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12章 伯爵令息の夏休暇
4 父の書斎で
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◆◆◆◆◆
リンブルク伯爵が所有するジェゼロの別荘へ到着すると、アンドレイはまず、父のいる書斎へと向かった。
父の書斎は、アンドレイが幼い頃から憧れている部屋だ。
幼い頃に母を亡くし、アルベルトの再婚によって父子関係はギクシャクしている。
はっきり言って父のことを好きではない。
だがこの部屋だけは好きだ。
濃い緑色の壁に、同色のベルベットの椅子。
白と黒の市松模様の大理石の床の上に配置されたマホガニーの書斎机。
緑、白、黒、茶の四色を基調としたその部屋はアルベルトの趣味が凝縮された部屋でもある。
壁に飾られているのは昆虫や植物の標本画で、出窓には望遠鏡や天球儀が置かれ、リンブルク領やメストの屋敷にある厳しい作りの書斎とは違い、遊び心にあふれていた。
ファブリックには、リンブルク領の特産である織物技術を駆使し、白と黒で緻密な文様を織り上げた極上の織物を使用している。白と黒の細かな文様はまるで、細かい文字を印刷された本の中身のようで、アカデミックな香りのするこの部屋にとても合っていた。
継母が来て、屋敷の中のすべてが塗り替えられたが、アルベルトの書斎とアンドレイの私室だけは、ずっとそのままだ。
「デニスの怪我の具合はどうなんだい?」
「……縫合を済ませて自力でなんとか歩けるのですが、無理をしないように三日間医者のもとで療養することになりました」
「なんでも牛を繋いであった縄が不自然に切られていたらしい。誰かが興奮させてけしかけた可能性も拭いきれない。君の要望とは言え、レネ君を呼んでおいてよかった。彼には付きっきりで護衛してもらおう。きっと誰も彼が護衛だと気付かないから、敵も尻尾を出してくるかもしれないね」
留学先のファロから休暇先のジェゼロに帰ってくるのを、アンドレイはずっと断り続けていた。
きっと今回も命を狙われるだろうし、会いたくもない家族にわざわざ会ったって時間の無駄だ。
屋敷の中ではアンドレイが頼れるのはデニス一人しかいない。それではさすがにデニスも荷が重い。
だから帰って来る条件として、レネを自分の護衛に付けるようにアルベルトに頼みそれが叶ったので、帰省したのだ。
アンドレイの心の中でレネと過ごした日々が、ずっと宝石のようにキラキラと光り輝いていた。
レネが一緒にいてくれるなら、アンドレイはどんな辛い時間も耐え抜くことができる。
(それにしても……レネ君?)
父は面識のある人物以外を名前で呼ぶことはまずない。
まるで本人をよく知っているかのような言いようだ。
アンドレイは引っかかりを覚える。
「父上は……レネに会ったことがあるんですか?」
アンドレイは思い切って疑問を口に出してみた。
「実はね、冬にテプレ・ヤロで偶然レネ君に会ったんだよ。ある人物の護衛で来ていてね、あまりにも美青年だったから、最初は護衛だなんて思わなかったよ」
肘をつき両手を顎の下で組んで、その時を思い出すかのように微笑んでいる。
(よりによってテプレ・ヤロか……)
帰りの馬車で聞いたレネの話を思い出し、アンドレイはグッと拳を握りしめる。
「どうして、僕に付けていた護衛と同一人物だと気付いたんです?」
レネの名前をアルベルト宛の手紙に書いたことはあったが、容貌まで知らないはずだ。
「以前の仕事の報告に来てくれたロランド君も一緒にいたからね、『あれ?』って思ってたんだよ。それにレネ君はラデクをデニスと見間違えたみたいで、本人に尋ねてみたら、アンドレイの名前が出てきてね、もう間違いないって思ったのさ。そこで起こったトラブルにも協力してもらって、彼にはとっても感謝しているんだ」
「そんなことが……」
あんぐりと開いた口が塞がらない。
誰かの愛人を演じていたレネに、父は会っていたのだ。
アンドレイは、チェスタの手前からポリスタブまでの短い旅の思い出だけを宝物にしていたのに、自分の知らない所でレネと父親が会っていたのが少し悔しかった。
「だから彼が腕の立つ優秀な護衛なのも知っている。デニスがああなった以上、君は絶対彼から離れてはいけないよ」
「わかってます」
デニスが怪我をしてアンドレイの警備が手薄になっている今、ヴルビツキー側はこの機会を見逃さないだろう。
「今回、君が命を狙われる危険があるにも関わらず、わざわざここに呼び寄せた理由を話しておこうと思ってね」
アンドレイはなにを言われるのかと、思わず身構えた。
「——実はね、君に縁談が上がってきた」
「はっ?」
あまりにも想定外の話に、アンドレイはぽかんと口を開ける。
リンブルク伯爵が所有するジェゼロの別荘へ到着すると、アンドレイはまず、父のいる書斎へと向かった。
父の書斎は、アンドレイが幼い頃から憧れている部屋だ。
幼い頃に母を亡くし、アルベルトの再婚によって父子関係はギクシャクしている。
はっきり言って父のことを好きではない。
だがこの部屋だけは好きだ。
濃い緑色の壁に、同色のベルベットの椅子。
白と黒の市松模様の大理石の床の上に配置されたマホガニーの書斎机。
緑、白、黒、茶の四色を基調としたその部屋はアルベルトの趣味が凝縮された部屋でもある。
壁に飾られているのは昆虫や植物の標本画で、出窓には望遠鏡や天球儀が置かれ、リンブルク領やメストの屋敷にある厳しい作りの書斎とは違い、遊び心にあふれていた。
ファブリックには、リンブルク領の特産である織物技術を駆使し、白と黒で緻密な文様を織り上げた極上の織物を使用している。白と黒の細かな文様はまるで、細かい文字を印刷された本の中身のようで、アカデミックな香りのするこの部屋にとても合っていた。
継母が来て、屋敷の中のすべてが塗り替えられたが、アルベルトの書斎とアンドレイの私室だけは、ずっとそのままだ。
「デニスの怪我の具合はどうなんだい?」
「……縫合を済ませて自力でなんとか歩けるのですが、無理をしないように三日間医者のもとで療養することになりました」
「なんでも牛を繋いであった縄が不自然に切られていたらしい。誰かが興奮させてけしかけた可能性も拭いきれない。君の要望とは言え、レネ君を呼んでおいてよかった。彼には付きっきりで護衛してもらおう。きっと誰も彼が護衛だと気付かないから、敵も尻尾を出してくるかもしれないね」
留学先のファロから休暇先のジェゼロに帰ってくるのを、アンドレイはずっと断り続けていた。
きっと今回も命を狙われるだろうし、会いたくもない家族にわざわざ会ったって時間の無駄だ。
屋敷の中ではアンドレイが頼れるのはデニス一人しかいない。それではさすがにデニスも荷が重い。
だから帰って来る条件として、レネを自分の護衛に付けるようにアルベルトに頼みそれが叶ったので、帰省したのだ。
アンドレイの心の中でレネと過ごした日々が、ずっと宝石のようにキラキラと光り輝いていた。
レネが一緒にいてくれるなら、アンドレイはどんな辛い時間も耐え抜くことができる。
(それにしても……レネ君?)
父は面識のある人物以外を名前で呼ぶことはまずない。
まるで本人をよく知っているかのような言いようだ。
アンドレイは引っかかりを覚える。
「父上は……レネに会ったことがあるんですか?」
アンドレイは思い切って疑問を口に出してみた。
「実はね、冬にテプレ・ヤロで偶然レネ君に会ったんだよ。ある人物の護衛で来ていてね、あまりにも美青年だったから、最初は護衛だなんて思わなかったよ」
肘をつき両手を顎の下で組んで、その時を思い出すかのように微笑んでいる。
(よりによってテプレ・ヤロか……)
帰りの馬車で聞いたレネの話を思い出し、アンドレイはグッと拳を握りしめる。
「どうして、僕に付けていた護衛と同一人物だと気付いたんです?」
レネの名前をアルベルト宛の手紙に書いたことはあったが、容貌まで知らないはずだ。
「以前の仕事の報告に来てくれたロランド君も一緒にいたからね、『あれ?』って思ってたんだよ。それにレネ君はラデクをデニスと見間違えたみたいで、本人に尋ねてみたら、アンドレイの名前が出てきてね、もう間違いないって思ったのさ。そこで起こったトラブルにも協力してもらって、彼にはとっても感謝しているんだ」
「そんなことが……」
あんぐりと開いた口が塞がらない。
誰かの愛人を演じていたレネに、父は会っていたのだ。
アンドレイは、チェスタの手前からポリスタブまでの短い旅の思い出だけを宝物にしていたのに、自分の知らない所でレネと父親が会っていたのが少し悔しかった。
「だから彼が腕の立つ優秀な護衛なのも知っている。デニスがああなった以上、君は絶対彼から離れてはいけないよ」
「わかってます」
デニスが怪我をしてアンドレイの警備が手薄になっている今、ヴルビツキー側はこの機会を見逃さないだろう。
「今回、君が命を狙われる危険があるにも関わらず、わざわざここに呼び寄せた理由を話しておこうと思ってね」
アンドレイはなにを言われるのかと、思わず身構えた。
「——実はね、君に縁談が上がってきた」
「はっ?」
あまりにも想定外の話に、アンドレイはぽかんと口を開ける。
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