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第三章:そんなの聞いてないっ!
5.その名前は
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王妹アンゼーナ主催の夜会にやってきたミネルヴァは、話があるから隣の部屋で待っていてと言われ、その部屋に入った。
「あら、ミーナも呼ばれたの?」
「セスもなのね」
アンゼーナの侍女に案内された部屋には、既にフランセスカが寛いでいる。
ミネルヴァも他には誰もいない空間に気を抜いて、夜会らしくはないがお茶を飲みながらお喋りをするという状況で待っていた。
それなりの時間が過ぎた頃、いつもの事だが慌ただしげにアンゼーナが室内へ入ってくる。
「ごめんなさい。思ったより待たせてしまったわ!」
「いえ、殿下、構いませんわ」
「ゆっくりさせていただいておりましたから」
「なら、良かったわ。私にもお茶を」
「かしこまりました」
侍女にお茶を頼んだアンゼーナはテーブルのチョコを一つ口に放り込み、味わって飲み込んでから口を開いた。
「あの女は敵よ」
その言葉に、ミネルヴァとフランセスカは、疑問を浮かべて目を合わせる。
より正確にアンゼーナの言葉を表すと、セフィルニムに近付くあの女は私の敵よ、となるのだが。二人はこの言葉を昔からよく耳にしている。特に数年前のアンゼーナとセフィルニムが共に学院生活を過ごしていた頃によく聞いたものだ。
だが、そう明言して容赦無く身分をたてにセフィルニムの側をアンゼーナが確立させていった結果。
この国でアンゼーナの向こうを張ろうという女性はいなくなったはずだった。
「殿下、あの女って、どなたのことですの?」
フランセスカの問いかけに、きっと眼光鋭くアンゼーナが叫ぶ。
「リテルタ使節団のリリィ・クシャ・ワンドよっ!」
つい昨日聞いたばかりの名前が飛び出して、ミネルヴァは言葉を失った。
(そのお名前って…)
フランセスカは少し首を傾げて、最近のセフィルニムとの会話を思い返している。
「兄からその名前を聞いたことはありませんけど」
「セフィルニムは普通に対応してるもの。でも、問題は女の方よ!」
バシっとアンゼーナの手のひらが扇子とぶつかり合って音を立てた。ちょうど侍女がお茶を持って入ってきたので、わずかに冷静さを取り戻したようだが、むっと頬が膨らんでいる。
「あの女、セフィルニムが名乗った次の瞬間、ニムって呼んで良いですかって言ったのよ」
「まぁ…」
「それは…」
非常識なという言葉を二人は飲み込んだ。はっきり口にすれば勢い込んでアンゼーナが同調し、彼女の手中でぶるぶる震えている扇子がどうにかなってしまうと思ったので。
「良い訳無いでしょう? 何ほざいてるのこの女って思ったわ本当に。しかも理由があるのよ。セフィルニムって名前が長くて憶え難いからって、馬鹿じゃないの? セフィルニムのどこが長いのよ。その程度の名前も憶えられない馬鹿が使節団とか巫山戯てるわよ。現にリテルタ使節団の方もたいそう困ってらしたわ」
それはそうだろうな、と二人は再び無言で目配せをし合ってしまう。
「貴方のリリィ・クシャって名前と同じ長さだっていうのに…何が長いっていうのよ!」
確かに短くはないだろうし、リテルタの名付けとは音の感じも違うだろうが、そういう違いを踏まえた上で交流を持つための使節団である。名前を名乗った次の瞬間に長いから短く呼んで良いですか、という反応なのは驚く他ない。しかもこの国では愛称は身内のような親しい間柄でしか使わないものだ。
(あら…私、今何か…)
ミネルヴァが何かに引っ掛かりを感じている間も、アンゼーナは止まらない。
「それだけじゃないわ。その後もべたべたべたべたとセフィルニムに付きまとって、挙句セフィルニムが許可してもないのにニムって呼んだのよ! ニムって! 私だってまだ呼ばせてもらえないのにっ!」
ついにアンゼーナの手の中のセンスが真っ二つに折れた。折れてしまいそうだ、とは思ってたが、それなりの強度があるはずのものが折れた事に二人は思わず唇を噛み締めてしまう。
「どういうことなの! 私そんなに駄目? 私と結婚したら王領から私の化粧料としてライネッツ領が増えるのよ。公爵家と王家の縁が結ばれるのよ。良い条件でしょう! 何か駄目なところがあるなら言ってくれればいくらでも直すわ…でも何も言ってくれないじゃないぃなんでよぉ」
テーブルに突っ伏し始めたアンゼーナの雰囲気におかしなものを感じて、二人は顔を見合わせる。
「アンゼーナ様、どうなさったの?」
「さぁ、兄様と何かあったのかしら…」
その後、ぐったりとしたアンゼーナに慌てた二人が、扉の向こうに下がっていた侍女に声をかけた。すると、チョコレートの中の酒気に当てられたのだと判明する。
「普段は気を付けていらっしゃるんですけど…あの、どうか、この事はご内密にお願いいたします」
「はい」
「勿論ですわ」
アンゼーナが酒気に弱いという情報を言いふらすような相手もいない。二人は恐縮する侍女に頷いて、そのまましばらく室内に残った。
「兄様からは聞きませんでしたけど。わたくし、リリィ・クシャ・ワンドってお名前、お友達からあまり良くない噂と一緒に何度か聞きましたわ」
「そうなの? 実は私もギリットのところで聞いたの。別に噂とかは何もなかったんだけど」
「そうですの。ところで、わたくし、この方の名前と行状を聞くと、少しだけ何処かの低脳を思い出して嫌な気持ちになるのですわ。ミーナは考え過ぎだと思いまして?」
「え…?」
(それ、って…あ、さっきの気になったのって、そういう事かも)
自分だけが前世の記憶を持った人間だという保証は、どこにもないのではないだろうか。そんな考えがミネルヴァの胸に湧く。
「あら、ミーナも呼ばれたの?」
「セスもなのね」
アンゼーナの侍女に案内された部屋には、既にフランセスカが寛いでいる。
ミネルヴァも他には誰もいない空間に気を抜いて、夜会らしくはないがお茶を飲みながらお喋りをするという状況で待っていた。
それなりの時間が過ぎた頃、いつもの事だが慌ただしげにアンゼーナが室内へ入ってくる。
「ごめんなさい。思ったより待たせてしまったわ!」
「いえ、殿下、構いませんわ」
「ゆっくりさせていただいておりましたから」
「なら、良かったわ。私にもお茶を」
「かしこまりました」
侍女にお茶を頼んだアンゼーナはテーブルのチョコを一つ口に放り込み、味わって飲み込んでから口を開いた。
「あの女は敵よ」
その言葉に、ミネルヴァとフランセスカは、疑問を浮かべて目を合わせる。
より正確にアンゼーナの言葉を表すと、セフィルニムに近付くあの女は私の敵よ、となるのだが。二人はこの言葉を昔からよく耳にしている。特に数年前のアンゼーナとセフィルニムが共に学院生活を過ごしていた頃によく聞いたものだ。
だが、そう明言して容赦無く身分をたてにセフィルニムの側をアンゼーナが確立させていった結果。
この国でアンゼーナの向こうを張ろうという女性はいなくなったはずだった。
「殿下、あの女って、どなたのことですの?」
フランセスカの問いかけに、きっと眼光鋭くアンゼーナが叫ぶ。
「リテルタ使節団のリリィ・クシャ・ワンドよっ!」
つい昨日聞いたばかりの名前が飛び出して、ミネルヴァは言葉を失った。
(そのお名前って…)
フランセスカは少し首を傾げて、最近のセフィルニムとの会話を思い返している。
「兄からその名前を聞いたことはありませんけど」
「セフィルニムは普通に対応してるもの。でも、問題は女の方よ!」
バシっとアンゼーナの手のひらが扇子とぶつかり合って音を立てた。ちょうど侍女がお茶を持って入ってきたので、わずかに冷静さを取り戻したようだが、むっと頬が膨らんでいる。
「あの女、セフィルニムが名乗った次の瞬間、ニムって呼んで良いですかって言ったのよ」
「まぁ…」
「それは…」
非常識なという言葉を二人は飲み込んだ。はっきり口にすれば勢い込んでアンゼーナが同調し、彼女の手中でぶるぶる震えている扇子がどうにかなってしまうと思ったので。
「良い訳無いでしょう? 何ほざいてるのこの女って思ったわ本当に。しかも理由があるのよ。セフィルニムって名前が長くて憶え難いからって、馬鹿じゃないの? セフィルニムのどこが長いのよ。その程度の名前も憶えられない馬鹿が使節団とか巫山戯てるわよ。現にリテルタ使節団の方もたいそう困ってらしたわ」
それはそうだろうな、と二人は再び無言で目配せをし合ってしまう。
「貴方のリリィ・クシャって名前と同じ長さだっていうのに…何が長いっていうのよ!」
確かに短くはないだろうし、リテルタの名付けとは音の感じも違うだろうが、そういう違いを踏まえた上で交流を持つための使節団である。名前を名乗った次の瞬間に長いから短く呼んで良いですか、という反応なのは驚く他ない。しかもこの国では愛称は身内のような親しい間柄でしか使わないものだ。
(あら…私、今何か…)
ミネルヴァが何かに引っ掛かりを感じている間も、アンゼーナは止まらない。
「それだけじゃないわ。その後もべたべたべたべたとセフィルニムに付きまとって、挙句セフィルニムが許可してもないのにニムって呼んだのよ! ニムって! 私だってまだ呼ばせてもらえないのにっ!」
ついにアンゼーナの手の中のセンスが真っ二つに折れた。折れてしまいそうだ、とは思ってたが、それなりの強度があるはずのものが折れた事に二人は思わず唇を噛み締めてしまう。
「どういうことなの! 私そんなに駄目? 私と結婚したら王領から私の化粧料としてライネッツ領が増えるのよ。公爵家と王家の縁が結ばれるのよ。良い条件でしょう! 何か駄目なところがあるなら言ってくれればいくらでも直すわ…でも何も言ってくれないじゃないぃなんでよぉ」
テーブルに突っ伏し始めたアンゼーナの雰囲気におかしなものを感じて、二人は顔を見合わせる。
「アンゼーナ様、どうなさったの?」
「さぁ、兄様と何かあったのかしら…」
その後、ぐったりとしたアンゼーナに慌てた二人が、扉の向こうに下がっていた侍女に声をかけた。すると、チョコレートの中の酒気に当てられたのだと判明する。
「普段は気を付けていらっしゃるんですけど…あの、どうか、この事はご内密にお願いいたします」
「はい」
「勿論ですわ」
アンゼーナが酒気に弱いという情報を言いふらすような相手もいない。二人は恐縮する侍女に頷いて、そのまましばらく室内に残った。
「兄様からは聞きませんでしたけど。わたくし、リリィ・クシャ・ワンドってお名前、お友達からあまり良くない噂と一緒に何度か聞きましたわ」
「そうなの? 実は私もギリットのところで聞いたの。別に噂とかは何もなかったんだけど」
「そうですの。ところで、わたくし、この方の名前と行状を聞くと、少しだけ何処かの低脳を思い出して嫌な気持ちになるのですわ。ミーナは考え過ぎだと思いまして?」
「え…?」
(それ、って…あ、さっきの気になったのって、そういう事かも)
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