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第1章
春の転校生 4
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夜の沈黙の中で、聞いたことのない音楽が控えめな音で流れていた。それは彼女の足元にあるスマホから流れるもののようだった。
汗をかいているのか、前髪が額にくっついているように見えた。学校指定の紺色ジャージではない、黒いジャージ姿の彼女は髪型もいつもと違うせいか、学校の落ち着いた雰囲気とは別人だった。
「……こんな時間に何してるの?」
彼女が言った。いまは夜の9時を過ぎている。
「オレは塾の帰りで。ていうか、柴崎さんこそ何を?」
「え、ダンス」
見ればわかるよねとでもいうように柴崎彩夏は両手を広げて言った。
たしかに離れた場所からでも踊っているように見えたからダンスだったんだろう。いや、そんなことはわかっているのだ。
「なんでこんな夜にこんな場所でダンスを?」
「……夜しか時間なくて、全身を映して踊れる場所が地区センターだったから」
淡々と柴崎彩夏は答えた。
彼女の背後には地区センターの自動ドアがあった。もちろん、センターはとっくに閉館しているから中は真っ暗だ。自動ドアのガラスにうっすらと彼女の後ろ姿が映っている。
「ダンスが趣味なんだ?」
「趣味っていうか……、私はダンサーで生きていくのが夢なの」
しかし、夜の空間に浮かび上がるような彼女の目の輝きは、意思の強さを感じさせた。
「へぇ……横浜ではダンスをやってたの?」
「うん」
「いつから?」
「あー……4歳?」
「4歳!」
思わず僕は大きな声を出してしまった。小学生ぐらいからかと想像していたが4歳の頃からだとは思わなかった。
「毎週、スタジオに通ってた。遊ぶことも我慢したりして、イベントとかコンテストにも出たりしてた……。いつかメジャーデビューするつもりで頑張ってきた」
「それで……いまもこんな夜に?」
「立ち止まってたらどんどんダメになるから」
その目を見ていると背筋にゾクッとした寒気を感じた。
その僕の様子を察したのかはわからないが彼女は表情を崩し、微笑んだ。
「あ……、ねぇ、この辺でさ全身を映せる鏡が貼られた場所とかないかな? 美咲にも聞いたんだけど、この町はダンススタジオはないみたいでさ」
僕の頭の中で、ネットかテレビで観た壁一面が鏡貼りのダンススタジオでダンサーたちが踊る姿が思い浮かんだ。
この町にはダンススタジオなんてないので、彼女が望む場所がないのだろう。
「富山市内に出れば、ダンスのスクールがあるって美咲は言ってたけど、ちょっと遠すぎるしね」
がっくりと柴崎彩夏は肩を落とした。
美咲が彼女に教えたとおり市内に出ればダンスのスクールなどはあったと思う。僕も場所は正確には知らないが、自転車か電車で移動する距離のはずで、とても近所とは呼べない距離だ。
「要は全身が映ればダンススタジオじゃなくてもいいんだよね?」
「うん、そうそう!」
彼女の目が輝いたのがわかった。
「それならここにある」
僕が彼女の背後を指さす。彼女はゆっくりと振り返る。そこには自動ドアしかなかったからだろう。彼女はゆっくりと僕へと向き直り、
「この自動ドアで映せるのはわかってるんですけど?」
と冷たい目で僕を見て、大げさにため息をついた。
「いや、この自動ドアって意味じゃなくて、ここにあるって言いたかったんだ」
「はい?」
「この地区センターの中にある」
「ダンススタジオなんてないって聞いたよ?」
「うん。たしかにダンススタジオはないんだけどさ、その代わりバレエスクールがあるんだ。サークルレベルのだけどね。そこのために壁が全身を映せる鏡になっている部屋がある」
「マジで!」
転校してきてから一番大きな彼女の声を聞いたような気がした。
「事前に予約とか必要だろうけど、空いてさえいればこの町の人は利用できるはず」
「そうなんだ! それいいね、ありがとう!」
そして、こんなにも彼女が目を輝かせている姿も初めて見たような気がした。
「どうやって申請するのかわからないけど、私、明日とか地区センターで聞いてみるよ」
「うん、多少は手続きが面倒かもだけど。まだこの町は紙ベースだから」
「全然問題ないよ。手続きなんていくらでもやるやる。本当にありがとう」
そんな御礼を言われるほどのことを言ったつもりはないけれど、彼女は微笑んだ。バレエスクールを妹が習っていたことがこんなところで役に立つとは思わなかった。
「大変だな、こんな田舎に転校してきて」
「……私はこの町、嫌いじゃないよ。むしろ、好きかな。みんな優しいし。クラスの雰囲気もいいしね。みんな仲がいいんだなぁって」
「ほとんどが同じ小学校からの付き合いだからな」
「月島くんは美咲と幼稚園から一緒なんでしょう?」
苦笑しながら僕は頷いた。美咲とは幼稚園も一緒なので、年少から今に至るまでずっと同じだ。これがまさに腐れ縁というやつだと思っている。
「残念ながらね。高校でやっと離れられそうだよ」
「堀園高校だっけ。すごく頭のいいところを目指してるんでしょ? 美咲が言ってた。『私は人生3周しても受からない』って」
美咲が説明していた様子を思い出したのか柴崎彩夏は笑った。
「美咲は勉強時間が足りないだけだよ。やればできるのに、全然勉強してないだけだ」
「うん、美咲ってやりたいことしかやらない感じがするね」
「それで――」
「え?」
「堀園にも滝岡にも進学を希望しないのは、まさか、このダンスで生きていくため?」
これは答えにくい質問なんじゃないかなと思いつつも、僕は質問してみた。しかし、
「うん、そうだよ」
あっさりと彼女は認めた。
「こんなとこ見られちゃったしね。うん、私はダンスで生きていきたいと思ってる。だから堀園にも滝岡にもいかない」
「……ダンスの夢を否定する気はないけど」
「うん?」
「じゃあ、なんで学年1位なんて目指してるんだ? 高校にも行く気がないなら一般教養程度にできれば十分だろ? あー、英語とかはいるのかもだけど」
外国への留学を考えているならば英語はいるかもしれない。でも、理科や社会はいらないように思えた。
「それがママとの――、母との約束だから」
「約束?」
僕の反すうに彼女がゆっくりと頷く。
「卒業まで学年1位を維持できないならダンスは辞めるって」
汗をかいているのか、前髪が額にくっついているように見えた。学校指定の紺色ジャージではない、黒いジャージ姿の彼女は髪型もいつもと違うせいか、学校の落ち着いた雰囲気とは別人だった。
「……こんな時間に何してるの?」
彼女が言った。いまは夜の9時を過ぎている。
「オレは塾の帰りで。ていうか、柴崎さんこそ何を?」
「え、ダンス」
見ればわかるよねとでもいうように柴崎彩夏は両手を広げて言った。
たしかに離れた場所からでも踊っているように見えたからダンスだったんだろう。いや、そんなことはわかっているのだ。
「なんでこんな夜にこんな場所でダンスを?」
「……夜しか時間なくて、全身を映して踊れる場所が地区センターだったから」
淡々と柴崎彩夏は答えた。
彼女の背後には地区センターの自動ドアがあった。もちろん、センターはとっくに閉館しているから中は真っ暗だ。自動ドアのガラスにうっすらと彼女の後ろ姿が映っている。
「ダンスが趣味なんだ?」
「趣味っていうか……、私はダンサーで生きていくのが夢なの」
しかし、夜の空間に浮かび上がるような彼女の目の輝きは、意思の強さを感じさせた。
「へぇ……横浜ではダンスをやってたの?」
「うん」
「いつから?」
「あー……4歳?」
「4歳!」
思わず僕は大きな声を出してしまった。小学生ぐらいからかと想像していたが4歳の頃からだとは思わなかった。
「毎週、スタジオに通ってた。遊ぶことも我慢したりして、イベントとかコンテストにも出たりしてた……。いつかメジャーデビューするつもりで頑張ってきた」
「それで……いまもこんな夜に?」
「立ち止まってたらどんどんダメになるから」
その目を見ていると背筋にゾクッとした寒気を感じた。
その僕の様子を察したのかはわからないが彼女は表情を崩し、微笑んだ。
「あ……、ねぇ、この辺でさ全身を映せる鏡が貼られた場所とかないかな? 美咲にも聞いたんだけど、この町はダンススタジオはないみたいでさ」
僕の頭の中で、ネットかテレビで観た壁一面が鏡貼りのダンススタジオでダンサーたちが踊る姿が思い浮かんだ。
この町にはダンススタジオなんてないので、彼女が望む場所がないのだろう。
「富山市内に出れば、ダンスのスクールがあるって美咲は言ってたけど、ちょっと遠すぎるしね」
がっくりと柴崎彩夏は肩を落とした。
美咲が彼女に教えたとおり市内に出ればダンスのスクールなどはあったと思う。僕も場所は正確には知らないが、自転車か電車で移動する距離のはずで、とても近所とは呼べない距離だ。
「要は全身が映ればダンススタジオじゃなくてもいいんだよね?」
「うん、そうそう!」
彼女の目が輝いたのがわかった。
「それならここにある」
僕が彼女の背後を指さす。彼女はゆっくりと振り返る。そこには自動ドアしかなかったからだろう。彼女はゆっくりと僕へと向き直り、
「この自動ドアで映せるのはわかってるんですけど?」
と冷たい目で僕を見て、大げさにため息をついた。
「いや、この自動ドアって意味じゃなくて、ここにあるって言いたかったんだ」
「はい?」
「この地区センターの中にある」
「ダンススタジオなんてないって聞いたよ?」
「うん。たしかにダンススタジオはないんだけどさ、その代わりバレエスクールがあるんだ。サークルレベルのだけどね。そこのために壁が全身を映せる鏡になっている部屋がある」
「マジで!」
転校してきてから一番大きな彼女の声を聞いたような気がした。
「事前に予約とか必要だろうけど、空いてさえいればこの町の人は利用できるはず」
「そうなんだ! それいいね、ありがとう!」
そして、こんなにも彼女が目を輝かせている姿も初めて見たような気がした。
「どうやって申請するのかわからないけど、私、明日とか地区センターで聞いてみるよ」
「うん、多少は手続きが面倒かもだけど。まだこの町は紙ベースだから」
「全然問題ないよ。手続きなんていくらでもやるやる。本当にありがとう」
そんな御礼を言われるほどのことを言ったつもりはないけれど、彼女は微笑んだ。バレエスクールを妹が習っていたことがこんなところで役に立つとは思わなかった。
「大変だな、こんな田舎に転校してきて」
「……私はこの町、嫌いじゃないよ。むしろ、好きかな。みんな優しいし。クラスの雰囲気もいいしね。みんな仲がいいんだなぁって」
「ほとんどが同じ小学校からの付き合いだからな」
「月島くんは美咲と幼稚園から一緒なんでしょう?」
苦笑しながら僕は頷いた。美咲とは幼稚園も一緒なので、年少から今に至るまでずっと同じだ。これがまさに腐れ縁というやつだと思っている。
「残念ながらね。高校でやっと離れられそうだよ」
「堀園高校だっけ。すごく頭のいいところを目指してるんでしょ? 美咲が言ってた。『私は人生3周しても受からない』って」
美咲が説明していた様子を思い出したのか柴崎彩夏は笑った。
「美咲は勉強時間が足りないだけだよ。やればできるのに、全然勉強してないだけだ」
「うん、美咲ってやりたいことしかやらない感じがするね」
「それで――」
「え?」
「堀園にも滝岡にも進学を希望しないのは、まさか、このダンスで生きていくため?」
これは答えにくい質問なんじゃないかなと思いつつも、僕は質問してみた。しかし、
「うん、そうだよ」
あっさりと彼女は認めた。
「こんなとこ見られちゃったしね。うん、私はダンスで生きていきたいと思ってる。だから堀園にも滝岡にもいかない」
「……ダンスの夢を否定する気はないけど」
「うん?」
「じゃあ、なんで学年1位なんて目指してるんだ? 高校にも行く気がないなら一般教養程度にできれば十分だろ? あー、英語とかはいるのかもだけど」
外国への留学を考えているならば英語はいるかもしれない。でも、理科や社会はいらないように思えた。
「それがママとの――、母との約束だから」
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