捨て猫を拾った日

トウリン

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愛猫日記

彼のリベンジ、彼のヤキモチ⑤

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 真白ましろたちが自販機コーナーで少し年長の男女と合流すると、少し遅れて、五十嵐いがらしに気があると思しき――多分以前に真白の話に出てきた篠原しのはらという少女と、もう一人、高校生くらいの少年が加わった。

 メンバーが揃ってぞろぞろと連れ立って歩き出した彼らに、孝一こういちはホッと小さく息をつく。

 真白と五十嵐が二人きりになった時、どれだけその間に分け入ってやりたかったことか。

 五十嵐が真白に惚れているのは見え見えだったが、真白が彼に向ける眼差しの中には『男』を見る色が全くないから、辛うじてこらえたのだ。だが、それでも、彼女の細い肩を掴んでいる五十嵐を殴りに行かずにいるには、孝一は彼の中の自制心をひとつ残らずかき集めなければならなかった。
 二人がいたのは、足で漕いで動かす、宙吊りになったゴンドラのようなアトラクションの看板の陰だった。
 陰と言っても全く隠れてはおらず、こんなに人目がある所でそれ以上のことに及ぶ筈がない。
 そう自分自身に言い聞かせながらも、孝一は二人の間の距離があと一ミリでも近付いたら即座に割って入ってやろうと身構えていたのだが。
 やがて真白は五十嵐の手を振り払って彼から離れたが、遠くからでは二人が何を話しているのかも判らず、孝一はやきもきするばかりだったのだ。

 二人が集合場所に戻る気配を見せた時には、孝一は強張っていた肩から力が抜けるのをはっきりと実感した。
 移動する一行に付いていきながら、孝一は時計に目を走らせる。時刻は四時を回ったくらいだ。真白は夕飯の支度には間に合うように帰ると言っていたから、多分、次のアトラクションが最後になるのだろう。

(やれやれだ)
 少し真白の様子を見たら帰ろうと思って家を出た筈が、結局ずっと付きまとうことになってしまった。
 はっきり言って、孝一は自分でも愚かだと思う。情けないし、みっともない。
 しかし、真白のことになると、どうしても彼の頭はおかしくなってしまうのだ。

 もしも。
 もしも、真白が孝一の元を去るようなことがあれば――

 そんなこと、仮定で考えることすらゾッとする。
 好きな女に振られてやけ酒を煽っていた友人たちの姿が脳裏に浮かぶ。
 彼らのことを、孝一は鼻でわらいながら横目で眺めていたのだ。
 たかが女のことごときでバカらしいと、そんなことで振り回されることのない自分であることに優越感を抱きながら、嘲笑っていたのだ。

 だがきっと、真白を失った孝一は、そんな程度では済まないだろう。きっと、もっと愚かなことをする。

 いっそ真白に逢わなければ良かったのか。
 その自問には、迷うことなく答えが出る。

 否、だ。
 どんなにバカな男に成り下がろうとも、真白が欲しい。彼女のいない人生は、もう有り得なかった。

(だから、仕方がないのだ)
 長い三つ編みを揺らしながら歩く華奢な背中を見つめながら、孝一はため息混じりに胸の中でそう呟いた。
 彼の見ている前で五十嵐が真白に話しかけ、真白は彼を見上げてそれに答えている。微かに、笑って。
 ジリジリと胸を焦がしている孝一をよそに、今度は反対側から少年が彼女の袖を引く。

「ああ、クソ」
 真白の頬を両手で包み、こちらに顔を向けさせたい。
 五十嵐の、他の男たちの目の前で、彼女の腰が砕けるほどのキスをして、孝一の腕の中で彼女がどんなふうになるのかを見せ付けてやりたい。

 今すぐにここを離れた方が、良いかもしれない。
 そう思うのに、孝一の足は止まろうとはしなかった。真白が他の男を見るたびに胸やけを起こしながらも、彼女から目を放すことができなかったのだ。

 と、彼らが止まる。
 我に返った孝一は、そこにあるものに眉をひそめた。
 到着したのは、この遊園地でも人気のある、廃病院を模したお化け屋敷だ。
 いかにもおどろおどろしげな『玄関』の前に集まっている彼らは、何やら話し合っている。と、篠原が満面の笑みで五十嵐の腕にしがみ付いた。年長組はどうやら不参加のようで、少し離れた所にあるベンチに向かっている。
 パンフレットを見ると一人もしくは二人で入場するようにと書かれているから、多分、五十嵐は篠原と入ることになったのだろう。

(真白はあの高校生と入るのか?)
 そう思って見ていたら、五十嵐と篠原はやはり一緒だが、真白は高校生とは別々に入っていく。
 普段、真白は暗がりを怖がることはない。たまにテレビでホラー映画などを観ても、ケロッとしている。
 取り敢えず五十嵐とは別行動なので、心配要素はない。
 どうせ真白たちも帰る頃だろうから、そろそろ孝一も引き上げても良かった。

 だが――
(あいつでも、こういうのにビビったりするのかな)

 あんまり動じる姿を見せることのない真白がこのお化け屋敷から出てきた時にはどんな顔をしているのか。
 それを見てみたい気がした。
 孝一はほんの少しだけ迷ってから、その場にとどまることにする。辺りを見回し、少し離れてはいるがお化け屋敷の出口が見える場所にあるベンチに腰を下ろした。そうして、見るともなしにメインストリートを眺めやる。
 騒々しくも呑気なBGMを耳から耳へと聞き流していると、ささくれ立っていた孝一の胸中も何となく落ち着いてきた。

 園内には、べったりと身体を寄せ合った恋人、真白たちと同じような友達同士の集団などが溢れている。もちろん、家族連れもだ。
 今も、三歳かそこらくらいの女の子を連れた若い夫婦が彼の前を通り過ぎていく。女の子は母親にそっくりで、二人を見る父親の顔を目にした孝一の胸は、不意に締め付けられるような痛みに襲われた。
 その父親の眼差しが、あまりに温かく、あまりに誇らしげで、あまりに幸せそうだったから。

 彼は、何故そんな眼差しでいられるのだろう。
 愛おしい女性を手に入れられたからだろうか。
 彼女との間に宝の実を結ぶことができたからだろうか。
 そんな二人を守り、慈しんでいられるからだろうか。
 そうして、彼女たちから同じだけの愛情を注いでもらえるからだろうか。

 ――多分その全てなのだろうと、孝一は思った。

 ため息をつきつつ、彼は我が身を振り返る。
(真白は、いつになったら、心の底から俺のことを受け入れてくれるのだろう)
 彼女が孝一のことを『特別な相手』だと思っていることは重々承知している。それは嬉しい。
 事あるごとに真白は、孝一が好きだ、彼の傍にいたいと言う。
 だがしかし、いまだに孝一はプロポーズの答えをもらっていない。

(俺と一生一緒にいるというのは、まだ考えられないのか……?)
 真白は孝一を好きだと言い、彼の全てを受け入れてくれている。にも拘らず、彼女の全てを委ねてくれるほどには、彼を信頼していないのだ。
 今でも結婚しているも同然の状況だが、孝一は、あらゆる意味において真白を自分のものにしたかった。私的にも、公的にも。

(いっそ子どもができれば、あいつも承諾してくれるのかも)
 そう考えてしまうのは、卑怯すぎるだろうか。
 もちろん、孝一は、シンプルに真白との子どもが欲しいと思っている。だが、その頭の片隅に、子どもができれば彼女も彼と結婚する他に道が無くなるのだという姑息な期待が居座っている。

 真白と自分の子ども。
 自分と彼女の一部から創り出された小さな身体をこの腕に抱く時には、多分、幸せなあまりに死にそうになるだろう。
 そんなふうに確信している孝一は、ほんの一年ばかり前までは赤ん坊なんてうるさいだけの存在だと思っていたのだが。
 真白と、自分の子ども。
 孝一は、今、それを心の底から望んでいる。
 真白を抱く時、もうだいぶ前から彼は避妊をしていない。普通なら、とっくの昔にできていてもいいはずだが、さっぱりその気配がなかった。

 極端に痩せている女性は、子どもができなくなると孝一はネットで読んだ。だが、ほとんどの場合、体重が増えれば子どもも作れるようになるのだとも。
 初めて出会った時の真白の身体は、ほとんど肉がついていなかった。
 まあ、確かに、あの身体では子どもなんて産めないだろうな、と納得できるほどに。
 しかし、今の真白は、まだ細身ではあるが、だいぶ柔らかな丸みを帯びてきている。少なくとも、あのくらいの体型なら母親になっている女性はたくさんいると思える程度には。

 未だに子どもを身ごもることがないのは、もしかしたら、真白がまだ孝一のことを信頼しきっていないというのが、彼女の心の奥底にあるからなのかもしれない。
 身体の準備が整っても、心の準備が、まだできていないのかもしれない。

 けれど、たとえそうだとしても、孝一はもう打つ手を持っていなかった。

 彼は、真白を愛している、護りたい、という気持ちを、ことあるごとに口にも行動にも出して彼女に伝えている。
 それを信じてくれるかどうかは、真白自身にしかできないことで。
 結局、彼にはただ待つことしかできないのだ。

 孝一はため息をつきつつ、お化け屋敷の方へと目を向けた。
 と、いつの間にやら五十嵐と篠原が出てきている。
 彼らの次は真白の筈だったが――

「何でだ?」
 現れたのは、少年だ。
 孝一は、思わず立ち上がる。
 五十嵐と篠原、そして少年の元には年長組が加わって、何やら話し込んでいた。彼らはチラチラと出口の方を見ては、また言い合っている。
 居ても立ってもいられず、孝一は走り出した。人の流れを邪魔する動きをする彼に向けられる迷惑そうな視線を無視して、一行の元に向かう。
 五十嵐は孝一に背を向けていて、彼が近づいていくと五十嵐の向かいにいる少年が目を丸くして孝一を見た。
 五十嵐が少年のそんな顔に気付いて、不審げな表情で振り返る。
「え……ええっ!? 何で、アンタがここに――」
 孝一を目にするなり声をあげた五十嵐を完全に無視して、彼は少年に目を向けた。
「真白はどうしたんだ? 君の前に入った筈だろう?」
「え? えぇっと、大月さんっすか? それが、いつの間にか追い越したみたいで……」
「気付かなかったのか?」
 噛み付くように続けざまに問いかける孝一に、少年は目を白黒させながらも答える。
「はい、全然――」

 低いが鋭い毒づきが孝一の口から漏れる。
「中は分岐とかないんだろ? 普通は出てくる順番が変わるなんてことはないよな?」
「そうっすね、ワンルートだけっす」
 孝一は、もう一度出口に目を向けた。

 また、別の客が出てくる――真白ではなく。

(中で、何かあったのか?)
 出て来られなくなるような、何かが。
 彼女が動けなくなるような、何かが。

「くそッ」
 舌打ち一つ漏らして、孝一はまたその場から走り出した。
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