パスコリの庭

リリーブルー

文字の大きさ
上 下
2 / 53
プロローグ

パスコリの詩

しおりを挟む
 クラスは、僕のような万年初級の生徒にも配慮して、文法の解説もしてくれたが、テーマは、イタリア詩だった。特に、僕たちの心を打ったのが、ジョバンニ・パスコリの詩だった。
 パスコリは幼い時、星降る聖ロレンツォの日に、帰宅途上の父を殺されて失った。その事件への怒りと悲しみを、巣に帰る途中で死んだ親燕と巣で待つ子燕になぞらえて詠った『八月十日』の詩が、中でも僕は一番好きだった。
 僕は、その詩を、弓弦さんが朗読した時のことを忘れない。絶望的な怒りとあきらめと悲しみのこもった、暗い情熱に満ちたあの声を。静かなたたずまいのあの人のどこに、こんな暗い闇と、燃え尽きる流れ星の最後のきらめきのような痛々しい熱が、ひそんでいたのかと、僕はあやしんだ。怒りに震える声、たぎるような、生命の力。その破壊。祈り。
 教室中が、しばらく呆然としていたように思う。それほど、弓弦さんの心情と、詩がリンクして説得力を持っていたのだろう。僕は、圧倒的な力に組み伏せられたような気がした。ほとんど官能的なまでの、暗い情熱の力で。
 僕は、そのとき、すでに、弓弦さんの魅力に、完全に引き込まれていた。

「僕の、部屋の軒先にも、毎年燕が巣を作るんですよ」
僕は、授業の後、弓弦さんに話しかけた。なにか、なんでもいいから、話しかけたかったから。彼の注意を僕に向けて、彼を引き止めたかったから。彼の魅力に匹敵するほどの何かを、僕が持っているとは、思えなかったけれども。
「燕が軒先に巣を作る家は、幸福だというね」
弓弦さんは、僕のことばに微笑んだ。
「でも、燕が軒先に巣を作る理由は、燕が非力な鳥だかららしいね。あえて、人の通る場所に巣を作って、外敵から身を守る」
「非力な鳥だから、詩のような目にもあってしまうのですね」
僕は、美しく小さな生き物の命を、哀れんで、そう言った。
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

ある公爵令嬢の生涯

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:4,306pt お気に入り:16,125

最初に私を蔑ろにしたのは殿下の方でしょう?

恋愛 / 完結 24h.ポイント:15,870pt お気に入り:1,964

ファンキー・ロンリー・ベイビーズ

ライト文芸 / 完結 24h.ポイント:56pt お気に入り:16

【完結】悪の華は死に戻りを希望しない

BL / 完結 24h.ポイント:1,036pt お気に入り:1,528

はい、私がヴェロニカです。

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:19,221pt お気に入り:913

悪役令息の義姉となりました

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:23,062pt お気に入り:1,338

処理中です...