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ミッション9 学園と文具用品
312 素敵な考えねっ
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隠密ウサギの部隊が一つ、鉱山に入り調査を始めた翌日の早朝、フィルズは屋敷にある大きな厨房に来ていた。
「はよっス」
《おはようございます》
「っ、あ、おはよう。お帰りなさい」
返事を返してくれたのは、この屋敷の総料理長を任せているクマのリョクとセルジュの母親であるミリアリアだった。
「おう。ただいま。リアさん、パンも作れるようになったんだ?」
クラルスがミリーと呼び、今では幼い頃から一緒に居たような親しい友人か姉妹のように付き合うミリアリア。最初はフィルズも同じように呼んでくれても良いと言っていたのだが、さすがに兄の母親を呼び捨てにはできないと『リアさん』と呼ぶことに落ち着いた。ミリアリアが公爵の第一夫人だと分かる人はごく僅かな人たちで、従業員達もフィルズに倣って気軽にリアさんと呼んでいる。
《ひと月前とはまた別人のように手際が良くなりました》
「っ、そ、そうかしら」
リョクに褒められて少し頬を赤らめるミリアリア。パンの生地を丸めるのも、とても手慣れたように見える。料理なんてした事がなかった元侯爵令嬢だなどとは思えない。爪も綺麗に切り揃えられ、腕まくりも髪のまとめ方も完璧だ。
惣菜店の手伝いをしながら、料理の腕を磨いたミリアリアは、今や誰かに料理を教えられるほどだ。そして、買い物に来たお母さん達とも楽しそうに料理の話をすることすらあった。平民の友人もできたようだ。
『今思えば、貴族で言う友人とは、同じ派閥の味方というだけだった。だから……っ、とても嬉しいのっ』
可愛らしく笑ったその心からの笑顔はとても美しく、是非とも夫であるリゼンフィアに見せたかったと、その場に居たクラルスとフィルズの共通の思いだった。通りかかった彼女の息子のセルジュは、誰だこれと言わんばかりに目を丸くしていたのには思わず噴き出しそうになった。
性格も明るくなり、セイスフィア商会の店を手伝うようになって、彼女は自然に笑うようになった。お客にファンが居るというのも報告を受けている。そろそろ、ミリアリア専用の護衛も必要かなと考え始めている。
しかし今、魔導人形を渡してしまうと、その相手ばかりになりそうで、せっかく外の人たちとの交友関係を築きだした所だ。それは野暮だろうと思う。魔導人形は、絶対に裏切らない唯一の味方となるのだ。その安心感を知れば、新たなお友達を作ろうとは思えなくなるかもしれない。
今はミリアリアにとって、交友関係を広げられる大事な時期。それを邪魔するのは避けたいところだ。クラルス同様、世話の焼ける姉ができたようだとフィルズは密かに苦笑する毎日だ。
「へえ。リョクが言うなら相当だな。そんで、そっちのヤツらの指導もしてくれてるんだ?」
ミリアリアとの隣や前には、まだ若い成人したばかりに見える青年と女性が六人、一緒にパンを作っていた。彼らは真剣に、パンの生地を捏ね、丸めている。それを監督しながら、リョクが答える。
《手伝ってもらって、助かっています》
「その……っ、私にも出来ることがあるのはとても嬉しいの」
「ありがとな」
「っ、ええ」
嬉しそうに微笑んでから、パン作りに集中していくミリアリア。そこから目線をずらして、青年達の方を見る。
彼らは三組の若い夫婦なのだ。真剣に教えられたことを身に付けようと努力しているのが分かる。だから、彼らではなく、リョクに確認した。
「リョク。研修完了まであとどれくらいだ?」
《恐らく、あとふた月ほどです。まだ余裕がありません。このまま王都にお返しするのは不安です》
「そうだよな……」
《お急ぎですか?》
「いや……兄さんやカリュ達の不満がな……」
《……学園のですね……》
「おう……」
学園で寮生活を送っているセルジュとカリュエル、リサーナは、週末になると必ず王都セイスフィア商会支部の屋敷にやって来る。
その一番の理由は、学園で出される食事が美味しくないということらしい。そもそも、セイスフィア商会の食事と比べてはいけないのだが、食事の不満はかなりのストレスのようだ。
「パンだけでも早急にどうにかしてやりたいんだが、学園に卸すだけの量を増やせるかって言われると、厳しくてな」
《王都でこのパンを作れる者は少ないのでしたか……》
「ああ。うちの店以外だと、貴族家の数人の料理人だけだ。それも、免許を持ってるのは、貴族家につき一人か二人だ。外には出さないだろう」
セイスフィア商会の正式なパンのレシピを知る者は少ない。酵母の作り方から、小麦の選別など、細かい所まで教えられ、研修を受けた者は、免許を発行される。人伝に教えられたいい加減なレシピが流出しないよう考えた結果だ。
《そういえば、こちらに研修に貴族家から来られた方々は、その家の専属契約を結ばされたと言っていました》
「だろうな。このパンだけで、その料理人は一人でも生きていけるようになる。まあ、商業ギルドの保護がないと、身の危険があるかもだが」
《そうですね……研修が終わった時には、契約があってよかったと話していました》
「貴族家にしっかり守ってもらえるからな」
《大事ですね》
専属契約となれば、自由がなくなる。それは窮屈に感じるかもしれない。しかし、ここでパン作りをものにした者達は、その不満を綺麗に消すことになる。それだけ、ここのパンが画期的で、危険なものだと理解するからだ。
この公爵領都にある、免許を持ったパン屋も、日頃から商業ギルドの護衛が店につき、騎士達が周りの巡回を強化している。そして、有事の際、家を丸ごと覆えるものと、一部屋ずつ、従業員とその家族一人ずつ守れる結界の魔導具も用意されていた。
そこまでしてでも、守る必要が出るほどの技術なのだ。
因みに、カードサイズの免許証も結界の魔導具になっている。
「こいつらが、店を開けられれば、うちの店で出す量を少し学園に回せるかと思ったんだが」
《そういうことでしたか。ですが……パンだけでよろしいのですか?》
「……パン狂いが増えるだけかもと言いたいんだろ……」
《はい》
パンだけを卸すとフィルズは言っているのだ。その他の料理まで手は回さないのだと。それでは、パンだけに取り憑く者が出る。これは今までの経験からも明らかだ。
「食堂自体をうちで……とも思ってはいる……が、学園は貴族が取り仕切っているから、商会が入るのを嫌がるんだよ」
《いらぬ諍いを生むと?》
「勉強する所の端で、くだらん事で諍いを起こすって失礼だろ」
《……その精神は、残念ながら会長しか待ち合わせない可能性が……》
「え? いや、礼儀的にさあ」
《……》
そこで、リョクがミリアリアへ問いかけるように目を向ける。話を聞いていたらしいミリアリアは、ゆっくりと頷いた。
「気にしないと思うわ……そもそも、そんな考え方があるなんて思わないかと……残念だけど……」
「……マジ?」
「その……っ、素敵な考えねっ」
ミリアリアが笑みを向ける。少し頬が引き攣っていた。
「マジか……」
学園は勉強する所。その妨げになる事はするべきではない。その考えは、あまりされないらしい。
**********
読んでくださりありがとうございます◎
「はよっス」
《おはようございます》
「っ、あ、おはよう。お帰りなさい」
返事を返してくれたのは、この屋敷の総料理長を任せているクマのリョクとセルジュの母親であるミリアリアだった。
「おう。ただいま。リアさん、パンも作れるようになったんだ?」
クラルスがミリーと呼び、今では幼い頃から一緒に居たような親しい友人か姉妹のように付き合うミリアリア。最初はフィルズも同じように呼んでくれても良いと言っていたのだが、さすがに兄の母親を呼び捨てにはできないと『リアさん』と呼ぶことに落ち着いた。ミリアリアが公爵の第一夫人だと分かる人はごく僅かな人たちで、従業員達もフィルズに倣って気軽にリアさんと呼んでいる。
《ひと月前とはまた別人のように手際が良くなりました》
「っ、そ、そうかしら」
リョクに褒められて少し頬を赤らめるミリアリア。パンの生地を丸めるのも、とても手慣れたように見える。料理なんてした事がなかった元侯爵令嬢だなどとは思えない。爪も綺麗に切り揃えられ、腕まくりも髪のまとめ方も完璧だ。
惣菜店の手伝いをしながら、料理の腕を磨いたミリアリアは、今や誰かに料理を教えられるほどだ。そして、買い物に来たお母さん達とも楽しそうに料理の話をすることすらあった。平民の友人もできたようだ。
『今思えば、貴族で言う友人とは、同じ派閥の味方というだけだった。だから……っ、とても嬉しいのっ』
可愛らしく笑ったその心からの笑顔はとても美しく、是非とも夫であるリゼンフィアに見せたかったと、その場に居たクラルスとフィルズの共通の思いだった。通りかかった彼女の息子のセルジュは、誰だこれと言わんばかりに目を丸くしていたのには思わず噴き出しそうになった。
性格も明るくなり、セイスフィア商会の店を手伝うようになって、彼女は自然に笑うようになった。お客にファンが居るというのも報告を受けている。そろそろ、ミリアリア専用の護衛も必要かなと考え始めている。
しかし今、魔導人形を渡してしまうと、その相手ばかりになりそうで、せっかく外の人たちとの交友関係を築きだした所だ。それは野暮だろうと思う。魔導人形は、絶対に裏切らない唯一の味方となるのだ。その安心感を知れば、新たなお友達を作ろうとは思えなくなるかもしれない。
今はミリアリアにとって、交友関係を広げられる大事な時期。それを邪魔するのは避けたいところだ。クラルス同様、世話の焼ける姉ができたようだとフィルズは密かに苦笑する毎日だ。
「へえ。リョクが言うなら相当だな。そんで、そっちのヤツらの指導もしてくれてるんだ?」
ミリアリアとの隣や前には、まだ若い成人したばかりに見える青年と女性が六人、一緒にパンを作っていた。彼らは真剣に、パンの生地を捏ね、丸めている。それを監督しながら、リョクが答える。
《手伝ってもらって、助かっています》
「その……っ、私にも出来ることがあるのはとても嬉しいの」
「ありがとな」
「っ、ええ」
嬉しそうに微笑んでから、パン作りに集中していくミリアリア。そこから目線をずらして、青年達の方を見る。
彼らは三組の若い夫婦なのだ。真剣に教えられたことを身に付けようと努力しているのが分かる。だから、彼らではなく、リョクに確認した。
「リョク。研修完了まであとどれくらいだ?」
《恐らく、あとふた月ほどです。まだ余裕がありません。このまま王都にお返しするのは不安です》
「そうだよな……」
《お急ぎですか?》
「いや……兄さんやカリュ達の不満がな……」
《……学園のですね……》
「おう……」
学園で寮生活を送っているセルジュとカリュエル、リサーナは、週末になると必ず王都セイスフィア商会支部の屋敷にやって来る。
その一番の理由は、学園で出される食事が美味しくないということらしい。そもそも、セイスフィア商会の食事と比べてはいけないのだが、食事の不満はかなりのストレスのようだ。
「パンだけでも早急にどうにかしてやりたいんだが、学園に卸すだけの量を増やせるかって言われると、厳しくてな」
《王都でこのパンを作れる者は少ないのでしたか……》
「ああ。うちの店以外だと、貴族家の数人の料理人だけだ。それも、免許を持ってるのは、貴族家につき一人か二人だ。外には出さないだろう」
セイスフィア商会の正式なパンのレシピを知る者は少ない。酵母の作り方から、小麦の選別など、細かい所まで教えられ、研修を受けた者は、免許を発行される。人伝に教えられたいい加減なレシピが流出しないよう考えた結果だ。
《そういえば、こちらに研修に貴族家から来られた方々は、その家の専属契約を結ばされたと言っていました》
「だろうな。このパンだけで、その料理人は一人でも生きていけるようになる。まあ、商業ギルドの保護がないと、身の危険があるかもだが」
《そうですね……研修が終わった時には、契約があってよかったと話していました》
「貴族家にしっかり守ってもらえるからな」
《大事ですね》
専属契約となれば、自由がなくなる。それは窮屈に感じるかもしれない。しかし、ここでパン作りをものにした者達は、その不満を綺麗に消すことになる。それだけ、ここのパンが画期的で、危険なものだと理解するからだ。
この公爵領都にある、免許を持ったパン屋も、日頃から商業ギルドの護衛が店につき、騎士達が周りの巡回を強化している。そして、有事の際、家を丸ごと覆えるものと、一部屋ずつ、従業員とその家族一人ずつ守れる結界の魔導具も用意されていた。
そこまでしてでも、守る必要が出るほどの技術なのだ。
因みに、カードサイズの免許証も結界の魔導具になっている。
「こいつらが、店を開けられれば、うちの店で出す量を少し学園に回せるかと思ったんだが」
《そういうことでしたか。ですが……パンだけでよろしいのですか?》
「……パン狂いが増えるだけかもと言いたいんだろ……」
《はい》
パンだけを卸すとフィルズは言っているのだ。その他の料理まで手は回さないのだと。それでは、パンだけに取り憑く者が出る。これは今までの経験からも明らかだ。
「食堂自体をうちで……とも思ってはいる……が、学園は貴族が取り仕切っているから、商会が入るのを嫌がるんだよ」
《いらぬ諍いを生むと?》
「勉強する所の端で、くだらん事で諍いを起こすって失礼だろ」
《……その精神は、残念ながら会長しか待ち合わせない可能性が……》
「え? いや、礼儀的にさあ」
《……》
そこで、リョクがミリアリアへ問いかけるように目を向ける。話を聞いていたらしいミリアリアは、ゆっくりと頷いた。
「気にしないと思うわ……そもそも、そんな考え方があるなんて思わないかと……残念だけど……」
「……マジ?」
「その……っ、素敵な考えねっ」
ミリアリアが笑みを向ける。少し頬が引き攣っていた。
「マジか……」
学園は勉強する所。その妨げになる事はするべきではない。その考えは、あまりされないらしい。
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