絶対抱かれない花嫁と呪われた後宮

あさ田ぱん

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四章

46.知らない人

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 俺の知らない誰か…少し前まで召使のメアリーだったその老人は、ポケットからハンカチを取り出すと顔を拭う。
 濃い化粧を落としたその姿は、枯れ木のように痩せた年老いた男でしか無い。


「おいジャメル!どうするんだよ、全部知られてるじゃねえか!だからアルノーを早く殺そうって言ったんだ…!」

 ナタは確かに、メアリーを”ジャメル”と呼んだ。まさか…。

「黙っていろ。」

 ジャメルと呼ばれたメアリーは、ナタをジロリと睨んだ。メアリーの一睨みでナタは忽ち沈黙した。…力関係は推測した通りだ。俺と陛下の推測は間違ってはいなかった。しかし…。

「メアリーがジャメル・ベル司祭…?まさか…?!」
「ふははっ、アルノー様…。流石です。もうその名をご存知でしたか…。」

 ジャメル・ベルと言えば、女児を奴隷商人に売っていた老司祭の名だ。しかも、妃達の告解も担当していた…。
 ――情報量が多過ぎて、理解が追いつかない…。女児の誘拐も、妃達の殺害も、俺を襲ったのも全てメアリー…ジャメル・ベルが関わっている…?

「おいジャメル!もうアルノーを殺すしかない!ほら、この薬で…!」

 ナタは小瓶を取り出し、メアリー改めジャメルに向かって放り投げた。ジャメルはそれを悠々と受け取る。

「黙っていろ、と言ったな?」

 ジャメルはまたナタを一瞥して黙らせた。ナタは唇を指で噛んで、悔しそうにしている。
 ジャメルはナタから受け取った薬を懐にしまうと、先ほど服を引き裂いたナイフを俺に向けた。

「アルノー様。あなたは本当に馬鹿ですねえ…。何故そこまで分かっていながら、イリエスを遠ざけたのです?まさか…私に自分の罪を告白させ、懺悔させようなどと生ぬるいことを本気でお考えだったのですか?」
「…それは…。俺はお前の主人だから責任があるし…お前の罪に寄り添おうと思っていた!いや今でも思ってる……!でもそれ以上に、俺はメアリーを信じたかったんだ…!だってメアリーはさ、俺のために手が痛いっていいながら、陛下と俺が結ばれるように夜着を作ってくれた。シャーロットが熱を出した時だって協力してくれて…メアリーは口は悪いけどずっと、俺の味方でいてくれたじゃないか…。」
「馬鹿だ馬鹿だとは思っておりましたが…ここまでとは…!」
「な、なんだよ…っ!?」
「夜着は面白がっていただけです。あなたの着せ替えが楽しかったから…それだけです。“ジャメル”はそのうち足が付いたでしょうから、身を隠すにも“メアリー”は都合がよかった。木を隠すなら森に…ですよ。」
 ははは、とジャメルは笑いながら俺に近づいてくる。ナイフを俺に向けたまま…。
 俺はついに、腰の剣を抜いた。
 
「イリエスにあなたを嫁がせたのは、イリエスを殺してあなたに罪を被せるためです…。その後、後宮に残った私たちが幼い王女を操る筋書きだった…。事前にナタを妃たちに引き合わせて…女は星占いが好きだから、簡単でした。」
「な…!なんだって…?!」
「しかし、イリエスはなかなか賢い王だった。王妃が死んだときも真っ先にナタを疑って…逆に後宮に引き入れようとした。監視するためにね…。」
 なるほど…陛下はそれで、ナタを後宮に入れたのか…。初めから疑っておられたんだな…。ナタを。やっぱり先日の逢瀬は演技だったんだ…。

「しかし、証拠がなく、黒幕が誰なのか目的は何なのか見当がつかないようでした。わかるはずがありませんよ、毒薬は妃たちが自ら飲み、自ら隠蔽していたのですから…。そしてイリエスは三人目の妃を失う辺りでかなり、迷っていた。“犯人は別の者かもしれない、犯人を決めつけたことが裏目に出たのではないか”とね…ははは!」
「わ、笑うな!おかしいところなんてない…!」

 ジャメルはほくそ笑んだ。

「アルノー様…。私は教会に捨てられた女児を奴隷商人に売って小銭を稼いでいました。本当に小銭なのですよ、女児の命なんて…。」
「ふざけるな!“小銭”じゃない!人の命はっ…!」
 俺は怒りで目が眩みそうだった。女児…王女達の命が小銭?そんなはずがない。

「アルノー様…あなたくらいです、そんなことを言うのは。妃たちだっていつも仰っていましたよ。“女児では意味がない”と…。」
「そんな…。」
 俺は唇を噛んだ。それは周囲から世継ぎをと、責められていたからだ。本心だとは思えない。けれど、リリアーノが以前泣いていたのも知っている。お母さまは、いつも世継ぎが欲しい、男児が欲しいと言っていたと…。

「残念ながら、そうなのです。しかし、男児ならどうでしょう?しかも、“イリエス・ファイエット国王”の王子だったなら…。」
  ジャメルは俺を見つめて考えるように促した。俺が分からない、と首を振ると、可笑しそうに笑った。

「イリエスの子は女児だけだ。今、男児が生まれれば、王位継承権は一位となり、自分は国母となる。妃達の”男児”の価値がどれほどのものだったか…アルノー様には分かりますまい。妃達は目も眩むような大金を支払うと言いましたよ?”男児を孕める薬”にね。」

 俺は絶句したが、興奮したジャメルは話を続けた。

「妃達は王家からの寡婦財産だけではなく、後宮の金にも手をつけました。アルノー様がお困りになられていた召使達の退職金です。あれが無かったのは妃達が使い込んだからに他ならない。」
「しかしそんなことをすれば陛下が…。」
「勿論イリエスは気づいていました。しかし、後宮の主が自ら隠しているのです。どこに金が流れているのか調べるのは容易ではなかった。そして、それを実行した犯人が相次いで亡くなってしまったのですから…もう問い詰めることも叶わない。」

 ジャメルはくすくすと笑っている。

「おい、笑うな!殺したのはお前だろう…!」
「確かに。金を引っ張りすぎて、殺すしかなくなってしまったのです。しかしそれはそんなに金を払ってしまった妃達の責任と言えなくもない。私も、王妃はともかくこんなに、人が死ぬとは思いませんでした。その後、愛妾と側妃という順で亡くなったのですが、側妃は愛妾が死ぬ前に、男児を死産したのです。」
「死産…。やはり薬の副作用で…?」
 俺が忌々し気にいうと、ジャメルは頷いた。

「そうです。しかし、それがかえって薬の効果を知らしめる結果となった。だから愛妾と側妃も具合が悪いのは王妃に呪われているからだ、と信じました。王妃も自らその術により死んだと。ほら、呪いをかける呪術者と言うのは自らの命を賭すというでしょう?」
「な、何故だ…。王妃や側妃達は仲が良くて…側妃達を選んだのも王妃だと…!」
「イリエスの相手を選ぶのは後宮の仕事です。王妃は仕方なく選んだにすぎません。彼女があなたの母のように八人も男児を産めたのなら絶対にしなかったはずだ。彼女たちは王妃の間に集まって、お互いを牽制し合っていたのですよ。誰にいつ、陛下がお渡りになったのか、月の満ち欠け…。そもそも呪い合う、土壌があったのです…!」

 ジャメルはいつの間にか俺に近付き、ナイフを剣先に合わせていた。小さな金属音が鏡の間に響く。

「イリエスは輝くような美貌を持つ、国の最高権力者だ。誰しもその威光に目がくらんだ。この、私でさえも…、あの力が欲しくなってしまったのです。夢見ました…私も妃と同じ、夢を見たのです。賢いイリエスを殺し、星詠みで王女達後宮を操って適当な養子を迎え、後見人となる…。そんな未来を。」

 ジャメルは小さなナイフでいとも簡単に俺の剣を弾いた。強い…。そういえばジャメル…メアリーはいつも、ものすごい力で俺を振り回していたっけ…。俺は恐怖を感じて少し後退った。

「四人目の恋人…彼女も聡明な女で…イリエスにはいろいろと入れ知恵をされていましたね。それでナタを探るためにわざと近付いた。イリエスの誤算は、彼女がイリエスを本気で愛していると思っていたことでしょうか。いや、本当に愛していたのかもしれないが、“イリエスの第一夫人になりたい、国母になりたい”という欲望の前では、真実の愛も霞んでしまうのです。彼女も疑いながら薬をのみ…、妊娠したことによってそれを隠すしかなくなっていった。最後はご想像通り…。」
「な、なんてことを…!」

 言い終わるや否や、ジャメルは俺を捕まえた。いつものように俺はあっさりジャメル…メアリーにつかまり、背後に回ったジャメルに片手で両手を抑えられ、首筋にナイフを突き立てられた。

「デュポン公爵夫人の殺害は“後宮の呪い”の最後の仕上げでした。デュポン公爵夫人が後宮の呪いで死ぬことを星詠みに先視させ、広間にいた貴族たちに神がかり的に発表すれば…。…また、もしも、毒薬で死んだと分かった場合にも“ヒューゴの調剤した薬で死んだ”とするための保険もかけていました…。ヒューゴは死因を調べるべきだとイリエスに迫っていてうっとおしかったですからね…。もしもの時はヒューゴに罪を被せようと思ったのです。」

 ジャメルが持つナイフは俺の首筋の急所にある。ジャメルはナイフを持つ手に一層、力を込めた。

「全て計画通りでした。それなのにアルノー様…貴方が計画を変えてしまった。貴方が教会の治療院で得た知識をもとに、デュポン公爵夫人を助けてしまわれたからです。それは貴方が馬鹿真面目に、教会の仕事に取り組んでいたからに他ならない。…誤算でした。私は慌てて、ナタに失敗を伝え…。…あの時、私たちの敗北はほぼ決まっていたのかもしれませんね。」

 ジャメルは俺の耳に顔を寄せて、囁く…。

「貴方のせいですよ、アルノー様。ですから、私と逃げましょう。…選んでください。ここで死ぬか、私と逃げるのかを…。」

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