 他の従業員にもしっかり顔見知りになっている二人なので、忙しなく通りながら軽い会釈や挨拶が来る。
 それに答えながら、あっという間に出来上がった奴を見て、ゆきが頷く。

「美味しいよね」
「篠崎もいるか?」

 マスターの一言に少しも考えず笑った。

「食べちゃおっかな」

 欲望に忠実なゆきに堺が笑い、わざとカッコつけてキッチン声を掛ける。

「マスター奴もう一つね」
「はいはい」

 大学時代から分からない様子にマスターも面倒くさそうだが笑う。
 ドリンクと冷奴を待つ間、堺が気になっていることをゆきに確かめる。

「ゆき、失恋したとか言ってなかったか?」

 だからてっきり合コンしているんだと思ったと言った堺だったのだが、向かいの男たちの視線から状況をわずかに察していた。

「それを聞くためにわざわざ自分で注文しに行くって言ったの? 私が代りに行くと思って。策士なところは健在だね」

 堺の一言でゆきもその意図にすぐ気づく。

「心配してだから、それでただの知り合いってわけじゃないんだろ」
「失わずに済んだんだ」

 堺はそれに良かったなとは言わずに、相手の確認をする。

「どっち? 位置的に向かいの男?」
「うん」
「ゆきが選んだなら悪い奴じゃないと思うけど、大丈夫なんだよな?」

 大学時代からの付き合いがある堺だからこその心配だとゆきはその反応に思わず笑みが漏れる。

「大丈夫、大丈夫。すごくいい人だよ」
「ふーん、そっか」

 そんな会話が聞こえない席で、愛美が目雲に確認していた。

「目雲さんがゆきが歩いてるのを見たってこの辺じゃないですか?」
「この大通りの先だったと」
「じゃあ一緒にいたのはあっきーだと思うなぁ、ゆきまだ仕事の関係で大学行くって言ってたし」
「あっきーとゆきちゃんは、なんかすごく仲良さげに見えるんだけど」
「あっきーはゆきに妹みたいな感覚だと思います、ゆきも大学時代に気に掛けてもらったり一緒に遊んだりで気楽っていうか。当時から友達以上の関係ではないので心配はいらないですよ」
「そうなんだ」

 口ではそういう宮前はじっとゆきと堺の方を眺めている。目雲同様だった。

「いまいち信用してませんね? 大学の時はどっちも別々の恋人がいたので、マジで恋愛関係はありえません。あっきーが過保護なとこはあると思いますけど、それも昔のゆきが危なっかしかったからなんで」
「あー、ニコニコなだけのゆきちゃんか」
「けどゆきの方は全然自分でなんでもしてましたけどね」
「周りだけがハラハラしてたってことだ」

 ドリンクと冷奴をそれぞれ持って席に戻ってくると、堺は改めて自分で自己紹介をして乾杯から始めた。




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