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戦争編〜第二章〜

第145話 輪廻回帰

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「2人共、モルテに言って生命の水を汲んで来なさい」

 神使教に訪れた親子を見たカナエとエリィはグラセの言葉に覚醒した。

「あ、はい! ……エリィ、行こう」
「『どこに?』」

 エリィの手を取ってカナエはモルテがいる供養場……火葬場へと足を進めた。

「『生命の水ってなんですの?』」
「えっ、エリィって人間の言葉聞き取れたっけ?」
「『……私リィンさんに言われてずっとエルフ語使っているだけなんですけど』」
「あぁ……そういえばそうだっけ。理解しているようなしてないような微妙な範囲だったなぁ。ただ単に難しい話は理解しきれなかっただけか。そういえばあたしがエリィに喋ってる言語って今どんな感じ?」
「『エルフ語ですわ』」
「意識して使い分けれないのきついな……。ま、どーにでもなるか」

 ふとカナエは気付く。
 エルフ語と共通語の2つ使えるエリィって実はなんだかんだ優秀なのでは、という事に。

「あ、モルテさん、いたいた!」
「はい。カナエさんとエリィさん」

 焼却炉で指示を出しているモルテがいた。
 その場では死体が炉の中に放り込まれている光景が見えた。

 カナエは思わず足を止める。
 こんなに沢山の人が死んでいる光景は初めて見たのだ。

 そっと手を合わせる。

「『カナエさん何をしていますの?』」
「……私の国の挨拶、みたいなもんかな。細かい話は仏教がとか関わってくるけど、簡単に言えば成仏してください、って意味」
「『じょうぶつ……?』」
「おぎゃあ……! い、意味は、流石に細かいところはわかんないからエリィ勘弁してー!」

 この世界には検索ツールなんてものはないのだ。元の世界の知識は召喚された瞬間に止まってしまう。

「それでモルテさん、グラセさんに言われて生命の水を汲んで来なさいって言われたんですけど」
「……何人来ましたか?」

 モルテの質問に一瞬首を傾げる。

「輪廻回帰を望まれる方が来たんですよね、何人でしたか?」

 言葉を変えてくれた事ですんなりと質問の意図が入ってきた。神使教では生命の水は輪廻回帰に直結する物の様だった。

「3人です。母親1人に、子供が2人です」

 モルテは頷くと炉の前にいる職員に指示を出し、カナエとエリィを連れて外に出た。

 鍵付きの部屋に辿り着く。モルテが沢山ある鍵束の中からジャラジャラと探り目的の鍵を取りだした。
 がちゃん、重たい音を鳴らしながら扉は開かれた。

 扉の中にはこれまたガラス張りで鍵付きの箱があった。中は透けて見える為、よく分かる。水瓶から受け皿に透明の水が流れ落ちていたのだった。

 入り口付近にあるオブジェクトによく似ている。

「これが生命の水です」

 生命の水というものが一体なんなのか分からない。
 浄めなどの儀式に使われるのだろうか。
 なんてことを考えていると、モルテが扉を開けた。

 鼻につく甘ったるい匂い。

「『これ…………もしかして毒じゃないかしら』」
「えっ、毒!?」

 カナエはエリィの言葉に驚き飛び跳ねる。エルフ語が分からないモルテは互いにどんな会話をしているのか分からず首を傾げた。

 その様子を知ってか知らずか、カナエは躊躇うことなく聞いた。

「これ、毒なんじゃないかって言ってるんですけど」

 モルテはその言葉に少し迷った。
 そしてカナエとエリィが神使教の職員ではない事を考えて、頷いたのだった。

「はい、分かりやすく言うと毒ですね」
「『やっぱり……』」
「ただちょっと意味合いとしては違うんですけど」

 モルテは部屋の脇からゴブレットを取り出すと水瓶からこぼれ落ちる生命の水を入れた。

「人の魂は、人の肉体が滅びれば新たな肉体へと生まれ変わります。輪廻転生、これは新しく生まれ変わる為に飲む薬なのです。ほら、毒も毒薬と言うでしょう」
「…………!」

 カナエは言葉を失ってしまった。
 これは安楽死だ。等しく死を与える組織の、唯一の救い。

「分かりませんわ」
「……!? エリィさん、共通語を……!」
「生きていれば、いつかは救われます。どれだけ辛くても、生きてさえいれば! あなた達は死のうとする親子を少しも止めたりしない。ただ少し、止めるだけで、もしかしたら救われるかもしれないのに!」

 カナエとは対称的にエリィは思わずキッと睨んだ。
 エルフ語で誤魔化すのではなく、自分の言葉でこの組織に伝えたかった。

「あなた達のソレは! 同調して受け入れるだけで、優しさなんかじゃないわ! 綺麗事をツラツラと並べてらっしゃるようですけど、寄り添う事を忘れ、想う事も忘れ、解決しようとする事も忘れた。ただ思考放棄しているだけですわ!」
「エリィっ!」
「生きていればどうとでもなるでしょう! こんなの、狂ってるわ! 人には訪れる寿命があるというのに!」
「──エリィ!」

 カナエは激情のまま訴えるエリィの腕を引っ張った。

「あのね、エリィ……。いつ訪れるかも分からない救いより、今楽な場所に逃げたい時だってあるんだ……。何も聞かず、ただ受け入れてくれる優しさが、何よりも嬉しいことだってあるんだよ」

 消えそうなほど小さな声でカナエはエリィの正しい言葉を止める。正しさは、弱い人を傷付ける。正論が正解では無いとカナエは知っていたから。

「……エリィさん、エルフは長寿種です。私たち人間より遥かに。生きてさえいれば転機が訪れるチャンスは確かに訪れるでしょう。出会い、別れ、自然によるもの、何でもです。何がきっかけになるか分からない。不幸の反対側では幸福が起こっている。だからきっかけなど待っていればいくらでもやってきます。不幸が起こるという変化があったのならば、逆もしかりです」

 モルテは悲しそうに笑った。

「ですが、人の寿命は短かった。待つ間にどんどん老いていく」
「訪れるかも分からない転機を待つくらいなら、終わりたいと願うものだよ。人間って」

 ここまでは優しい大人の言葉だ。モルテはそっと目を閉じる。

 神使教、鎮魂の鐘は『だから生命の水を与える』のではない、それだけでは無い。
 何も報告の無い場所で死なれ、死体が回収出来ない事が大問題になるからだ。所在の分からず、行方不明となるよりは、ずっとマシだからだ。
 いつでも死ねるように場所を整えている。

 これが8割の理由である。

「分からない、分からないわ……。理解は、出来ますけど。納得が出来ないの……」
「多分大人になるってそういうことだと思う。自殺したい人ってね、弱い人なんだ。正しさは時々、すごく息苦しくて、弱いと呼吸が出来なくなっちゃうんだ」

 カナエはエリィの頭を撫でた。

「行こう、エリィ。エリィの言葉は、間違ってるわけじゃないと思うよ」
「はい、エリィさんは悲しいほどに正しい。間違っているのはきっと、死を受け入れてしまう人間の方なんです」

 エリィはギュッとスカートを握りしめた。

「こんな使い方……」
「へ?」
「何でも、ありませんわ。水掛け論になるだけですもの」

 エリィは目元に溜まった雨を拭った。

「──その薬は、エルフがもたらしたもので間違いはありません?」

 エリィの向けた力強い目に、モルテは思わず怯んだ。

「はい。鎮魂の鐘にこの薬をもたらしたのはエルフで間違いありません。ただ、彼らの本当の名前は伝わっていませんが」
「そう……」

 エリィは一言つぶやくとそのまま足を進めた。

「……エリィさんが共通語を喋れる、という事は胸に秘めておきます」
「ありがとう、モルテさん」
「いいえ。守秘義務ですから」

 ままならないなぁ。
 自分が汚くなったように思えて、モルテとカナエは互いに眉を下げた。

 世界の人間も、異世界の人間も、互いに死は永遠のテーマなのだ。


 ==========



 親子は3つのゴブレットを持って空き部屋に向かった。
 エリィの手から生命の水を受け取った母親は、エリィの手を包み「ありがとう……ありがとう……」と何度もお礼を呟いていた。
 手から温もりが零れ落ち、エリィはその背中を眺めながらポツリと呟いた。

「……リィンさんならどんな結論を出すのでしょうか」
「リィンなら?」
「私、彼女も強い人だと思いますわ」
「確かに、気になるっちゃ気になる」

 一体どんな反応をするのだろうか。

 彼女が人の弱さを知った時、不条理を知った時、絶望を知った時、この世界の真実を知った時。

 案外、それらは経験しているかもしれないけど。


 10分。

 モルテが懐中時計をパタンと閉じると扉に手をかけた。
 生命の水は強力で大体5分もあれば毒に強い人間だろうと簡単に息を引き取る。
 無味である為飲みづらいということも無い。その代わり誤飲を防ぐ為、どんな香辛料を混ぜたとしても臭う強く甘い匂いが付いているのだが。

「何やってんだ?」

 扉を開ける寸前、腰を解しながらやってきた。一区切りついたようだ。

「あれ、あのぐ、ぐ、クラゲは?」
「グラセさんが表に居ないってことは重要書類でも片付けていますよ。それより丁度良かった、リックさん、この中に遺体がありますから運んであげて……──」

 モルテが部屋の中を覗くとソファに横たわる母親と小さな子供、そして部屋の隅でボロボロ泣きながら蹲っている男の子が居た。

「……あちゃ」
「えっ、えっ、何が起こったの?」

「恐らく、少年が生命の水を飲む前に母親と弟が輪廻回帰したのでしょう。その様子を見て怖くなったみたいですね」
「……よくあるの?」
「時々あります」

 怖気付いてしまった、ということか。
 それを認識するとカナエも少年の様子を見る。床にゴブレットがカランと転がっている。液体もその付近にばら蒔かれており、飲めたものじゃない。

「仕方ないですね、少々時間を開けるしかありません」

 するとリックが部屋の中に入る。
 そして怯えた少年を抱き上げた。

「死ぬの、怖くなっちゃったのか」

 返事に迷ったようだったが少年は小さく頷いた。

「坊主、名前は?」
「…………ヒュー」
「そっか! ま、俺名前覚えられないんだけどさ! 俺は自分の名前も忘れちまった!」
「リック君…………」

 そこ忘れちゃダメでしょ、と言いたげにカナエがため息を吐き出した。

「なぁ、具体的にこの子どうするんだ?」
「落ち着くまで様子見です。飲めるようになったのなら飲んでもらいます、それでも飲めなかったら、孤児院に」
「落ち着くまでの時間は?」
「数分だったり、数日だったりと様々ですね」

 リックは安心させるようにヒューと言った少年の顔を覗き込んだ。

「じゃ、しばらく俺らといるか」
「え!?」

 驚く声を上げたのはモルテだった。
 モルテはグラセと常に情報共有をしている。だから昨日リックが餓死した女の子の事でかなり堪えた様子だったことも知っているのだ。

「俺はこんな小さな1人の命を抱えられるほど出来た人間じゃないのはわかってる。でも今はリィンも居ないし、預かるくらいなら出来るよ」

 自分達は追われている身だけど、そこで知らんぷりが出来るほど非情にはなれない。

「まー、2人が大丈夫だったら、だけど」

 伺うようにカナエとエリィを見下ろすリック。
 パーティーの頭脳のリィンとグレンが居ない中、自分1人では流石に即決判断は出来ない。

 とは言えど。

「リック君さ、この状態で断れるわけないじゃん」

 あはは、と笑いながらカナエは頷いた。
 子供に既に語りかけておきながら断れるわけが無い。

「私、いいと思いますわ。その、私結構遠慮なく質問しますから、辛い思いさせないか怖いのですけど」

 言葉は違えど2人とも了承した。

「(貴重な人手だったんですけどね……)」

 死ぬまで追い詰められ、死を恐れた人間は鎮魂の鐘で働いてもらう事が多かった。
 秘密が多く、守秘義務が発生する中立組織。死ぬしかないほど味方の居ない孤立無援な状態ならば、誰かに漏らす可能性も少ないのだ。黒いことを言ってしまえば優しくしてくれた人間に懐くから鎮魂の鐘に傾倒しやすいのだ。

 ちなみにモルテもその口だ。

 死ぬしか無かった人生で、死のうとして怖気付いて、グラセに救われた。

「分かりました。では、彼の面倒はあなた達でお願いします」


 満たされたことを愛と勘違いしたのだ。



 
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