悪役令嬢だけど愛されたい

nionea

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第一章:まずは、スタートラインに立つために。

9.時は止まりません

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 三日後。
 ライネッツ公爵家の紋が入った馬車に同乗して国王妃がやってきた。
 心強い味方のフランセスカは何故か母が連れて別室に行ってしまい、今ミネルヴァは国王妃と客間に二人である。リーネアッラや国王妃の侍女も居るのだが、立場上返事以外では声を上げる事もできないので、室内で発言権があるのはミネルヴァと国王妃だけだ。
 もっとも、ミネルヴァには何か話がある訳でもないので、先程から客間にはずっと沈黙が落ちている。
(お母様と同じ、お喋りの好きな明るい方なのに………よほど切り出しにくいのね。すっぱり言ってもらって構わないのだけど)
 もう何度目かも解らないカップを傾ける動作を彼女自身も繰り返しながら、そのほとんど減っていないお茶の量で国王妃の逡巡が測れるようだと思った。
「………ミーナ」
 ようやく、ぽつりと呟く声が聞こえた。ゆくゆくは娘となるのだから、と国王妃は昔からミネルヴァを愛称で呼ぶ。
「はい」
「今日はね、その…貴方に訊きたい事があって、リーンに無理を言って連れてきてもらったの」
「はい」
 いよいよ来たか、と気合を込めて返事をしたつもりだったのだが、国王妃の逡巡は未だに続いていたようだ。きゅっと眉を寄せ、成人する息子が居るとは思えない若々しさに溢れる顔を歪ませている。ふらふらと泳ぐ視線は、ちらともミネルヴァとは合わないが、様子は窺っているようだ。
(美人を困惑させているとなんだか申し訳なくなるのは何でなのかしら…でも、もう少し何か言ってもらわないとこちらから切り出す事もできないし)
 ミネルヴァの落ち着いた様子に意を決したように、ついに目を合わせて言葉が発せられる。
「あのね…クーとのね、その………」
 だが、言葉は直ぐに終わってしまった。とはいえ、王太子の愛称が出たことで、彼女としてはとっかかりを得たと判断する。
「婚約の件でしたら、王太子殿下の御意志に添うようにして頂ければ、と私は考えております」
 彼女は、きちんと背筋を伸ばし、微かに笑みを浮かべ、しっかりとした口調で、努めて冷静に見えるように振る舞う。ミネルヴァは馬車を降りてきた国王妃の王太子によく似た顔を見た時にどくりと心臓を弾ませて以降、特に反応はない。
(露骨に婚約破棄されたという事に触れるのもどうかと思ってちょっと遠まわしな言い方になったけど、伝わったよね?)
 ちゃんと諦めるつもりです。変な騒動とか起こしません。どうぞご安心ください。そんな思いをぎゅっと詰めて言葉にしてみたつもりだが、戸惑うような国王妃の表情に、上手く伝わっていないかもしれないと感じる。
 国王妃は、俯いて溜息を吐いてから再び顔を上げミネルヴァと目を合わせた。その顔には諦めの色が濃い苦笑を浮かべていた。
「貴方の考えは解ったわ」
 それだけ答えると、国王妃は打って変わって明るい表情で、とりとめもないお喋りを始めた。
 国王妃の侍女が動き、別室に居たライネッツ組も参加し、その後は主にミネルヴァを聞き役とした姦しいお喋り大会が開催されることとなる。
 昼食の時が近付いた頃、国王妃と母は帰る旨を告げ、席を立つ。
 フランセスカがせめて昼食を一緒にと声をかけたが、移動の時間があるからという返答だった。驚いた事に、馬車で車中泊をして王都に戻る強行軍であるらしい。勿論、屋敷に乗り付けた小型の馬車ではなく、途中で横になれる大型の馬車に乗り換えるらしいのだが。
「じゃあ、ミーナ、もう行くけど、体にはくれぐれも気を付けるのよ? そろそろ涼しくなる頃合いだけれど、風邪などひかないようにね」
「はい。お母様」
 同じ内容をフランセスカや使用人達にも言い付けてから母は馬車に乗り込んだ。
「ごめんなさいね、のんびりしているところに押しかけてしまって」
「いいえ、どうぞお気遣いなく。お話しできて、とても嬉しかったので」
「私もよ。またね」
 少し寂しそうに笑って、国王妃も馬車へと乗り込む。
(実際に会いにまで来られたから、ちょっとびびりな自分が出ちゃってたけど、大丈夫だったわね、結構。まぁ、私は諦めるのなんか全然何ともないし。でもなぁ…これで卒院式は公式に婚約破棄された令嬢扱い確定かぁ。なんとなくだけど、ミネルヴァが元気になってきてるような気がするし、本当はこのまま此処に居られるのが一番だと思うんだけど。難しいよねぇ………)
 ミネルヴァとフランセスカは並んでしばらく馬車を見送っていたが、すっと吹き付けた肌寒い風に同時に体を震わせた。お互いに同じタイミングで腕をさすったものだから、目を合わせて笑ってしまう。
「嫌になっちゃうわ、もう。秋には少し早いと思うのですけど」
「そうね。ちょっと早とちりな風だったわね」
 国王妃との話については触れずに歩きながら喋り続け、居間に戻ると、止まり木の上で目を閉じているイーグルをみたフランセスカが呟いた。
「そういえばイーグルって何時頃冬眠するのかしら?」
「え? 鳥って冬眠はしないのではない?」
「あら、そうですの?」
「………ランに訊いてみましょう」
 近頃ミネルヴァには、困った時にはお爺ちゃんの知恵袋を頼る、という癖が出来つつある。とかく動植物の事は、何でもランに訊けば良いと確信している節がある。
 ちなみに、ランの返答は、
「冬眠する鳥は居りますが、猫鷹は冬眠しませんな」
と、いうものだった。
 続けて冬眠する鳥についても話を訊こうとしたが、書斎に鳥類の図鑑が有るので気になるならお調べなさい、と言われてしまう。
 昼食後に、フランセスカと二人で図鑑を捲っていると、思いの外楽しく。結局、夜まで同じ寝台に寝転がって図鑑を見続けた。
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