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眠り姫の起こし方
六
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「ねえ、これどういうこと?」
そう言って、学食で昼食を摂っていた弥生の前に美香が突き出した週刊誌に載っているのは、後姿の一輝と彼の腕に手をかける美女の写真だった。女性はスラリと背が高く、荒い画像からも見て取れるキリリとした美貌で、一輝とよく似合っている。
雑誌には相手の女性の顔写真も載っていた。正統派の美女で、挑むような眼差しをカメラに向けている。
――新藤商事の若き総帥、十歳年上元モデルと熱愛か!
写真に被さって、そんな扇情的な見出しがあった。
「……綺麗な人だね」
「あんた、それだけ!?」
一拍置いて、ヘラリと笑いながらの弥生の台詞に、美香は眉を逆立てる。
「え……え? ……お似合いだね?」
「そうじゃないでしょ!」
美香の逆上振りに、弥生は困惑した顔になった。
「だって、一輝君ももうすぐ十六歳になるんだよ? 好きな人がいたっておかしくないよ」
そう言いながら気もそぞろな様子で弥生の手が上がって、数日前から着けるようになったネックレスをもてあそぶ。
それをくれたのが誰なのか、美香は聞かされてはいないけれど、わざわざ確認しなくても判るというものだ。
「睦月に彼女ができたみたいで、寂しいけど……」
そう呟いて、弥生は美香から目を逸らす。
しばらく弁当の中のおかずを箸で突いていたけれど、結局どれも選ばれず仕舞いだった。
手を止めて固まっている彼女に、美香はため息をつく。
「もう……彼に同じこと言ったら、ダメだよ?」
そう言って雑誌を置くと、美香は椅子を引いて腰を下ろし、頬杖を突いて弥生を見た。
新藤一輝が弥生一筋なのは、傍から見ていると明らかだ。その彼がこの会話を聞いたら、ショックで立ち直れないに違いない。
「言わないよぉ。だって、一輝君、何も言っきてないし」
「彼の方もあんたのことお姉ちゃんだと思ってるなら、喜んで報告してくるんじゃないの?」
すがめた目で弥生を見ながら美香はそう言ってみたけれど、彼女は「あはは」と小さく笑った。
「まさかぁ。一輝君はそういう子じゃないもん」
「『子』、ねぇ」
「なに?」
「別にぃ」
あんたよりもあっちの方がオトナだよ、色々な意味で、と心の中で突っ込みを入れ、美香は横を向く。
と、ちょうどいいタイミングで学食の入り口に森口が現われた。美香が軽く手を振るとそれに気付き、近づいてくる。
「よお、加山が学食にいるなんて珍しいじゃんか」
裏を返せば、弥生がいつも独りでこの時間に学食で昼食を摂っていることを知っているということになる森口である。
美香はニヤリと笑って言う。
「残念だったわね」
「……別に、そんな……」
弥生と二人きりで過ごせるチャンスを逃したことを森口が残念がっていることは、明らかだ。
敢えて指摘してやると、案の定、図星を指された森口はしどろもどろになる。が、ふと、テーブルの上に置かれた雑誌に気付くと、目を見張った。
「何だ、これ!?」
雑誌を取り上げ、彼は目を皿のようにして文面を追う。
――新藤商事の若き総帥新藤一輝氏が、十歳年上の元モデル・園城寺薫子さんと帝王ホテルのロビーで密会している場面を本社記者が撮影した。時刻は夜の九時。こんな時間にこんな場所で、二人はいったい何をしていたのか。園城寺建設令嬢である園城寺さんは元モデルでもあり――
森口は、自分がブツブツと小さな声で記事を読み上げていることに気付いていない。
チラリと弥生に目を走らせると彼女は銅像のように固まっていて、美香はまたため息をこぼした。
――まったく。『弟』に彼女ができたって、こんなにショック受けないでしょうが。
新藤一輝は弥生にぞっこんで、弥生も彼のことを特別に想っている。間違っても、弟の睦月や友人の森口とは同列にできない。
それは、明々白々な事実だ。
なのに、当の弥生はそれを認めない。
弥生との付き合いは五年になるけれど、美香が知る限り、彼女に彼氏がいたことはない。誰かを好きだと言ったこともない。
家のこともしなければならない弥生には、そんな暇がないのかもしれないけれど、単純に、そういう感情を誰かに抱くことがなかったのだろうと美香は思う。
――多分、高校の時にこいつが告ってても、付き合うとかにはならなかっただろうなぁ。
まだ雑誌にのめり込んでいる森口を横目で見上げて、胸のうちでそう呟く。
彼が弥生に惚れているのは傍から見ていて丸見えだけれど、もちろん想いを注がれている当の本人はその気持ちに気付いていない。
はっきり言って、森口は高校時代にモテていた。両手の指の数以上の女の子に告白されていたけれど、その全員に頭を下げていたことを美香は知っている。
いっそ当たって砕けてしまえば清々するだろうにと森口の尻を蹴飛ばしてみたこともあったけれど、彼は苦笑して肩をすくめただけだった。
森口の煮え切らなさと弥生の鈍さに美香は呆れながらも感心し、そして、彼には多少の同情心も抱いている。
そんな美香の心中などこれっぽっちも気付いていない森口は、ようやく記事を読み終えて、雑誌をまたテーブルに戻した。
「え、だって、こいつって……」
彼は口ごもりながら、雑誌と弥生の間で視線をウロウロさせる。
森口が言わんとしていることは美香にも判る。
「そうでしょ? そう思うでしょ?」
彼女が肩をすくめながらそう言うと、ようやく森口は少し落ち着きを取り戻した。
「まあ、所詮こんな週刊誌の書くことだからさ……」
写真はややピンボケしており、しかも一輝は後姿で表情は見えない。きっと、弥生に向けるものとは真逆のマイナス百九十六度の眼差しで、女性を見ているに違いない。
弥生が何も知らないということは、一輝にとって何の意味もないことなのだろう。あるいは、本当にでっち上げか。
一瞬、美香も森口の後押しをしようかと思ったけれど、やめた。
代わりにニッコリと笑う。
「もしかしたら、政略結婚とかだったりして?」
「え……?」
ポロリと、弥生の手から箸が落ちた。
「一輝君、十六になるんでしょ? 婚約して、十八になり次第結婚、とかさ」
――ちょっとは危機感持ちなさいよ。
美香の追い討ちに固まった弥生へ、こっそりと呟いた。
と、そこに森口のフォローが入る。
「取り敢えずさ、本人に確認してみたら?」
弥生を手に入れたいのならば、こういうチャンスをうまく使ったらいいだろうにと美香は思うけれど、多分、森口は、こんな顔をしている彼女を見ていたくないのだろう。
「ほら、週刊誌読んだんだけど……とか、メール入れてみるとか」
弥生に明るい顔を取り戻させようとする森口の努力は、涙ぐましいものだ。
けれど、弥生から返ってきたのは、口元だけの微笑だった。目も逸らされていて、いつもの、見ていると一緒に心が温かくなるような笑顔ではない。
「いやだなぁ、森口君まで。一輝君は弟みたいなものだよ? 一輝君だって、わたしにそんなこと問い詰められても、困っちゃうよ――あ、もう行かなきゃ。次の授業始まる前にちょっと用があったんだ」
弥生は終始二人から視線を外したまま、明らかに不自然なタイミングで中身が半分以上残っている弁当箱を片付け始めた。そして慌しく立ち上がると、「じゃあね」と一言残して小走りに去っていく。
「ねえ、追いかけなくていいの? うまくしたら、イケるかもよ」
「そんな、弱みに付け込むなんてできないよ」
けれど、そう言いつつも、弥生を放っておくこともできない森口なのだ。
「……ちょっと行ってくる」
そう言って、彼は食堂から出て行きつつある弥生の後を追いかけていく。
「結局、『イイ人』なんだよねぇ」
長身のその背中を見送りながら、美香は呟いた。
彼女としては、弥生さえ良ければ、どちらでも良かった。一輝も森口も弥生にベタ惚れで、どちらもそれぞれに『いい男』なのだから。
後は、弥生が選ぶだけだ。
――多分、ダメだよね。
そう思いながらも、森口が『イイ人』を脱却できるようにと、心の中でエールを送る美香だった。
そう言って、学食で昼食を摂っていた弥生の前に美香が突き出した週刊誌に載っているのは、後姿の一輝と彼の腕に手をかける美女の写真だった。女性はスラリと背が高く、荒い画像からも見て取れるキリリとした美貌で、一輝とよく似合っている。
雑誌には相手の女性の顔写真も載っていた。正統派の美女で、挑むような眼差しをカメラに向けている。
――新藤商事の若き総帥、十歳年上元モデルと熱愛か!
写真に被さって、そんな扇情的な見出しがあった。
「……綺麗な人だね」
「あんた、それだけ!?」
一拍置いて、ヘラリと笑いながらの弥生の台詞に、美香は眉を逆立てる。
「え……え? ……お似合いだね?」
「そうじゃないでしょ!」
美香の逆上振りに、弥生は困惑した顔になった。
「だって、一輝君ももうすぐ十六歳になるんだよ? 好きな人がいたっておかしくないよ」
そう言いながら気もそぞろな様子で弥生の手が上がって、数日前から着けるようになったネックレスをもてあそぶ。
それをくれたのが誰なのか、美香は聞かされてはいないけれど、わざわざ確認しなくても判るというものだ。
「睦月に彼女ができたみたいで、寂しいけど……」
そう呟いて、弥生は美香から目を逸らす。
しばらく弁当の中のおかずを箸で突いていたけれど、結局どれも選ばれず仕舞いだった。
手を止めて固まっている彼女に、美香はため息をつく。
「もう……彼に同じこと言ったら、ダメだよ?」
そう言って雑誌を置くと、美香は椅子を引いて腰を下ろし、頬杖を突いて弥生を見た。
新藤一輝が弥生一筋なのは、傍から見ていると明らかだ。その彼がこの会話を聞いたら、ショックで立ち直れないに違いない。
「言わないよぉ。だって、一輝君、何も言っきてないし」
「彼の方もあんたのことお姉ちゃんだと思ってるなら、喜んで報告してくるんじゃないの?」
すがめた目で弥生を見ながら美香はそう言ってみたけれど、彼女は「あはは」と小さく笑った。
「まさかぁ。一輝君はそういう子じゃないもん」
「『子』、ねぇ」
「なに?」
「別にぃ」
あんたよりもあっちの方がオトナだよ、色々な意味で、と心の中で突っ込みを入れ、美香は横を向く。
と、ちょうどいいタイミングで学食の入り口に森口が現われた。美香が軽く手を振るとそれに気付き、近づいてくる。
「よお、加山が学食にいるなんて珍しいじゃんか」
裏を返せば、弥生がいつも独りでこの時間に学食で昼食を摂っていることを知っているということになる森口である。
美香はニヤリと笑って言う。
「残念だったわね」
「……別に、そんな……」
弥生と二人きりで過ごせるチャンスを逃したことを森口が残念がっていることは、明らかだ。
敢えて指摘してやると、案の定、図星を指された森口はしどろもどろになる。が、ふと、テーブルの上に置かれた雑誌に気付くと、目を見張った。
「何だ、これ!?」
雑誌を取り上げ、彼は目を皿のようにして文面を追う。
――新藤商事の若き総帥新藤一輝氏が、十歳年上の元モデル・園城寺薫子さんと帝王ホテルのロビーで密会している場面を本社記者が撮影した。時刻は夜の九時。こんな時間にこんな場所で、二人はいったい何をしていたのか。園城寺建設令嬢である園城寺さんは元モデルでもあり――
森口は、自分がブツブツと小さな声で記事を読み上げていることに気付いていない。
チラリと弥生に目を走らせると彼女は銅像のように固まっていて、美香はまたため息をこぼした。
――まったく。『弟』に彼女ができたって、こんなにショック受けないでしょうが。
新藤一輝は弥生にぞっこんで、弥生も彼のことを特別に想っている。間違っても、弟の睦月や友人の森口とは同列にできない。
それは、明々白々な事実だ。
なのに、当の弥生はそれを認めない。
弥生との付き合いは五年になるけれど、美香が知る限り、彼女に彼氏がいたことはない。誰かを好きだと言ったこともない。
家のこともしなければならない弥生には、そんな暇がないのかもしれないけれど、単純に、そういう感情を誰かに抱くことがなかったのだろうと美香は思う。
――多分、高校の時にこいつが告ってても、付き合うとかにはならなかっただろうなぁ。
まだ雑誌にのめり込んでいる森口を横目で見上げて、胸のうちでそう呟く。
彼が弥生に惚れているのは傍から見ていて丸見えだけれど、もちろん想いを注がれている当の本人はその気持ちに気付いていない。
はっきり言って、森口は高校時代にモテていた。両手の指の数以上の女の子に告白されていたけれど、その全員に頭を下げていたことを美香は知っている。
いっそ当たって砕けてしまえば清々するだろうにと森口の尻を蹴飛ばしてみたこともあったけれど、彼は苦笑して肩をすくめただけだった。
森口の煮え切らなさと弥生の鈍さに美香は呆れながらも感心し、そして、彼には多少の同情心も抱いている。
そんな美香の心中などこれっぽっちも気付いていない森口は、ようやく記事を読み終えて、雑誌をまたテーブルに戻した。
「え、だって、こいつって……」
彼は口ごもりながら、雑誌と弥生の間で視線をウロウロさせる。
森口が言わんとしていることは美香にも判る。
「そうでしょ? そう思うでしょ?」
彼女が肩をすくめながらそう言うと、ようやく森口は少し落ち着きを取り戻した。
「まあ、所詮こんな週刊誌の書くことだからさ……」
写真はややピンボケしており、しかも一輝は後姿で表情は見えない。きっと、弥生に向けるものとは真逆のマイナス百九十六度の眼差しで、女性を見ているに違いない。
弥生が何も知らないということは、一輝にとって何の意味もないことなのだろう。あるいは、本当にでっち上げか。
一瞬、美香も森口の後押しをしようかと思ったけれど、やめた。
代わりにニッコリと笑う。
「もしかしたら、政略結婚とかだったりして?」
「え……?」
ポロリと、弥生の手から箸が落ちた。
「一輝君、十六になるんでしょ? 婚約して、十八になり次第結婚、とかさ」
――ちょっとは危機感持ちなさいよ。
美香の追い討ちに固まった弥生へ、こっそりと呟いた。
と、そこに森口のフォローが入る。
「取り敢えずさ、本人に確認してみたら?」
弥生を手に入れたいのならば、こういうチャンスをうまく使ったらいいだろうにと美香は思うけれど、多分、森口は、こんな顔をしている彼女を見ていたくないのだろう。
「ほら、週刊誌読んだんだけど……とか、メール入れてみるとか」
弥生に明るい顔を取り戻させようとする森口の努力は、涙ぐましいものだ。
けれど、弥生から返ってきたのは、口元だけの微笑だった。目も逸らされていて、いつもの、見ていると一緒に心が温かくなるような笑顔ではない。
「いやだなぁ、森口君まで。一輝君は弟みたいなものだよ? 一輝君だって、わたしにそんなこと問い詰められても、困っちゃうよ――あ、もう行かなきゃ。次の授業始まる前にちょっと用があったんだ」
弥生は終始二人から視線を外したまま、明らかに不自然なタイミングで中身が半分以上残っている弁当箱を片付け始めた。そして慌しく立ち上がると、「じゃあね」と一言残して小走りに去っていく。
「ねえ、追いかけなくていいの? うまくしたら、イケるかもよ」
「そんな、弱みに付け込むなんてできないよ」
けれど、そう言いつつも、弥生を放っておくこともできない森口なのだ。
「……ちょっと行ってくる」
そう言って、彼は食堂から出て行きつつある弥生の後を追いかけていく。
「結局、『イイ人』なんだよねぇ」
長身のその背中を見送りながら、美香は呟いた。
彼女としては、弥生さえ良ければ、どちらでも良かった。一輝も森口も弥生にベタ惚れで、どちらもそれぞれに『いい男』なのだから。
後は、弥生が選ぶだけだ。
――多分、ダメだよね。
そう思いながらも、森口が『イイ人』を脱却できるようにと、心の中でエールを送る美香だった。
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