見えない明日に揺れる僕たちは

多田莉都

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第3章

夏休みの前に 1

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 一学期の期末テストが終われば、蝉の声が窓の向こうからうるさく聞こえる中、周囲は夏休みへとモードが切り替わる。
 どこへ遊びに行くかとかそんな話も聞こえるが、今年は少し少なめのような気がした。
 「塾の夏期講習に行く」「東京の短期集中講座に行く」など勉強に関する話題も聞こえる。ようやく周りも受験勉強に力を入れようとしはじめているということだろう。
 
「期末の結果が貼りだされてるって」

 誰かの声でクラスがざわめき、空気は落ち着きをなくした。
 一学期の内申にも大きく関わる期末の結果だ。みんながざわめくのもわかる。
 僕も席から立ちあがり、ゆっくりと廊下に向かう。廊下に出ると掲示板がある場所まで多くの生徒が向かっていることがわかった。
 歩いているうちに長距離走の最後の一周のように足が重くなってきているのがわかった。僕の横を駆け足の女子2人が追い抜いていった。いまの僕の足取りが重い原因、それは――、
 
 『恐怖』なんだと思う。
 
 いまから自分が見なければいけないこと、受け止めなければならないこと、それに対する『恐怖』だ。いや、それよりも――

「すごい! 彩夏がまた1位だ」

 誰かの声が聞こえた。あの大きな声は、同じクラスの嶋田千尋の声かもしれない。
 彩夏が少し苦笑いしている。1位であることを注目してほしいわけではないからなのかもしれない。
 千尋はそんなことに構うことなくはしゃいでいる。何か周りに知らしめたいんだろうかと思うほどに。悪気がないからたまにタチが悪い。


 彩夏が1位だったことについては何の違和感も覚えない。英語と数学は担当教師が授業中に1位の生徒の名前を読み上げたので、彩夏がこの二教科の学年1位であることはわかっていた。残り三教科もおそらくは悪くないだろう。


「えー、また彩夏が1位なの? 佑でもダメなんだー」

 と言ったのは同じクラス篠田絵里沙だった。彼女は、僕と目が合うと気まずそうに俯いて他の女子生徒と、その場を去っていった。
 彩夏が1位なのだから、僕がダメには違いない。別に怒るつもりもない。

 僕も掲示板の前に立った。
 今回も前回1位と同じく1位は柴崎彩夏。そして前回2位の僕は――、掲示板で僕は自分の名前を探した。
 いつものように上から名前を探したときに、僕の心臓は大きく飛び跳ねそうになった。

 1 柴崎 彩夏 480点
 2 堀 紗耶香 459点
 3 藤代 秀明 457点

 上位3名の中に僕の名前はなかった。まさか、と声を出しそうになるのを堪える。いや、こんな順位を取れないことはわかっていた。

 9 月島 佑 431点
 
 9位? と声を出しそうになってしまった。
 かろうじて一桁であるとはいえ僕の順位は9位まで落ちてしまっていた。陸上100mだったら決勝に出ることすらできない。
 理科と国語が大不振だったことが響いたか、いや数学で大問の一つがほとんど点が取れなかったことが痛かったか、原因はいくらでもあった。

「佑、9位になってるじゃん」

 左隣から話しかけてきたのは美咲だった。
 ゆっくりと顔を美咲に向けると、美咲は僕を見ていた。なぜだかにやりと笑っているようにも見えた。

「どしたん? 9位とか、佑らしくないじゃん。中学になってから一番悪いんじゃない?」
「……まぁ、こーいうときもあるよ」

 強がりを言いながら、僕は自分にも言い聞かせる。こういうときもあると。いつも1位でいられるほど世の中は甘くないと。

「本当はショックを受けとったり?」
「は?」
「なんか最近、落ち着きないよだけど大丈夫?」
「なんだよそれ」

 苛立つ気持ちを抑えながら、僕は敢えて苦笑してみせてから掲示板を離れる。美咲から逃げているわけじゃない。順位がわかれば、もうこの場所に用はないからだ。

「私はなぁんも心配してないけどね。佑は大丈夫でしょ?」

 美咲が後ろからついてきた。

「なんで美咲にそんなことがわかるんだよ?」

 僕は首だけ美咲に向けて言った。

「そりゃあさ」
「そりゃあさ?」

 僕は身体ごと振り返る。美咲も立ち止まった。
 
「知ってるからだよ」
「何を?」
「私は佑がすごい奴だって昔っから知ってるからだよ」

 そう言うと、美咲が左耳横の髪を左耳にかけた。
 美咲は幼稚園からずっと一緒だ。僕の家のことも知っているし、僕が1位を目指していること頑張ってきたことも知っている。
 なぜか小学校のとき、美咲が家にきて、遊びに誘われても塾があるからと断ってしまったことを思い出した。悲しそうな顔をした美咲をなぜ思い出してしまったのか。


「……次は巻き返すよ」
「大丈夫なん?」
「何がだよ?」
「なんか考え込みすぎなんじゃない?」
「そんなことないよ」
「なあん、そんなことあると思うわ」
「は?」
「彩夏が転校してきてから、佑は落ち着きなくしてるよ」

 その言葉はナイフのように鋭かった。彩夏が転校してきてから?

「美咲、何を言いた……」

 美咲は僕の両肩を軽く叩いた。いきなりのことで僕はちょっと驚いた。


「一回、深呼吸して落ち着かれ、って言いたい」

 美咲が僕の目を見ながら先生言った。
 こんなときに僕は美咲よりだいぶ背が高くなったんだな、なんてことを考えていた。
 小学校六年までは美咲のほうが背が高かった。いつのまにか僕は美咲の身長を追い抜き、いまでは十センチぐらいの差がある。

「落ち着く?」

 僕の言葉に美咲は頷くと両手を僕の肩から離した。

 そして美咲は「モヤモヤしている佑はカッコ悪いんだね」と言い残すと僕の左横を通り抜けていった。僕は振り返り、美咲を目で追ったが、美咲は一度も振り向くことはなく教室棟への角を曲がって見えなくなった。

「カッコ悪い……か」

 僕は軽くため息をついた。
 そんなこを言われても腹が立たないのは、僕のことを小さい頃から知っている美咲の言葉だからなのかもしれない。美咲が見てわかるほどに僕は不安定なんだろう。
 このままじゃダメだ、僕はもう一度、息を一つ吐いてから廊下を歩いた。
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