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12.訪問
しおりを挟むオーウェン様たちが帰ってから、婚約式をするのは別の人たちであってわたしは付き添いを頼まれただけということをお父様に伝えると、お父様はどんよりと濁った目をわたしに向けた。
「そんなことはわかっている。婚約の話は当主宛てに来るものだからな。だが公の場にパートナーとして誘うということは、少なくとも向こうはお前と婚約してもいいと考えているはずだ」
お父様は頭を抱えて大きなため息をつく。
「くれぐれも公爵夫人の機嫌を損なわないように。我が家もただでは済まなくなるんだぞ」
その言葉の中にわたしを想う部分はどこにもない。
わたしを家族だと思っていない人に言われても……と嫌な気分にさせられただけだった。
〇▲◇
一週間後、加工に出していたあの青い石が返ってきた。
繊細な銀の鎖に深い青色が映えて、ただの石とは思えないほど綺麗に見える。
「悪くない出来ですが、できれば服の下に隠して身に着けた方がよろしいかと」
シェーラの言う通りに首飾りを着けてみると、石の部分がほんのり温かくなった。
「……あら?」
石のあるところから花びらの形をした青い光が服を通り抜けて出てくると、すうっと空気に溶けていく。
「何でしょうか? 目立つのは困りますね……」
シェーラが少し眉を寄せた。
花びらの光が舞う様はとても美しいけれど、エイミィに見つかれば必ずちょうだいと言われることになる。それだけは絶対に避けたかった。
シェーラと一緒にどうしよう……と悩んでいたらいつの間にか花びらが出て来なくなったので、二人そろって幻でも見ていたのかしらと首を傾げた。
わたしがお茶会へ出席したあの日、エイミィは自分もお茶会に行くと言って大騒ぎしたらしい。今までわたしが行くところには必ず一緒に行っていたのだから、今回もそうするべきだと。
少し前にお父様からダメだと言われていたらしいのだけれど、なんだかんだ言って両親はエイミィに甘い。最終的には要求が通ると考えていたのではないか――とシェーラは推測していた。
「そうでなければ癇癪を起こして暴れるなどということはしないでしょう。とても大きな音を立てていて、片付けが大変そうでした」
「そうだったの……」
普通の子供であれば、生活する中で自分の思い通りにならないことがあると理解させられる瞬間があるだろう。でもエイミィはそんな思いをしたことがない。彼女にとって両親にねだったことは全て叶えられるべきものなのだから。
今までずっとそう育てられてきて、いきなりダメと言われても理解できるわけがないのに。
〇▲◇
婚約式の二週間前になって、フォークナー公爵家から豪華な封筒に入った招待状が届いた。
お父様の書斎で渡されて招待状を読んだところ、王宮内にある神殿で神に婚約を誓う式典だという。アラムス国側の出席者も百名以上来るとあって、想像していたよりも大規模な婚約式になるようだった。
こんな式典にわたしが出てもいいのかと気後れしてしまう。
「盛大ですこと……ねえ、あなた、エイミィも……」
「何を言っている、そんな失礼なことができるわけがない」
横から招待状を見たお母様はハンカチで目頭を押さえ、お父様は顔をしかめていた。
「ジェシカは何とも思わないの? 置いて行かれるエイミィの気持ちがわからないのね」
「……」
行きたくて行くわけではないのにお母様からそう言われて、わたしは多分腹を立てていたのだと思う。でも言い返すとさらに文句を言われる気がして、ただ黙ってうつむくしかなかった。
「どうしてこんなに思いやりのない子になったのかしら。エイミィは毎日泣いているのよ? 意地悪をして妹を泣かせるなんて……」
「いつまで言っているんだ、もうやめないか!」
わたしを責め続けるお母様をお父様が止めてくれたのは意外だった。
「だってあなた、上級貴族とのお付き合いはエイミィにもいい勉強になるでしょう? それをこの子は独り占めするつもりなのよ?」
お母様は納得がいかない様子で、涙を溜めた目でわたしを睨んでいる。
「この招待状は、シェリーズ家あてになっていますから……当主であるお父様がフォークナー公爵家に、エイミィを招待するようお願いしてみてはどうでしょうか」
かすれた声で提案するのがわたしには精一杯だった。
両親は何か苦いものを飲み込んだような顔をしていた。
その日の午後、シェーラはいつもの無表情でわたしを呼んだ。
「ジェシカ様、オーウェン・フォークナー様がいらっしゃいました」
「……え?」
突然の訪問に戸惑ったわたしは間抜けな顔をしていたと思う。
「どうなさったのかしら」
「ジェシカ様にお会いになりたいのでは?」
シェーラが冗談を言っているようには見えなかった。でも会いに来ただけとは思えなくて、わたしは小さく首を横に振った。
「たぶん……何かあったのよ」
まるで人が変わったみたいに冷たい目をして、君よりもっと良い人と出席することになったから遠慮してもらえないか――などと言われるのかもしれない。
オーウェン様が急にそんな態度をとったとしてもわたしは驚かないだろう。血のつながった家族でさえそうなのだから。
小さな頃は華やかな世界に憧れていたけれど、いつしか自分はそういう場にふさわしい人間ではないと感じるようになった。誰かと比べられるだけの存在なら――最初からいないほうがいい。
何とも言いようのない沈んだ気分になっていたら、部屋のドアがノックされた。
「失礼いたします、ジェシカ様」
ドアを開けたのはクロードだった。その後ろにはオーウェン様の姿が見える。
「ジェシカ、招待状はもう届いたかい?」
部屋に入るなり屈託のない笑顔で問われ、わたしは「はい」と小声で返事をした。
「……とても盛大な式典のようで、驚いています」
「あれは国王陛下の見栄だよ。アラムスに侮られたくなくて、どんどん規模が大きくなったらしい。陛下の姪と言ってもかなりの遠縁だし、普通はここまでしないよ」
オーウェン様は苦笑して椅子に腰かける。
「あ、そうだ、それでちょっと申し訳ないんだけど……」
気遣うようなオーウェン様の言葉にわたしは身構えた。
次には『別の人と一緒に行くから――』と言われるのだ。
「当日は、来賓のために早い時間から王宮で待機しなくてはいけないんだ。ウィルも母上と同行することになって、ジェシカを迎えに行けなくなってしまった……。私がお願いしたというのに、すまない。別の者に迎えに来させても構わないか?」
シュンとした顔をするオーウェン様。
彼が本当に申し訳ないと思っているのが伝わってきて、わたしは自分を恥じると同時にずっと感じていた疑問を口にした。
「あの……そもそも、わたしが行ってもいいのでしょうか……」
「えっ、もちろんだよ」
オーウェン様は目をひとまわり大きくして驚いている。
「招待状を王宮の門番に見せれば、すぐに案内されるようになっているんだ。何も心配いらないよ」
そういう意味で聞いたのではないけれど、来ないでくれと言われなかったことにわたしはどこかホッとしていた。
「それから、近いうちに仕立屋がドレスをこちらへ持ってくるそうだ。直すところがなければそのまま納めさせてほしいと」
ぞくりと鳥肌が立つのが分かった。
何だか嫌な予感がする。ドレスを作っていただいたのはとてもありがたいことだというのに。
「ジェシカ?」
オーウェン様は動揺しているわたしに心配そうな顔を向ける。
「……オーウェン様、できる限り納品は遅めにしてください。婚約式当日でもいいので」
「と、当日は無理じゃないかな……直しがあったら大変らしいよ」
予想外のお願いだったのか、オーウェン様は困惑した顔になった。
「一応、仕立屋にはそう言っておくけど」
「ありがとうございます」
これで少しは安心できる……と思ったその時、シェーラがカツカツ歩いて部屋のドアをバッと開けた。
「何かご用でしょうか? エイミィ様」
ドアのすぐ近くにはエイミィと、少し離れた場所にお母様が立っていた。
不意を突かれたのか二人とも気の抜けた表情をしていたけれど、一瞬でお客様向けの笑顔になったのは素直にすごいと思った。
というよりも、なぜそこにいるのかしら……。
「あ、あの……ちょっとご挨拶に、ね」
お母様が歯切れの悪い言い方をする。
「オーウェン様! わたくしを招待してくださいませ!」
エイミィの甲高い声を聞いて、オーウェン様は椅子から優雅に立ち上がった。
「……ジェシカの妹だったね。今回は、君は誘えないんだ。もう少し大きくなって、君にふさわしい相手が見つかればいいんだけど」
子供をあやすようなオーウェン様の言い方が不満だったのか、エイミィは頬を膨らませる。
「どうして? お姉様と婚約されたわけではないのでしょう?」
「それはまあ、そうだが……」
わたしはまたエイミィがオーウェン様に失礼なことを言うのではないかとハラハラしていた。
「お姉様はとっても意地悪で、いつもわたくしを蔑ろにするの。今回のことだって……わたくしには何も教えてくださらなかったのよ!」
涙をポロポロこぼしてエイミィは叫んだ。悲しみに震える声と潤んだ薄紫の瞳は痛ましく、多くの同情を誘うだろう。
胸の奥が苦しくなるのを感じた。
オーウェン様は妹を蔑ろにするような人間は信用できない、と言うかもしれない。
思わずうつむいたわたしの前で、エイミィはオーウェン様に近付いていく。
「だからオーウェン様、お姉様ではなく、わたくしと一緒に――」
「すまないが、この話は終わりだ。君が来る必要はない」
オーウェン様は低い声でエイミィの言葉を遮るとわたしの方へ歩いてきた。険しい顔をしていたので叱責されるのだと思い、わたしは身を固くした。
オーウェン様はぐっと顔を寄せて、素早くわたしに耳打ちする。
「ジェシカ、君の妹は少し変わっているね?」
何を言われたのか理解した瞬間、カーッと顔が赤くなるのがわかった。
「申し訳、ありません……」
「君が謝る必要はない。私も気に留めておくから。……それと」
目だけをエイミィの方へ動かして、オーウェン様は口角を上げた。
「口が堅いことは美徳のひとつだよ」
「……はい」
「では、また。婚約式で会えるのを楽しみにしている」
彫刻よりもずっと爽やかな微笑みを残し、オーウェン様は部屋を出て行った。
お母様とエイミィが慌てて後を追いかけていったけれど、彼が振り返ることはなかった――とお茶の時間になってシェーラが教えてくれた。
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